孤 唄



− 1 −

「……犯人をおびき出すために、警備にわざと死角を作るってのか」

世界的に有名なシンガ−ソングライタ−、アヤ・エイジア(本名 逢沢 綾)。
彼女が所属することで知られる音楽事務所の一室で、警視庁捜査一課の笹塚は
抑揚の欠けた声で言った。
テ−ブルの上には事務所ビルと彼女が居住するマンションの図面、そして周辺の地図が
拡げられている。

「はい、一連のスト−カ−行為のパタ−ンからして、恐らく数日の内に網にかかるだろうと
 先生は自信を持ってお考えです!!」

愛想の良い笑顔を浮かべた自称・探偵助手が、得意気に語る。
毛先を緑に染めた金髪で、前髪だけが黒という奇抜な髪型のその男は、ソファ−の中央に座る
歌姫より芸能人らしく見えた。

“逢沢 綾”個人の依頼で、事務所のプロデュ−サ−とマネ−ジャ−の自殺を調査していた筈が
いつの間にかスト−カ−の件にまで首を突っ込んでいる。
隣では相棒兼部下の石垣が、向かいに座る少女を睨んでいた。
『でしゃばり』だの『生意気』だの小声で呟くのがウザイので、鳩尾に肘鉄を入れて黙らせる。

笹塚は、色素の薄い眸で発案者である筈の“先生”を眺めた。
派手で人目を引く助手とは違い、どこから見てもごく普通の少女でしかない自称・女子高生探偵
桂木 弥子は、笹塚の温度の無い視線を受けて、冷や汗の滲む笑顔を引き攣らせる。
その様子は助手の言葉と矛盾していたが、事件現場で顔を合わせる度に感じることなので
突っ込むのも今更だ。
笹塚は気だるげに口を開き、提案された計画への修正を求めた。

「けど、何も弥子ちゃんが囮になる必要はね−だろ?
 警察(こっち)で彼女に背格好の似た女性警察官を用意するし」

自称だろうが本職だろうが、一般人をスト−カ−犯の標的になど、させるわけにはいかない。
笹塚の言葉に、緊張で強張っていた弥子の肩から力が抜けた。
だが、黒い手袋をした助手の手が置かれたとたん、石のように硬直する。

「ご心配は無用です!!確かに貧相な先生では、アヤさんに比べ見劣りすること甚だしいですが、
 『変装の一つも出来ないようで、“名探偵”が名乗れるか−!!』
 と、先生もおっしゃっておいでです」
「はは、は…。どぉ−んと、まッかせなさ〜いぃィ」

指が食い込むほどしっかりと肩を掴まれて、うなづく弥子の声は完全に裏返っていた。
無気力に澱んだ視線が、背後に立つ男の顔に向けられる。
形ばかりの笑みを貼り付けた整った造作は、妙に楽しげな声を発した。

「今日のところは、“代わり”の手配も間に合わないでしょうし。
 色々不安はおありでしょうが、先生で我慢していただけませんか?
 仮にスト−カ−犯が現われたとしても、笹塚刑事が先生を守ってくださいますでしょうから、
 僕も安心です!!」

マンションの見取り図に示された×印の上に視線を落とし、笹塚は深い溜息を吐いた。
これまでの経緯から見て、スト−カ−犯が事務所の内情や被害者のスケジュ−ルを
熟知している可能性は高い。
そしてスケジュ−ルでは、彼女が今日の予定を終えて帰宅する時刻まで2時間を切っている。

「……明日からは警察のモンを寄こす。今日だけ頼めるか、弥子ちゃん」

自らが雇った探偵と事務所が呼び寄せた刑事の会話を、事件の当事者である歌姫は
静かに眺めていた。



− 2 −

話が決まると、すぐに準備が始まった。
アヤの身代わりとなる弥子は彼女の着ている服を借り、アヤは別の服に着替える。
芸能関係の事務所だけあって、常備してあるウイッグをつけ、サングラスも拝借する。
こうして、探偵・桂木 弥子扮する“アヤ・エイジア”の一丁上がりとなったのだが、
その姿を一目見た石垣は盛大なブ−イングを浴びせた。

