天の光 地の灯



「あの…っ、すみません!!」
「はーい、ただいま」

店先に並べていた竪琴の一つを手に、入ってきた娘。
客だと思い、愛想笑いを浮かべて振り向いた店主のヤントクは、その顔…というより
特徴的な緑の目を見て驚いた。

「あれ?君は確か」

この娘とは六年程前に二度、会ったことがある。
一度目は、壊れた竪琴の修理を頼みに。二度目は、その竪琴を作り変えるために。
そのどちらにも勝る真剣さで、売り物の竪琴を手にした娘はヤントクに詰め寄った。

「この竪琴を作ったのは、イアルさんですよね!!
 今、何処に居るのかご存知ありませんか!?」

唐突に口にされた幼馴染の名に、ヤントクは戸惑う。
だが、表情を変えた彼に確信を得たらしく、娘は更に声を高めた。

「お願いします、教えてください!!
 会いたいんです……。でも、王宮では誰も居場所を知らなくて、それで」
「ちょ…、ちょっと待って。落ち着いて。
 店先で、そんな大声を上げられちゃあ……」

慌てるヤントクに、娘も我に返ったようだ。振り向けば、道行く人が何事かと
足を止め、振り返っている。
みるみる頬を赤らめた娘は、とたんに大人しくなり深々と頭を下げた。

「すみません、お仕事の邪魔をするつもりじゃ……。
 でも、あの。私、どうしてもイアルさんに」

反省する素振りを見せたものの、顔を上げればまた声は上がり調子だ。
一つのことに夢中になると、周りが目に入らなくなる性質らしい。ヤントクは溜息を吐いて、
娘を店に招き入れた。

「まぁ、とにかく入って。今、お茶でも淹れるから」

お茶なんか要らない。早く居場所を教えて欲しい。
筆でそう書いてあるような顔をしつつも、娘はしぶしぶと勧められた椅子に腰掛ける。
奥の小部屋で湯を沸かしながら、ヤントクはさてどうしたものかと頭を悩ませた。

八歳までを共に過ごした幼馴染と十数年ぶりに再会したのは、この娘が最初に店に
やって来たのと同じ日のことだった。
それから六年。再び彼が店を訪れたのは、一ヶ月と少し前。
“堅き盾(セ・ザン)”を辞めたと告げられて驚いたが、本人は淡々とした様子で、それを
苦にしているようにも喜んでいるようにも見えなかった。
店を訪れた用件は、たった一つ。竪琴を作るための道具と材料を求めてだ。
ヤントクは予備の道具一式と材料を渡す引き換えに、イアルが今、何処で寝起きして
いるのかを聞き出した。
以前の“盾”の掟を気にしてか渋る様子を見せた幼馴染だが、所在のわからない相手に
大事な道具は貸せないと脅すと、ここから遠くない場所に小さな家を借りたことを告げた。

それきり音沙汰がないので心配になり、様子を見に行ったのが数日前。
埃の積もった家の中で、幾つもの竪琴に囲まれながら、また新しい枠を削り始めたところ
だった。
あちこちに立てかけられた完成品は、本人曰く『思い通りの音が出せない失敗作』だが、
ヤントクの目と耳には十分売り物になる出来だったので、追加の材料と交換で引き取った。
娘が手に取ったのは、その一つだ。
竪琴の音色は職人の特徴が出やすいとはいえ、良く気づいたものだ…と、感心しかけた
ヤントクは首を傾げる。

……何故、あの娘はイアル作る竪琴の音色を知っているんだ…?

“霧の民(アーリョ)”は怪しげな術を使う。
そんな噂を思い出して、ヤントクは小さく身震いをした。


   * * *


大ぶりの湯飲みに熱くて薄い茶を淹れてもどると、娘は膝の上に置いた竪琴をじっと
見つめていた。
失敗作だと言いながら、滑らかに仕上げられた木枠を、白い指先が撫でている。
ヤントクに気づくと、娘は顔を上げた。何かを思い詰めたとも、思い定めたとも見える瞳に、
締め切った家の中で黙々と木を削り弦を張っていた幼馴染の姿が重なる。

「……イアルさん、やっぱり竪琴を作っていたんですね」

それはもう、質問ではなく確認だった。

「ああ、何かにとり憑かれているみたいにね」

ヤントクが頷くと、娘の張りつめた表情が緩む。
不思議に思ったものの、湯飲みを受け取った左手が皮の手袋を嵌めたままなのに
気づいてギクリとした。初夏だというのに、手袋を外さない理由は一つ。
大きな刃物を扱う職人階級…例えば肉屋など…では偶に見る。指の欠損だ。
若い娘で見たのは初めてだと思いながら、ヤントクはそっと視線を外した。
彼が椅子に座るのを待って、娘は再び口を開く。

「六年前、最初に店にお伺いした時、私が持って来た竪琴を直してくださったのは
 イアルさんじゃありませんか?」

この娘が店にやって来る理由となった、古い竪琴。
イアルの名が刻まれた、彼の父親の形見。確かに、偶々店の奥に居合わせた幼馴染が、
自分がやるといって直したのだ。
何故知っているのかと驚いたのが、またもや返事になったらしい。やっぱり、と娘は小さく
呟いた。
同時にヤントクも納得する。娘が聞き分けたのは、あの時にイアルが直した竪琴の音色
なのだろう。

