かみさまのいうとおり



− U ・ 2010 −

“根(ルート)”での生活が始まって、最初の1年。
ボク達は、生きるために必死でした。

まず、問題になったのは電気です。
水力発電の設備だけでは、施設の生活を賄う電力を確保できません。
生きるには空気や水の浄化機能を優先しなければならず、照明や暖房、調理に
回す余裕が無かったのです。

“転生の日(リバースデイ)”の影響で、当初の設計から水脈にズレが生じ、発電施設に
流れ込む水量が減少したのが原因でした。
生活用水の確保には問題の無い範囲だったのが、不幸中の幸いです。
生き残った人の中で、電気工事や建築設計の経験を持つ数人が図面を広げたものの、
どうにもなりません。

それは、非常用のロウソクや乾電池、ガスボンベを使い切った時に、ボク達の命運が
尽きることを意味していました。
人は暗闇を恐れる生き物です。
地下深く、灯りも暖かさも無しに、正気を保ち続けることは出来ません。

“根”に、水力に代わる発電装置があったのは、幸運でした。
晴彦さんの“電磁n´(ショッカー)”が生み出す電力を、水力発電の充電システムに繋ぐ。
その設計図案を出したのは、当の晴彦さんとシャオ君でした。
2人して難しそうな本ばかり読んでいると思ったら、一から勉強したそうです。
“根”の書庫には、様々なジャンルの学問を、基礎の基礎から学ぶことを想定した本や
資料が揃えられていましたから。
もっとも勉強を始めて3日目で、シャオ君は晴彦さんの先生役になったそうですけど。

もちろん、何事も理屈通りには行かないもので、そこから更に試行錯誤が続きました。
“根”の生存者…特に男の人のほとんどが、何らかの作業に関わっていたと思います。
この頃のボクの仕事は、作業中に感電した火傷の治療が主でした。

そして、地下生活が始まって8ヶ月。
初めて“根”の全て照明が灯された日のことは、忘れられません。
まるで、お祭り騒ぎでした。
昼間のように明るい通路。初めて入った体育館や、トレーニングルーム、遊戯室。
厨房のIH(電気)調理器で振舞われた、暖かい料理と飲み物。
CDプレイヤーから流れる陽気な音楽に合わせて、一晩中歌って踊って。

皆、手を取り合い、肩を組んで笑っていました。
サイキッカーも、そうでない人々も。

この時は、確かに笑っていられたのです。


   * * *


電力が回復して、“根”での生活は以前とは比べものにならないくらい快適になりました。
それまでは、1つの倉庫で肩を寄せ合うように暮らしていたのが、個室を使えるように
なったのです。
図書室や体育館の利用も活発になりました。
ようやく、政府やおばあ様が計画していた本来の“天樹の根”の姿を取り戻したのです。

生活の範囲が広がるに従い、新たなルールも作られました。
例えば、掃除や洗濯、炊事が役割分担ではなく、当番制で割り振られるようになったこと。
また、日の差さない地下生活にも、昼と夜が出来ました。
これは、午後6時から午前6時までの12時間、食堂や体育館などの公共スペースは
原則消灯、廊下は非常灯のみにするもので、体内時計のリズムを正常に保つためと、
電力の消費を抑えることが狙いでした。
充電システムが蓄えられる“電磁n´(ショッカー)”の電力は、一日中電気製品をフル稼働
させられるほどではなかったのです。
システムの改良が重ねられ、逐電量が上がった今も、夜の消灯は続いています。

ここでの生活に役立つ知識や技術を学ぼうとする人も、増えていました。
嵐さんと千架さんは、ボクにばかり負担を掛けないようにと医学を勉強してくれましたし、
晴彦さんは充電システムを改良する片手間に、千架さんのバイクを電動に改造しました。
シャオ君は、元々本好きだった所為もあるのでしょう。書庫の本を乱読する傍ら、勉強や
調べ物をしたい人に、何の本を読んだらいいかのアドバイスをしていました。
例えば、強くなりたいカイル君には、筋力トレーニングや精神修行の本を。
限られた食材でメニューを工夫しようとしていたマリーさんには、調理学の本を。
配給される衣類を自分好みの動物デザインにしたいフレデリカさんには、服飾関係の本を。
ボクには、日本語のボキャブラリーが増えるような本を薦めてくれましたっけ。

皆、ここでの生活を支えていく為に、頑張っていました。
ボク等も、それぞれに勉強をし、修行を続けていました。
地下での生活は、不自由ではあったけれど、不幸ではなかったのです。
少なくとも、ボク等にとっては。

……だから、気づけなかったのかもしれません。
“根”の住人達の変化に。



− V ・ 2011 −

年が明けて、2011年。“転生の日(リバースデイ)”から1年が経った頃。
気紛れのように降り注いでは、地表を引き剥がしていた雷が完全に途絶え、
外の世界は一応の安定を見せるようになっていました。

“空間転送(トリック・ルーム)”で時折、地上の様子を伺っていた嵐さんが報告すると、
当然のように、自分も地上へ出たいという声が上がります。
随分快適になったとはいえ、やはり地下の生活は息苦しいのです。

おばあ様は、希望する人を地上に連れて行ってくれるよう、嵐さんに頼んでくれました。
そして、50名余りが2つのグループに別れ、1年ぶりの地上に立ったのです。

ボクは今でも、おばあ様の判断は、正しかった思っています。
“根”は人を閉じ込めるための牢獄ではありません。
それに、誰よりも地上に出たがったのは、ボク等エルモア・ウッドだったのです。

地上がどんな状態であるか。救助された人達は皆、よく知っていた筈でした。
エルモア創立総合病院から避難した人達も、話は聞いていた筈です。
それでも、実際に見る地上の有様は誰にとっても衝撃でした。
ずっと以前から、世界がこうなることを教えられてきたボク等にとっても。

