――私は、求めてた。探してた。欲しかった。
私を必要としてくれる存在を。
「ただいま……。」
返事が無いことが分かっていても、ついその言葉を口に出してしまう。
大川…ではなく笠井椎香、高校1年生。両親の離婚で東京から遠い山裾の田舎町に引っ越して1ヶ月。
自分の意思と全く関係なく始まった新しい生活に、彼女はすっかり嫌気が指していた。
学校が家から遠いうえ通学路にはバスも電車も通っていない、大嫌いな虫はどこにでもいる。
クラスメートにはなじめず友達も出来ない。東京でよく出かけたようなショッピングセンターやカラオケもない…等、この町の欠点は次から次へと出てくる。
「あーあ、つまんない。」
椎香はパソコンの電源をつけ、起動するまでの間にセーラー服を脱いで部屋着に着替える。
「ラッキー、新しい話更新されてる。ホームページの管理人さん、旅行から帰って来てたんだ。」
インターネット上の小説を読むのは、彼女の数少ない楽しみのひとつ。
左端の“お気に入り”から今一番ハマっている長編小説を載せているホームページのサイト名をクリックし、この日初めて彼女は笑顔になった。
東京にいたころは放課後も休日も友達と遊ぶ、流行のファッションや芸能人をチェックするなど趣味が多かったが、今はほとんど家で過ごしている。
長編小説の主人公は普通の女子高生だが、ある日彼女が一番気に入っている漫画の中の世界へトリップしてしまい、戻る方法を探しながらもなんだかんだで楽しく過ごす――というストーリー。
「あーあ、いいなー。東京帰れないなら私もこの子みたいに別の世界に行けたらいいのに。今の暮らしより絶対楽しそう。」
寝て起きたら違う世界にいた――というミラクルは実際無いわけで、今日も椎香はいつも通り30分以上歩いて学校に行く。
道の両側は木が茂っていて、勢いよく鳴くセミが彼女の不快指数をどんどん上げていく。
東京の友達は「田舎は東京より涼しいよ〜。」と言っていたが、ここは盆地だからかむしろ東京より暑い。
紫外線を避けるため日傘を差して登校していたら、同じ学校の制服を着てる女子三人からじろじろ見られていることに気が付いた。
前の学校では日傘を指して登校する女子は珍しくなかったが、ここでは状況が違っているようだ。
目を合わさず、視線を避けるため早歩きで三人組を追い越す。
ちょっとした違和感や不快感が積み重なり、すでに椎香は自分の現状への不満が最高潮。
気付けば本気でどこか違う世界へトリップしたい、なんて考え始めていた。気に入らないことは考えないのが一番と、椎香はトリップの想像を続けることにした。
――そうだなー、出来れば年中秋の世界で、楽しいこといっぱいで……あ、イケメンは必須項目よね。
それで………誰でもいいから私を必要としてくれる人がいる、そんな世界。
「………あれ?」
ふっと我に返って周りを見回す。明らかな異変に気が付いた。
周りを歩いているはずの人たちが、“歩いているようなポーズ”で止まっている。さっきの三人組も同じ状態動いているのは椎香だけ。
「やだ……何これ。怪談? 都市伝説とか、そういう系?」
一気に怖くなり、夢中で走り出した。誰か普通に動いている人間を見つけるため、必死であたりを見る。
だが、目に入るものは異変ばかり。青信号なのに車も停まったまま。セミの声もそういえば聞こえない。
「……何、これ。」
立ち止まり、腕時計を確認した。秒針は止まっている。
「何の冗談……。」
確信した。なぜかは分からないが、とにかく今時間が止まっている。椎香を除いて。
『……か、椎香。』
どこからか椎香の名前を呼ぶ声がした。訝りながらも返事をする。
「……何?」
『いきなり申し訳ありません。私は紫杏、詳しい説明は後程致します。碧の宮へいらして下さい。』
「……は?」
声がやんだ次の瞬間、ふわっと体が浮いたような気がした。そして次の瞬間。
「―――!!??」
急に襲ってきたジェットコースターに似た感覚に、椎香は思わず目をつぶった。
10秒だったのか10分だったのか…どれくらいの時間“急降下”していたのかは分からないが、その感覚が止まるのも突然だった。
