羊の家



− 3 −


 ブルルルルルル……


地響きの音に、おれは飛び起きた。
しまった!!
いつの間にか朝になっちまってるじゃね−かッ!?

窓からのぞくと、ハデな色のブルド−ザ−が何台も丘の向こうから登って来る。
運転してるのは変態のフランキ−と、四角い姉ちゃんたち。
レストランのコックさんたちにも負けねぇくらいでっかくて、コワイカオの手下までいる。

「ん〜〜!!ス−パ−!!!さあ行け、“バトルフランキ−部隊”!!!
 使えねぇボロ屋なんぞ、ペシャンコだ!!アウッハッハッハッハ!!!」

TVの悪役みてぇに笑うフランキ−に、四角い姉ちゃんと手下が声をそろえる。

「「ほいだわな、アニキ−!!」」
「「「「がってんだ、アニキ−!!」」」」

それだけじゃねぇ。あのヘンな大工たちも後ろのブルド−ザ−に乗っていた。
真っ黒い服を着て、悪者のカンブみて−だ。
チクショウ、やっぱりあいつらグルだったんだ!!

「こらァ!!おまえらハレンチだぞ−!!」

葉巻をくわえた大工は顔を真っ赤にしてフランキ−と四角い姉ちゃんたちに怒鳴ってた。
鼻の長い大工とハトの大工は、真面目な顔で並んで座ってる。

「ダメなものはダメだと聞き入れて欲しいもんじゃ」
「ポッポ−、……余計な手間を…。クルッポ−」

秘書のお姉さんは、顔色の悪い社長に魔法瓶でお茶を注いでた。

「アイスバ−グさん、紅茶を淹れてまいりました」
「ンマ−!!気が利くなカリファ!!」

おれ…、いや“そげキング”は腰のパチンコを構えた。
来るなら来い!!
夏休みの花火大会のために爆竹を改良した、特製の“火薬星”をお見舞いしてやる!!
その時、誰かがおれのマントのスソを引っ張った。

「今、兄ちゃんはいそがしいだ。
 あいつらをやっつけたら遊んでやるから。ちょっと待ってろよ、カヤ」

おれは、振り向かずに言った。
ズボンやシャツのスソをつかんで引っ張るのは、いつも小さなイトコだ。
そうして、お絵描きやお話をねだるんだ。
けど、いつもは“あとで”と言えば大人しく待ってるのに、今日はしつこい上に
マントを引っ張る力がやたらと強くて、パチンコのねらいが定まらねぇ。

「こら、離せよ!!」

振り向いたおれを見上げるのは、黒くて丸い目と、丸い鼻。
サンジ兄ちゃんのマユゲみてぇにくるりと巻いたツノ。

「メェ〜ッ」

おれのマントをくわえた羊が、一声鳴いた。
真っ白でふわふわのそいつが、ぴょんと跳ねる。
そしたら大合唱になった。

「「「「メエエェ〜!!」」」」

おれの回りは羊でイッパイで、まるで雲の上みてぇだ。
押しのけても、押しのけても、どこまでも続く真っ白。
一面の羊雲の中で、おれは必死にもがいていた。

ちくしょう!!“勇敢な海の男”が、雲でおぼれ死んでたまるかよ!?
けんめいにのばしたおれの手を、だれかがつかんだ。

ビビか?
それともルフィ??

おれとおんなじくらいの大きさの手を、力いっぱいにぎって羊雲の中から顔を出す。

おれの手を引っ張るそいつは、雨合羽を着ていた。
フ−ドを被った、そいつの顔は……


   * * *


「うわあぁ−ッ!!?」

自分の声で、目が覚めた。
飛び起きても、目の前は真っ暗だ。
何度も目をこすって、やっと頭の真上の天窓から星がちらりと顔をのぞかせてるのが見えた。
風がずいぶん強くなって、窓がガタガタ鳴る音がする。