目の前に広がる、現実感の無い光景。空を覆って不気味に蠢く、斑な厚い雲。
その下には、岩と砂と崩れた建物の残骸があるだけです。

TVで見た、SF映画そのままの世界。
違うのは、これが現実だということでした。
乾いてザラつく風も、錆びた金属のような匂いも、作りものではないように。

ボク等が知っていた、生き物と緑にあふれていた世界は、もう何処にもないのです。
何もかも全部、壊れてしまったのです。
住んでいた家も、懐かしい街も、大切な人も…。

生きることに必死だった時は、目を背けていられました。
もしかしたらと、一縷の希望を持つことも出来たのかもしれません。
けれど、目の前に突きつけられた現実に、誰もが呆然と立ち尽くすしか無かったのです。


……その夜。
ボク等エルモア・ウッドは、揃って熱を出しました。鼻血も少し出ましたが、すぐ止まったので
治癒(キュア)の必要も無い程度でしたけど。

「久しぶりの地上が、アレだからな。お前達も熱ぐらい出すだろう」
「……ま、その内、嫌でも見慣れるけどよ。
 そ−いやオレと嵐も、いつだったか地上から戻った後、熱と鼻血出してブッ倒れて
 千架に看病してもらったっけか」

その時は、枕元での2人の話を聞き流していました。
いつの間にか嵐さんが、一度に20人以上を“転送”できるようになっていたことも、
晴彦さんの“電磁n´(ショッカー)”の放電量が、以前の倍以上に跳ね上がったことも。

暫くは、考える暇すらありませんでした。
“根”で最初の自殺者が出たのは、その夜だったのです。


   * * *


1人目は、自室で首を吊った男の人でした。
遺書らしいものも無く、衝動的な行動だったのでしょう。
“転生の日”に、奥さんも子供も、全てを失った人でした。
ここに暮らす、大部分の人達と同じように。

“根”で人が死んだのは、あの人…イアンさん以来です。
そして、自ら命を断った人は、初めてでした。
なぜ?どうして…?と、思う間もなく3日後には、2人目の自殺者が出ました。
剃刀で手首を切った女の人は、最後の力を振り絞るように遺書を残していたのです。


  『1人だけ助かりたくなかった』


白い壁に書きなぐられた血の文字は、今も目に焼き付いています。

1年という区切りが、以前の暮らしを思い出す切欠になったのでしょう。
失くしたものの重さが、生きる気力を折ったのかもしれません。

それから先は、性質(タチ)の悪い流行り病のようでした。
1年足らずで、両手の指では足りなくなる程の死人が出るところだったのです。
そうならずに済んだのは、3人目以降の発見が早く、治癒(キュア)が間に合ったからです。

シャオ君が、自殺を図ろうとする人の悲鳴を上げる心を感じ取ってくれたおかげでした。
それは、今までの彼には無かったことなのです。
他人の心を読んでしまうトランス能力を制御するために、ずっと修行を続けていたシャオ君。
その努力を帳消しにしてしまうほど、彼のPSI(ちから)は強くなっていたのです。

そしてボクの治癒(キュア)も、以前なら助けられなかった筈の人を回復させることが
できるようになっていました。
内側から鍵を掛け、バリケードを築いたドアをテレキネシスでぶち破ったマリーさんも、
飛び降り自殺を図った人を、咄嗟に“マテリアル・ハイ”で受け止めたカイル君も、
自分の頭に向けた銃をピンポイントで熱して、取り落とさせたフレデリカさんも同じでした。

パワーであれ、スピードであれ、正確さであれ。
ボク等のPSI(ちから)は、以前の数倍に跳ね上がっていました。
そのおかげで、“根”の住人の命を救えたのも事実です。
単純に…とは言わないまでも、ボク等はそれを喜びました。
やっと、自分のPSI(ちから)を役立てることが出来たのですから。

けれど、そうやって“根”の住人がボク等のPSI(ちから)を目の当たりにしたことが、
次の亀裂を生み出したのです。



− W ・ 2012 −

“根(ルート)”での暮らしが2年を過ぎて、間もなく。
住人の約半数、50名余りがここを出て、地上で暮らすと言い出しました。

内訳は、“転生の日”以降に救助された人達と、エルモア創立総合病院から避難した人達が
半々で、この1年に自殺未遂をした人のほとんどが含まれています。

この頃、空を覆う雲からは斑模様が消え、以前より明るくなっていました。
夜になっても暗闇になることはなく、雨も降らず、ほぼ一定の温度を保つ地上は、
地下よりも暮らしやすく思えたのでしょう。

けれど、地上では“W.I.S.E”が生き残った人間を狩っています。
地上で暮らすことは、余りにも危険すぎるのです。

おばあ様は説得しようとしましたが、彼等の意志は変わりませんでした。
結局、当座の水や食糧、生活用品を持って“根”を離れたのです。
運び出された荷物の中には、自衛隊が準備した銃も含まれていました。

おばあ様も、嵐さんも、晴彦さんも、残った人達も。
ボク等には何も言いません。けれど、わかっていました。

彼等が“根”を出て行く最大の理由。それは、ボク達でした。
正確には、ボク等エルモア・ウッドとおばあ様、嵐さん、晴彦さん。
超能力を持つサイキッカーの存在だと。

彼等にとって、ボク達は“敵”なのです。
世界を滅ぼした“W.I.S.E”と同じPSI(ちから)を持っているから。


  『バケモノと一緒には暮らせない』


つまりは、そういうことです。

勝手に心を読まれているかもしれないから。
見えない力で突き飛ばされたり、潰されたり、火を点けられるかもしれないから。
治療をするフリをして、心臓を止められるかもしれないから…。

