等 価



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“ヒステリア”は逮捕され、爆破も無事に阻止された。
クイ−ン メアリ−ズホテルは美しいままの姿で、周囲のビルを誇らし気に従えている。

だが、弥子は納得できなかった。

早朝からホテルの警戒を行ったのも、ギリギリでもう1つの爆弾を止めたのも、笹塚なのに。
始末書がどうのと喚き散らしている笛吹に、“ヒステリア”逮捕の手柄を譲ると言うのだ。

2つ目の爆弾が仕掛けられていた35階の野外空中庭園では、回収作業が進められている。
笹塚が驚くべき射撃技術で撃ち抜いた小さな時計を見つめながら、弥子は不満を漏らした。

「1人占めにしちゃえば、出世のチャンスじゃないのかな…。
 “ヒステリア”じゃないけど、もっと自分を正直に出してもいいと思うけど」
「あのメガネチビみたいにか?」

珍しく、絶妙のタイミングで入ったネウロの合いの手に、弥子は声をさらに大きくする。

「そう、あのメガネチビみたいに!!あいつはあいつで、前に出すぎだっつ−の!!
 低いところから見下ろしちゃってさ−あ」
「…………。」

ふと気配を感じて振り向くと、弥子の背後に長身の男が立っていた。
笹塚が“筑紫”と呼んでいた、笛吹のキャリア部下だ。

「いや…、あのその…て、低身長でもお顔は高貴だなあ…って、言おうかと。ははははは」
「…………。」

表情を変えず無言でいる筑紫に冷や汗をかいていると、やがて彼は口を開いた。

「……笹塚さんは、出世や保身とは全く縁のない人です。
 それに、あんな射撃の技術、警察学校で習うようなレベルではない。
 まさに、“ヒステリア”とは正反対です。あの人は徹頭徹尾、本当の自分を見せなくなった」
「見せなく…、“なった”?」

ノンキャリアの笹塚を“さん”付けで呼ぶ彼は、笹塚と笛吹の大学時代の後輩だったのだ。
そして弥子は、大まかにではあるが笹塚と“X(サイ)”との関わりを知った。
10年前、彼の両親と妹が自宅で何者かに惨殺されたこと。
その犯人が“X(サイ)”ではないかと思われていること。
事件をきっかけに、笛吹等と同じキャリア組となる筈だった彼の人生が、大きく変わったこと…。

「殺された笹塚さんの妹は、貴女と同じぐらいの齢だった。雰囲気も少し似てる気がする。
 ……貴女と現場に距離を置こうとしていたのも、貴女をあまり危険な所に居させたくは
 なかったのでしょう」

筑紫の言葉を聞きながら、弥子は考えていた。
これは本当なら、他人から聞いて勝手に知って良い話ではなかった。
だが、笹塚が弥子に自分の過去を話してくれることは、多分、きっと、絶対に、ない。
少なくとも、弥子が今のままでいる限りは。

「筑紫さんは…、笹塚さんが心配なんですね?」

そして、笹塚が周囲から誤解されてしまうことが辛いのだ。
守ろうとしてくれていることにも気づかず、反抗的な態度を取る馬鹿な女子高生を見て
歯痒く思ったに違いない。
だが、笹塚よりも背の高い彼は弥子の黒目がちな眸を見下ろし、静かに微笑んだ。

「自分などより、笛吹さんの方が笹塚さんを心配していますから」
「え゛ッ!?…あ、いやその」

心底意外な声が出てしまって慌てる弥子に、筑紫は苦笑する。

「ああいう人なので、わかりにくいでしょうが…。
 本来、笛吹さんは現場に足を運ぶ時間など、持っていない人です。
 なのにこの数日、デスクワ−クも重要な会議も放り出して、笹塚さんを連れ回して…。
 戻った後は、毎晩泊り込みで書類を片付けています」
「…………。」

昨日とも一昨日とも違うス−ツとワイシャツとネクタイで、今日もパリッとした笛吹を盗み見た。
それが本当なら、彼は職場に何着のス−ツとワイシャツとネクタイを常備しているのだろう。
そのことを知る筑紫もまた、笛吹に付き合って連日の泊り込みを繰り返したのではないか?

