いすゞBLシリーズ ライトバスの系譜 (いすゞ編_2)

BLシリーズはいすゞが1960年に発表した小型バスである。

ボデーの架装は、戦前より深い縁のある川崎航空機が
受け持ち、のちのジャーニーL/Mに続く車両になる。

TLマイクロバスとBLライトバスの二本立ての商品展開であった。


1960 いすゞ BL 試作車

前年に登場した小型トラック

エルフを元に試作された。


完成度の高いデザインである。

1960 isuzu BL prototype

出典:モータービークル臨時増刊 日本のバス1990
1961 いすゞ BL171 ライトバス

(第7回全日本自動車ショー出展車)

ラジオアンテナ以外に違いはない。

ナンバープレートに「エルフ」と表記され、

正式名は不明である。


乗車定員21名、ディーゼルエンジン搭載
ISUZU BL171 litebus

出典:モーターファン1960-12別冊付録 No.7自動車ショー
1962 いすゞ BL371

”小型車のわりに大きな収容力を持つ
モノコックバス”

とあり、強度不足が露呈したのか、
板厚削減による軽量化のためか、
外板に川崎お得意の応力外皮構造的な
リブが追加され、グリルも大型化

サイドウインカーやや前進

全長5,410mm

軸距はエルフよりも延長されている

BL171と乗車定員、エンジンに変更はない
ISUZU BL371 litebus

出典:自動車ガイドブックVol.8 1961-1962
1963 いすゞ BL371 エルフ幼稚園バス

さらにリブの本数が増え、
バンパーにメッキモール追加

バックミラーを小判型に変更
サイドウインカー位置がやや後退
など改良の様子が伺える。


幼児向けに標準車よりもステップが低い。

フォグランプはオプションか?
ISUZU BL litebus

出典:モーターファン1962-12別冊付録 第9回自動車ショー
1962? いすゞ BL371

いわゆる「川航マーク」がペイントされた

川崎航空機工業の社有車

出典には1961年とあるが、

リブの本数やバンパーより

1962年秋登場の63年式と思われる。
ISUZU BL litebus

出典:モータービークル臨時増刊 日本のバス1990
1963 いすゞ BLD10ほか

(第10回全日本自動車ショー屋外展示場)

来賓に頒布されたと思しきアルバムから
発見したカット。


他の資料には記述がないが、
いすゞの形式再編と、4灯式への
モデルチェンジの狭間に存在した
モデルかと思われる。

中身はBL371と同一か?
1963 tokyo motor show

出典:第10回全日本自動車ショー記念アルバム 
1964 いすゞ BLD11

流行の4灯式をエルフより一足先に採用
グリルも新型となる。


BXシリーズと同様に形式名が再編され、
BLDとディーゼルを示すDがつく。


定員21人で基本構成は変わらず。
ISUZU BLD litebus

出典:モーターファン1964-12別冊付録 11thモーターショー 
1965 いすゞ BL20試作車(右)

左は1966〜77年にかけて製造された
量産車(1966年型)


エルフのモデルチェンジに先んじて
生まれた25人乗の新型。

21人乗のBLD11とは暫く併売された。


後ろの建物から川崎岐阜工場とわかる。
ISUZU BL20 litebus

出典:モータービークル臨時増刊 日本のバス1990
1967 いすゞ ライトバス BLD20
(ガソリン車はBLG20)

乗降扉の大型窓など、試作車の特徴を
保ったまま市販車となった。

ビードを廃し、車体裾に絞り込みを
持つ「ヨーロピアン」なデザインが特徴。


エンジンはBLD11と同一だが、
ボディは全長が5,999mmと大型化された。

後にジャーニーと命名される。
ISUZU BLD20 litebus

出典:モーターファン1967-12別冊付録 第14回東京モーターショー

1961年現在のマイクロバス事情
いすゞBL型ライトバスといえば国鉄バス413型としても活躍した。ここで書物から当時の国鉄のマイクロバス事情を紹介してみたい。

1961年現在、日本全国のマイクロバスの保有台数は5,600両、そのうち営業用として登録されているのはわずか68両だった。定員が10〜20人程度と少なく、路線バスとして使うと採算割れとなることが指摘されている。この当時の路線バスは運転手と車掌が乗るツーマン時代だったから尚更だ。

同年8月、国鉄バス予土南北線(松山−高知間・137km)でBL171型による特急便2往復が設定された。これは日本で最初のワンマン運行マイクロ路線バスで、シートピッチを拡大した特注車を使用した。定員21人の座席を減らし14人としていたが、大型車と比べると乗り心地には難点もあったようだ。昭和40年には道路改良により定員40名の冷房つき大型バス(松山高知急行線・なんごく号)に更新されている。

1962年8月、広島−浜田間(120km)、出雲市−三次間(106km)にも展開。
若江線(京都−小浜間)、五新線(紀伊田辺−川湯間)など、国鉄未成線のバス路線へ投入が検討されている。なかなか興味深い。

【参考資料】
1961-03_国鉄線(s36)
1962-01_国鉄線(s37)
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