モドル | ススム | 009

  暗い森の奥深く   

 



 
 戦況は依然芳しく無かった。B.Gの暴力的支配と住民達の抵抗に継ぐ抵抗により、戦火はこの地方一帯は瞬く間に舐め尽した。
 血と硝煙の匂い、爆撃の轟音が聞かれない日は無かった。00ナンバー達はいたずらに疲弊し、不眠不休に近い形での攻防は中々終わりが見えなかった。
 
 
 
 夜の帳を月が照らしていた。見張りに立っていた009は、鬱蒼と茂る木々の間から目の前に銀色に輝く湖を眺めていた。
銃撃の音も巨大な火花も今夜は珍しく見られなかった。昼間の喧騒が嘘の様な静かで穏やかな宵、月の光が薄い金色の天蓋を作って暗い地上を優しく覆ってい た。
さやさやと木の葉を揺らす風が濃厚な草木の匂いを薄めて、空気は甘く澄んでいた。
 
 
 突然空気を裂き、次いで勢いよく草木をかき分ける様な音が009の耳に飛び込んで来た。同時に頭の中で時刻を確認すると夜中の二時丁度だった。
音は周囲を半回転する様に移動し、009の頭上で止まった。009は上を見上げて声を潜めて呼びかけた。
 
 
「002・・・・・!」
 
重たげに茂った木の葉の間から、長い鼻がにょっきり突き出て、それから悪戯っぽい瞳が現れた。
 
 
 「お疲れさん、交替の時間だぜっと・・・・」
 
 
 言いながら002は枝を鉄棒の様にしてぐるりと一回転し、華麗に着地した。
 
 
 「元気だね」

 「仮眠取ったからな」

 そう言って002はすぐ傍まで寄って来た。

 「眠れたんだね」

 「んー実は・・・あんまり。・・・・だってお前が寝てないの、知ってるもん」


 ふたりは間近で見つめ合った。


 「・・・・・此処は少し冷えるよ。湖の傍だからね」

 「・・・・ん」

 002は湖にそっと目を走らせた。
 風が二人の頬を撫で、更に湖へと流れて水の面に銀の欠片を撒き散らして行った。ふたりは黙って輝く湖を眺めていた。


 突然002は間の抜けた声を上げた。


 「あーピザ食いてぇ〜〜〜〜」

 009は噴き出した。

 「何、それ」

 「チーズとろっとろのピザ!!・・・・それからコーラにフレンチフライ山ほどとミネストローネ、コーンクリームでもいいか。だってお前も分かるだろー? この戦闘が終わるまで全〜〜部お預け!お前は終わったら何食いたい?」

 「それより僕は熱いお風呂にゆっくり浸かりたいな・・・・・誰にも邪魔されずにのーんびりと」

 今度は002が噴き出した。

 「本っ当ニホン人だな、お前」

 「君も本っ当アメリカ人だよね」

 二人は声を上げて笑い合った。心から笑ったのは久し振りだった。

 「じゃあ、君が帰って来た時、僕がミネストローネの代わりに熱いココアを淹れてあげる。今はそれで我慢して、ね?ドルフィン号で待ってるよ」


 002はニヤッと笑って一歩足を踏み出した。

 「ああ。楽しみにしてるぜ。だけど今すぐ、その楽しみちょっとだけもらってもいいだろ?」

言うが早いか002は009をぎゅっと抱き締め、素早く頬にひとつキス、そして009が驚く隙も無いうちに唇に軽くキスを落とした。

 「えええ・・・・ちょっと・・・!」

 どぎまぎして焦る009に002は照れ笑いして片目を瞑って見せた。

 「ごちそうさま!あー何か元気出てきたかもー!」


 009は顔を真っ赤にして呆れながらも、002の嬉しそうな顔を見ると何も言えなかった。これで002が元気になるならまあいいか、と 何だかこちらも心が軽くなって、釣られて笑ってしまったのだった。