「あの、それから今更なんですが……。
 二度目に伺って、作業場と道具をお借りした時に」

一服の茶で、少し落ち着いたのだろう。娘はもう、イアルの居所を教えろと迫る
ことはなかった。
その代わりに躊躇いがちに話しだした内容に、ヤントクは更に驚く。
竪琴を作り変えたいと再び店を訪れた彼女に、道具と作業場を貸して納品に出た
ことがあった。
(むろん彼女一人を残したのではなく、先輩だという男の学童と雑用係の中年男
二人組も一緒だった。)
その時、傷を負ったイアルが店の裏手で倒れているのを見つけたのだそうだ。
しかも、奥の仮眠用の部屋で傷を手当した後、イアルの助けで彼女は竪琴を作り
変えたという。

口止めされていたと謝る娘だが、理由に察しはつく。真王の傍近くにいる自分との
関わりを知られることで、ヤントクとその家族に危険が及ぶことをイアルは酷く気に
していたのだから。

ぬるくなりはじめた茶を一口呑むと、改めてヤントクは娘を見つめる。
緑の目をしていることを除いては、特に変わったところは無いように見える。
誰もが振り返るような美人ではないが、意志の強そうな、すっきりした顔立ちだった。
年の頃は二十歳ぐらいだろうか。六年前はカザルム学舎の学童だったのだから
今は獣ノ医術師なのだろう。所帯じみたところが無いし、男を尋ねて来たことを
思えば、まだ未婚に違いない。
左手の皮手袋や耳の後ろに覗く傷痕は多分、獣によるもので、気になるといえば
気になるが、それが理由でイアルが彼女を避けているとは思えない。
そこまで値踏みを終えて、ヤントクは口を開いた。

「ところで、今度はこっちも尋ねたいんだけど。
 そもそも何で、イアルの親父さんが作った竪琴を君が持っていたのかな?
 ええと……」

六年前に聞いた筈の名前を思い出せずに口ごもると、娘は真っ直ぐに背を伸ばした。
襟元から、白い包帯が僅かに覗く。

「エリン、です」

娘は、野リンゴを指す名を口にした。
細くしなやかな枝に、赤く甘酸っぱい実をつける野生の樹木。
それは、彼女の持つ雰囲気に良く似合っていると、六年前にも思ったのだ。

「イアルさんに初めて会ったのは、十の時でした。
 あの時は、サリムの町で……」

熟れた野リンゴのように頬を赤らめながら、娘…エリンはイアルとの最初の出会いを
語った。
十歳の少女と、吟遊楽士を装っていた“堅き盾(セ・ザン)”の青年との奇妙な交流。
そして町を去る時、人づてに竪琴を渡されたことを。

「……私、イアルさんに尋ねたいんです。あの時、どうして私に竪琴をくれたのか。
 お父さんの形見を作り変えてしまうことを、どうして許してくれたのか。
 ずっと知りたくて、でも今までは口にすることが出来なくて……。
 だから今、どうしても会って話がしたいんです」

彼女がそう締めくくる頃には、ヤントクは腹を決めていた。イアルの居場所を教えようと。


   * * *


店の外は既に日暮れに近く、家路を急ぐ人々が通りを行き交っていた。

「ありがとうございました」

深々と下げた頭を上げるやいなや、娘……エリンはヤントクが教えた方向を向く。
駆け出さんばかりに遠のいていく背中は、あっという間に人の波に紛れて小さくなった。
片方の肩が僅かに下がった後ろ姿を見送りながら、ヤントクは小さく溜息を吐く。

「イアルに恨まれるかな…?」

売り物の竪琴を、台に並べ直しながら呟いた。
イアルが作っていたのは全部が同じ、最もシンプルで最も音の調整が難しい、
父親の形見の竪琴と同じ型だ。


……けど最後には、きっと感謝されるだろう。
   そうなったら、彼女から聞いた馴れ初め話でも持ち出して、ひやかしてやるさ。


そんな日が来ることを願って、空を仰ぐ。
藍色を深める空には幾つかの星が瞬き、家々には灯りが点り始めている。

遠くから微かに聞こえる赤ん坊の泣き声と、若い母親の子守唄。
何気なく耳を澄ますと、それは“夜明けの鳥”の旋律だった。



                                   − 終 −


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 2012.5.14 本文を一部修正しました。
(以下、下の方でつぶやいております。)












原作V(探求編)では、夜勤明けのカイルを待ち伏せしてイアルの居場所を
聞き出したエリンですが、アニメ版をベースに脳内改定によりヤントクさん
ルートを推奨。
ちなみに作中でイアルが作ろうとしている竪琴は、エリンが作り変えた
お父さんの形見の竪琴の復刻版です。
詳しくは「琴線」より……って、自作ネタですが。(汗)

あの後、家に押しかけたエリンは、きっとイアルを手伝って徹夜で竪琴作りに
励むのでしょう。そして明け方近くにやっと完成して、早速“夜明けの鳥”を
……みたいな続きも考えてみましたが、一応未婚の男女が一つ屋根の下で
一晩を過ごしたものの、全く色っぽいことにならない私の脳内イアエリなので
切り良くここまでに。

「獣の奏者」では、これにて一旦更新終了となります。
ありがとうございました!!