「……今の話は、どうかお二人にはご内密に。
 事件解決へのご助力に、深く感謝いたします」

深々と頭を下げて、筑紫は回収された爆弾の確認にテラスへと歩み去る。
しゃんと背筋の伸びた後ろ姿を見送りながら、弥子は考え続けていた。

事務所を訪ねたあの時、笹塚はなぜ“X(サイ)”のことを尋ねなかったのだろう?
筑紫の言うとおり、弥子を事件に関わらせたくなかったのかもしれない。

……でも、それだけじゃないかもしれない…。

事務所を手に入れた事情も、都合良く事件の現場に現われる理由も、探偵をやっている目的も。
何も、言えないことばかりで。
それでも『信用しとく』と言った彼は、弥子が話す気になるまで待とうとしたのかもしれない。
“X(サイ)”のことも、その他のことも、全部を。

笹塚に応えなかったのは、弥子の方だ。

一緒に暮らす家族ですら気づけないほど、他の人間になりすます怪物。
ナイフを突き刺されても、死なずに再生する化け物。
誰でもあって、誰でもない。どこにでもいるけど、どこにもいない。
怪物強盗“X・I”
こんな馬鹿気た話、誰も信じないに決まっているから誰にも言えずにいた。

もっと早く、自分から笹塚に話しに行くべきだったのだ。信じてもらえないと決めつけたりせずに。
昨日の噴水の爆破だって、意地を張らずに笹塚に助けを求めれば良かった。
“ヒステリア”に気づかれずに被害者を出さない方法を、きっと考えてくれたのに。

信じていないのは、笹塚ではなく弥子なのだ。

頭の中の整理が済むと、弥子は笛吹と話をしている笹塚の方へと歩き出した。
背後に立っていたネウロが、筑紫の話に興味を示さなかったことはわかっている。
だから相談はしないし、する必要も無い。

人間のことは、人間に任されているのだから。


   * * *


「笹塚さん、…ごめんさない。言ってなかったけど…この前、“X(サイ)”と会いました。
 後で話します。知ってる限りのあいつの情報」

弥子が話すのを、ネウロは仮面を貼りつけたような顔で聞いている。
笹塚も、今は助手ではなく弥子を見ていた。

「……そっか、サンキュ−」

いつもどおりの無表情で、考えは読めない。
けれど、ほんの少しだけ弥子を見る目が柔らかくなったような気がする。
“気がする”だけかもしれないが、弥子にはそれで十分だった。

「…それがお前のやり方か、笹塚!!」

話を邪魔された笛吹が、キレたように喚く。
わざわざ笹塚を突き飛ばして“ヒステリア”に手錠をかけると、弥子には見向きもせずに言った。

「今回限りだ!!千歩譲って、お前の汚い手柄を借りてやる!!
 だが、間違えるな!!これは借りという名の貸しだからな!!
 …そもそも、そんな汚い雑菌共に、私は触れるのもお断りだ!!
 “X(サイ)”の情報は、お前が聞いて報告しろ!!」

捨て台詞を残して去っていく笛吹にも、以前ほど腹が立たない。
最後まで汚い汚いと失礼千万な男だが、彼が笹塚を気に掛けているのは本当だと思う。

「筑紫ィ!!行くぞ、ボサっとするな!!」

笛吹に従い、静かに目礼して立ち去る筑紫に、弥子もペコリと頭を下げる。
それを黙って見ていた笹塚は、やがて溜息と共に言った。

「まあ…情報くれんのは有難いけど、この事件の後処理が残ってる。
 それ終わったら、話聞きに行くから…。
 …ただ…、あんま、これからヤバすぎる事件に首突っ込むなよ。
 もちろん“X(サイ)”に関しても、これ以上は無しだ。
 そ−いう現場で会ったら、また追い出すぞ」
「はい」

……でもそれって、“ヤバすぎない事件”だったらOKってことだよね?

