青い、空の下で。〜円香編〜

1年生、夏。1 1年生、秋。

1年生、夏。

中学に入学して初めての夏が、だんだんと近づいてきていたある日のこと。

「円香ちゃん!」

「ねえ、聞いた?」

吹奏楽部で一番仲のいい友達、きーちゃんとリコがある”ニュース”をもってきた。

「何?」

「あのね、凄いよ!」

きゃっきゃっとはしゃぐきーちゃん。

「先生と部長が話しているの聞いちゃったの。あたしたちね、今度のコンクールのメンバー候補なんだって!」

「ええっ!?」

わたし、びっくりして持っていたマウスピースを落としそうになった。

だって、うちの中学の吹奏楽部は結構レベルが高いし部員も多いから、1年生どころか2年生でもコンクールに出れない人がいるって聞いたのに?

「まあ、あたし達のパーカッションは人数少ないからかもしれないけどね。」

笑いながらリコが言う。

「でも、円香ちゃんは本当に凄いよお!トロンボーンって人数多いし、先輩達もいるじゃん?」

「うんうん、流石!って感じよね!」

そ、そんなに褒めなくても………。まだ本決まりじゃないんでしょ?

でも、正直嬉しい。


「おーい、円香ちゃん!」

次の日、いつもみたいに学校に向かっていると後ろから声をかけられた。

「周防兄さん。」

声の主は、幼なじみで親友の美月の1歳年上の周防兄さん。

昔から知ってるからかな、もう1人の幼なじみのやちるや私にとっても”お兄さん”みたいな存在。

「おはよう、今日は1人?」

「おはよう。吹奏楽部は最近朝練の時間早いから、テニス部のやちるとも時間合わないの。周防兄さんも朝練?」

「そう。大会が近いからキツイんだー。」

学校までの道のりを一緒に歩く。

そういえば、2人だけって初めてかも。

「そういえば、今度のコンクールに出るんだって?」

「え!?」

なんで知って………あ、昨日美月とやちるに言ったから、美月が周防兄さんに言ったのね…。

「まだ決まったわけじゃないのよ?候補だって友達から聞いただけで。」

「それも十分に凄いんじゃないの?毎日頑張ってるもんね。」

「え?」

何で分かるの?

私がそう思ったのが分かったのか、周防兄さんは説明し出した。

「吹奏楽部のトロンボーンの人たち、確かいつも体育館横の倉庫のあたりで練習してるだろ? 俺、部活で学校周りを走るときに近くを通るから、よく聞こえてくるんだ。」

「そうだったの?」

そういえば、時々「ファイトー!」っていう声や、集団が走っていく音が聞こえてきたけど、あれ陸上部だったのね。

「じゃあ、頑張って!コンクールのメンバーに選ばれたときは知らせてよ!」

学校に着くと、そういって周防兄さんは陸上部の部室へ走っていった。

「………そっか。」

周防兄さん、私たちの練習聞いてるんだ。


「円香ちゃん!」

「ねえ、いよいよ今日だよ!コンクールのメンバー発表。ドキドキするねー。」

部室に着くなり、きーちゃんとリコが駆け寄ってきた。

「あ、そうか。今日だったわね、そういえば。」

「円香ちゃん、余裕ー!」

きーちゃんはそう言うけど、実は私も、結構緊張している。

選ばれたらいいな。


「トランペットは小西、福田、木下、泉、大本。」

今、先生がメンバーを発表している。やっぱり、3年生が多いな。

「トロンボーンは宮元、安西、緑川、八城。」

………え?

今、先生、”八城”って言った?嘘、本当に選ばれた……。

「円香ちゃん、やったね!」

「頑張ろう!」

パーカッションはもともと3人しかいないから、きーちゃんとリコもコンクールのメンバー入り。

「うん!」

だけど、喜んでばかりもいられなかった……。


「………ったく。」

朝、学校に来たら、わたしの上靴がなかった。

前やちるから借りた漫画に、意地悪な子が恋のライバルである主人公の靴を隠すシーンがあったけど。

…………本当にやる人がいたなんて。

「円香ちゃん、またやられちゃったの?大丈夫?あの、気にしないほうがいいよ。」

「ひっどーい!こんな陰険な事する人が、同じ吹奏楽部なんて嫌になるよ。」

リコときーちゃんが声をかけてくれる。

そう。

今リコが”また”って言っていたように、似たような嫌がらせが最近続いている。

あの日―――コンクールのメンバーに選ばれた日から。


「八城、これが譜面だ。プレッシャーも大きいだろうが、しっかりな。」

「はい。」

先生にコンクールの譜面を貰って席についたときから、なんだか視線を感じていた。

視線がする方向を向くと、同じトロンボーンの2年生の先輩と、トランペットの同級生――全員女子で、メンバーに選ばれなかった人たち――と、

一瞬目が合った。けど、向こうはすぐに視線をそらした。

(………?)


