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 水が、龍のように立ち上がり、うねり、≪翔(フライ)≫に乗ったさくらに襲い掛かっている。
 小狼は折れた柱の上に立って≪浮歩≫を解くと、ポケットからクロウカードを取り出し
 空に放った。
 彼の手を離れたカードがクルクルと回転する。
 小狼は逆手に握った剣をカードに振り下ろした。

 「≪凍(フリーズ)≫!!」

 剣の切っ先が、カードの表わずか数ミリで止まる。
 澄んだ音をたてて魔力が波紋を描いて拡がった。
 ≪主≫と認めた者の魔力に呼応したカードが揺らぎ、濃い霧のように立ち昇る。
 そして、空間に巨大な氷の魚が姿を現した。

 一瞬にして水が動きを止め、氷の柱となって水面に砕け落ちる。
 さくらがこちらに気づき、振り向いた。

 「李くん!!」

 せり上がる水の壁を越えて、さくらは小狼の傍まで飛んで来た。

 「どうして、ここに?」

 小狼は剣を構え、空間の頭上に浮かんだ女魔道士から目を反らさずに答えた。

 「水に呑まれた後、気づいたらここにいた」

 「じゃあ、あそこにいたみんな…」

 「ああ。何処かにいる筈だ」

 「早く、探さなきゃ…」

 「探さずともよい」

 結い上げられた長い黒髪。古風な衣装と装身具。
 どこかしら母を思わせる女は、しかし母とは違う怒りを剥き出しにした声で
 二人に向かって言った。

 「おまえ達と共にとり込んだ者は、そこにいる」

 その声と同時に、女魔道士の背後の水の壁から四つの青白い水球が現れた。
 中には、苺鈴、知世、桃矢、雪兎の四人が倒れている。
 意識を失っているのだろう。四人とも、ピクリとも動かない。

 「私は、クロウ・リードを呼んだのだ…なのに、何故…?クロウ・リードは何処だ…」

 女魔道士は、繰り返した。一言ごとに、怒りが高まってくるのが感じられる。
 小狼は小声でさくらに言った。

 「二手に分かれるぞ。おれが奴の動きを止める。
  その隙に、おまえは皆を助け出すんだ」

 「うん」

 「クロウ・リードは、何処だ!?」

 爆発するような叫びと共に、両手が振り上げられる。
 同時に二本の水柱が立ちあがり、二人をめがけて襲い掛かった。

 「いくぞ!」

 「はい!」

 さくらは≪翔(フライ)≫で左に飛び立ち、小狼は右に跳躍した。
 二人が逆方向に動いたことに、女魔道士は一瞬、戸惑った。
 その隙をついて小狼は柱から柱を飛び移り、女魔道士のほぼ真下まで近づく。
 再び小狼はポケットからクロウカードを取り出した。

 「≪嵐(ストーム)≫!!」

 ≪時(タイム)≫の次に小狼が捕獲したカードだ。
 表に描かれた可愛らしい少女の姿に反し、≪凍(フリーズ)≫同様気が荒く、扱いの難しい
 カードでもある。
 小さな少女の姿をした精霊は、瞬く間に女魔道士を取り囲む竜巻となった。

 「今だ!」

 振り返ると、さくらは≪剣(ソード)≫で知世を封じ込めた水球を切り裂き、≪翔(フライ)≫で
 安全なところへと運ぼうとしていた。
 だが、一人づつそんなことをしていたのでは時間がかかりすぎる。
 小狼はもう一度柱から柱へと飛び移ると、苺鈴を封じ込めた水球の前に立ち、
 剣を振り上げた。
 しかし…。

  キィン

 小狼の剣は鈍い音を立てて弾かれた。
 この水球は、いわば小さな結界なのだ。並大抵の魔力では、破ることなど出来ない。
 それでも小狼は二度、三度と剣を振り下ろした。
 だが、両手に痺れが残るだけで、水球には傷一つつかない。

