兄貴の一番長い日



− 4 −

俺の不機嫌などおかまいなく、物事は進んでいく。
まずは、さくらの後に続いて登場した父さんと、玄関先で挨拶だ。

「ご無沙汰しています。
 本日は、お時間をいただきまして、ありがとうございます。」

やや固いながらも落ち着いた声と、今年の新入社員共に見習わせたい程
背筋の伸びた一礼。

「いいえ、よくいらっしゃいましたね。さあ、奥へどうぞ」

父さんに促され、靴を脱いで家に上がる。
すれ違い様、アイツは俺にも会釈をしたが、大人気ないと思いつつ顔を背けた。
視線を逃がした土間の隅には、几帳面に揃えて置かれた靴。
スーツに合わせたのだろうそれは、見慣れたローファーでもスニーカーでもなく、
高級ブランドのビジネスシューズだ。
まだ高校生の癖に…。僻みだろうと何だろうと、そういうところが気に入らない。
玄関に鍵を掛け直しながら、俺はますます不機嫌になる。

父さんを先頭に、緊張気味のアイツ、小走り気味のさくら、最後は少し離れて俺。
四人がぞろぞろと連れ立って、狭い家の中を移動する。
クーラーの効いたリビングに通され、勧められてソファーに座る時も、アイツは
迷い無く下座をキープした。
向かい合って上座に座った父さんに、改めて挨拶。持っていた手土産を渡す時も、
老舗百貨店の紙袋から包みを出して、一旦、自分の目の前に置き、時計回りに
90度、二回まわして差し出した。

「お口に合うと良いのですが…。どうか、皆さんでお召し上がりください」
「これは、どうも。
 気を遣っていただいて、ありがとうございます」

父さんがさくらに包みを手渡し、さくらはイソイソとそれを台所に持っていく。
多分、手土産は二人で選んだのだろう。
父さんの隣に座った俺は、何かヘマをしやがらねーかと目を光らせているが、
今のところ絵に描いたようにマナーどおりだ。
(例えば手土産を渡す時、『つまらないものですが…』とか言いやがったら、
 『“つまらないもの”なんぞ持って来るな』とツッコむつもりだった。)

ウチに和室は無いが、あったとしてもコイツなら、畳の縁も敷居も踏みそうにない。
緊張の所為か、動作の所々はぎこちないが、こんな場面で余裕たっぷりでいる方が
おかしいだろう。
少なくとも父さんは、コイツの態度に好印象を持っているようだ。
さくらの運んできた冷たい緑茶を、父さんに勧められ、かつ先に口をつけるのを
待ってから一口啜る娘の求婚者を、微笑ましげに眺めている。

俺は父さんの隣で、緑茶を一息に飲み干した。
さっきから一言もしゃべっていないのに、咽喉がカラカラだ。

今年の夏の暑さのこと、父さんの発掘作業のこと、アイツの家族の近況のこと。
当たり障りの無い短い会話が幾つか続き、お茶を出し終わったさくらが、そっと
アイツの隣に座った。
外したエプロンを、両手できつく握り締めている。
もしかしたら、この場で一番緊張しているのは、妹なのかもしれない。

ふっと、現実感が遠のいた。この状況、まるでホームドラマの一場面だ。
このまま大して波乱もなく大団円なら、面白味に欠けるな。
そうやって俺が逃避を試みても、現実は容赦がない。

「今日は、さくら…さんとの将来について、お願いに伺いました」

まるで鳩尾にカウンターを喰らったかのように、ずしりと響く声。
握り締めすぎて血の気のなくなったさくらの手に、いつの間にかアイツの手が
重ねられているのが、くっりきりと映った。

「今すぐではありませんが、さくらさんが成人したら、結婚したいと思います。
 お許しをいただけますでしょうか?」

コイツが何を言いに来たかは、わかっていた。覚悟し、身構えてもいた筈だ。
それなのに、頭を殴られたような衝撃だった。
結婚、けっこん、ケッコン……。ぐわんぐわんと頭蓋骨の中を反響する。
一言も口を利けず、呆然と据わったままの俺の耳を父さんとアイツの交わすやりとりが
行き来する。

高校を卒業後、正式に婚約をし、香港でお披露目をすること。
結婚はさくらが二十歳になるのを待つつもりであること。
二人共、日本の大学に進学するつもりであること。
暫くはさくらと共に、日本と香港を行き来することになること。
だが将来は、本家を日本に移転するつもりで準備を進めていること。
そのため現在、友枝遊園が建つ土地を、使用契約終了後に柊沢エリオルから
買い取る話を進めていること ……等々。