その後彼女達が何かひそひそと話していたことは知ってる。

けど、それだけで嫌がらせの犯人が彼女達って判断できるかって聞かれたら、もちろん、否。

大丈夫。こんな嫌がらせ、放っておいたらすぐに収まる。

そう自分に言い聞かせながら、わたしはスリッパを借りに職員室へ行った。


部活が終わった後片付けをして、リコ、きーちゃんと門を出たところで分かれて家に帰る。

「ただいま。」

「おかえり、円香。」

学校からの長い上り坂の途中にあるマンションの203号室。ここがわたしの家。

「お姉ちゃん、お帰り!ねえねえ、ご飯食べた後で宿題教えて!」

2歳下の妹、麻雪が算数のノートを持ってくる。

「麻雪、お姉ちゃんは部活で疲れてるんだから無理言わないの!お母さんが教えてあげるって言ってるでしょ?」

「えー、お母さんよりお姉ちゃんの方が優しく教えてくれるもん!」

麻雪は算数が大の苦手だから、理数系が得意なお母さんはついイライラしちゃうみたいなのよね。

「いいわよ、ご飯食べた後でなら。」

「わーい!ありがとうお姉ちゃん!」


約束どおり、ご飯の後部屋で麻雪の宿題を見る。

ふと、麻雪の元気がない事に気付く。

「麻雪、どうかしたの?」

「……今日ね、算数のテストが帰ってきて、あたし、60点だったの。お母さんに見せたくなかったけど、”見せなさい”って言われて。

”なんでこんな問題も分からないの?”って言われて、”おねえちゃんが5年生のときはもっと頭良かったわよ”って……。」

麻雪にテストを見せてもらうと、確かに、基本的なところでつまずいている。

「麻雪、お母さんはね、麻雪に頑張ってほしくて、つい言い過ぎちゃうだけよ。お姉ちゃんだって、テストでいっぱい間違えたりするわよ?」

「……あたし、頑張ってるよ?」

涙目になる麻雪の頭をそっとなでる。

「頑張り方が間違ってるのかも。今度テストがあるときはお姉ちゃんと一緒に勉強しよう?それで、お母さんに褒めてもらおうよ。」

麻雪が頷く。宿題の続きをしようと教科書を広げた瞬間、

「円香ー!」

「円香ぁ、理科の宿題助けてぇ〜!」

美月とやちるが部屋に入ってきた。

「あ、美月ちゃんとやちるちゃん!」

「こんばんは、麻雪ちゃん。」

「麻雪ちゃんも円香に教えてもらってたんだぁ〜。」

「うん!」

美月とやちるもそれぞれ数学と理科が大の苦手だから、昔からよく勉強を教えてるの。

「美月、やちる。麻雪の分が後少しで終わるから、ちょっと待っていてくれる?」

「は〜い。」

素直に返事をしたやちる。美月はというと、……気のせいかしら、何か変な顔してるような…。

「円香、何かあった?」

美月が聞いてくる。

「あ、やっぱり部活で疲れてる?あたし達宿題見てもらうのよしとこうか?」

「え〜っ?……あ〜、でもぉ、確かにちょっと疲れた顔してる!」

「お姉ちゃん、しんどいの?あたしが無理言っちゃったから?」

麻雪まで心配そうな顔で聞いてくる。

一瞬、相談しようかしらって思った。吐き出したら楽になるかもって。

………ダメダメ、心配かけないようにしないと。

「大丈夫よ、ちょっと眠いだけ。」

「そう?」

麻雪が宿題を終わらせて、お風呂に入るといって部屋を出て行った。

「無理しなくていいよ、円香。眠いんだったらあたしたち帰るし。」

「いいわよ、2人とも明日理科の授業あるんでしょう?その代わり、5分で終わらすわよ!」

「5、5分〜!?」

やちるが叫ぶ。宿題の量は、両面刷りのプリント3枚。

3人兄弟の長女だからか、わたしは昔からこんな感じで、麻雪や弟の祥介の面倒を見たり、美月ややちるたち友達の勉強をみたりしてきた。

そういえば、親戚で集まったときも、子守り係は大体わたし。

親戚とか近所の大人には昔から、「円香ちゃんはしっかりしてて偉いわね。」って言われてきた。

だから、しっかりしないと。弱音なんて吐いちゃダメ。

嫌がらせがあったって、わたしは”しっかり物の円香”でいないといけない気がするの。


嫌がらせが廃れないまま夏休みに入った。

今日の部活は午後からだし、少しゆっくりしようっと。

美月の家のチャイムを鳴らす。

「美月、入るわよー。今週の漫画人、読むでしょ?」

この時間は多分、この家にいるのは美月1人のはず。

「あ、円香ちゃん。おはよう。」

「え、周防兄さん?」

なんで?陸上部も部活のはずじゃ………。

「部活は?」

って、わたしが聞くより先に向こうに聞かれちゃった。

「今日は顧問の先生が午前中出張なの。だから午後からよ。周防兄さんこそ、陸上部は?」

「野球部の練習試合で運動場が使えないから休み。」

なるほど。

「ちなみに、美月は今いないよ。」

「え、出かけているの?」

「やちるちゃんと学校の図書館で宿題だってさ。」

「宿題?」

最近わたしのところに来ないなって思ってたけど、2人でちゃんとやってたんだ。ちょっとびっくり。

