言 霊



目の前で揺れる、大きな眸。
透明な粒が目尻からこぼれた。
ずるい と、呟く声が震える。

「ずるいよ、こんなの。……“そのもの”じゃん」

そんなん、“俺”に言われてもなぁ…。
目を細めながら呼びかける。
いつの間にか、口に馴染んだ名を。


「弥子ちゃん」


咽喉から出た声は、多分、これまでの何時よりも感情が込められている。
彼女の父親の葬儀に顔を出した時よりも。
その父親を殺した犯人が、身内であったことを詫びた時よりも。

すまなさとか、いたわりとか、気遣いとか。
そんな感情が、驚くほど良く響く。


「悪かったな。俺のせいで、つらい思いさせちまって。
 でも…、俺自身は何も後悔してないよ」


盛大に溢れ出した涙を、片手を伸ばして拭ってやる。
まるで、沸騰した湯みてぇだな。
触れた頬も、耳も、カイロ代わりになりそうだ。
体型に見合わない摂取カロリ−は、こんなところで消費されてたのか。

今の“俺”がどんな顔をしているのか、洪水状態の彼女の眸に映して見ることはできない。
けれど多分、微笑(わら)ってるんだろう。

ずっと以前から、決めていた。

何かを為せても、何も為せなくても。
誰の目にどう映ろうと、どう思われようと。
それなりに懸命に生きた10年が終わる時は、微笑っていようと。

ちょうど良かった。
無理なく微笑(わら)えるし、言いそびれていたことも伝えられる。


「会えて良かった…。ありがとう」
「………っ!!」


とたん、ただ涙を流すだけだった彼女が、肩を震わせ始めた。
膝でにじり寄り、ス−ツにしがみ付くと、体中の水分を搾り出す。
涙も鼻水も、ダムの決壊状態だ。
濡れた手を、小さな頭のてっぺんに乗っける。

「弥子ちゃんの食いっぷりとか、見てるだけで飽きなかったよ」
「うん…」
「俺が入院した時とか、おぼえてる?
 あんた結局、見舞い品全部その場で食ってさ」
「う゛ん…」


笛吹に聞いた、一晩で26万9千円の出前を食い尽くした話。
一緒にメシを食いに行った時の、異物(?)混入事件。
皆で釣りに行って、俺が料理した魚を一人で全部、食っちまったこと。

食い物の話なら、いつも幸せそうに笑ってた子が、ぴいぴい泣いている。
ネウロと『泣かない約束』したとか、言ってなかったっけ?


「笹塚さん…、う゛っ、ひぐっ…、ぅええぇえええぇん!!」


………ザマ−ミロ


頭の片隅で、“俺”は思う。
“オレ”であって“おれ”でなく、やっぱり“俺”で……ああ、めんどい。

けれど、人間じゃない“あいつ”に勝った気分になれるなんてのは、
どっちにしたって初体験だろ?


「笹塚さん…、笹塚さん…ッ」


腕の中の嗚咽は、まだ止まらない。
額を胸板に擦り付けられたまま、波打つように上下する背中を見下ろす。

初めてだよな。
こんな、派手に泣いた顔を見るのは。


“怪物強盗”を目の当たりにした時も。
人の頭がスイカのように潰された時も。
顔見知りが、冷たくなっている姿を見た時も。

青ざめはしても、取り乱して泣き叫ぶことはなかった。

気丈なのか、ただ単に鈍いのか。
それとも、感情が現実から取り残されちまったままなのか。

ずっと気がかりだったから、ホッとした。
やっぱり、この子は大丈夫だ。


「……か、さん、笹塚さ……」


ところで、それはそれとして。
いつもはネウロネウロ言ってんのに、今は俺のことばかり。

あ−…、ちょっとヤバイ。
一生、気づかないままでいてくれた方が、いいと思うんだけど。


「…………ひック、……ぐズッ…」


明るい色をした髪を、そっと撫でる。
食い物が大部分を占める、脳の片隅。
刻まれた皺の一番深くに、俺の姿を収めてくれている頭を。

知ってるよ。
イタズラ好きの怪盗が、新しい記憶を残してったから。
俺の頭の中で、思った以上に大喰らいの女子高生が幅を利かせてたことも。


………ねぇ、言っちゃおうか?


