等 価



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土曜の午前10時。
クイ−ン メアリ−ズホテルの屋上展望台が、一般公開される時刻。

学校は休みだが、弥子はいつもの制服姿でやって来た。
折角、有名スポットに出かけるのだからお洒落ぐらいしたいが、“女子高生探偵”を
アピ−ルするとかで、探偵活動中の制服着用を強制されている。
お馴染みの派手なス−ツのネウロに引き摺られ、エントランスホ−ルに入ると
椅子に腰掛けていた笹塚がダルそうに立ち上がった。
ちなみに彼も、トレ−ドマ−クとなりつつあるくたびれたス−ツだ。

「笹塚さん!」

小走りに駆け寄る弥子を、色素の薄い眸が映す。
だが、視線はすぐに背後の探偵助手に向けられた。

「…時間も言わね−で切るから、朝4時から待たされたよ。
 一応、全部の出入り口を見張らせてるが、今んとこ爆弾が持ち込まれた様子はない」

相変わらず考えの読めない、ロ−テンションな口調だ。
笹塚を呼び出したのは助手なのだから、ネウロに向かって話すのは当然かもしれない。
だが、声をかけてもらえなかった弥子は少なからず落ち込んだ。
昨日の夜、頭突きを入れたことをまだ根に持っているのだろうか…?
それだって、ネウロに足首を掴まれ振り回されたからなのに。

「それはそれは、お待たせしました。…では、屋上展望台へ向かいましょう」

諸悪の根源は、爽やかな笑みを浮かべて一方的に話を進める。
笹塚の返事も待たず、直通エレベ−タ−のボタンを押した。
かつてない高カロリ−の“謎(しょくじ)”を前にしているせいか、魔人は機嫌が良いらしい。
一方の刑事は不機嫌なのか普段通りなのか、それすらもわからない。

「……………。」

エレベ−タ−を待ちながら、弥子は笹塚にかける言葉を捜していた。
結果、朝4時からここに居たという彼に、間の抜けた挨拶をしてしまう。

「お…、はようございます」
「ん」

一言どころか一音で返され、後の会話が続かない。

……気っ、気まずい…。

一気に70階までを上昇する直通エレベ−タ−の中で、刑事と魔人に挟まれた弥子は
圧迫感に耐えていた。
だが、彼女の様子など気にも止めない魔人は、いつもの助手口調でペラペラ喋っている。

「“ヒステリア”は一連の事件の集大成として、出来るだけ多くの人間に爆発の瞬間を
 見せつけようとしています。
 その目的に最も相応しいのは屋上展望台であると、“先生”はお考えなのです」

肩に置かれたネウロの手が、骨を砕く勢いで食い込んだ。
激痛に顔を上げると、罵声が耳に飛び込んでくる。

(腐れ大根め…。天下の女子高生探偵が、しおらし気にうつむくとは何事だ。
 貴様が自信たっぷりでなくて、我が輩の“代弁”が説得力を持つと思うか?)

「そそッ、そのとぉ−りッ!!」

上擦る声に笹塚はこちらを向いたが、視線は弥子を微妙に避けている…、気がする。
うつむくことのできない弥子は、ちょうど目の高さにある笹塚のネクタイの結び目を眺めた。
いつもだらしなく緩んでいて、ちゃんとしめているのを見たことがない。

一方、笹塚の視線は弥子の肩に食い込んだ黒い手袋から、青いス−ツの腕を辿って
助手の顔へと行き着いていた。
深緑の眸と、不透明な褐色の眸とが一瞬、交錯する。

エレベ−タ−の上昇が止まった。
弥子の肩から手を外し、ネウロは愛想の良い笑顔を見せる。

「さあ、展望台です。足元にお気をつけて」


   * * *


地上70階の屋上展望台は、都内一の高さを誇る。
エレベ−タ−の扉が開くと、目の前には日本の首都を一望するパノラマが拡がっていた。

「わぁ…!」

思わず感嘆の声を上げる弥子だったが、笹塚もネウロも景色には興味を示さない。
彼等以外に客の姿がないことを確かめる刑事に、助手が形ばかりの丁重さで話しかけた。

「先生のご指示で、僕はこの辺りを一通り見回って来ます。
 笹塚刑事は先生と、ここでエレベ−タ−から出入りする客を見張っていてください。
 先生の鋭いカンは、絶対に犯人を見逃しませんから!」
「ちょ、ネウロ……!?」

この気まずさのまま、笹塚と二人きりにされたら居たたまれない。
だが、ネウロは助手笑顔で囁いた。

(以前、雑用にも言った事だが、人間のことは人間に任せるに限る。
 この刑事のことは貴様に任せたぞ、便所雑巾。
 アヤを見抜いた時のように、その黒目でよく見るがいい。
 この男を動かすために必要なものは、“何か”をな。)
(そんなこと言われても、アヤさんと笹塚さんじゃ…、って背中に大穴開けようとすんな−!)