フランキ−やビビたちが行っちまった後、屋根裏に寝転がってそのまま眠っちまったらしい。
懐中電灯を探して目覚まし時計を見ると、夜中の11時だったんでびっくりした。

寝ている間に涙と鼻水が顔にこびりついて、ヒリヒリする。
それに、ハラもへったしノドもかわいた。
おれは懐中電灯で足元を照らしながら、ハシゴを降りた。

 ギシッ ミシッ ギギギ−ッ

ハシゴを降りても、階段を降りても、ただ床を歩くだけでも。
ガランとしたウチに音が響く。
だれかが後に立っているような気がして懐中電灯を向けると、空っぽのタンスだったりした。

べっ、べつにコワクなんかね−ぞ。
昨日だって、おれは夜中に一人でウチに来て一人で寝たけど、お化けもユ−レイも出なかった。
昨日出なかったモンが、今夜にかぎって出るハズがねぇ!!

台所の床下から、水の入ったペットボトルを取り出した。
キャップを開けて飲んでから、残りで顔を洗うと少しすっきりする。
それからス−プのカンヅメをガスボンベのコンロであっためた。
じいちゃんと兄ちゃんの料理のせいで、舌がこえちまったのかな?
あんまりウマくねぇス−プを飲んで、ビスケットをかじった。

床下の水と食料のことは、じいちゃんもサンジ兄ちゃんも知らねぇ。
ちょっと見ただけじゃわからねぇ、秘密のフタになってるからな。

じいちゃんとサンジ兄ちゃんは、おれは大して食いモンも持ってなくて。お金も無くて。
ハラをすかせたら帰ってくるだろうって、思ってるんだ。
けど、そうはいくもんか。
水と食料は、おれと父ちゃんと母ちゃんの三人で10日分はある。
おれ一人なら、1ヶ月はもつハズだ。

けど、フランキ−のヤツ、明日また来るって言ってたな。
夢みてぇにブルド−ザ−で来るかもしれねぇ。そんで、ウチをペシャンコにしちまうんだ。
チキショ−!!アイツら…!!!

どんなにおれがくやしくたって、大人たちが本気になったら敵わねぇことぐらいわかってる。
おれは、このウチを守れねぇのか?
“正義の味方”なんて、やっぱりどこにもいねぇのか?

屋根裏にもどったおれは、床に転がった“そげキング”のお面を思いっきり蹴飛ばした。
壁に当ったソレが、音を立てて二つに割れる。

……父ちゃんの、おみやげだったのに。

顔を洗ったばっかりだってのに、おれはまた鼻をすすった。

父ちゃん、どこにいるんだよ?
あのお面を買った“水の都”にいるのか?
“カ−ニバル”っていうお祭りの間は、みんながお面を被って、だれがだれだかわからねぇ。
そんな街なら、おれも行きてぇ。

ここじゃねぇ、どこか遠くへ行きてぇよ。
だれも、父ちゃんのことを悪く言わねぇところに。
おれのことなんか、ほっといてくれるところに。


……………………。

…………。

……。

そうだ、行けばいいじゃね−か!!


母ちゃんが死んじまって、このウチも無くなっちまうんなら、こんな街にいることなんかねぇ。
おれも、海に出ればいいんだ!!!

父ちゃんも、子どもの頃から外国の貨物船に乗って働いてたんだ。
息子のおれに、できないワケがねぇ。
そしたら、いつかどこかの海の上で父ちゃんに会えるかもしれねぇぞ。

正義の味方“そげキング”の必殺技は『逃げるが勝ち』だ!!
フランキ−も、ヘンな大工たちも、じいちゃんとサンジ兄ちゃんとコブラおじさんも。
だれもいないウチを見て、ビックリするだろうな。

けど、“そげキング”はサンジ兄ちゃんにもビビとルフィにも言ったのだ!!

   『勇敢なウソップ君は、父親を追って遠く冒険の海へと旅立った』

それがホントになるだけだ。
よし、決めた!!