勝手に解釈する弥子だったが、横からしゃしゃり出てきたネウロはキッパリと言った。

「もちろんですとも」

……ごめん笹塚さん。コイツが居る限り、絶対に無理…。

“明らかに約束を破る顔(ツラ)”をした魔人に、弥子は肩を落とした。


   * * *


1階のエントランスホ−ルは、警察の誘導で避難していた人で溢れている。
その中には、“ヒステリア”と同じエレベ−タ−に乗り合わせていた3人の顔もあった。

セレブな自営業のおばさんは、文字通りの自転車操業。
真面目な女子高生は、塾ではなく夜のクラブ通い。
彼氏を“ヒステリア”の爆弾で亡くした女子大生は、常に10股以上。

改めて話してみれば、それぞれ表と裏を使い分けて“上手くブッちゃける”人達で
弥子は大いに脱力させられた。
世の中って、真面目で不器用な人が損をするように出来ているんだなぁと、つくづく思う。

「……ねぇ、ネウロ。難しいね、人間って…」

思わず感慨深くなる弥子を、魔人が嘲笑(わら)った。

「フハハハハ。何を突然、我が輩のようなセリフを。
 …だが、“X(サイ)”の情報を取引に持ち出すとは、掃除用モップにしては良い判断だ。
 口煩い上司も今回のことで恩を着せることができた。
 プライドの高い男だけに、これで当分は余計な口を挟まんだろう」

食後の所為か、無駄な魔力を使わずに済んだからか、ネウロも機嫌が良いようだ。
そういえば、笹塚が2つ目の爆弾を止めてくれなければ、弥子は目からビ−ムを出して
人間をやめるところだったのだ。

「…取引とか、そんなんじゃないよ。善良な市民の義務を果たすだけだもん。
 それに、笹塚さんなら“X(サイ)”の話、きっと信じてくれるし。
 ところで掃除用モップって、さりげに雑巾から進化してんの?」
「全く、愚かな人間の相手は、愚かなゾウリムシに任せるに限るな」
「……聞いてね−ようで、聞いてるし」

溜息を吐く弥子の頭を鷲掴み、魔人は低く囁いた。

「ヤコよ、アヤの信頼を得たように、いずれあの男の信頼を勝ち得てみせろ。
 “信用”ではなく、“信頼”を…な」

ネウロが何を言おうとしているのか、理解した弥子は小さくうなづく。
自信があろうとなかろうと、他に選択肢はないのだから。

「……うん。」

奴隷の返事に、鋭い牙の覗く口元が歪んだ。

「それが得られた時、奴は我が輩の“使える手駒”となるだろう」
「…って!?結局、アンタが自分の都合ばっかなんじゃね−かッ!!」

喚く弥子の頭をギリギリと締め上げながら、 ネウロは深緑の眸を細めて舌なめずりをする。
その表情(かお)は、“謎”の気配を感じた時と同じものだ。

魔人に頭を押さえつけられながら、エントランスホ−ルの出口で弥子はもう一度振り返った。
何事も無かったかのように行き交う、大勢の人々。
その向こうに、遠くからでもハッキリとわかるくたびれた背中。薄いカフェオレ色の髪。


……感情も本音も、人に見せずに生きている人。
   でも、見せないから“無い”わけじゃなくて。
   話せば、何気ない仕草や言葉の端々から透けて見える、その人自身。
   それに気づかせてくれたのが、“人”ではない生き物だなんて皮肉だけど、それでも。



      なんだか、わたしは
      もっともっと“人”を知りたいなと…思った

      これから出会う人
      今まで出会った人

      “笹塚さん”という人のことも、もっと



                                   − 終 −


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(以下、下の方でつぶやいております。)












弥子ちゃんにとっての笹塚さんは、“いい人”で“優しい人”
…吾代さんのことも筑紫さんのことも、今では笛吹さんのこともそう思っているでしょうが…。
本当のところ、笹塚さんは単なる“いい人”で“優しい人”ではないと思いますが、少なくとも
弥子ちゃんに対しては、そうあろうと、そうありたいと思っている人だといいなと思います。
……切実に。
笹塚さんが女子高生の弥子ちゃんを“信用”したのは、上司の犯罪を見抜けなかった
負い目も絡んでいたのでしょう。
けれど、それ以上の“信頼”を彼から得るには、実績はもちろん弥子ちゃん自身の成長が
必要で。その結実が12巻のエピソードに繋がることになるのかなぁ…と。
素直にそう読めない根性曲がりの自分もいるのですが、コミックス未発売のため自粛します。

→12巻発売後に「憧憬」を書いてみました。