こどものじかん



− 第2話 なつのおもいで −


act 6

誰かが近づいてくる。
その正体は、振り向かなくてもウソップには丸わかりだった。

「ン〜〜ンンンン〜〜♪
 そらのし〜〜まは ふっかふか〜〜♪ あたまフワフワ ボケばっか〜〜〜♪」

とてもてきと−な歌を歌いながら、てきと−に歩いてきたらしいルフィは
森の入口に膝を抱えて座り込んだウソップを目聡く見つけてしまう。

「ど−したんだよ、ウソップ?花火しよ−ぜ」

いつもの調子で話しかけてくるルフィに、死にそうにどんよりした声しか返せない。

「ルフィ……。頼むから今だけは放って置いてくれぇ。
 俺様は今、人生最低最悪のどん底にいるんだからよぉ〜〜」

あんなことを言うつもりでは無かったのだ。
ビビは絶対に自分を許さないだろう。
笑いかけてもくれないだろう。
言ってしまったことを悔やむより、それがツラくて、ウソップは絶望の泥沼に首まで浸かっていた。

「おお、そうか!そりゃ−ジャマしたな!!
 んじゃ、がんばれよ!!!」

くるんと回れ右して元の道に戻ろうとするルフィに、ウソップは泥沼から覗く首だけで
恨みがましく言った。

「悩みがねぇってイイよな…。ホント、おめぇが羨ましいぜ」

「って言ってもな−。
 俺、ウソップじゃね−から、ウソップの気持ち、わかんね−し。
 ビビじゃね−から、ビビの気持ちもわかんね−し」

ぎょっとしてカオを上げたが、ルフィはいつもと変わらない。

「サンジでもね−から、サンジの気持ちもゼンゼンわかんね−しな。
 だから、ど〜もしてやれねぇや。悪ィな。」

メシや冒険の話をするのと同じ調子で。
だから、肩の力が抜ける。
少しだけ、泥沼から浮上する。

「なんで、“悪ィ”なんて思うんだよ?」

尋ねてみると、麦わら帽子を被った頭がかくんと傾く。

「んん〜?そ−いえば、そうだな!
 なんでかな〜?ししししっ」

ほとんど真っ暗な中で、剥き出された歯がぼんやりと白く見える。

「お前と話してると、悩んでるのが阿呆らしくなってくるぜ」

「そ〜か。じゃ、悩んでねぇで、花火しよ−ぜ!!」

「だから、ンな気分じゃね−って言ってんだよ、俺は〜!」

人の話聞いてねぇだろ!?とウソップは思ったが、実はそのとおりだ。

「い〜から、い〜から。
 ぱ−っとやろ−ぜ、ぱ−っと!!」

 バン!!

思いきり背中を叩かれて、ウソップは飛び上がった。

「痛て−ッ!!」


   * * *


ルフィに引き摺られるようにして、ウソップは湖まで連れ戻された。
いや、正しくはズンズン森の奥へ入っていこうとするルフィをウソップが連れ戻したと言うべきか。

湖畔では夕食の後片付けも、花火の準備も、すっかり出来ている。
ビビも戻っていたが、ウソップの方を見ようともしなかった。

辺りは真っ暗だったので、ウソップの頬の引っ叩かれた痕には誰も気付かないようだ。
引っ叩いた当人のビビと、そして…。

「何があったか知んねェけどよ…。さっさと謝れよ」

そう小声で囁いたサンジは、バンッ!!と一発ウソップの背中を叩いて、また悲鳴を上げさせた。

「いい−!
 ひと−つ、絶対に花火は人に向けないこと!!
 ふた−つ、火を点けるのは大人にしてもらうこと!!
 み−っつ、ロケット花火とか、遠くに飛ぶヤツは禁止!!
 森に飛んでって、火事になったら大変だからね。
 よ−っつ、終わった花火は足元のバケツに入れること!!
 その場に捨てたら、湖に蹴り飛ばすわよ!?
 以上、わかった−!!?」