「……だから、アタシは“外”の人間が嫌いなのよッ!!」

非常灯だけが足元を照らす、夜。
項垂れているマリーさんに寄り添いながら、フレデリカさんは憤慨します。
使用されていない生産プラントは、当時のボク等の秘密の相談場所でした。

「それだけじゃない」

重い声で呟いたのは、シャオ君です。
天樹院家に引き取られたばかりの頃のように、PSI(ちから)の強さに制御が追いつかない
状態の彼は、疲れた顔色で続けました。

「あの人達は何もかも失って、1人だけ生き残ってしまったから…。
 僕達サイキッカーが、自分の家族だけを助けたのはズルイと思ってる」
「何よ、それ…。」

低く呟いたフレデリカさんの声に、シャオ君も唇を噛みます。
おばあ様とボク等の天樹院家、嵐さんと千架さんの兄妹。
家族で助かったのは、それだけです。
晴彦さんの家族や、関西で暮らしていたフレデリカさんの両親は間に合いませんでした。
シャオ君も、大勢の親戚が中国に居た筈です。
助けられなかったのは、同じなのに…。

「世界がこうなることがわかっていて、どうして何も手を打たなかったのかって。
 PSI(ちから)があるなら、もっと大勢を救えた筈なのに、それをしなかったって…。
 今のあの人達にとっては、“W.I.S.E”より僕達の方が憎いんだ」
「そんな…!!」

マリーさんが翠の眸を見開きました。
涙で潤むその視線から、シャオ君は苦しそうに顔を背けます。

「何でだよッ!?何で、そーなるんだよ!!」

吐き出したカイル君の、握り締めた拳が震えていました。

「ジィちゃんも、アゲハも、雹堂のオッサンも、八雲の姉ちゃんも、イアンも…。
 皆、何で死んじまったと思ってるんだよッ!!?」
「カイル君…。」

言いかけて、口を噤んだのはボクです。

PSI(ちから)を怖れられ、“バケモノ”と呼ばれる経験はボク等全員に共通するものです。
それは、おばあ様や嵐さん達も同じでしょう。
“根”での生活が始まってからの、住人達のボク達を盗み見る目。囁きを交わす声。
かつての家族や故郷で向けられたのと同じソレに、気づかぬフリをして頑張ってきたのに。
彼等は、自分達が忌み嫌うPSI(ちから)を使わなかったことで、ボク達を恨んでいるのです。

奇跡を求められ、叶わなければ罵られ、責められ、憎まれる。
あの人の言葉が思い出されました。

結局、どこへ行っても。世界がどう変わっても。
ボク達サイキッカーが受け入れられる時代は、来ないのでしょうか…。

俯いた足元には、黒く湿った土が敷き詰められています。
充電システムの改良が進み、人工照明による食糧の栽培が試験運用される予定でした。
ついこの間まで、出て行った人達も一緒に土を耕していたのに。
種を撒く前に、皆、行ってしまったのです。

ボク等はそれぞれ、重い気持ちを抱えながら部屋に戻りました。
おばあ様に心配を掛けないように、いつもどおりにしていようとだけ、約束をして。


   * * *


出て行った人達がキャンプを張ったのは、“根”から30キロ程の廃墟です。
元はマンション群だったらしいそこは、比較的過去の原形を止めていました。
リーダー格である数名は、この1年に何度も地上に出ていた人達です。
生存者や使える資材を探す仕事の傍ら、住むのに適した場所も探していたのでしょう。
いざとなったら戻ってこれるよう、近場を選んだのだろうとおばあ様達は言っていました。

「地上なんて、暮らせるようなシロモンじゃねーし。1週間もすりゃ、戻ってくるって。
 ま、そンときゃあナマ暖か〜く迎えてやろうぜぇ?」
「だが、それまで放っておくわけにもいかんだろう。
 万が一、“W.I.S.E”に捕らえられて、“根”の存在を知られれば終わりだ。
 まったく、余計な仕事を増やしやがって…。」

楽観的な晴彦さんと、不機嫌な嵐さん。キャンプの様子を見に行った2人の報告に、
食堂に集まっていたボク等は顔を見合わせました。

「アイツ等、帰って来るっていうの!?冗談じゃない、アタシは嫌よ!!
 おばあ様の苦労も知らずに好き勝手言う奴等なんか、“根”に入れないんだから!!」
「そうだッ!!オレもフ−にさんせ−!!
 バァちゃんのおかげで助かったクセに、恩知らずの奴等はエルモア・ウッドが
 許さね−からなッ!!」

攻撃的なことに限って、やたらと気の合うフレデリカさんとカイル君が口を揃えます。
マリーさんとシャオ君が黙っているのも、消極的同意でしょう。もちろん、ボクも含めてです。
緊張する空気の中、千架さんがハラハラした様子でボク達を見守っていました。
けれど、晴彦さんはテーブルに肘をついたまま、ニヤリと笑います。

「オマエ等ってホント、エルモアのバァさん大好きだよな−。」

ボク等全員がそれぞれに、ムッとした顔をしたのでしょう。
それがツボに入ったらしく、派手に吹き出した晴彦さんの後頭部を、嵐さんが一発殴って
黙らせました。

「……あのな、ここを造ったのはエルモアさんかもしれないが、“根”はお前等だけの
 家じゃないだろう?」

溜息混じりの嵐さんの言葉に、ボク等はやっぱり不満を隠せません。
出て行ったのは向こうなのに、戻って来るのを待つなんて。
戻って来たところで、もう仲良くなんて出来る筈がないのです。