「きゃっ!」
「ぐえっ!」
どしん! という音と二人分の声、わずかなお尻の痛みとともに。
「おい、のいてくれ! 痛い!」
「えっ。」
椎香が声の方――自分の下を見ると、人の上に落ちたという事実に気が付いた。
「わ、ごめんなさい。」
慌てて退いてからよく見ると、その人は椎香と同い年くらいの男の子で……少し変わった格好をしている。
「なあ、あんた。ひょっとしてあんたも“紫杏”ってヤツの声、聞こえたのか?」
「も……って事は、あんたも?」
確かにさっきのよく分からない声の主は、自分の事“を紫杏”と名乗っていた。
「おう……随分変わった服だな。そんな服、オレ初めて見たぞ。」
変わった服と少年はいうが、通学途中だった椎香が着ているのは当然普通のセーラー服。
「あんたこそ、変わった格好じゃん。何だかRPGの主人公みたい。」
戦士のようにも見えるが若干古臭い服、腰には剣のような長いもの。ゲーム序盤の主人公のようだという例えはなかなか合っている。
「ろーるプレイングゲーム? なんだそれ。」
二人の話はいまひとつかみ合わない。必然的に沈黙が訪れる。
「ひあっ!」
「ひゃっ!」
「ぐえっ!!」
沈黙を破ったのは、また違う人間。子供が二人、再び少年の上に落ちてきた。
「わあ、瑠々。人踏んでるよ、ボクら。」
「きゃ、本当! 早くのかないと、露々。」
「おにーさん、ごめんなさい!」
二人は顔も声もそっくりで、双子だろうかとたやすく予想できる。
「あ、いや……あんた達も、あれか? “紫杏”に呼ばれたのか?」
「はい、そーです。」
「おにーさんとおねーさんもですか?」
「そうみたいなの。何なんだろうね……。」
四人で話していると、急に小さい二人のうち露々と呼ばれていたた方がもう一人――瑠々の手を引き、後ろにざっと下がった。
椎香も少年も二人の行動の意味が分からず、「何?」と思った次の瞬間。
「うわっ!」
「っ!」
また別の人が落ちてきた。今度は椎香よりもいくらか年上だと思われる青年に、彼とそっくりな小学生くらいの少年。
「な、何が起こったんだ? なあ、ここどこだよ!」
落ちてきた少年の方は戸惑いを全く隠さず椎香たちを見つけ聞いてくるが、答えられる人間がいるはずもない。
どこかから落ちてきた人間はこれで6人目。何が起こったのかなど全員が聞きたい。
「わっ!」
「きゃあっ!」
「痛てっ!」
また次、今度は三人がそれぞれ少し離れた場所に、ほぼ同じタイミングで落ちてきた。
「ちょっとー、何なのよ、これ!」
「ご、ごめんなさい! 私にも分かりません!」
「いてて……ここは、これは一体……。」
混乱し続ける椎香たち、計9人。そしてその次は誰も落ちてこず、代わりに例の“紫杏”の声が空から聞こえてきた。
『これでようやく、全員揃いました。手荒な真似をしてしまい、申し訳ありません。』
「あー、あんたさっきの!」
全員が声の方向を向き、最後に降ってきた内の一人、椎香と同じ位の年齢の少女がその方向に向かって叫んだ。
「どういう事? ここはどこなのよ!」
『遅くなりましたが、今から説明致します。』
声が止んだ次の瞬間、何もない場所が急に光り出し、二人の少女が現れた。
「……え、あたし?」
椎香が無意識に呟くほど、その内の一人は彼女によく似ている。
よく見たら髪型も違うし向こうは巫女服に似た服を着ている点でかなり違っているが、同じ格好をしたら双子のように見えるだろう。
「改めて自己紹介致します。私は紫杏、この碧の宮の巫女一家に仕える占い師です。」
最初に口を開いたのは椎香に似ていない方の少女。
「“碧の宮”とはここの事ですか?」
「ええ。そしてこちらが……。」
続いてもう一人の少女も口を開いた。
「私は雪路と申します。この地を治める“碧の巫女”の妹です。」
「碧の……巫女?」
「はい。皆様をこの場所へ導いたのは私たち二人です。皆様にお願いがございまして。」
「お願いって何なんだ?」
「碧の宮と皆様それぞれが生きてきた場所――世界全てを、救って下さい。」