「おまえなんか、全然アヤじゃね−!!ホント、レベルの低いコスプレだなッ!!!」
「コスプレじゃね−よ」

溜息と共に部下の向こう脛を蹴り飛ばした笹塚は、所在なさ気に立っている弥子を眺めた。
そういえば、制服でない格好を見るのは初めてな気がする。

「まあ、いいんじゃね−の。遠目には」
「……笹塚さん。近くで見て無理があるなら、いっそ素直に言ってもらった方が…」

深く項垂れる弥子だったが、そういう意味ではない。
そもそも女子高生が20代半ばのフリをすること自体に無理というか、無駄がある。
笹塚は思ったが、今更何を言っても傷口を拡げる気がして口を噤んだ。

「まあまあ、先生の貧相さとオ−ラの無さを責めるのは、そのくらいでご勘弁ください。
 今更なことですし、これ以上凹みすぎて使い物にならなくなっても困りますし」
「いや、あんたのソレが一番凹むから!!」

拡げた傷口に塩まで擦り込む助手の発言に、すかさず弥子が突っ込みを入れる。
それすらも綺麗に無視して、“アヤ・エイジア”以上に目立つ容貌の青年は涼やかに後を続けた。

「ところで、アヤさんは世界的に有名な歌手でいらっしゃいますが、生憎僕は音楽に疎くて。
 是非、一度生の歌声をお聞きしたいのですが、いかがでしょう。
 先生が真のコスプレイヤ−になりきる上でも、爪の垢ほどの参考にはなるかと」
「…だから、コスプレじゃね−って」

ボソリと呟く笹塚の声は、耳をつんざく石垣の絶叫に遮られた。

「うおおおおお−ッツ!!生ッ、生…、生アヤ−!!?ッゲボッ!!」

本日3発目となる肘鉄を入れながら、笹塚は溜息を吐く。
ちなみに1発目は、担当を命じられた事件の被害者が“アヤ・エイジア”であると知り、
捜査一課に響き渡る大音量で『マジっすか−!!?』と喚いた直後である。
しかし件(くだん)の歌姫は特に気分を害した様子もなく、助手の提案に頷いた。

「……そうね。まだ時間はあるし、待っているだけなのも落ち着かないわ。
 この事務所にはボイス・トレ−ニングのための部屋もあるの。三木君、構わないかしら」
「ええ、4階のはアヤさん専用に作られた部屋ですから、何時でも使えますよ。
 明日の予定もありますし、慣らし程度でお願いします」

事務所のマネ−ジャ−の返事に、足元に蹲っていた筈の石垣が瞬時に復活した。

「せっ、先輩!!俺、ちょっとそこらでラジカセ買ってきてもいいっスか!?」

どこまでも使えない部下ではあるが、その頑丈さにだけは素直に感心する。

「構わね−が、録音ボタン押したら叩き壊すからな」
「………………。(滂沱)」

石垣に背を向けた笹塚は、また一つ溜息を吐いた。
使えない部下と胡散臭い探偵助手に挟まれていると、無性に煙草が欲しくなる。
自殺の件の資料が届くのを待ちながら、事務所のFAXの前で吸ったのが最後だ。
だが、声を職業とする人間と高校生の前で、無造作に煙草を吸うわけにもいかなかった。



− 3 −

「スゲ−ッ!!先輩、見てくださいよコレ!!!
 まだ無名だった頃のアヤが自費で作ったプロモ−ションビデオ!!!
 コンセプトはそのままに、2ndアルバムのDVDで再編集されてますけれど、マニアの間では
 オリジナルの荒削りな画像の方がアヤの音楽性を良く現しているって評価が高くって。
 プラチナものの超レアアイテムなんっスよ−!!!」
「………あ、そう」

アヤ専用の部屋ということもあり、念のため笹塚と石垣は室内の確認を取っていた。
血塗れのプレゼントはもとより、爆発物や盗聴器の類まで。
もっとも、例によって懲りることを知らない石垣は、所狭しと飾られた様々なレアグッズに
舞い上がり、使い物にならなかった。

「アヤさん専用のお部屋ですか−。流石に世界の歌姫ですね−。」

開け放したドアからは、いかにも感心した声音の助手と、それに応えるマネ−ジャ−との会話が
聞こえてくる。

「ウチの事務所は彼女が大きくしたようなものですし、このぐらいは当然ですよ。
 良い曲を作り、良い歌を歌ってもらうためには、それなりの設備が必要ですからね」
「三木君ったら、大げさね。有名になれたのは、私一人の力じゃないわ。
 台島さんや、ひばりが居てくれなかったら…。きっと今も、その辺の路上で歌ってるもの。
 それに事務所には、本当に感謝しているの。
 不振や長期休業を続けた私に、こんなにも良くしてくれて。
 私、今まで休んだ分も取り戻して、事務所に恩返しできるように頑張るわ。
 …ただ、そのためにも…」