「なあ、それより漫画人、俺も読みたいな。見せてくれない?」

わたしが持ってきた漫画雑誌を指差して、周防兄さんが言う。

”漫画人”はわたし達3人が小学校のときから交代で買っている漫画雑誌。

先週号はやちるが買ったから、今週はわたしが買う番。で、みんなでまわし読みをするのが定番。

「まあ、入りなよ。」

「おじゃましまーす。」


「え、”夕日のモリー”、最終回!?」

「そうそう、私もびっくりしたのよ。本当、いきなりよね。」

「大いに笑えるから気に入ってたのになー。」

とか言いながら周防兄さんは漫画人を読み始めた。

手持ち無沙汰になった私は、リビングにおいてあった文庫本に目をつけた。

「あ、”碧の宮”!もう発売になってたんだ。」

「あ、それ。この間美月が買ってたんだ。読む?」

「もちろん!」


「駅前さ、新しい店増えたと思わない?」

「あー、思う思う。ここ数年で急によね。」

2人でそれぞれ本を読みながら、とりとめのない話をする。

「そういえばさ、円香ちゃん。」

「何?」

「最近、部活どうなの?」

一瞬ドキッとしたけど、

「頑張ってるわよ?本番まであと3週間だしね。」

平静を装ってそう言った。自分で言うのもなんだけど、ポーカーフェイスは結構得意。

すると、それまで漫画を読んでいた周防兄さんが、漫画を机においてこっちを向いた。

「どうしたの?」

「………なんか、隠していることない?」

「……え?」

「俺に……ううん、美月ややちるちゃんにも何も言ってなさそうだね。」

時々考えるような仕草をしながら、周防兄さんは真剣な顔で続ける。

「部活で何かあった?それとも、クラスとか?」

周防兄さん、もしかして私が嫌がらせにあっていること、気付いてるの?

「…あ、違ったらごめん。最近、様子がちょっと変だったからさ、円香ちゃん。」

私が何も言わないでいたら、周防兄さん、自分の勘違いって思ったみたい。

勘違いじゃない。

勘違いじゃ、ないの。

「…………実は………。」


私は、嫌がらせのことを周防兄さんに話した。

「そっか……。」

今まで美月とやちるにも、家族にすら言わなかった。

だけど、周防兄さんには話してしまいたくなった。

……なんでだろ。

「そいつら、円香ちゃんが羨ましいんだ、きっと。」

「え?」

「めいっぱい努力して、その努力が実った円香ちゃんのことが羨ましいんだよ。そこで、”なんであの子が?私だってがんばってるのに。”
みたいに考えちゃったんじゃないかな。」

「……………。」

「でもさ、そこで”すごいな、自分もがんばろう!”って思えるほうが、人って成長すると思うけどな。」

ああ、周防兄さんとか美月とかが、そう考えることのできる人だわ。

「つまり……えーと、俺は何を言いたいんだ?……そうそう。だからさ、嫌がらせがあったって、円香ちゃんが悪いんじゃなくて、嫌がらせをするほうが
ちょっと子供なんだな、って、俺もえらそうなことは言えないけどさ、子供だから。」

周防兄さんが言葉を選びながら、頑張って私に伝えようとしてくれているのが分かる。

「嫌がらせをするやつらはさ、自分たちの嫌がらせで円香ちゃんがへこたれたりしたらきっと”しめしめ”とか思う。……と思う。
だからさ、”こんなのに負けるか!”って態度でいれば、そのうち嫌がらせはなくなるかもしれない……と思うんだけどな。」

「周防兄さん……。」

そのとき、リビングの時計が、明るい音楽を鳴らして正午を伝えた。

「えっ、もうこんな時間なの!?1時から部活だから、12時半には行かないとっ!」

私、思わずあわてて立ち上がる。

「え、あ、ご、ごめん!俺、喋りすぎちゃって……!」

つられたのか、周防兄さんもあわてて立ち上がった。

「あ、周防兄さん。」

周防兄さんのほうを向いた。

「話、聞いてくれてありがとう。がんばって励ましてくれて、ありがとう。」

「ああ、うん。」

「じゃあね。」

一度家に帰ってお昼ごはんを食べて着替えて…と、頭の中で計画を練りながら玄関に向かう。

後ろから、周防兄さんの声が聞こえる。

「……話なら、いつでも聞くから!1人で我慢しなくても大丈夫だからね!」

「…うんっ。」


家に帰ってお昼ごはんを食べて着替えて、スコアや筆記用具を入れたかばんを持つ。おっと、水筒も入れて、と。

靴を履いて、12時半に家を出る。計画通り。

「いってきます!」

頭の中には、嫌がらせへの鬱々とした気分はもうない。

あるのは、コンクールへのやる気と、周防兄さんへの感謝。


――1人で我慢しなくても大丈夫――



あとがき?

一応、円香編の1年の夏はこれで終わりです。

がんばりました、結構。(自画自賛)

円香の立ち直りが早いのは、たぶん元々あまり気にしない性格なんですよ。

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