「あの人達が帰って来ても、今までみたいには暮らせないと思う…。」

ぽつりと呟いたマリーさんに、ボクもささくれた気分で同意しました。

「今度はボク達に、出て行けとか言うんじゃないですか?」
「それはないだろうけど…。結局、“根”の中で分かれて暮すことになるんじゃないかな」

さすがにシャオ君は、現実的です。
元々、収容規模の10分の1しか使っていない施設ですから、フロアやブロックを分けて
しまえば、顔を合わさずに生活することは可能でしょう。

「まぁ、それも方法だけどよ。ぶっちゃけ別に、嫌われてたっていーじゃんか。
 仲良しごっこする義理なんぞ、あいつらにだってハナっからねェし。
 殺し合いにならない程度に嫌い合ってりゃ、それで問題ねーだろ」
「ハル君!?」

物騒な物言いに、千架さんだけでなく、嵐さんもボク等もギョッとしました。
けれど晴彦さんは、殴られた頭を擦りながら続けます。

「仮に、あの連中がこのまま地上に居つくとしてもよ、生き残った人間は少ね−んだ。
 嫌われようが嫌おうが、大事にしねーと申し訳が立たねェよなァ…。」

雹堂さんや、八雲さんや、イアンさん。あと、死んじまった大勢の人間にさ。

ボク等は、それぞれに驚いて晴彦さんを見つめました。
仲良く出来なくても、嫌い合っていても、相手を大事にする。
晴彦さんの言葉は衝撃で、でも不思議と説得力があったのです。

……けれど。

「ハル君、すっかり大人になったねぇ…。」
「まったくだな」

しみじみと呟く千架さんと嵐さんに、今度はボク等全員が吹き出しました。


   * * *


住人の半分が出て行ってから、2日の間は何事も無く過ぎました。
残った住人達も、淋しくなった施設の中で仕事を分け合って過ごしています。

嵐さんと晴彦さんは、“空間転移(トリック・ル−ム)”で少し離れた場所から。シャオ君は
索敵範囲の拡がった探索(サーチ)で“根”の中から。3交代で見張りを続けています。
彼等が“W.I.S.E”に捕獲されることで、“根”の存在を敵に知られないためという
名目でしたが、何か起こればすぐに助けに行くつもりだったのです。

そして、3日目。
食堂には、見張りを終えて遅い朝食を取る晴彦さん。キャンプの様子を聞いているボクと
カイル君、嵐さん。コーヒーを淹れる千架さんだけが残っていました。
そこへ、血相を変えたシャオ君が駆け込んで来たのです。

「嵐さん!!今すぐキャンプへ転送を!!」

たった今まで欠伸をしていた晴彦さんが、一瞬で椅子を蹴って立ち上がります。

「“W.I.S.E”か!?」
「わかりません。でも突然、キャンプに強いPSI反応が現れて…。
 生命反応が、次々に消えているんです!!」

あんなに動揺したシャオ君を見たのは、初めてでした。
無理もありません。刻一刻と数を減らす命を、リアルタイムで感じているのです。

「よし。俺と晴彦、シャオで行く。あと、ヴァンも来い!!」

立ち上がった嵐さんの指示に、ボクもお砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを諦めました。

「オレも行くッ!!」

カイル君の声に、ドアのところで2人が振り返ります。
もしかしたら、2年前を思い出していたのかもしれません。
一瞬の後、嵐さんは小さく頷いて走り出しました。後に続く晴彦さんも、軽く肩を竦めます。
2人の背中を、ボク等3人で追いかけました。

「みんな、気をつけてね!!」

千架さんの心配そうな声に、返事をする余裕もありません。
空間を立方体の中で入れ替える“空間転移(トリック・ル−ム)”は、わずかなズレで
人間さえ“切り取って”しまう怖れがあるため、他に一切のモノを置かない2番格納庫を
起点とする決まりです。
急ぐボク等が通路に出たとたん、勘の良いフレデリカさんが駆けつけました。
すぐ後ろには、マリーさんの姿も見えます。

「一体、何があったの!?」
「シャオ君、カイル君、ヴァン君…?」

食堂に2人が居合わせなかったことに感謝したのは、ボクだけではなかった筈です。
嵐さんと晴彦さんの後を追って走りながら、短く言いました。

「時間が無いんだ…。話は千架さんから聞いて」
「フーとマリーは、“根”を守れ!」
「おばあ様を、お願いします。あと、ボクのコーヒー飲んじゃってくださいね」

何がどうなったにせよ、キャンプが無事であるわけがありません。
この間まで、一緒に暮らしていた人達の変わり果てた姿を、女の子に見せちゃいけない。
2人からは男女差別だと怒られるでしょうが、そんな風に考えるくらいには、ボク等は
成長していました。

そして、予想は裏切られなかったのです。
嵐さん達が使っていた、キャンプ地を見下ろすビルの屋上。
そこに、ボク達5人が“空間転移(トリック・ル−ム)”で移動した瞬間から。

「う、わぁあああああッ!!?」
「ビルが、無い…っ!?」
「………“マテリアル・ハイ”!!」

遥か下には、倒壊したビルの残骸。
30mの高さからコンクリートにダイブしかけたボク達を受け止めてくれたのは、
カイル君の作った圧縮空気のブロックでした。

「やっべ−、マジで死ぬかと思った…。カイル、サンキュー」
「な?オレを連れて来て、正解だったろ−」

透明なブロックの上に座り込んだ晴彦さんと、得意そうなカイル君。
けれど、立ち上がった嵐さんは周囲を見回し舌打ちをします。

「礼は言うが、ホッとしている暇はないぞ。丸見えだ」

確かにそのとおりです。何もない空間に5人で固まって浮いているなんて、絶好の的でしょう。
案の定、“探索(サーチ)”の方位盤を開いたシャオ君が、鋭く警告します。

「PSI反応です!地上から攻撃が…来る!!」

カイル君が、ペロリと唇を舐めるのが見えました。

「まかせとけッ!“装甲(アーム)”!!」

ボク等の乗った立方体のブロックを覆う、三角錐の“マテリアル・ハイ”。
次の瞬間、斜め下からの衝撃がビリビリと空気を震わせました。
続く二撃目、三撃目も、カイル君の防壁に阻まれて、ボク等には届きません。