落ち着いた女の声に、明るく造った男の声が被さる。

「ええ、お二人の自殺の件は安心して先生にお任せください。
 きっとアヤさんにご納得いただける推理を披露いたしますから!!ね、先生?」
「お、おうよ…。」

予定調和な舞台の演技に素人役者が放り込まれたような、たどたどしい台詞。
振り返ると、助手に頭を掴まれた弥子のサンダルが床から数cm離れている…ような。
もう一度目を凝らすと、厚底のコルクは軽そうな少女の体重を間違いなく支えていた。
さっきのは見間違いだと思うことにして、笹塚は関係者に声をかける。

「不審物は見当たらない。使ってもらって構わね−よ。
 ……ところで、このビルって喫煙スペ−スある?」
「ええ、2階の突き当たりに」

この部屋を管理する事務所の女性社員の返事に、笹塚は頷いた。

「んじゃ、俺は暫く2階に居るから。石垣、時間になったら皆を駐車場へ……」
「ええ−ッ!!そんな先輩、生アヤっスよ−!!!
 一生自慢になりますって。聴かないなんて、そんな勿体無い!!!!」

先輩兼上司の言葉を皆まで言わせず、石垣は声を大にする。
普通なら、怒鳴るとか注意するとか説教するとかしそうなものだが、笹塚にそんな気力は無い。

「……別に、誰も自慢しね−し」

ウザい部下を無表情に見下ろす笹塚に、背後から胡散臭い声が掛けられた。

「そうおっしゃらずに、折角ですから笹塚刑事も一曲ぐらい聴いていかれては?
 ……ねぇ、先生♪」
「う、うん。笹塚さんも…まあ、おひとついかが〜?」

声を上擦らせた弥子の背中には、刃物となったネウロの指先が突きつけられているのだが、
むろん笹塚には見えていない。
ただ、ダラダラと脂汗を流す弥子の顔を見て、ごく微かに眉を顰めた。

(…って、何で無理に引き止めんの?笹塚さん、歌とか興味ないみたいだし。別に、いいじゃん)
(まったく、この低脳なゾウリムシめが。“アヤ・エイジア”の歌声の力とやらが如何ほどのものか。
 それを確かめるには、実験動物の数も多い方が都合が良かろうが。
 幸い、あの刑事は今のところ貴様の要求には、出来る限りの譲歩を見せているようだしな)
(あたしの要求じゃないっつ−の!!もういい加減、笹塚さん達に迷惑かけんのやめてよ〜!!)
(奴隷の身分で主人に意見できると思うか、豆腐)
(ヒイイイィ…!!)

ピッタリ密着した探偵と助手の間に交わされるヒソヒソ話が聞こえる筈も無かったが、
笹塚は肩を落として溜息を吐いた。
考えてみれば、この場に石垣だけを残しておくのも問題がありそうなのは確かである。

「……わかった。折角だから、聴かせてもらっとく」

言いながら、壁際に並べられた椅子の一つに大儀そうに腰を降ろす。
石垣が嬉々として、笹塚のすぐ隣に椅子を寄せた。
弥子は石垣と反対側の隣に少し離れて座り、助手は“先生”のすぐ横の壁にもたれる。

「やった−!!これで先輩とアヤの曲について、熱く語り合える!!!」
「語る気はね−よ」

そんなやり取りを他所に、歌姫は壁際の棚に並んだ数本のギタ−から一本を手に取った。
部屋の中央に置かれたスツ−ルに腰掛け、調律を確かめるようにニ、三度弦を弾く。

「あ−、あれ。アヤがまだ路上で歌ってた頃からの愛用のですよ。
 そんな高いヤツじゃないんですけど、今じゃアヤ人気で入手困難ってことでプレミアが…」
「黙ってね−と放り出すぞ」

聴衆は女子高生探偵とその助手、刑事二人。
マネ−ジャ−の三木と女性社員を数えても、たった6人でしかない。
ギタ−を抱えた歌姫は、数少ない観客の前で深く息を吸った。


  ♪♪♯−♪♪〜♪


前奏もなく、叩きつけるようにアヤ・エイジアの歌は始まった。
ギタ−の伴奏が、その後を追う。
音響に工夫がされているとはいえ、それなりの広さのある部屋の空気が震える。
まるで、目に見えない力(エネルギ−)が押し寄せるかのように。


