――この方法しか無いのですね……分かりました。

――私達は一旦ここを離れ………て…………………


(…………なんかの夢見た…。)

よほどインパクトの強い内容でない限り、夢とは覚めた瞬間忘れるものである。


第12話 早朝散歩で得た話


椎香が目覚めた時、カーテンの隙間から見える外はまだ薄暗かった。

同じ部屋に布団を並べている彪砂に羅歌、そして普段一番に起きる瑠々もまだ起きそうにない。

普段の椎香はむしろ逆で、だいたい三番目に起きた彪砂に起こされるパターンだ。

だが、今は何故か非常に頭も目も冴えている。二度寝する気も起こらないくらいに。

「…………。」

少し考えた後、枕元に置いていた着替えを手にとった。


「うわ…静かー………。」

仲間や村長達を起こさないよう、そっと家から出る。村全体がまだ夜から朝へ向かっている途中で、人の気配がしない。

聞こえるのは椎香の発する声と足音、そして風で揺れる葉っぱの音だけ。

特に目的がないまま気ままに歩いていると、いつの間にか昨日のお社まで来ていた。

「………夢路。」

昨日からずっと気になっていた、その名前を呟く。

特定の誰かに執着するなど無かったのに、夢路のことは気になってしょうがない。

会ったこともないはずなのに、そばにいる気がしてならない。だからますます気になる。

「おや……。」

「誰?」

やや後ろから聞こえた、自分以外の声に驚いて椎香は振り向いた。

「ごめんなさいね、びっくりさせちゃった?」

「……あ、村長さんの奥さん。」

そう。椎香に声をかけたのは、村長の妻だった。

「おはようございます。」

「おはよう、椎香さん。早いのねぇ。夢路様へお参り?」

「あー……まあ、そんな感じです。」

曖昧な返事をする椎香に会釈をし、彼女はそのままお社の前へ行った。

綺麗な布を取り出してお社全体を軽く拭き、砂や葉を落とす。

「碧の巫女様。本日もどうかこの碧の宮をお守りください。」

村長の妻はそう唱え、手を合わせた。

「……あの、奥さん。夢路って……」

夢路のこと、碧の巫女のことを、椎香は尋ねようと思った。

だが、この女性はどこまで自分達のことを知っているのだろう?

紫杏は確か、各集落の長――リンディアのイリアやここの村長は、全て知っていると言った。

村長は彼の妻に、椎香達のことをどこまで話しているのだろうか。

聞いてもいいのか、椎香が躊躇していると。

「…気になるのは、碧の巫女様のお話?」

「は、はい。」

思っていたことをズバリと言われ、椎香は反射で言葉を返した。

「立ち話も何だし、一旦家に入りましょっか。」


村長の妻――オルノと名乗った――は、居間のソファーに椎香を座らせると台所へ行き、ホットミルクを持ってきた。

一口すすり、温かい甘さに安心する。そういえば、牛乳を飲んだのはこの世界に来て初めてだ。

「お口にあった? よその世界からのお客様は初めてだから、昨日の晩も勝手がよく分からなかったのだけど。」

「え……。」

今、さらりと大事なことを言わなかったか。

「あの、オルノさんって私達の事を聞いているんですか?」

「…ウイルスに対抗するためによその世界から来てくださったことくらいねぇ。うちの旦那が教えてくれたのよ。」

「そう、ですか。」

来てくださった、なんて言ってもらえるような事など何一つ無い。

いきなり連れて来られて、文句ばかりで戦うことも出来ないこんな自分に。

ウイルスの脅威に晒されている人々を見る度心の奥で感じる、微かな痛み。

オルノの優しげな眼差しや口調は、その痛みをさりげなく突く。

夢路が自分なんかと一心同体にならなければ、雪路や紫杏が自分なんかを選ばなければ――

――私が今ここにいるこの枠には別の誰かがいて、きっとその方が良かったのに。

「碧の巫女様のお話だったわね。」

「あ、はい…。」

「碧の巫女様は、碧の宮の民、そして碧の宮全体の悠久の平和を祈る人。支える人なのよ。あのお社が昔からここにあって、村人はみんなが代々お守りしてきたから、だから元々代々の巫女様への信仰心は強いの。その上夢路様は一度この村へいらしたから、特に村人達は夢路様を敬愛しているのよ。」

「いらした…って、来ただけで敬愛するものなんですか。」

「あら、考えてもみなさい。ふもとから二、三日かかる山奥の村に、碧の宮で一番尊い存在の方が歩いて登って来られたのよ。それだけでも十分凄いと思うけど。」

「まあ、確かに……。」

人気俳優が椎香の住む町に来たら確かに凄いし、実物が好青年だったらファンになるかもしれない。

そう考えると村人の気持ちも分かる気がする。ただ、その例えが適当でないことも何となく分かる。

碧の宮の悠久の平和を祈る碧の巫女、この世界で最も尊い存在。それが、夢路――。

「夢路様は巫女の座についてすぐに、この村を含むお社を守る場所へ行かれたのよ。どんなに不便な場所でも、自分の足で歩いて。」


オルノはその日のことを、鮮明に覚えている。

新しい巫女様が来られた時、村に入った彼女はまずこう言った。

「自然が豊かで穏やかで、いい村ですね。」

同世代の村の子供や若い衆からは出て来ない、率直な感想。村の長所。

「碧のお社を遥か昔からお守り頂いていることに、碧の巫女として感謝を致します。今後も頼みますね。」

「はっ…はい。畏まりました。」

村長であるオルノの夫は、感動のあまりすぐに言葉が出なかったという。

尊いお方が目の前にいて、自分に優しく話しかけてくださるのだ。その気持ちはよく分かる。

村人達は皆涙を流して手を合わせていた。

このお方をお守りしたい。このお社をお守りしたい。ごく自然にその想いが芽生え、より強くなった。



オルノの話を全て聞き終えた椎香は、何となく再びお社の前に行った。

この村の人々――この世界の人々が敬愛する夢路は、本当に自分と“一心同体”なのだろうか?

正直、今自分の内にある感情は嫉妬、そして自虐だ。

誰からも慕われる夢路と、誰にも必要とされていない自分。心優しい夢路と、従順でも優しくもない自己中な自分。

雪路の話や昨日感じた不思議な感覚から、なんとなく自分と夢路は近いように感じていた。

だが、話を聞くと二人は全く別だ。大違いだ。会ったこともない夢路に対してうっすら感じていた親近感は地に落ちた。

「……ねえ、本当になんで私なのよ。」

この問いかけは雪路への問いかけか、それとも夢路へか。呟いてみたが、椎香にも分からない。

ただひとつはっきりしていることは、この世界に来なければこんな思いはせずに済んだ。


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