「あそこだな…。攻撃が途切れたら、行くぜ」

晴彦さんが崩れかけた廃墟を指差すと、嵐さんも頷きました。

「衝撃波が途絶えたら、“マテリアル・ハイ”を解除してくれ。
 俺と晴彦が、“空間転移(トリック・ル−ム)”で奴の後ろに回る。
 シャオとヴァンは地上で生存者を捜せ。カイルは2人と生存者を頼む」
「ええ−ッ!?」

戦えないことに不満そうなカイル君ですが、そんなことは言っていられません。
ここまで近づけば、ボクにも生命反応ぐらい感じられるのです。
その幾つかが、風前の灯火であることも。

「早くしないと、生存者が…!!」

焦るボクを見て、カイル君がしぶしぶと頷きます。

「しゃーねーな。…“固定解除(フォールダウン)”」

ガクンと、防壁ごと落下するボク達。

「カイル、てめ−ッ!!」
「……確かに、この方が早いな」

晴彦さんの怒鳴り声と、嵐さんの呟き。
“ライズ”が苦手なボクをシャオ君が支えてくれます。

コンクリートの残骸に突っ込む衝撃に耐えて、“マテリアル・ハイ”が消滅しました。
同時に、嵐さんと晴彦さんの姿が“空間転移(トリック・ル−ム)”の中に消えます。
もうもうと立ち込める砂埃から、ボク等は咳き込みながら這い出しました。

「大丈夫か、ヴァン?」
「はい、何とか…。も−、カイル君ってば乱暴すぎます!!」
「あ−、悪ィ悪ィ。けど、早くしろって…」

言いかけた声が、途切れました。
シャオ君が、ボクを背後に押しやります。

「来るぞ!!」
「いよっしゃあッ!!」

防御に特化した三角錐型のマテリアル・ハイ、“装甲(アーム)”が、至近距離からの
衝撃波を再び防ぎます。
続けざまの攻撃にも、見えない壁は微動だにしません。

「コイツ、全然大したことねーぜ。
 マリ−のテレキネシスや、フ−のパイロキネシスの方がよっぽどスゲ−や」

余裕の表情のカイル君。けれど、手の中の方位盤を見つめるシャオ君は、真っ青です。
まさか、と。小さく呟くのが聞こえました。

砂埃で視界が利かない中、マシンガンのように放たれていた衝撃波が途切れます。
弾切れ…もとい、PSI切れでしょう。
その一瞬の隙に、カイル君が攻撃に転じました。
透明な花が咲いたような、剃刀よりも薄いブレードを纏って。

「くたばれ、“W.I.S.E”!!」
「違う、カイル!!その人は…!!」

乾いた風が、砂埃を吹き払いました。
目の前には、瓦礫に膝をついた人影。血走った両目。赤黒く汚れた全身と、ボロボロの服。
けれどそれは、確かに1年を共に暮らした“根”の住人の顔だったのです。

「…ッ!!?」

カイル君のブレードが、空気に溶けるように分解していきます。それは、サイキッカー同士の
戦いの、致命的な隙でした。
人間のものとは思えない唸り声を上げる、血に濡れた口。
焼け焦げた手が、呆然とするカイル君に向けられます。
コンクリートを吹き飛ばす程の衝撃波を、まともに喰らったら…!!

「伏せろッ!!」

晴彦さんの声に反応出来たのは、シャオ君だけでした。
ボクを突き飛ばし、カイル君を蹴り倒して、自分も地面に伏せます。
周囲を真っ白に染める閃光と、轟音。

「……たく、無茶しやがって」

晴彦さんに腕を引っ張り上げられたカイル君は、まだ信じられないといった顔です。
“電磁n´(ショッカー)”の直撃を受けて倒れているのは、出て行った住民の中でも
リーダー格だった1人でした。施設の改造にも熱心で、陽気な人だった筈です。
膝をつき、彼の脈を見ていた嵐さんがボクを振り返りました。

「まだ息はあるようだが…、助かるか?」

ボクは黙って、首を横に振ります。
“電磁n´(ショッカー)”で受けた火傷やショック症状なら、大したことはありません。
けれど、口から目から鼻から耳から、流れ出す血。
PSI(ちから)の酷使で、脳が壊れているのです。イアンさんの時と同じように、ボクには
どうすることも出来ません。
嵐さんは、表情を変えずに頷きました。

「そうか…。だったら、他の生存者を捜すぞ。向こうで気絶してる3人は、後回しでいい」
「何があったかはサッパリだが、生き残ってる連中、かなり殺気立ってんぞ。
 話も聞かずに銃とかぶっ放しやがるから、殴っといたけどな。
 ……コイツの他に、もうPSI反応はねェんだろ?」

はい、と答えて立ち上がったシャオ君が、低く呟くのが聞き取れました。

「この人は、真っ黒に塗りつぶされた鏡だ…。」


   * * *


この時、ボク達が助けることが出来たのは、たった11人でした。
40人もの命が、1時間にも満たない間に失われたのです。

死因の多くは銃による即死、または失血死。そして、パニックによる転落死です。
PSI攻撃による死者は、衝撃波で倒壊した建物に巻き込まれた数人のみでした。
火の気も無いのに焼け落ちたテントの中の遺体も、先に銃で撃たれていたのです。