さっそく、おれは海に出るための荷造りをはじめた。
荷造りっていっても、じいちゃんの家を出るときに持ってきたリュックに荷物をつめ直すだけだ。
けど、今度は水と食料も入れとかねぇと。
港へ行って、外国へ行く船にこっそり乗って、向こうに着くまでかくれてるんだ。
ルフィみてぇに、船が動き出したからってすぐに探険して見つかるようなヘマはしね−ぞ。

港に向かう前に、ビビの家に寄って行こう。
そんで、ビビの家の前に“そげキング”のお面といっしょに、マンガの本を置いていこう。
夜もおそいから、起こさねぇけど。それで、“ごめんな”ってつたわるハズだから。

ルフィの家の前には、マントにコンビ−フとソ−セ−ジのカンヅメをつつんどこう。
あいつにも、それでわかるハズだ。

パンパンにふくれたリュックの口を閉めたおれは、大事なモノを思い出した。
そうだ、あのドアノブも持ってかね−とな。

おれは大工道具と懐中電灯を持って、表に出た。


   * * *


 ヒョオオオ……

ハ−モニカの一番高い音と、縦笛の一番低い音を、いっしょに鳴らしたみてぇな風の音だった。
すげぇ勢いで空を流れてく雲の下で、おれは懐中電灯で照らしたウチを見上げた。

「……ごめんな」

おまえを、丸ごと海に持っていけたらいいのに。
けど、おまえの全部はムリだけど、ドアノブを連れていくからな。
この丘の上でずっと海を見てたから、おまえは海が好きだろ?
父ちゃんと海を渡ってこの街に来たドアノブは、今度はおれと海に出るんだ。
いっしょに父ちゃんに会いに行こう。

おれは道具箱の中からドライバ−を取り出した。
外側のネジを全部外しても、まだドアノブは外れねぇ。内側にもネジがあるんだ。
ウチの中に入ろうと、ドアノブをにぎる。

 ガチャッ ガチャガチャッ

あれ?外に出たとき、いつものクセで鍵をかけちまったのかな??
ポケットをさぐって羊の形の鍵を出そうとして、もう一つの鍵に指がさわった。

…そうだ。じいちゃんとサンジ兄ちゃんの家の鍵、返しとかね−とな。
昼の弁当箱と水筒と一緒に、店の前に置いとこう。
もうビビにも伝言は頼めねぇけれど、鍵を返せばわかるだろう。
おれはもう、この街には帰って来ねぇけど。『お世話になりました』って。

ぼんやり考えながら、おれはウチの鍵を鍵穴に入れた。
けど、ネジを外したせいで鍵穴がズレちまったのか、うまく入らねぇ。
ムリヤリ押し込んで、回して。やっとドアが開いた。

さっさと仕事を終わらせねぇと、朝になっちまう。
ウチの中に入ってドアを閉めて、おれは残りのネジを外しにかかる。
内側のドアノブは、普通のハンドル型だ。表と内側の両方からネジで固定されている。
最後の一コを外すと、玄関にハンドル型のドアノブが落ちる。
ドアの外でもゴトンと小さな音がした。

拾いに外へ出ようとして、おれはドアの前で固まった。
ちょっと待て!!ドアに取っ手がねぇぞ!?
あわてて外したハンドルを取り付け直したけど、それでもダメだ。
鍵が、かかってる。
けど、開けようにもドアの内側には鍵穴なんてねぇぞ。
中から鍵をかけたり開けたりするツマミも、何でか動かねぇ。
ハンドルをガチャガチャやっても、体当たりしても、やっぱりダメだ。

おれはもう一度、ポケットから羊の鍵を取り出してみて、気づいた。
鍵の先っぽのデコボコしたところが、途中でなくなってる。
欠けた先が、きっと鍵穴につまったんだ。
なんてこった…。ウチに閉じ込められちまった!!