今すぐ、さくらを海の向こうに攫って行くわけじゃない。そのことには正直、ホッとした。
けれど父さんも俺も知らない内に、勝手に将来設計してやがったのか。
そう思うと、ふつふつと怒りが沸いてくる。

何もかもが、気に入らなかった。
まだ高校生の癖に、妙にスーツ慣れしているところも。
黙ったままの俺に、時折真っ直ぐな目を向けてくるところも。
さくらの手を、ずっと握ったままなのも…。

厭味でも皮肉でも、何でもいい。一言、言ってやりたかった。
けれど口を開く前に、気づいてしまった。
俺が睨み付ける男の隣に、寄り添うように座るさくら。
誰よりも良く知る筈の妹が、知っていたつもりの“妹”とは違うことに。

恥じらうように伏せられた長い睫毛。朱に染まった目尻。
すんなりした首やなだらかな肩。
お気に入りのワンピースから、しなやかに伸びた手足…。

これは、誰だ?
俺の小さな怪獣は、何処へ行った…?

以前は俺が椅子に座れば、ちょうど肘が頭にのる背丈しかないチビだったのに。
つつけば破裂しそうなくらい、丸いほっぺたをしていたのに。
ちっちゃい手で、俺の服の裾を掴んで離さなかったのに。

いつの間にか背が伸びて、頬の線もなだらかになり、
白く長い指が、アイツに握られた手をしっかりと握り返している。

今まで、ずっと気づこうとしなかった現実を目の当たりにした俺は、言葉を失う。
父さんの声が、どこか遠くから聞こえる気がした。

「まだ小学生だった頃から、二人がどんなに真剣だったか、見てきたつもりです。
 だから、ぼくが反対するわけにはいかないでしょうね…。
 娘を、よろしくお願いします」

父さんと、スーツを着た若い男と、とんでもなく綺麗な若い女が頭を下げ合うのを、
俺はつまらないTVドラマを見るように黙って眺めるしかなかった。



− 5 −

父さんが了解の返事をした時点で、俺の苦行は終わったかに思えた。
だが、実はこれからが本番だったのだ。
父さんとさくらが今朝早くから張り切った成果。心づくしの料理での“お食事会”が
待ち受けている。

アイツは礼儀上、「ご迷惑では…」と断る素振りを見せたが、父さんからにこやかに
再度の誘いを受け、「ありがとうございます。ご馳走になります」と答えた。
さくらから前もって聞いているだろうに、勿体つけやがって…。

俺はと言えば、適当な理由をつけて外したいところだったが、当然のように席を用意
され、「桃矢君は、ぼくの隣に」と父さんに言われて引っ込みがつかなくなった。
実際、娘の求婚者と、すっかり足元がフワフワしている様子の当の娘とを父さんだけに
押し付けるのも気が引ける。
これも、長男の務めだと腹を括った。

いっそ、いつも場を引っ掻き回してくれる陽気なぬいぐるみでも居れば良かったが、
昨夜と同様、二階に閉じ篭って降りてくる気配がない。
(余程邪魔されたくないらしく、さくらは大皿に盛った料理を二階に運んでいた。)

さて、場を移して…といってもリビングのすぐ隣の食堂だが…かなり早目の夕食となった。
二人が半日かけて準備した手料理は、どれも力作ばかりだ。
正に、“盆と正月がいっぺんに来た”ようなご馳走に、普段なら喜んで舌鼓を打つ
ところだが、生憎味なんぞ感じない。
彩り鮮やかなちらし寿司も、揚げたての天麩羅も、貝の吸い物も、まるで砂を噛むようだ。

俺が機械的に料理を口に運ぶ間も、頭上では俺を除いた三人が大学受験の話やら、
今食べている料理の説明やらで盛り上がっている。
時折、俺にも話が振られたが「ああ」とか「別に」とか生返事だけで返していた。

全く、なんて週末だろう。
毎日勤勉に働いて、税金を収めて、家に生活費を入れつつ貯金して。
ひっそり堅実に生きている社会人が、ささやかな家族団らんすら過ごせないなんて、
こんな馬鹿な話があるか…!!