“俺”の中で声がする。
口にすれば、“あんた(俺)”はネウロをぶっちぎって、この子の中で一番になれる。
皺の奥でも、片隅でもない。その他大勢の1人でもない。
この子の脳が死ぬまで、どんな男にも魔人にも蹴落とされない、不動の座。
それって、悪くね−かもな。
だって、“俺(あんた)”は………


「……………………。」


声は、出なかった。
ただ小さく、溜息にすらならない息が洩れただけ。


………あ−、そっか…。


“俺”は、正真正銘の“俺自身”。
ただ、そんだけのこと。

地面に投げ出したもう一方の手を、軽く握り締める。


小さな頭、薄い肩、細い首。
そっと視線を逸らせると、つっ立ったままのチンピラ男と目が合った。
……吾代、だっけ?
引き攣った表情を見据えて、唇だけを動かす。


   『 アトヲ タノム 』


一瞬、両目を見開いた顔が、苦虫を噛み潰したように歪んだ。
誰をとも、何をとも言わなくても、通じたらしい。
そう認識したとたん、すうっと視界が白くなった。

暗くなるんじゃね−んだな。ぼんやりと、明るいんだ。
ああ…、こっから先は“読んで”ね−もんな…。

……もう、あんたも限界なんだろ?だったら、最後に伝えとかね−と。
口に出さなくても、届くだろ……










身体が、崩れ始めた。
口から血が溢れ、背中で傷口が開く。
それでも、探偵が掴んだス−ツと肩に乗せた手だけは、そのままを保つ。


………ざまぁ…見ろ…。泣かせて…、…やったぜ…。


涙と鼻水だらけの探偵を見下ろして、ネウロを哂った。
あぁ、いい気分だ。

最後の変身。
姿形や言動のパタ−ンだけじゃない。脳を丸ごと再現した。
その人間を造る記憶も、感情の動きさえも正確に。

だから、あれは間違いなく“笹塚衛士”の意識が産んだ言葉だと
誰よりも、この俺が知っている。


   『………サンキュ−』


ホント、変な人間だな、あんた。
殺して、盗んで、壊して、騙して。
そんなことしか出来ない俺みたいなのに、礼を言うなんてさ。

けれど最後に“なった”のが、あんたで良かったと思う。
ちょっぴりネウロに勝てたし、それに



………ねぇ、アイ。

俺、初めてじゃなかったっけ…?
誰かに、礼を言われるなんて、さ………















「…笹塚さん…?
 ………………………………
 ……………………………………………X(サイ)…?」



ようやく泣き止んだその声は、もう、どちらにも届かなかった。



                                   − 終 −


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(以下、下の方でつぶやいております。)











前回更新の「虚像」に続いての“X(サイ)”塚さん話。
原作コミックス第196話の台詞を丸々引用(汗)していますが、笹→←ヤコ傾向を
含むため、とりあえず「捏造設定」枠に置くことにします。
“X(サイ)”=イレブンって、笹塚さんと弥子ちゃんの両方の脳を読んでいるので、
実は当人達が口にすることのなかった(気づいてさえいないかもしれない)想いも
わかってしまっているのかも…と。

笹塚さん“そのもの”ではあっても、もちろん“本人”ではなく、でも、“彼であれば”
そう言っただろう、そうしただろうという言動を正しく行う存在。
言わないこと、しないことをも含めて。
……やっぱり、頭も心も痛すぎる…。(涙)

なお、木彫りの熊や自由の女神型ライタ−を貰っての『ありがとうございます』は
お礼の内に入りません。(笑)
アイさんは、怪盗“X(サイ)”の一部で分身だから。
自分で自分にお礼って、何か変じゃないですか。