……凄ぇ、声。


石垣の言う“生アヤ”を聴いた笹塚の感想は、ただそれだけのものだった。
煙草が吸いたいとか、石垣がまた馬鹿すんじゃね−かとか、今夜の段取りとか。
とりとめもなく考えながら、歌声は彼の耳を文字通り右から左に通り抜けていく。
旋律も歌詞も、耳を傾けない者には意味を為さないのだ。

だが、ふいに。
額を押さえつけられるような圧迫(プレッシャ−)に、笹塚は視線を上げた。
切れ長の眸が、自分を見つめている。
自分に向かって歌っているのだと、錯覚すら覚えるほど。
真正面からぶつかった眸は、逸らされることがなかった。


  ♪♭〜♪−−♪♯♪〜♪


いつの間にか曲調が変わっている。
この歌の主題(テ−マ)、いわゆる“サビ”の部分に入ったのだろう。
ぐにゃりと、周囲が歪み、揺らぐ。
どこかに堕ちる、あるいは浮き上がる、感覚。
まるで、デタラメに上下する超高層ビルのエレベ−タ−に閉じ込められたような…。


………なんだ、コレ。


捜査資料として、“アヤ・エイジア”の情報は頭に入っていた。
また、普段はニュ−ス番組しか見ず、五大紙系の新聞しか読まない生活を送る笹塚でも、
芸能関係のダイジェストや芸能欄にも目を向けていれば、彼女が“神秘の歌姫”と
呼ばれる所以(ゆえん)は何かで目にしていた。
だが、自分が歌に感動してどうにかなる人種だと、思ったことは一度も無い。

「この曲、3rdアルバムからのシングルカットっスよ−。
 カラオケで何度絶唱したか。あ、先輩も良かったら今度……」

石垣の喋り続ける声が、ひどく遠い。
なのに、少し離れたマネ−ジャ−と女性社員が交わす小声の会話が、ハッキリと聞き取れる。

「アヤさん、絶好調ですね−」
「うん、これなら明日の生放送も心配なさそうだ」

「うわぁ、やっぱライブだと迫力…」
「フム、なるほど」

溜息を吐く弥子と、興味深げな助手の呟き。
どうやら“神秘の歌声”に影響を受けているのは、自分だけのようだ。


  ♪♯−♪♭♪〜〜♪


平衡感覚が狂っている。
心拍数が跳ね上がっているのに、指先が冷たい。


………まずい、な。


どこかしら冷めた意識が、焦燥にもがいていた。
今、何か起きれば。犯人が、敵が、悪意が。この場に、現われたとしたら…

視界の端に、ウイッグを膝の上に乗せた少女の明るい色の髪が映る。


  位牌を抱いてうつむく横顔
  無理に浮かべたぎこちない笑顔
  震える指先が、悲鳴に似た声が、見知った顔を指し示す

   『犯人は……、おまえだッ…!!』


息を、止めた。
外界からの情報を遮断し、ただ両脚にのみ意識を集中させる。


  余計なものに惑わされるな
  何からも影響を、受けるな

  脳が神経を通して伝える電気信号
  肉体は、その命令だけに従えばいい


何かを引き千切ったような気がしたが、錯覚だろう。
突然立ち上がった笹塚を、石垣が不思議そうに見上げている。

「……あれ、先輩?」

乾いた唇から出た声は、いつもと同じように平板で無感情だった。

「…やっぱ限界。煙草吸ってくるわ」

せっかくの生アヤなのに〜と、ボヤく石垣の声を背に笹塚は重いドアの隙間から姿を消した。


  ♪♪♯〜♪−−♪♭〜♪


アヤ・エイジアは歌い続ける。
彼女の眸は閉じられたドアを映し、やがて部屋に残った聴衆へ向けられる。
深緑の目が好奇心を剥き出しに自分を眺めていることも、その透き通った眸は映していた。



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(以下、下の方でつぶやいております。)












コミックス2巻・第14話 問【といあわせ】では、生放送番組の客席に紛れた魔人は
目的を尋ねる弥子ちゃんに
「(アヤ・エイジアの歌を)直に聞いて見たくはないか?」
と言っていますので、生アヤはこの時が初めてな筈。
そんなわけで、拙作のようなエピソ−ドは存在し得ません。
二次創作ということで、ご了承くださいませ。