一度は鎮火した怒りが、再度ふつふつと沸いてくる。

思い出すのは、ここで過ごした家族の時間。
三人がかりで準備した、正月のお節やクリスマス料理。誕生日。
寝坊したさくらが、あわてて口いっぱいに詰め込んだ朝食。
小学校の内は父さんが、中学に入ってからはさくらが作るようになった弁当。
たまの休日には、俺が作るオムライスや焼きソバに喜んでいたっけ。
当番制で、すこしづつレパートリーを増やしていった夕食。
ハンバーグを焦がしてしょんぼりしたり、コロッケを上手に揚げられたと得意になったり。
そんな毎日が、まるで走馬灯のように頭の中を巡る。

なのに、突然コイツが現れて、何もかもを壊していく。
図々しくヒトの家に上がりこんで、美味そうに飯を喰っているこの男が。
(父さんが誘ったとか、そういうことはこの際考えない。)

客観的に見て、コイツに非の打ち所が無いことは、ぬいぐるみに言われるまでもなく
承知していた。
成績優秀、スポーツ万能、文武両道、眉目秀麗の名家の御曹司。
そしてさくらとは、もう六年越しの交際なのだ。
もっとも、最初の数年は日本と香港の遠距離で、偶に会っても手を繋ぐのがやっとの
様子だった。
中学生になって、コイツが日本に戻って来ても、まださくらは子供子供していて…。
それが、いつの間にか……いつの間に、結婚を前提とやらに……ッ!!

俺の回想は想像と妄想をぐるぐると巡り、ついに今まで敢えて考えないようにしていた
……考える端から打ち消していた領域にまで到達する。
結婚を前提にした男女交際。しかも、今時の高校生。
かてて加えて、コイツは親元を離れ、独りマンション住まいなのだ。
いくら門限を厳しくしようが、外泊に目を光らせようが、その気になればチャンスは
幾らでもある。つまり!!
コイツは、やっぱりさくらに、あんなことやこんなことやそんなことを…ッツ!!!!

思わず箸を噛み折りそうになった瞬間、父さんが穏やかな声で言った。

「そういえば、桃矢君は本当は弟が欲しかったんですよね」

我に返ったおかげで、命拾いした箸が口から離れる。
質問ではなく断定の口調に、茶色の眸と翠の眸が俺を見て、それから父さんを見た。
父さんに、悪気などある筈がない。
娘の結婚が決まり、感慨深く昔を思い出しているだけなのだろう。

「一緒にサッカーをしたり、習い始めた空手を教えるのだと、楽しみにしていましたっけ。
 だから検査で、多分女の子だろうとわかっても、言い出せなかったんです」

父さんが言ったのは、本当だ。十七年前だが、覚えている。
七歳のおれは、生まれるなら弟がいいと思っていた。
だから、“いもうと”だと知った時は、正直ガッカリしたものだ。

「そうして、さくらさんが産まれて…。
 どうなるかと心配しましたが、撫子さんに気を遣ったのかすぐ“お兄ちゃん”になって。
 それきり弟のことは、一言も言わなくなりましたね」

懐かしそうに目を細める、父さん。
その視線の先には、写真立ての中の母さんが居る。

 『はい、とーやくん』

そう言って、うすいピンクの産着に包まれた小さな“いもうと”をおれに手渡した時と
変わらない笑顔を浮かべて。

「へぇ……。でも、だったら良かったね!
 小狼くん、これからは本当にお兄ちゃんの“義弟(おとうと)”になるんだもん。
 サッカー上手だし、空手じゃないけど拳法出来るし」

頬を染め、うっとりと隣に座る“未来の夫”を見つめる妹。
その瞬間、俺の中で何かがぷつんと音を立ててキレた。

「……ああ、そうだな。やっと夢が叶うわけだ…。」

くっきりと歯形の刻まれた箸を置いて、俺は言った。
コイツがやって来てから、二音以上のセリフを喋ったのは始めてだ。
さくらと父さんが、ホッとした顔したのも、束の間。

「ちょうどいい、表に出ろ。教えてやるよ…、空手」
「お兄ちゃん…?」

首を傾げるさくらではなく、その隣に座る男を見る。
俺の様子に、手にしていた碗と箸を静かに置くと、姿勢を正した。
食事中もワイシャツのボタンを上まで留め、ネクタイも締めたままだ。