ウチの窓は、ヨソの人が勝手に入って来ねぇように板と釘で×印にふさいである。
隙間から窓を開けて風を入れたりは出来るけど、人間は子どもだって出入りできねぇ。
板を外そうにも、ノコギリやクギヌキは道具箱ごとドアの外に置いてきちまった。

たった一つ、ふさいでねぇのが天窓だ。
屋根の上から下に降りるしかねぇ。
床下の荷物の中からロ−プを見つけて、おれは屋根裏にもどった。


   * * *


 ビヨオオオオォォ……

風の音が、ますます強くなっていた。
ハ−モニカも縦笛も、街中で鳴らしてるみてぇだ。
雲の切れ目からは、月が見えたり隠れたりした。
切れかけた電球みたいな光に照らされて、屋根裏の壁におれの影が映る。

まるで、おどってる小人だ。
踊りながら片手に持ったトンカチを振り上げて、おれを殴ろうとしてるみてぇだ。
ウチを置いて行こうとするおれを、怒ってるのかもしれねぇ。

…そんなのは、全部おれの気のせいだってわかってるけど。

ロ−プにたくさん結び目をつくって、片方をハシゴの一番上の段にくくりつける。
ぜったい解けないロ−プの結び方も、父ちゃんに教わったんだ。
もう片方に荷物を結びつけて、おれはロ−プを持って天窓から屋根に登った。

やっぱ、荷物をへらした方がよかったかな?
リュックを屋根の上に引っ張り上げると、両手がすりむけて真っ赤だ。
けど、グズグズしてると雨が降ってくるかもしれねぇ。
荷物を屋根から下に転がり落とすと、ロ−プが張ってハシゴが ギシッツ!! と鳴いた。
でも、地面にとどく少し上でリュックが宙ぶらりんになる。よし、計画どおりだ!!

ズボンのベルトに懐中電灯をぶら下げて、ロ−プをつかんで、そろそろと屋根を降りる。
真っ暗で下が見えないから、あんまり怖くねぇ。
空は雲でいっぱいで、もう月も星もぜんぜん見えなくなって。
ウチから見下ろせる入り江のあたりにも、ポツポツと小さな光があるだけだ。
レストランも、とっくに閉まってるんだろうな…。

そう思った時、空がパアッと明るくなった。でっかい花火が上ったのかと思った。
けど、そうじゃねぇ。
青白い光が雲の中をジグザグに走って、その次に音が来た。

 ゴロゴロゴロ…ドシャ−ン!!!

レストラン中のナベがひっくり返って、お皿が割れたみてぇな音だ。
それから、ものすげぇ風がきた。

 ゴロゴロ……ドオオォン!!
 ゴオオオォォ……、ビュウウゥゥ……

世界中のハ−モニカと世界中の縦笛をいっしょに鳴らしても、こんな音にはならねぇ。
おれは屋根の上で必死にロ−プにしがみついた。

この辺りじゃ季節の変わり目に、強い風が吹くことがある。
船がひっくり返ったり、みかんのビニ−ルハウスが飛ばされたり。
けど、こんなスゲぇの知らね−ぞ!!風っていうか、嵐だろ!?
おれが街を出て行こうっていう記念すべきその晩に、いくら冒険のはじまりだからって
そりゃね−ぞ!!?

トドメのように、パラパラと雨まで降ってきた。こりゃ、ウチの中にもどらねぇと。
風はしばらくしたら止むだろうし、出発はそれからだ。

そう思って、おれは足をふんばった。
ふんばった足が、屋根の上でずるっとすべった。
ロ−プをにぎる手も、ずるっとすべった。


………落ちる!!!


頭の中がグルグル回った。
おれのカラダもグルグル回った。
デコボコした屋根が、カラダ中にぶつかった。
けど、ぶつかるものがなくなって、背中がふわっとなって…。

「うわあああぁぁ……!!!」

 ビリビリビリッ

何かが破ける音がして、おれは転がるのも落ちるのもやめていた。
どうにか屋根の端っこにしがみついてるみてぇだ。
おれがじゃなくて、Tシャツが。屋根のどこかに引っかかってるらしい。

……と、とりあえず助かった…。

けど、今のおれは腹ばいでヘソから上が屋根に乗っかってるだけだ。
足の下には何にもねぇし、ロ−プも手から離れてる。
ゼンゼン、ホッとできね−ぞ。

足をバタバタさせたけど、足がかりになるものなんかねぇ。
クツがぬげて、下に落っこちただけだ。
ズボンのベルトにつけてた懐中電灯も、クルクル回りながら落っこちてガシャ−ンと音を立てる。

この高さから落っこちたら、死んじまうかな?下は土と草だし足を折るくらいですむかもしれねぇ。
けど、足が折れたら痛ぇだろうな。
第一、海に出れねぇじゃね−か。ちくしょう、どうすりゃいいんだよ!?