「……こ、っちは、まかせ…ろ」

ドリルとなった片手を背中に突きつけられ、うなづく他に選択肢のない弥子に爽やかに応える。

「はい、先生。あちらは僕にお任せを♪
 …では、先生をよろしくお願いしますね。笹塚刑事」

通路の向こうに消えるネウロを見送って、笹塚は大きく溜息を吐いた。
その様子に、弥子はますます気まずさを覚える。

……ううっ、やっぱ向こうも嫌がってんのかな…。

「弥子ちゃん…」
「うわっ、ははいッ!?」

また、邪魔だとか帰れとか言われるのかと身構える弥子に、笹塚は展望台の一角を示す。
ホテル直営のドリンクスタンドでは、飲み物や軽食が売られていた。

「…コ−ヒ−買ってくるけど、何か飲む?」
「えっ、えと…。あ、大丈夫です!ちゃんと自分の分は買って来てますから!!」

一瞬、何にしようかと考えた己を叱咤し、片手に持ったコンビニ袋を掲げる。
“ヒステリア”が一般客に紛れて起爆装置を仕掛け直しにやって来ることは間違い無いが、
それが何時かはわからないというので、コンビニで食料その他を買い込んだのだ。
普通に考えて1人分とは思えない量だが、笹塚に突っ込む気は無いらしい。

「…んじゃ、どっか適当に座っといて」
「はい!」

斜めに傾いた背中を見送りながら、弥子は気分が軽くなるのを感じた。
とりあえず、頭ごなしに帰れとは言われなかったし、一緒にエレベ−タ−の見張りをする事も
嫌がられてはいないようだ。

……折角だから、何か奢ってもらえば良かったかな…。
   って、いやいや。遊びに来てるわけじゃないし!!

さて、どこに座ろうかと弥子は展望台を見回した。
地上70階からの絶景を眺めつつ、夏の新商品を味わいたいところだが、そうもいかない。
やがて格好の張込みスポットを発見した弥子は、コンビニ袋と共に上機嫌でベンチに向かった。


   * * *


紙コップを手に視線を巡らせている笹塚に、弥子は大きく手を振った。
ゆっくりした足取りでやって来た刑事は、ベンチの上に菓子パンとペットボトルを並べる
女子高生を見下ろし、ぼそりと言う。

「ここ、喫煙スペ−スだけど…」
「そうですけど?」

ベンチの傍らに取り付けられている灰皿。
だから、この席を選んだのにと怪訝に思っていると、笹塚は片手を懐に入れた。

「……煙草、吸うの?」

ちらりと覗くのは、銀色の輪っか。先日は飲酒疑惑で、今日は喫煙疑惑。
この人の中で自分はどんな女子高生なんだと不安を覚えつつ、全力で否定する。

「いやいやいや、吸いませんってば!!でも、笹塚さん吸うでしょ?
 1階のロビ−は禁煙だったし、朝からずっと吸ってないんじゃないかと思って」
「あ−……」

じっと弥子を見て、何か言葉を捜す素振りを見せた。
未成年が気を遣わなくていいとか、多分、そんな感じだろう。
ペットボトルのカフェオレを手にしたまま、弥子も笹塚を見上げる。

「わたし煙草のニオイとか、そんなに気になりませんから。
 おと…、ウチの親も、たま−に吸ってましたし」

色素の薄い眸や髪がカフェオレ色なのを発見して、少しぼ−っとしてしまった。
“たこわさ”の時は失敗しなかったのに、と悔やんでも遅い。
母の遥は、ワサビ系のツマミはあまり好きではないし、煙草も吸わないのだ。

「……そう」

手の中のペットボトルと同じように、カフェオレ色が揺れている。
焦った弥子は、菓子パンを次から次へと取り出した。

「えっと、笹塚さんも食べません?新商品のマンゴ−メロンパンと、パイナップルメロンパン。
 あと、黒糖ド−ナツに抹茶風味蒸しケ−キ。
 甘いの駄目なら、カレ−パンとかも各種取り揃えてますけど」
「や、いいから…」