「お前、俺と最初に会った時のことを覚えているか?」

振った話の唐突さに、鳶色の眸が僅かに見開かれる。
目を逸らさずに、後を続けた。

「友枝小学校の校舎裏。
 お前は、さくらから無理矢理カ−ドを奪おうとしていただろう。
 それを、俺が止めに入った」

それまで落ち着き払っていた表情が、歪む。
今となっては、コイツにとっても思い出したくない過去の汚点だろう。
さくらが、慌てたように身を乗り出した。

「お兄ちゃん、何でそんな昔の話、持ち出すの?
 あの時は、わたしがまだ全然頼りなかったから、小狼くんは」
「さくらは、黙ってろ!」

強く遮った俺に、さくらがビクリと肩を震わせる。
父さんの驚いた顔が目に焼きついた。
俺が妹を怒鳴りつけるなんて、きっと初めて見たのだろう。

「今更、ガキのしたことをどうこう責めようってんじゃない。
 ただ、あの時はジャマが入って決着がつかなかったからな…」

……八年前。
首根っこを掴み、さくらから引き離した俺の手を、すかさず蹴りで弾いたガキ。
着地と同時に中国拳法の構えで、睨み上げてきた鳶色の眸。
小学生と高校生の体格差にも、微塵も怯まずに。

今だから、正直に認めよう。あの目を見た瞬間に、わかっていた。
コイツだ、と。いつか、妹を攫っていく男。
まさか、こんなに早くに現れるとは思ってもいなかった。
しかも、のっけから俺の目の前で、さくらを苛めやがって…!!
あの時、肉まん抱えたゆきが現われなければ、本気でボコっていただろう。

思えば惜しいことをしたと改めて後悔しつつ、椅子から立ち上がる。
そして、かつてのように鳶色の眸を見下ろしながら後を続けた。

「俺にも勝てないような奴に、妹を任せるわけにはいかねーだろう」

さくらの手が高級そうなスーツの袖を掴み、皺を作る。
それをチラリと見たアイツは、椅子に座ったまま返事をした。

「申し訳ありませんが、お断りします」
「何だと?」
「さくらが悲しむようなことは、したくありません」

本気で頭に血が昇ったのは、多分、この瞬間からだ。
気がついた時には、俺はアイツの咽喉元を、ワイシャツとネクタイごと掴んでいた。

「いいから、その高級(たか)そうな上着を脱いで庭に出ろ!!」
「桃矢君!!」
「お兄ちゃん!?」

父さんとさくらの声。
テーブルに身体がぶつかった拍子に、ひっくり返る料理。床に落ちた皿の割れる音。
ほんの十数センチの距離で見たアイツの顔は、困って途方に暮れたように見えたが
瞬き一つで元通り、落ち着き払う。

「お断りすると、言った筈です」
「く…っ」

次に呻きを洩らしたのは、俺の方だった。
立ち上がり、咽喉元を掴んだ俺の両手首を、捕らえる。
腹の立つことに、振り払おうとしてもビクともしない両手は、ただ俺の動きを封じるだけで
痛みを与えようとしていないのだ。
俺が手を離せば、アイツも手を離す。そういうことなのだろう。
だが俺は、今は僅かに高い位置にあるアイツの目を睨んだまま、吐き捨てた。

「俺が身内になるから、手は出せないってのか?
 そんなことで、もし、お前の身内が敵に回った時、どうするつもりだ!?
 母親や、姉貴達や、山ほどいる親戚連中を相手に、さくらを守る自信があるのか!?」

はっきりと顔色が変わり、眸の底が揺らぐのを間近で見た。
とっくに、わかっていたことだ。問題はコイツ自身じゃない。コイツの“家”だと。

「今は、お前の実家も、さくらを歓迎しているのかもしれない。
 だが、この先もずっとそうだという保証はあるのか?
 さくらのカードや魔力(ちから)を利用しようとする輩が現れないと、言い切れるのか!?
 お前自身が、家や身内のために、さくらにカードを使うことを強要するようにならないと
 絶対に誓えるのか!!?」

眸が歪み、俺の手首を握る力が強まった。
痺れる痛みに逆らって、ワイシャツとネクタイを握り締めながら、俺は逆に笑い出したい
気分だった。

そら見ろ。結局、コイツは“家”が一番大事なんだ。
さくらのために“家”を捨てる気なんか、サラサラないんだろ?
むしろ、“家”の役に立つから結婚したい。そういうことなんじゃねーか…。