一体、何があったのか。生き残った人達から詳しい話を聞こうとしても、混乱が酷く
要領を得ません。
皆、わけもわからない内に攻撃されて逃げまどい、銃を持って応戦したようです。
ボク達、“根(ルート)”のサイキッカーの攻撃だと思っていた人もいました。
砂埃で視界の効かない中、銃口を向けた先にいる相手を確認もしなかったのでしょう。

それでも、今朝になるまでの状況は、幾らかわかりました。
彼等が地上へ出て30時間が過ぎた頃、突然の発熱で2人が倒れたこと。
症状は40度近い高熱と悪寒、そして鼻血。
どちらもリーダー格で、何度も地上に出たことのある人でした。
その内の1人は、ボク達を衝撃波で攻撃した人です。

大見得を切って地上に出た手前、彼等はすぐに“根”に戻ってボクの治癒を受けることを
躊躇いました。暫く様子を見ようと、患者をキャンプの奥に隔離したのです。
症状が重くなったり、もっと患者が増えるようなら助けを求めるつもりでしたが、半日ほどで
2人の熱も下がり、安心していた矢先だったと…。

高熱と悪寒、そして鼻血。ボク等にも身に覚えのある症状です。
半日横になれば、治ってしまうことも。

「どうやら地上の大気には、眠っているPSIの資質を目覚めさせる働きがあるようじゃな」

おばあ様は、しばらく考え込んだ後、そう言いました。

「そして、元からPSI(ちから)を持つ者は、大気に触れることで更に覚醒を促される…。
 大気中にPSIの伝達を高める“何か”があるのじゃろう」
「つーことは、倒れた2人もオレ等と同じPSI(ちから)に目覚めてたってことか?」

頭を掻きながら確認する晴彦さんに、おばあ様は頷きました。

「恐らく…。じゃが、あまりに突然過ぎてPSI(ちから)を制御できず、暴発させたようじゃの」
「それで、キャンプ内がパニックに陥ったのか…。」

呟いた嵐さんは、酷く疲れた顔でした。生存者よりも遺体を転送する方が多かったのです。
その嵐さんよりも、もっと顔色の悪いシャオ君は俯いたままでした。
けれど、おばあ様に何度も促されて、ようやく重い口を開きます。

「多分、もう1人がトランス系だったんだと思います。
 心を読むのでなく、自分の心を人に伝えるPSI(ちから)が強くて…。
 混乱や恐怖を、周りに伝染させてしまったんです」

固い声。
読みたくなくても、強い感情であればそれを感じ取ってしまうシャオ君には、
あの場に立った瞬間に、おおよその事がわかったのかもしれません。

「あの人は…、恐怖と絶望で自分を見失ってました。
 仲間に撃たれることよりも、自分のPSI(ちから)を怖がっていた。
 『バケモノにはなりたくない』って…。」

しんと静まった部屋に、シャオ君は唇を噛みます。
この場にはマリーさんもフレデリカさんも居ましたから、失言だと思ったのでしょう。
衝撃波はテレキネシスの1種ですし、状況から見てもう1人はトランスだけでなく、
パイロキネシスにも覚醒していたと見て間違いありません。

「……問題は、このことを皆にどう話すかだな」

嵐さんが眉間に皺を寄せて言います。
すると晴彦さんが、両腕を頭の後ろで組んだ格好で言いました。

「40人が死んだのは、実はパニくった挙句の同士討ちでした、ってか?
 地上に出ると、サイキッカーになっちまうかもですがどうします、ってか?」

軽い言い方ですが、要点はズバリその通りです。
混乱し、動揺している住民達に、何をどこまで言えばいいのか…。

「どうもこうもない。真実をそのままに話すしかなかろう」

おばあ様が言いました。
ますます小さくなった身体を真っ直ぐに伸ばし、皺だらけの顔を上げて。
皆、開きかけた口を、そのまま閉じました。確かに、それ以外に無いのです。


生き残った11人は、そのほとんどが傷が癒えた後、再び“根”を出て行きました。
真っ直ぐに東に向かった彼等を、シャオ君は暫く“探索”で追っていましたが、3日目に
それを止めました。生命反応が消えたのです。
“根”にいては、死ぬこともできないと彼等は思ったのでしょうか…。
遺体は、嵐さんと晴彦さんが埋めたそうです。

“根”に残った人達は、あれ以来、地上へ出ようとしなくなりました。


 『バケモノにはなりたくない』


つまりは、そういうことです。

人の心を読む力、空気を操る力、手を触れずに物を動かす力、炎を燃やす力、
そして人の傷を癒す力。
誰も、そんなもの欲しくはないのです。


   * * *


2年目の初めに起きたこのことは、“根”の全員に大きな傷を残しました。
仲間の半数を失っただけではありません。今まで、生きるために頑張ってきた全てを
否定されたのです。

これから、どうすればいいのか。どうなってしまうのか。
ガランとした地の底で、未来もなく、息を潜めて死ぬのを待つしかないのか…。

誰もが絶望的な想いに捕らわれました。
特にエルモア・ウッドの皆は、目に見えて気持ちが荒れていったようです。
平和な時代なら中学生という年頃も、いけなかったのでしょう。

「フーちゃんなんて、大っ嫌いッ!!
 いつだって私を馬鹿にして、偉そうにして…。もう、顔も見たくないッツ!!」
「アタシだって、マリーの顔なんか見たくもないわよッ!!
 グズグズしてるかヘラヘラしてるかだけのクセに、イイコちゃんぶってて。最ッ低!!」

あんなに仲の良かったマリ−さんとフレデリカさんは、口論ばかりするようになりました。
顔を真っ赤にして髪を振り乱し、取っ組み合いに発展しては生傷を作ることもしばしばです。
カイル君とシャオ君はといえば、当人達がライズの修行だと言い張る殴り合いで、骨折が
日常茶飯事。
ボクが治癒(キュア)をする間も、互いに目を合わようとせず、重苦しいくらいに黙りこくって
いました。