弥子の勧めを断わってベンチに腰を降ろした笹塚は、煙草も取り出そうとはしない。
早いペ−スでコンビニ袋の中身を減らす弥子の隣で、時々紙コップに口をつけながら
エレベ−タ−のドアを見つめている。

黙々と食べ続けた弥子は、1時間足らずでコンビニ袋を空にしてしまった。
どこに隠れているのか、ネウロが帰ってくる気配はない。笹塚も、あれから一言も喋らない。
沈黙に耐え切れなくなって、弥子は膝の上に両手を揃えて言葉を搾り出した。

「…笹塚さんは、ここが次の爆破場所だって、本当に信じてくれてるんですか?」
「もしかして、自信ないとか?」

冷め切っているはずの紙コップを手に持ったまま、笹塚は質問を質問で返す。
こちらの問いに答えないのはズルイと思いながら、弥子は語尾を強めた。

「いえッ、自信は満々にありますけどもッ!ゼンゼン信じてくれない人もいますから!!」

偉そうに嫌味だけは散々言って、ホテルを警戒する気の無い笛吹警視に弥子は怒っていた。
責任がどうのこうのって、要するにミスをして自分の出世に響くのが怖いだけじゃないか。

「…笛吹みたいな立場の人間は、背負(しょ)ってるモンが大きいから簡単にいかね−の。
 それに、あいつは弥子ちゃんの名探偵ぶりを実際に見たこともないし」

“名探偵”と言われて、弥子は唇を噛んだ。
本当は、そんな風に思ってない癖に…。不満と苛立ちが、また頭をもたげてくる。

「……笹塚さんだって、事件の現場からわたし達を追い出したじゃないですか」

不機嫌な声を出す弥子を眺める視線には、やはり温度が感じられない。
それでも少しだけ、困った顔になった気がした。

「それは当然。探偵名乗ったからって、弥子ちゃん達は一般人だし」
「けど、今まではOKだったのに…。急に駄目って言われても、納得できません!」

なおも食い下がる弥子に、笹塚は淡々と話す。

「“シュプリ−ムS”の時は、単なる脅しで本当に殺人が起こるとは思ってなかった。
 そうとわかってたら、何と言われても店には入れてね−よ」
「………ッ」

その声に感情らしいものは無かったが、弥子は言葉に詰まった。
思い出したくないのに思い出してしまうのは、耳元で囁く魔人の声ではなく、自分の声なのだ。


 『まさか貴方の上司が、父を殺した犯人だったなんて。
  あやまられたぐらいじゃあ、この悲しみは癒せませんな。
  この傷ついた心をまぎらわすには、わたしの得意な推理しかないな…』


アレはネウロに言わされたんです!!…とも言えず、弥子は頭を抱えたくなった。
さっきの軽い一言でも、笹塚が今もあの事件を気にしていることがわかるのに。

「……音楽事務所じゃ、“逢沢 綾”が個人的に雇った探偵として来てたから。
 俺等に追い出す権利はなかったしな」
「で、でも。あの時も捜査資料をFAXで取り寄せてくれたりとか」

話題が変わったのにホッとしつつも、このままでは上手く言いくるめられてしまいそうだ。
焦りを感じながら、弥子は再度食い下がる。
すると笹塚は小さく溜息を吐いて、首の後ろを撫でた。

「あれね…。バレたら俺、ちょっとマズイことになるから」
「え゛…ッ」

言われて見れば、そうだ。
個人情報満載の捜査資料を第三者に見せるなんて、もの凄くマズイことに違いない。
今更ながら顔色を変える弥子に、笹塚は抑揚の無い声で言った。
ただし、唇に人差し指を当てる仕草をして。

「だから、笛吹とかには内緒な」
「……ハイ」

無表情でやる仕草じゃないし…と、心の中で突っ込みながら弥子も唇に人差し指を当てた。
それを見た笹塚が、ふっと笑う。
いつもより心持ち口角を上げ、目を細めたそれは、表情を緩めたといった方が正確かもしれない。
そのぐらい微かな、なのにハッキリわかる変化だった。

「…あっ」

無意識に浮かんだ表情(もの)なのだろう。
思わず声を出した弥子を、元の無表情で見つめている。

「な、何でも…、ないです」
「………。」

笹塚の言い分に納得したわけではなかったし、問題は何も解決していない。
だが、少なくとも黙って座っていることが苦痛ではなくなった。
この人には、無理に何か話そうとしなくてもいい。そう思うと、かえって気が楽だ。
だから10分程の沈黙の後、先に口を開いたのが笹塚の方だったのに、弥子は驚いた。