もうカミナリは遠くに行っちまったみてぇだし、雨もそんなに強くねぇ。
けど、風はまだゴォゴォと鳴っている。
屋根の反対側から吹きつけてるんだ。
でなけりゃ、おれはとっくにふっとばされていたかもしれねぇ。

 ギシギシッ ギギッギギギ…ィ

風が吹くたびに、家が鳴った。うめき声みてぇな音だ。
病院に入院して、うんと悪くなった時、かあちゃんのそんな声をいっぺんだけ聞いた。
母ちゃんの顔色は真っ青で、汗をいっぱいかいていた。
……このウチも、そうなのかな…?

  ギギギッ ギギギギギ……

真っ青になって、汗をいっぱいかいて。体中痛くて。苦しくて。
それでも、少しでも長生きしようとして。
がんばって、がんばって、がんばってるのかな。

屋根にしがみつきながら、思った。


   『…倒壊の危険性もあり、居住には不適切。解体をお勧めします』
   『中に居る人間は屋根や柱に押しつぶされて死んじまうだろう』


社長と、フランキ−の声がする。

うるせぇんだよ!!おれだって、ちゃんとわかってるんだ。
雨漏りするし、モノを置いたら倒れるか転がるし、ミシミシ鳴るし。
ここは、住むのにイイウチじゃねぇってのは。
けど、何も知らねぇで勝手なこと言うな!!
ボロでも何でも、おれと父ちゃんと母ちゃんは、このウチで楽しく暮らしてたんだ。
だから、おれは…!!

屋根の上で手をにぎりしめたけど、ゼンゼン力が入らねぇ。
ちょっとづつ、ちょっとづつ、カラダが下に引っ張られてく。
屋根が雨でぬれてて、すべるんだ。

おれのシャツ、あとどれぐらい破けずにいるかな?
そういえば、何に引っかかってんのかな?

じっと、目をこらして見る。
屋根の上のデコボコした板切れは、雨漏りを修理した板切れだ。
けど、シャツが引っかかってるのは板切れじゃなくて、飛び出して折れ曲がったクギの頭。

誰だよ、コレ。ヘタクソだなぁ…。
そう、思った。

遠のいたカミナリが、遠くで青白く光る。


   『……ダイジョウブ、モウ……』


「ウソップ!!?」

サンジ兄ちゃんの声がして、おれは自分の足元を見た。
兄ちゃんは転がったクツと懐中電灯に気がついて、自分の頭の上を見た。

 ビリビリッ

シャツが破けて、おれの体がふわっと浮く。
どんどん遠くなる屋根の上に誰かいたと思ったのは、きっとおれの気のせいだ。
だって、空にはまだ雲がたくさん流れてて、月も星もなくて、懐中電灯もなくて。

何にも、見えるワケがねぇんだから。


   * * *


気がついたら、おれは兄ちゃんの腹の上に乗っかっていた。
下敷きになった兄ちゃんが、地面であお向けになってうめいてる。

「……つぅ〜ッ」

「兄ちゃん、だいじょうぶか?」

あわてて起き上がると、立ち上がった兄ちゃんは低い声で言った。

「……てめェなァ……」

  ゴンッ!!!