その時、ドンッと柔らかいものがぶつかってきた。
ぶつかると同時に、俺の腕とアイツの腕を掴み、肩を震わせて叫ぶ。

「やめてッ!!」

はっ、と。アイツが俺の両手首を離した。俺の手からも布が滑り落ち、思わず2、3歩
後じさる。
その僅かな隙間に身体を割り込ませたさくらは、もう一度、俺に向かって叫んだ。

「お兄ちゃん、どうして!?」

小さかった、妹。
七歳のおれの腕の中に納まっていた、しわくちゃのサルみたいだったのに。
それが、大の男二人の間に割って入る。“一番”に選んだ恋人を、庇うように。

「わたし、わからない…。
 お兄ちゃん、どうして小狼くんじゃダメなの!?」

物陰に佇むユーレイや、通りかかっただけで吠え立てる犬、近所のいじめっ子。
さくらを泣かせたり、怖がらせたり、傷つけたりするものから、守ってきた。
ずっと、守ってきたのに。
“魔”との闘いに巻き込んだり、長いこと一人にしたり、家の事情を話さなかったり。
お前を泣かせて、怖がらせて、不安にさせてばかりいる男を、選ぶのか…。

そう言って、やりたかったのに。
口に出来たのは今更、言わずもがななことばかりだった。

「コイツに…、コイツの“家”に関われば、この先、お前がロクでもない事に
 巻き込まれるのは、わかり切ってるだろうが。
 それでも…、コイツがいいって言うなら、しょうがない。
 父さんが許したのなら、もう…。俺が、どうこう言うことじゃない」
「……お兄、ちゃ……」

咽喉から、しゃくり上げる音がした。

なんでだよ…。
反対しないと、言っただろう?なのに、どうして…。

さくらの眸から、透明な雫がぽろぽろと転がり落ちる。
ヒック、ヒックと小さな子供のように、全身を震わせる度、後から後から。
俺か。俺が悪いのか。俺が、さくらを泣かせているのか…。

「さくら…」

アイツが、濡れた頬に手を伸ばす。
泣きじゃくる妹が、スーツの胸にしがみついた。
居たたまれずに顔を背ければ、ひっくり返ったちらし寿司の間に、母さんの写真が
倒れている。それを見ることも、できなかった。

「桃矢君…?」

タオルやら雑巾やらを抱えた父さんの横をすり抜けた俺は、呼びかける声にも
振り向けなかった。

「ごめん。少し、外で頭を冷やしてくる…。」


   * * *


長い夏の太陽が、ようやく沈みかけていた。
まだ熱気を残した夕風に吹かれながら、俺はあてもなく、ただぐるぐると近所を歩き回る。

さくらを連れて来て、遊んでやった公園。
父さんと交代で、送り迎えをしていた保育園。
昔、良く吠える犬を飼っていた家。
そこに幽霊が立っていると言えば、泣きながらしがみついて来た電柱。
“はじめてのおつかい”を、こっそり見守っていたスーパー。

この町には、思い出が多すぎた。
そこらじゅうに小さなさくらがいて、ちょこまかと走り回っている気がする。

夕暮れ時の見せる、亡霊のようなものなのかもしれない。
昔、まだ魔力を持っていた頃、一番“視える”のは、この時刻だった。

だとしたら、俺が取り憑かれているのは、“過去”なのだろう。
もうどこにも居ない妹を振り切るように、歩いて歩いて。
日が沈みきり、空に星が光る頃になって、俺は竹林のある家の前で声をかけられた。

「……あれ?と−や」

両腕に大きな荷物を抱えたゆきが、驚いた顔をしていた。



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妹の求婚者として、小狼君自身には非の打ち所がないとしても、
(それはそれで、きっと腹立つんだろうなぁ…:笑)
妹の嫁入り先としての李家は、非の打ち所満載でしょうね。
アニメ版も原作コミックスも、謎に包まれてましたから。

特に桃矢君は「劇場版T」で、さくらちゃん達と一緒に香港の李家に
お邪魔していますから。
当時は魔力もあったし、普通の家じゃないことは肌で感じたでしょう。
藤隆さんはその辺、普通の人だから…。

でもまぁ、そういうモロモロも、所詮はオマケです。
結局、 頑固親父兄貴としては、一度は衝突しないと収まりがつかない
だろうなぁ…と。ベタですが。

さて、桃矢兄ちゃんのシスコン(兼マザコン)の行方やいかに!?
…みたいなカンジで続きます。(汗)

(2012.4.15本文一部修正)