漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2018.1.    掲載
2018.4.  注1改訂

 本という字の謎

 「本」という字は、小学1年生が学ぶやさしい字である。現代でも頻繁に使われているし、筆者にとっては、自分の苗字に含まれているという点でもなじみ深い字である。しかし、この字の成り立ちやこれまでの使われ方を調べてみると、不明なことや不可解なことがいくつも見えてくる。以下、その謎を列挙するが、結局、解けないままのものがほとんどである。読者各位にも、謎解きに挑戦していただきたい。

謎1 「本」の字は甲骨文に存在しない。金文にもほとんどない。
 「字統」や「漢字古今字資料庫」を見ても、「本」の甲骨文は存在しない。金文については、左下図のものが紹介されている。この金文は「本鼎」という青銅器に記されているということで、「本」は作器者の名前であろうと想像はついたが、念のために図書館で「殷周金文集成」を閲覧し、そのことを確認した。すなわち固有名詞であるので、この字が当時どういう意味を持っていたのかは不明である。極端に言えば、この字はのちの「本」とは何の関係もない字かもしれない。同じ時期の「木」の金文と比較しても、この「本」は木に従っているように見えないのが気になる。1)
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「本」金文
西周中期「本鼎」
本鼎銘文「本肇作寶鼎」
「殷周金文集成」より
 (釈読は「金文引得」による)
「木」金文
西周中期 kutu.png(444 byte)
 
 「本」という字は決して後発の字ではなく、詩経や論語といった古い文献にも登場する。「中國哲學書電子化計劃」(ウェブサイト)で検索してみた。
 詩経では有名な「殷鑒(いんかん)遠からず」の成句が登場する直前の行に使われている。重臣の西伯昌(後の周の文王)が殷の紂王を諌める場面である。原文(詩経>大雅>蕩之什>蕩)は「枝葉未有害、本實先撥。殷鑒不遠、在夏后之世」。枝葉はまだ大丈夫だが、根が先に枯れてしまっている(ので倒れてしまう)、という意味で、「本」は根のことだということになる。
 論語では、学而編など3編5か所に使われ、学而編第2節を例にとれば「君子務本,本立而道生」とあり、これも「本立ちて道生ず」という成句として有名である。加地伸行氏はこれら5か所の「本」をいずれも「根本(こんぽん)」と訳している。
 このように、春秋・戦国時代の文献にはたびたび登場し、重要な意味を表している「本」という字が、なぜその前の殷・周時代の遺物に見つからないのか、これが一つ目の謎である。

謎2 字の成り立ちに異なる見解がある
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説文解字注
木とsitatensyo.png(326 byte)が離れている。
 後漢代に許慎が著した字書「説文解字」の宋代の校訂本である大徐本(汲古閣版)で、「本」について「木下曰本从木一在其下。徐kai.png(568 byte)曰一記其處也本末朱皆同義布忖切」と説明されている。「木の下を本と曰う」として、「木」字の下部に「一」を記して場所を示す、いわゆる指事文字という解釈である。
 これに対して、清代に「説文解字」を校訂し注釈をつけた段玉裁の「説文解字注」では、この字は「木+sitatensyo.png(326 byte)(「下」の篆文)」の会意文字であるとする。その根拠は、「六書故」という書籍(宋末~元初)に引用されている、唐代の説文解字の写本がそうなっているから、ということである。唐本は大徐本より古い本だから、許慎の意に近いはずだということだろう。2)
 しかし、六書故の著者、戴ninbendou.png(372 byte)が生きたのは1200~1284年で、大徐本ができたのは986年である。戴ninbendou.png(372 byte)が説文解字の唐本を見ることができたのなら、大徐本の著者の徐鉉も見ることができたのではないだろうか。見たうえで、なにか支障があって採用しなかったのかもしれない、と考えるのは穿ちすぎだろうか。
 結局、両者とも意味は「木の下」で変わりはないが、成り立ちとしては、指事か会意かという重要な点で説が分かれている。
 
謎3 本当の意味は?
 では、「木の下」とは具体的にはどこだろう。筆者はこれまで、木の幹と地面が接するところ、つまり地上から見える一番下の部分と思っていた。日本語で根元(ねもと)というのもそのあたりだろう。字統でも、「木の下部に肥点を加えて、指事的な方法で木の根もとを示す」と書かれている。このため、本という字が指事文字だとすると、「一」のある部分が根元であるから、その上の左右の払いは下向きの枝と解さざるを得ず、「根である」という説を読むたびに違和感を感じていた(「木」の成り立ちについては拙稿「分かったようでわからない古代文字」参照)。
 しかし先ほど引用した詩経の使用例では、まさに「根」のことを「本」と言っている。さらに、康煕字典の引く説文解字では、「木下曰本从木一在其下草木之根柢也」と書かれていることを知った(下線筆者)。3)「本」は草木の根のことだという(「柢」も根という意味の字である)。こうした資料を見ると、「本」という字のもともとの意味は、木の根というのが正解と考えざるを得ない。
 しかし、「木」という字について考えれば、中央縦画の下部が根であったとしても、その上の左右の払いまで根であると確定できるわけではない。私としては、樹木を見てそれを表す象形文字を造り出す際に、地中深くの根のことまで考えるものだろうか、という疑問を捨てきれない。