目から、火が出たかと思った。
兄ちゃんが右手のゲンコツでおれの頭を力いっぱい殴ったんだ。
蹴っ飛ばされたことは数え切れねぇくらいあるけど、手で殴られたのは初めてだ。
頭を抱えるおれの肩をつかんで、兄ちゃんはおれをムリヤリ立たせた。

「どんだけ心配かけたか、わかってんのかおめ−はッツ!?
 ガキだと思って大目に見てりゃ、つけ上がりやがって!!」

つかまれた肩が、頭に出来たタンコブより痛かった。

「おまえは、何にもわかってねェよッ!!
 自分のことばっかりになりやがって、だからガキだっつ−の!!!
 どうせおまえは、考えたこともね−んだろ!!?
 姉ちゃんの気持ちも、ジジイの気持ちも、嫁さんの気持ちも、…俺の……!!」

まだ、パラパラと雨が降っていて。
兄ちゃんが泣いているのかどうか、よくわからなかった。
おれが泣いているのも、バレてねぇといいなと思った。

おれは声も出さなかったし、鼻もすすらなかったけど。
大声で泣いてるやつもいた。

「アウアウアウ…ッ!!!
 縁(えにし)はどうあれ、一つ屋根の下に住まう。これぞ家族。
 いい話じゃねぇかァ〜〜〜っ!!!」

いつから居たのかギタ−を鳴らしてワメくフランキ−に、兄ちゃんが呆れた声で言った。

「何でお前が泣いてんだ」

「バカ!!泣いてねぇよ、バカ!!!」

ハンカチで涙と鼻水をふくフランキ−に、ずぶぬれの兄ちゃんはタバコをくわえる。

「あんたにゃウチの長っ鼻がえらく世話になったようだし、礼は言っとく。
 ……けど、コイツも俺も、人様に感動してもらえるような家庭環境じゃね−ぜ?」

フランキ−の前髪も、ぬれてすっかり垂れ下がってて。
そのせいか、ニヤッと笑ってもあんまり悪役っぽく見えなかった。

「マユゲのお兄ちゃんが言うワリにゃ、俺の他にも物好きな連中が随分といるようだがな?」

言われて、フランキ−がアゴをしゃくった方を見た。
丘の向こうから車のライトが何台も近づいてくる。

「ウソップ!!」

たった今、止まったばかりの黒い車から、ビビが転がるように飛び出してきた。
その後ろからコブラおじさんが車を降りる。

「さっきの風でビビが目を覚まして、ウソップ君を心配してね。
 どうしても、ここに来ると言ってきかなかったものだから。とにかく、無事でよかった」

ビビは、昼間のことなんか忘れたみたいに、おれの手をぎゅっとにぎった。
ロ−プでこすれた手のひらはヒリヒリしてたけど、ビビの手はあったかかった。

「ウソップ…、おじいちゃんたちのお家に帰れる?」

コブラおじさんに頭を下げてる兄ちゃんを気にしながら、ビビは小声で言った。
おれがコクリとうなづくと、嬉しそうに笑った。

それから、ルフィの母ちゃんが古ぼけたジ−プでやって来た。

「あんまり凄い風だったんで、ちょっと心配で。
 電話したら、サンジ君は飛び出してった後だって聞いてさ」

「ンナミすわあぁぁ〜んvv俺のこと心配して来てくれたの〜!?」

夜中でもミニスカ−トのルフィの母ちゃんに、兄ちゃんはあっというまにメロメロになる。
けどルフィの母ちゃんは、ビビといっしょのおれを見つけてニッコリ笑った。

「ウチのルフィは、あの風でも大イビキかいて寝こけちゃってるのよね−。
 まったく、誰かさんにソックリ。
 友達甲斐のない子で悪いけど、これからも仲良くしてやってね?」

そう言って、手に持っていたタオルをおれにくれた。

「この風じゃ、蜜柑畑の方も心配だし。次はノジコんトコに行かなくちゃ。
 じゃあね、サンジ君。今夜のお礼は、また今度v」

「はぁ〜い、お茶でもお食事でも、いつでもお待ちしてますvv出来れば、お一人でvvv」

運転席のルフィの父ちゃんが、でっかいアクビをしながらチョットだけ片手を上げる。
サンジ兄ちゃんも、ほんのチョットだけ片手を上げた。

最後に、“ガレ−ラ”のマ−クの入った車が止まった。
運転席から顔色の悪い社長と秘書のお姉さんが降りてくる。
兄ちゃんやコブラおじさんと少し話した後、社長はウチを見上げて言った。