 009ははやる足取りでドルフィン号への帰路に就いた。見張り場所を囲む茂みを抜けると、明るい月の光が自分を導く様に黒々とした森の中に道を開いてい た。
 早く帰って一息吐こうと足を速めたその時、目の前の道の真ん中に人影があるのに気付いた。
 009は思わずぎょっとしたが、その人影が004である事にすぐに気付いた。彼も別の地点の見張りから交替して帰る途中なのだ。
 004はこちらを向いて佇んでいた。月明かりの逆光が彼の顔を無表情に塗りつぶし、地に落ちたシルエットが009の方へ長く黒々と伸びていた。 彼は身動きせず、009が来るのを待っている様子だった。

「びっくりした・・・・。敵かと思ったよ」

 追い付いた009は、言いながらさっきの002との事が004に見られたかもしれないと思った。だが見られた所で大した事では無い筈だ。抱き締められ てちょっとキスされただけだ。仲間同士のただのふざけ合いにすぎない。

「そうか」

淡々と004は答えてさっさと歩きだした。

「君の所は・・・・次は007だったけ?」

「ああ」


 009は彼の少し後ろを歩く形になった。彼はこちらを振り返りもせずにただ歩いて行く。待っていた素振りの割りにこの無愛想な様子。 009は軽い反感と気まずさを覚えていた。自分も彼も疲れているのは確かだが、それを考えても今夜の彼は変だった。ドルフィン号までの道のりはまだかなり ある。
 
 木立が一時途切れた時、月明かりが前を歩く004の顔を照らした。その頬に赤く血の滲んだ傷が走っているのに気付いた009は驚いて声を上げた。
 
 
 「君、その傷・・・・!」
 
 004は何でも無い様に手で血を拭った。血が大きく擦れて頬に不気味な跡を残した。
 
 「ああこれか・・・・。昼間の奴がまだ二、三機残っていたらしくてな。さっきちょっと遣り合ったのさ」

 「そんな・・・・何で呼んでくれなかったんだい?」

009はショックを受けて抗議した。

 「特に呼ぶまでも無かったさ。・・・・第一呼んだとしても、お前さんはあいつとあれこれ仲良くするのに忙しくて来る所じゃ無かったんじゃないか」

009はどきりとした。と同時に顔はさっと赤くなった。やはり見られていた。いや、でもその事に何の問題が・・・・。こんな棘のある物言いをされる 覚えなんて無い筈だ。

「変な言い方しないでよ・・・・!あれは少しふざけただけで・・・・・」


004の足がぴたりと止まり、振り向いた。

「・・・・『ふざけた』。なるほど。それだけか」

「そ・・・それだけだよ・・・・君が何を考えているのか分からないけど」

彼は絶句した様に見えた。沈黙が異様に長く続いた。


『・・・・・それだけ・・・・・それだけか・・・・!!』

 
 無表情の瞳の奥が意味の無い言葉を羅列していた。
009の背筋はそっと寒くなり、同時に心臓が熱を持って高鳴った。
 薄い雲が風に流れて月が夜空を逃げ惑っていた。ざわめいては黙り込む木立の間で彼の薄青い目と赤い傷跡に見詰められて、まるで地面がぐるぐる 回り出す様な、奇妙な気分だった。





 004はいきなり進み出て009の腕を取った。あっと思った次の瞬間次の瞬間には、強く抱き竦められていた。
顎に指を掛けて顔を上向けさせられた。
 004は荒々しい目付きで009の瞳を覗き込む。眼前に迫った頬の血が威嚇する様で、009は思わず目を閉じた。
 004は009の唇を激しく奪った。舌を入れ込んで吸われ、009は身動き出来なかった。
 波打つ風に攫われる様な性急さで抱き抱えられ、茂みの中に引き摺り込まれて、初めて自分の罪深さを知った。だがもう遅かった。
 
 
 肌を剥かれ、暴かれる、彼の舌が、唇が這い回る度に頬の血が肌に移り汚される。息はか細く掠れ、喘ぎ声は痛い程に甘く切ない。

 これから起こる全ての事を、009は理解した。

 



 知りたいか、と問われれば、確かに知りたかったのだろう。
 今夜ふたつの口づけはその答えを教えたのに過ぎない。そして後者の彼は体の奥までその答えと意味とを教え込ませたのだ。


 愚かな恋人達、暴力的に甘い恥辱、愛と欲のせめぎ合い。  







モドル | ススム | 009

-Powered by HTML DWARF-