ナミの注意事項に は−い! と良い子の返事をして、色とりどりの光が花を咲かせる。

「見ろ見ろ−!三刀流だ。すっげ〜だろ〜〜!!」

早速、両手に一本ずつと口に咥えた三本の花火で光の軌跡を作って見せたルフィは
…ナミに殴られた。

「いつ−つ、花火は口に咥えない!!
 む−っつ、花火を持って走るな!踊るな!!
 わかったか、この馬鹿ッ!!」

はぁ〜い と、今度は怯えた返事が返ってきた。
だが、暫く経つとルフィはネズミ花火を大量にばら撒いて、またナミに殴られている。

「あの性懲りも無く馬鹿なトコは、おめェに似たのか?」

テラスのベンチに座ってビ−ルを飲んでいるゾロの向かいで、サンジもプルトップに指を掛ける。
昼間、さんざん寝ていた所為か、今夜は宵寝の必要は無いようだ。

「さあな」

「何やらかしても妙に憎めね−トコは、ナミさん似かねェ。
 早ェなぁ〜。あいつ、もう十四だろ?」

「…そんなもんか」

「相変わらずだな、おめェも。放任っつ−か。
 そういやルフィ、剣道やってね−のな」

タバコに火を点けながら言うサンジに、ゾロは猿さながらに飛び回るルフィを暫し目で追う。

「竹刀持たせたことはあるがな。筋は悪くねぇんだが、ありゃ、向いてねぇ。
 本人もあんま、興味ねぇみて−だし。無理にやらせる気はねぇよ。
 チョッパ−は医者になるとか言ってて、ナミがすっかりその気だしな」

「ナミさんらし−な」

肩で笑うサンジに、ゾロは肩を竦める。

「てめぇんトコは、娘一人だろ?
 ルフィのダチの長っ鼻、けっこう器用らしいが、仕込まねぇのか?」

ウソップはチョッパ−とカヤに、かつて世界中の空を覆いつくしたという伝説の花火の話を
していた。
荒唐無稽だが、最後は必ず“めでたしめでたし”になるウソップのホラ話は子供に大人気だ。
話が大きい割に、手にしているのが線香花火なのに苦笑しながら、サンジは紫煙を吐き出した。

「ん〜、おめェと一緒。
 興味も持たねぇモンを、無理に仕向けてもしょうがね−だろ。
 第一、俺がまだジジイを越えてね−のに、その先を考えても鬼が笑うだけだ」

「確かにな。俺もまだ、“日本一”じゃねェ」

それきり、二人は黙ってビ−ルの空き缶を並べていた。

剣で、料理で。
それぞれに師匠や兄弟子、弟弟子、ライバル。そう呼べる者はいる。
けれど、それとは無関係に子供の頃からの時間を共有してきた相手は、
気が付けばお互いだけだった。

湖の岸辺を走り回っていた小さな影が、ぺたんとその場に座り込んだ。
石にでもつまづいたのかと、サンジがベンチから腰を浮かせる。
細いシルエットが駆け寄るのを見て、安心して座り直したとたん、張り詰めた声が彼を呼んだ。

「お兄ちゃん…!!」


   * * *


 ピピッ

電子体温計の音に、カヤの口に咥えさせたそれを抜き取り、数字を読む。

「どう?」

ナミの問いに、サンジはいつもの軽さが欠けた調子で答えた。

「39度5分…。
 熱以外に症状は無いみてェだけど、出来るだけ早く医者に診せたい」

「今から車出すのは止めた方がイイわ。
 行きで見てるでしょ?街灯もガ−ドレ−ルも無い山道を下るなんて、危険すぎる」

「判ってる」

猫背気味になるサンジの肩を、ナミが軽く叩いた。

「はしゃぎすぎて、疲れが出ただけよ。
 きっと明日には熱も下がってるわ。
 …そんな、悲壮なカオしなさんな…。ビビちゃんもね」

ウィンクと共に言われて、サンジもようやくいつもの調子を取り戻す。

「ナミさん、ガキ共の監督、頼むよ。
 ビビちゃんも、ここはもうイイから、一緒に花火しておいで」

「でも、私…」

俯いて唇を噛むビビは、キャンプを提案したことを悔やんでいた。
その細い肩に、サンジの手が置かれる。

「ビビちゃんの所為じゃねェって。
 ナミさんも言ってたろ?チョットはしゃぎすぎただけさ」

ビビは顔を上げた。
ナミは一足先に部屋を出ている。
自責の念で潤んだ眸を見て、サンジの手が離れる。

「………ん」

小さな声に、重なっていた視線が同じ方向に逸らされた。

「カヤちゃん?」

「ど−したの?熱い?喉が渇いた?」

二人して、赤い頬をした子供の枕元に跪く。
目を瞑ったまま、小さな手で掛け布団の端をきゅっと握り締めて
乾いた唇が、開いた。

「…ママぁ…」

ビビはカヤを見つめ、そしてサンジを見つめ……ようとして、ハッとした。
ポタリと、水滴が一つ、木の床に落ちる。

「あ−、じゃあチョットだけ見ててくれる?
 氷とか、ジュ−スとか、取ってくるから…」

サンジが立ち上がった。
不自然に俯いた角度の所為で、前髪が表情を覆い隠している。

「うん、どうぞ」

ビビは、振り返らずに答えた。

「ごめんね−。スグ戻るから。
 そしたら、花火に行ってよね」

彼女がもう少し大人だったら、あるいは子供だったら。
サンジがどう言おうとも、ビビはこの場を離れようとしなかったかもしれない。

けれど、ビビはまだ大人ではなく、…もう小さな子供でもなかったので
サンジの言葉に頷いて、その通りにした。


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(2003.8.30 文責/上緒 愛)