――ありえない。ものすごくありえない。

いや、あの朝時間が止まった時からありえないことの連続だけど。

今のこの状況、最上級でありえない。


第4話 VS ラッシャ


「うわっ!」

「きゃあ!」

ペットショップのウサギのような見た目をしたラッシャが、手近なところにいる村人に襲い掛かった。

襲い掛かられた10歳前後の少年と姉らしき少女が必死で逃げる。

「みんな、家に入りなさい!」

イリアは二人を庇いながら、他の村人にも大声で叫ぶ。なんとか少年達は家の中へ逃げ込むことに成功し、椎香達とイリアは畑脇の小屋の陰へ隠れた。

「ああ、いつもよりウイルスの症状が重いみたいだ。」

たまたま収穫し終えた後なのか畑に作物は少なく、そのためかラッシャの獰猛な瞳は獲物――椎香達を探している。

「イリアさん、あれどうやったら倒すなりウイルスぶっ飛ばすなり出来るんですか!?」

「恐らく…攻撃したりしてラッシャの身体を弱らせたら何らかの対策がとれるはずです。後は紫杏殿でないと分かりませんが。」

「よし、なら俺が何とか時間稼ぐから、誰か紫杏呼んで対策聞いてくれ!」

「ちょっ……緋凪!? あんなのと戦う気!?」

迷わずそういって立ち上がった緋凪の服の裾を椎香は思わずつかんで止める。

彼女が想像していたのよりも本物のラッシャはずっと恐ろしい。

鎌のような大きくて長い爪と牙が、遠いところからでも良く分かる。もし、引っかかれたり咬まれたりしたら――椎香の背筋に悪寒が走る。

「だって、紫杏が俺たちしか無理だって言ってただろ!」

椎香の手を払って言いながら、緋凪はあっという間に腰の剣を鞘を抜かずに構える。

「戦えねーなら下がってろ!」

「ひなっ……」

緋凪がラッシャに向かって走り出した瞬間、ラッシャは素早くその場を離れた。

「なっ…!」

「ひっ…!」

そしてそのままの速さで一気に椎香の目の前まで来た。全員が隠れていた場所から、緋凪を止めようとしていた椎香だけが出ていたからか。

何が起こったのかすぐに理解できず呆然としている椎香に向かってラッシャは爪を構えて――

「しいかー!!」

「椎香さんっ! ええいっ!」

瑠々と羅歌の声、それと変な音が椎香の耳に入って来た次の瞬間、ラッシャの周りに小さい雲のようなものが現れた。

同時に彪砂が椎香の腕を強く引っ張り、ラッシャから体を離した。

「椎香、こっち! もー、びっくりしたわよ! 襲われかけるんだもん!」

「彪砂……。」

「すごいね、らか! あの雲は魔法なの?」

「は、はい。小黒雲といって、少しの間目くらましになるんです。」

「便利ねー…ってそんな場合じゃないわ! 紫杏ー!」

「はい。」

あさっての方向に向かって彪砂は紫杏の名前を呼び、紫杏の姿がすぐに現れた。

「紫杏、ウイルス汚染された生き物が出て来ました。対処法を!」

「生き物に寄生したウイルスの場合は、まずその生き物を攻撃するなり眠らせるなりして、ウイルスにとって“使えない状態”にしてください。そうすればウイルスは自分から離れるので、あとはウイルスそのものに攻撃して消してください。」

「分かったわ! 緋凪、私も加勢するわよ!」

緋凪はラッシャに追いつき、すでに剣によるみね打ちを始めていた。ラッシャも負けじと爪で応戦する。

そこにその辺の棒を持った彪砂も加勢して、ふたりがかりでラッシャを殴り続ける。

そうしなければならない。そうしなければ、こちらが一方的にやられてしまう。

頭では理解していても見ていて気持ちのいいものではなく、椎香は顔を背ける。

「ギャンッ!!」

「うわっ、なんか出た!」

「うげっ、気色悪う。」

弱ったラッシャの身体から、黒っぽくおどろおどろしい、気体・固体・液体が気持ち悪く混ざり合ったような物体が出てきた。

おそらくこれがウイルスの本体だろう。ラッシャはその場に倒れこみ、今度はこっちの物体が緋凪たちに向かってくる。

「かかれっ!!」

緋凪の指示を合図に、彪砂と神詠が緋凪と一緒にウイルスを殴る、蹴る。

ウイルスの方も負けじと体当たりや噛みつき攻撃で反撃をしている。

その輪から離れたところに椎香は十和や羅歌達と戦闘の様子を見ていたが、その表情はこわばり固まっている。

それまでは、まるでRPGか小説のようだとどこか他人事にこの“碧の宮”を捉えていたが、目の前の戦闘はRPGでも小説でもなく、自分の身に攻撃が向かってきた。

現代日本に生まれた都会っ子の椎香は人間同士の殴り合いすらテレビドラマで見たイメージしか持っておらず、ましてや相手は得体の知れないウイルスなんて――

―――怖い。嫌だ、こんな世界。

「でやっ!」

緋凪のとどめの一刺しでウイルスは消え、砂のようにになって散った。


「疲れた〜っ。」

「いてて。十和、怪我の治療出来る?」

「薬などがあれば出来ますが、ラッシャが優先ですよ。」

「えーっ。」

「ウイルスが離れた今、無害な小動物なんですから。ウイルスついでになぶり殺したとあっては後味が悪いでしょう?」

……信じられない。あんなことして、目の前でそれを見て、みんなどうして平然としてるの。

ウイルスとはいえひとつの生き物を殺した緋凪・神詠・彪砂、その光景を目の前で見ていた十和・羅歌・神冥・瑠々・露々。

全員が何事もなかったように平然としている目の前の光景が、椎香には信じられない。

「椎香さん…? 顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」

羅歌が恐る恐る尋ねる。彼女もラッシャとの戦闘に対しては平気そうで、弱々しそうなくせに図太いのかと椎香は心の中で悪態をつく。

――何でよ。こんなに気にしてるのって私だけ? 私が変なの? みんなが変なの? この世界が変なの?

「…大丈夫な訳ないでしょ。」

頭がぐるぐる混乱して止まらない。せきを切ったように椎香は怒鳴った。

「なんでみんな平気なのよ! ウイルス怖くないの? ラッシャぼこぼこにして、それ目の前で見て、何にも感じないの!?」

「椎香?」

「椎香さん?」

「……私、帰る。こんなに怖い思いする位なら元の世界のつまんなさの方が100倍マシよ!」

言いたい事を言うだけ言い、椎香は呼び止める声も聞かずにリンディアを逃げるようにして走り去った。


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