険悪になるのは、どの組み合わせでも同じです。
シャオ君とマリーさんでさえ、ほとんど会話が成立しないまま、顔を背ける有様でした。
ボクも例外ではなく、治癒(キュア)の間にちょっと話しただけで、五月蠅いと怒鳴られたり
冷たく無視されたりしましたっけ。

けれど、それでも口を利くだけ、顔を合わせるだけマシだったのです。
皆、エルモア・ウッドの仲間以外を避けて、それぞれの部屋に籠もりがちになりました。
大人達には反抗的で、挨拶さえロクにしません。おばあ様の言葉さえ、聞こうとしなくなった
のです。
それぞれが自分のPSI(ちから)を、感情を、痛みを持て余しているようでした。

ボク等を苦しめたのは、住人達に“バケモノ”と呼ばれ、背を向けられたからでも
同じPSI(ちから)を持つことを拒まれたからでもありません。
もちろん傷つきはしましたが、それはボク等にとって慣れっこな…慣れざるを得ない…
“いつもの”ことなのです。
ボク等に癒えない傷を残したのは、ただ一つの事実でした。


……また、何も出来なかった…。


八雲さんが、雹堂さんが、そしてイアンさんが救った人達だったのに。
アゲハさんが守ろうとしていた命だったのに。誰も、助けられなかった。

あの夏よりも、“転生の日”の後よりも。
ボク等のPSI(ちから)は、ずっと強くなった筈なのに。
そのPSI(ちから)が、人々を“根”から遠ざけ死に追いやったのだとしたら。


……だとしたら一体、どうすれば良かった…?


怒りも、痛みも、悔いも。
ガラスの欠片のように胸に刺さり、埋め込まれました。
その傷痕に触れられまいと、皆は大人達を避けるようになったのでしょう。

ところで、ボクはキュア使いであって、お医者さんではありません。
でも、この頃の皆の症状なら、正しく言い当てることが出来ます。
いわゆる“反抗期”ってヤツですね。もしくは“思春期”ですか。
もちろん平和な時代と違って、ボク等が置かれた環境は特殊な上に最悪でしたから、
笑って済む話ではありませんけれど。

この頃のボクはというと、母国語よりも達者になった日本語を駆使して、ペラペラと喋り捲る
毎日でした。
どうやら早熟だったらしいボクは、反抗期も引きこもりも、数年前に卒業していたようです。
それに、引きこもっている暇はありませんでした。

この頃は、これ以上の自殺者を出さないことがボクの最大の仕事でした。
そのために、おばあ様以外にも1日に数人のペースで健康診断を行うことにしたのです。
ボクは精神科医でもカウンセラーでもありません。
けれどストレスから来る身体の不調を治癒(キュア)することは出来ます。
不眠や食欲不振なら、治せるのです。

それでも助けられなくて、冷たくなった身体を前にすると、落ち込みました。
ずっと落ち込んでいる暇も、やっぱりありませんでしたけど。

辛くて苦しい時でした。
ボクやエルモア・ウッドの皆だけでなく、誰にとっても。
それでも、時間は過ぎていきます。部屋の中に閉じこもっていても、地上で何かを探して
いても。

おばあ様は何も言わず、ボク等を見守ってくれていました。
そして2年目が、ゆっくりと暮れていったのです。



− X 2013 −

3年目。年が明けて数日後のことです。
ボク等が昼食を済ますのを見計らって、嵐さんが言いました。

「全員、ついて来い」

5人が揃って“根(ルート)”を離れるのは初めてです。
もし、留守の間に“W.I.S.E”に襲われたら。おばあ様の発作が起こったらと、口々に
文句を並べるボク等ですが、アッサリ返されました。

「“根”には晴彦が残るし、エルモアさんには千架がついているだろう」

マリーさんとフレデリカさんの顔は、それぞれに複雑です。
2人がおばあ様を避けている内に、看護士の勉強中の千架さんが世話係になってしまった
ようなものですから。
おまけに、そのおばあ様までもがニッコリ笑って。

「行ってきんしゃい」

と、ハンカチを振るわけですから、ボク等は渋々付いて行くしかありません。
“空間転移(トリック・ル−ム)”で出た先は、地面が抉り取られて出来た谷底でした。
上手い具合に岩肌の段差が坂道のようになっています。
それを伝って行くと、大きな建物に入りました。立派な内装からすると、元はホテルか
迎賓館だったのでしょう。
2つに割れた棟の間を、鉄骨が橋のように渡していました。その上を躊躇いなく歩く背中に、
ボク等は首を傾げながらついて行きます。

「ちょっと、どこまで歩かせる気よ!?」

目的地を教えてもらえないのが不満なのか、フレデリカさんが文句を言います。
けれど崩れかけた階段を上る嵐さんは、素っ気無く言うだけです。

「大して歩いてもないのに、もう疲れたのか?
 やっぱり部屋に閉じこもってばかりだと、足腰の鍛え方が足らんな」
「うっさいわねッ!!誰が疲れたなんて言った!?」

遅れがちだったフレデリカさんが、一気にペースアップします。
さすがに2年も一緒に暮らしているだけあって、嵐さんもフレデリカさんの性格は
キッチリ把握しているようです。

上り切った階段の先には、スイートルームとおぼしき立派な部屋がありました。
天井がほとんど落ちて、名残りを残しているのは元は豪華だったのだろう家具と、
ガラスどころか壁ごと砕けた窓から見える景色だけです。
水平線まで広がる海と、それに繋がる空…。