 「くそっ、だめか…!」

 主が望めば、どんなものでも切ることが出来るのが≪剣(ソード)≫の魔力。
 けっして、自分が劣っているわけではない。
 それでも、アイツに出来ることが自分には出来ないこと。
 目の前の従姉妹を救うことが出来ないこと。
 それが、無性に悔しかった。

 「…貴様等……許さん……」

 怒りに震える女の声に、小狼はハッと≪嵐(ストーム)≫の創り出した竜巻を見た。
 ここが相手の魔力による世界である以上、自分の魔法が長くは保たないことを
 小狼は承知していた。
 それでも、≪嵐(ストーム)≫が破られるのは早かった。
 女魔道士のまとう白い肩巾(ひれ)が、竜巻の壁を切り裂いた。

 「許さん…!!」

 叫びと共に、≪嵐(ストーム)≫がカードに戻される。
 水が、津波のように小狼に押し寄せた。

 いや、押し寄せるのは思い通りにならぬ苛立ち。己の望みを邪魔する者への憤り。
 歪められた執着。自制を失った怒り。
 荒ぶる感情が、小狼を呑み込もうとする。


     ………コンナニモ願ッテイルノニ
     ………何故、届カナイ
     ………何故、手ニ入ラナイ
     ………オマエガ 邪魔ヲ スルカラダ…!!


 恐ろしいまでの負(マイナス)の波動に、小狼は正気を保つだけで精一杯だった。
 おそらく間違いなく、この女魔道士は既に死んでいる。
 そして、そのことを自分で自覚してさえいないのだろう。

 強い魔力を持つ者が、この世に執着や恨みを残して死んだ場合。
 それは、とても厄介な存在となる。
 強すぎる≪思い込み≫だけで存在しているようなものなのだ。説得など通じよう筈もない。
 とすれば、魔力でねじ伏せるしかないのだが、相手は肉体を持たないだけに、生身の
 こちらが圧倒的に不利になる。
 しかも、ここは相手が創り出した異空間なのだ。

 ……だめだ、アイツ……。
    幽霊とか、苦手だし
    ちゃんと修行もしていないし
    こんな奴に、対抗出来る筈がない……!!

 自らを護る結界を張りながら、小狼はそんなことを考えていた。
 辛うじて、津波をやりすごすことは出来た。
 だが、既に小狼に余力はなく、剣を支えにその場に膝をついた。

 「李くん、李くん!返事して!!」

 知世を安全な場所に降ろしたさくらが、≪翔(フライ)≫で飛んでくるのが目に入る。

 「逃げろ…!逃げるんだ…」

 もう、声すら上手くは出せない。
 さくらは下から吹き上がる水を避けながら、何とか小狼の傍まで近づこうとする。

 「来るな!おまえ達だけでも逃げるんだ…!!」

 「でも…きゃあっつ!!」

 間一髪で水柱をかわしたさくらが、悲鳴を上げる。
 小狼は天窓のような頭上を仰ぎ、声を振り絞った。

 「上空は、魔力が弱い。上に飛べば出られる筈だ…!」

 「黙れ!!」

 図星だったのだろう。女魔道士は声を荒げて、小狼を立ち昇る水の渦に巻き込んだ。
 もはや抵抗も出来ず、小狼は水球に封じ込められてしまった。
 ≪翔(フライ)≫に乗ったさくらは、固まったようにじっとこちらを見ていた。

 ……何を、ぐずぐずしているんだ…!!

 水球の中で、≪気≫を吸い取られていくのを感じながら、小狼は思った。

 ……いつも…人のことばかり気にして……!

 泣きそうな眸だった。
 胸が、痛んだ。

 ……もっと…おれに魔力(ちから)があれば…
    あんな顔、させずに…すむのに……

 黄色いぬいぐるみが、さくらに何か言っている。
 小狼も、もう一度言おうとした。

 「に、げ……」

 ふうっと目の前が暗くなり…小狼の意識は、そこで途切れた。



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)