「あの風じゃ、危ないと思ったが…。良くもったな」

ほんとに、そうだ。
風が吹きつけてた側の窓は、ぜんぶ壊れてて。
天井からの雨漏りで、床が池みたいになってて。
ただ建っているだけでも苦しそうに、ギシギシと鳴る。
こんなのもう、誰にも直せねぇ。

『それみたことか』『明日にでも取り壊そう』

社長は、次にそう言うだろうとおれは思った。
だけど紫色の唇は、ゼンゼン違うことを言った。

「住んでいた者に感謝されながら、最後を迎えられる家はそうはない。
 だから、言ってやるといい。『ありがとう』と」

社長のすぐ後ろに立っていたフランキ−が、腕を組んだままニヤリと笑った。

雨が止んで、雲の中から月が顔を出している。
風も、今はもう口笛みたいな音だ。
朝になったら海も空も、絵に描きたくなるくれぇキレイな青になる。
いつだって、そうなんだ。

タオルでガシガシと顔をこすりながら、おれはうなづいた。


   * * *


気がついたら、ウチの周りは大騒ぎになっていた。
フランキ−を追っかけて、フランキ−の手下が
社長を追っかけて、ガレ−ラの大工たちが
トラックに乗って大勢でやって来て、ぎゃあぎゃあ言ってる。

「おまえらには、恥じらいってモンがねぇのか!!?
 足を隠せ−ッ!!ヘソを見せるな−ッ!!!」
「「余計なお世話だわいな−!!」」
「愚か者、水着ごときで動揺するな。クルッポ−」
「こら、皆よさんか!!喧嘩をしに来たワケじゃなかろう!?」
「おうよ、喧嘩沙汰なら“フランキ−一家”にまかせとけ−!!!」
「なにを、“大工”が“解体屋”に負けてたまるか−!!!」

コブラおじさんはハジっこの方で困ったみたいに笑ってるけど
サンジ兄ちゃんは、すっかり騒ぎに混ざってた。

「クラ!!レディ−方のこのナイスバディのどこがハレンチだ−!!?」

今まで一言も口をきかなかったフランキ−と社長は、チラリとおたがいに目配せした。
それから、フランキ−が大声で怒鳴った。

「野郎ども!!これからブル−ノの店へ繰り出すぞ!!!
 ガレ−ラから報酬の前払いだ!!!」

「ンマ−!!お前たちも、飲みたきゃついてこい。
 ……カリファ、ブル−ノの店へ連絡を」

社長の声に、秘書のお姉さんがテキパキと答える。

「はい、アイスバ−グさん。百名で予約してあります」

「「「「「いやっほ〜〜う!!!」」」」

そうして、みんなが車に乗って丘を降りていく。
ビビが黒い車の窓から手を振るのに、おれも兄ちゃんの車の助手席から手を振った。
サンジ兄ちゃんは運転席から身を乗り出して、秘書のお姉さんにハ−トを飛ばす。

「カリファすわぁ〜ん、またお会いできる日を楽しみにしていま〜すvv出来れば二人きりでvvv」

「セクハラです」

秘書のお姉さんは片手で眼鏡を上げながら、キッパリ言った。
フラれて落ち込むサンジ兄ちゃんが、あんまりいつもの兄ちゃんだったから。
おれも、いつもみてぇに言った。

「……兄ちゃん、おばちゃんに言いつけるぞ」

兄ちゃんは突っ伏していたハンドルからカオを上げると、右手でおれの頭をペシッとはたいた。
さっき殴られたタンコブの上だから、今度はおれがつっぷす番だ。
車のエンジンがかかる。

「帰るぞ」

兄ちゃんが、言った。



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もう少し、続きます。

(2005.9.11 文責/上緒 愛)