昔は、きっと素晴らしい眺めだったのでしょう。
街の明かりが入り江を縁取って、夜景も楽しめたに違いありません。
今は、ドミノ倒しの後のように倒壊した廃墟と濁った空。海の色も、空を映した灰色です。
それでも、ボク等は引き寄せられるように建物の端に近づくと、潮の香りのする風を
胸いっぱいに吸い込みました。


「……ひでェ世界だな」


ふいに、嵐さんが言います。
最近、愛用するようになった白衣のポケットに手を突っ込んで、ボク等と同じように
外を眺めたまま。


「陸はガレキと砂ばっかだし。空も海もドブ色で」


確かに、その通りです。でも、ドブ色という程じゃないと、ボクは思いました。
多分、皆もそう思っているのでしょう。嵐さんをじっと睨んでいます。
濁っていても空は高く、海は弱い太陽の光を反射して銀色に光っています。
青くはないけれど。以前とは違うけれど。それでも…。


「それでも、これが今のオレ達の世界だ。
 空が青くなかろうが、海が青くなかろうが。どこにも、代わりはねェんだよ」


独り言にしては、大きすぎる声でした。そして嵐さんにしては、どこか不自然な口調です。
ボク等の視線を受けて、白衣の肩が軽く竦められました。

「……と、晴彦が言ってたな」

あっ、と。ボク等は同時に息を飲みました。
青くない空と海、今のボク等の世界を見渡せる場所。
岩肌の坂道も、橋代わりの鉄骨も、2人が準備してくれたのでしょう。
ボク等の、ために。

「……あ、あの…ッ!!」

最初に言葉を発したのは、マリーさんでした。
この頃、ソバカスが目立たなくなった顔を嵐さんに向けて、ニッコリと笑います。
ずいぶん久しぶりに見る笑顔でした。

「どうも、ありがとうございました!!」

マリーさんに見とれて呆けていたシャオ君も、はたと我に返るや嵐さんに頭を下げます。
両手をぴったりと脇に揃える深々としたお辞儀も、見たのは久しぶりです。
ボクも礼儀正しく、ありがとうございますと言いました。
フレデリカさんは悔しそうに顔を顰めていましたが、結局偉そうに胸を張ります。

「マリーが喜んでるから、一応、お礼は言っとくわ!!」

皆に出遅れたカイル君は、落ち着きなく視線を彷徨わせます。
不機嫌そうな仏頂面のまま、それでも、ついに言いました

「あ、あッ、あ−……、りがとう

嵐さんは黙って頷くと、ボク等だけを残してそこを離れました。

「帰り道はわかるだろう。待っているから、好きなだけ居るといい」


ボク等は1時間程をそこで過ごしました。
特に何かを話したわけではありません。思い思いの場所で、空を眺めていただけです。
それでもマリーさんとフレデリカさんは、帰る時には手をつないでいました。
カイル君とシャオ君も、黙ったまま肩を並べて歩いています。

「今度は、おばあ様と一緒に来たいですね−。」

ボクが言うと、

「うん、いいね!そうしようよ、ヴァン君!!」
「おばあ様の誕生日がいいんじゃないかな?もうじきだし」
「……バァちゃん、喜ぶかな?」
「そんなの、喜ぶに決まってるじゃない。アタシも賛成!!」

皆、返事をしてくれました。


   * * *


“根”に帰ってから、ボク等は晴彦さんにもお礼を言いました。
晴彦さんは、嵐さんに文句を言っていましたっけ。
ガキに気を遣っているなんて、思われたくなかったそうです。

「ハル君は、照れ屋で素直じゃないから。
 でも、ラン兄さんと同じくらい、皆のこと心配してたのよ」

半年ぶりぐらいに他の4人と話せたという千架さんは、おばあ様に紅茶を運んでくれながら
目を潤ませていました。ボク等は、本当に周りに心配を掛けていたようです。
皆に代わって謝ると、意外なことを言われました。

「ヴァン君が、一番心配だったのよね…。
 だって、治癒(キュア)の時以外は、私達と目を合わせないし。
 他のことはいっぱい喋っても、自分のことは絶対に話さないでしょ?
 だから、凄く無理してるんじゃないかって」

健康診断中のおばあ様は何も言いませんでしたが、目が微笑んでいます。
ボクは言い訳をしようとして、思いつける日本語がなくて。いつも、話すことを頭の中で
準備していたのだと気づきました。
どうでもいい言葉で自分を覆って、大人達を騙せていたつもりだったのです。
ボクもそれなりに、反抗期と思春期を迎えていたのですね。


“根”での生活が、ちょうど3年目を迎えた記念日以来、空と海を見渡せるあの場所は
ボク等のお気に入りになりました。
悲しい時も、辛い時も、不安で押し潰されそうな時も。
荒れ果てた広い世界に涙を落として、ボク等は戻るのです。

笑って、「だだいま」と。



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  2010.11.21  本文を一部修正しました。
(以下、反転にて補足的につぶやいております。)

タイトルは、『どれ(どちら)にしようかな 天の神様の言うとおり』から。
鬼ごっこなどで鬼を選ぶ時や、2つ以上から1つを選ぶ時の数え歌(?)ですね。
花びらをちぎって『好き、嫌い…』とかする花占いと似たようなものか。
『〜言うとおり』の後は、地域によっていろいろだそうです。
鉄砲撃ったり柿の種だったりオッペケペだったり、バリエーション豊富。
自分が子供の頃は、『〜言うとおり』で終わっていた気がするのですが…。
単に記憶力が無いだけか。(汗)

タイトルの意味は、あるような無いような。
“神様”の定義は、日本人の私達には曖昧ですが、生きる上での拠り所だと
するなら、エルモア・ウッドの子供達にとって、自分達を守って逝った人達は
ある意味、全員神様のようなものだと思います。
それが子供達にとって、プラスになるかマイナスになるかは別として。