謎4 異体字の横行
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 「本」という字は、左図のような字体で書かれることがある。最近も、署名する際にこのように書いた大学教授を見かけた。
 「大書源」に掲げられている過去の書蹟をみても、特に東晋・北魏から隋・唐にかけてのものは、大多数がこの字体を使っている。王羲之も顔師古も、日本の聖武天皇もこの字体で書いている。隷書では「本」の意味で「大+十」の字体で書かれることが多く、草書にもそれが受け継がれたといわれる(笹原宏之「漢字の歴史」)。
 しかし、前掲の字体は、実は康煕字典に「本」とは別字として載っている字のものである。この字は説文解字にも掲載され、部首字となっている。意味は「進趣也」(速く進む)、音はトウとされる。宋代以降はこの字体の「本」としての使用率が下がっているようであり、それは大徐本が流布しだしたからかもしれないが、しかし宋・元・明・清でもこの字体を使っている例はなおも見られる。

 音トウの字が使われなくなり、忘れ去られた時代に、この字体が「本」として使われ始めたものと思われる。しかし「大書源」所載のもので最も古いのは後漢の「白石神君碑」(183年、隷書)であり、説文解字の完成から100年もたっていない。
 この字がなぜ本の異体字として好んで使われてきたのか。不思議なことである。

謎5 様々な古文
 説文解字には、「本」の古文として下図の字体が掲げられている。「本」とはかなり趣の違う字である。段玉裁は、「木の根には竅(あな)が多く、口に似ているので、3つの口に従う」と述べているが、口だとすると三角形なのはどういうことか。
 たまたまではあるが、筆者は「霊」の異体字を見たことがあった。宋代初めに編纂された古文字典である「汗簡」に載っている字体だが、この字の下部の3つの逆三角形が本の説文古文とそっくりである。霊は旧字体で「靈」であるので、この3つの逆三角形が後に四角形に変化したものと思われる。字統によると、靈は祝祷の器であるサイを三つ並べて、降雨を祈る儀礼をいうという。これに倣うと、本の説文古文は、木の根もとにサイを並べて儀礼を行うことを意味したのかもしれない。
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「本」説文古文 「靈」伝抄古文字 汗簡5.63
 しかし、「本」という字にはもっと多くの古文がある。「漢字古今字資料庫」などで調べると、次のようなものが続々と見つかる。それぞれの文字がこのような形になったのには理由があったのだろうが、今の筆者には全くの謎である。結局、調べれば調べるほど謎は深くなってしまったようだ。
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伝抄古文字 集篆古文韻海 楚系簡帛文字 郭六 伝抄古文字 三10老 康煕字典古文
     


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齊刀背文

注1)字統にはもう一つ、金文の字形が掲載されている。この字の出典が不明であったが、漢字教育士の丹羽孝様のご教示により、「漢語古文字字形表」(徐中舒 主編)に「齊刀背文」として掲出されていることが分かった。しかしこのように左右非対称のものは、周の金文の「木」には見当たらず、斉国独自のものと思われ、これものちの「本」字との関係は不明確である。     戻る

注2)説文解字の唐本の「木部残巻」が、日本に伝えられ国宝に指定されている。大阪・道修町にある「武田科学振興財団 杏雨書屋」に収蔵されているもので、「文化遺産オンライン」でも見ることができるが、残念ながら「本」字の部分はこの残巻に含まれていない。    戻る

注3)康煕字典に引用される説文解字には、大徐本、小徐本(「説文解字繋傳」)や説文解字注に無い記事が散見される。しかし、どの本を引いているのかの記載はない。当然研究はされていると思われるが、筆者はいまだに知ることができずにいる。引用元について、ご存知の方はご教示いただければ幸いです。    戻る


参考・引用資料

新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

殷周金文集成 中国社会科学院考古研究所編、中華書局 1996年

金文引得(殷商西周巻) 第1版第1刷 中国・教育部人文社会科学重点研究基地 他編、廣西教育出版社 2001年

中國哲學書電子化計劃(ウェブサイト)

論語 増補版 第11刷 訳注:加地伸行、講談社学術文庫 2012年

説文解字(大徐本) 許愼 記 徐鉉 等校定、汲古閣(出版年不明)北宋本校刊:早稲田大学学術情報検索システムより

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

説文解字繋傳(小徐本) 徐kai.png(568 byte)撰:中國哲學書電子化計劃(ウェブサイト)より

文化遺産オンライン(文化庁ウェブサイト)

康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

大書源 二玄社 2007年

画像引用元(特記なきもの)

金文、戦国文字、古文、小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

JIS第1・第2水準外漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)