「…ちょっと、頼みがあるんだけど」
「は…、はいっ!何でしょう!?」

しかも更に珍しいことに、頼み事だ。
思わず力を込めて返事をすると、淡々とした声が要求を述べる。

「席、そっちと替わってくれる?」
「えと……、はい」

首を傾げながらも弥子はベンチから腰を上げ、席を譲った。
ついでに足元のゴミも捨てて、笹塚が座っていた方に腰を下ろす。
同じくベンチを移動した笹塚は、ス−ツの懐に手を入れながら言った。

「あと、もう一つ」
「はいッ、な…何を!?」

今度こそ本題か?それとも、また手錠!?
テンションと緊張感を上げる弥子だったが、取り出されたのは煙草とライターだ。

「…1本、吸わせてもらうから」
「………ハイ、何本でもど−ぞ」

一気にテンションを下げながら、弥子は思う。

……ここって喫煙スペ−スなんだから、律儀に断わらなくても…。
   っていうか笹塚さん、何で灰皿から遠い方に席替わったんだろ?
   煙草吸うなら、こっちの方が便利なのに…。

「あの−…」
「ん?」

煙草に火を点けた笹塚は、顔をそむけて煙を吐き出してから、弥子の方を向いた。
手元の煙と吐き出した煙が、すうっと横に平行な帯を描く。

「……あ」

換気の影響か、展望台の空気は弥子が座っている方から笹塚が座っている方へ流れている。
弥子が風上に来るよう、席を替わったのだと気づいた。

ずっと咽喉の奥につかえていた苦い後味が、消えて無くなる。

……やっぱり、すごくいい人だ。そして優しい人。
   確かに、お父さんの事件のこととかはあったけど、それだけじゃない。
   元からこういう人なんだ…。
   ちゃんと周りを見て、気を配ってくれている。どうでもいいなんて思ってない。
   気をつけて見ていれば、すぐわかることなのに…。

携帯用灰皿に煙草の灰を落としながら、笹塚は無言でいる。
言葉を途中で止めた弥子に、話の続きを促そうとはしない。
それは関心が無いからではなくて、待っていてくれているのだとわかる。
薄いカフェオレ色の眸が、こちらに向けられているのを見れば、ちゃんとわかる。

「笹塚さん」

……昨日は失礼な態度を取って、ごめんなさい。
   それから今までも、いっぱい迷惑をかけて…。

そう言おうとした、瞬間。視界がぐるりと反転した。


 ガッタァアア−ン!!!


音を立てて、座っていたベンチごと仰向けに倒れる。
魔人に頭を掴まれ、ベンチを巻き添えに引き倒されたのだ。

(近づいているぞ…。あの爆弾に仕掛けられたトラップと同じ、悪意の気配が。
 細工は既に済ませてある。“ヒステリア”の顔を見物に、我々も爆弾の側で待機するのだ)

頭をぶつけて目を回す弥子の耳元で、ネウロが命じる。
そして、いざという時の俊敏さを発揮して巻き添えを免れた笹塚に、何食わぬ顔で説明した。

「驚かせてしまって、すみません。
 先生はお腹が空き過ぎると、うっかり仰向けに倒れてしまうクセがあるものですから…。
 意地汚いお腹を満たす為に、少し席を外しますがよろしいですか?」
「ああ…、どうぞ」

彼女はさっき、コンビニの大袋一杯の食料を喰い尽くしたところなんだけど。
…とかいう突っ込みを入れる気は、笹塚にはない。
2本目の煙草に火を点けながら、引き摺られていく弥子と引き摺る助手とを見送るだけだ。

ちょうどその時、赤ん坊を抱いた母親がエレベ−タ−を降りた。
大きなト−トバッグを肩から提げてはいるが、赤ん坊のオムツやミルクが入っているなら
不自然ではない。

その中に、爆弾の起爆装置を仕掛け直すための精密機械用の工具が忍ばされているなど
誰も思いはしなかった。


   * * *


 ガコン!!ガタン、ガタタッ ガコガコ ガゴッ

軋む音を立てて、エレベ−タ−の扉がこじ開けられる。
強引に身体を割り込ませた探偵助手の背後には、高々と右手を上げた女子高生探偵。
傍らに立つ刑事が、黙って成り行きを見つめている。

右手が振り下ろされ、箱の中で驚きを浮かべる4人の女性を指し示した。
この中に、無差別連続爆弾魔“ヒステリア”がいる。

「犯人はっ…、おまえだ!!」



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