1959年、IOC総会にて――
「――えー、決定いたしました。」
マイクを通し会議場中に響くIOCの偉い人の声に、本田菊をはじめとする出席者一同に緊張が走った。
「1964年のオリンピック大会開催地は。」
ごくり、と息を呑む音がする。
「――日本、東京!!」
「、!!」
廊下を走るな、とわざわざ言われなくても常に落ち着いて歩いている菊だが、今はとにかく興奮と嬉しさと、早くに伝えたいという想いが勝っている。
「!!」
「菊にぃに!!」
控え室で待機していたは菊のその(普段の彼からは想像もできない)勢いに、いい知らせを予感する。
「……これから五年間、忙しくなりますよ!」
「…………!!」
五年後の1964年――昭和三十九年。
かつて大亜細亜の平和と繁栄を願っていた人々の元でアジア初の平和の祭典を開催することが、この日正式に決まった。
「号外、号外!! オリンピック特集だよーっ。」
「すごいねえ、オリンピックだって! 外人さんがいっぱい来るのかねぇ!」
「なんでぇ、外人なら終戦直後に嫌ってほど見たじゃねえかよ。俺ぁあんなのごめんだね!」
「やだー、父ちゃん。オリンピックはぜんぜん違うよ! 平和の祭典なんだよ!!」
「見てみろ、投票結果。日本がぶっちぎりの一番じゃないか。世界が俺達を認めているんだ、頑張らねえと!」
「なんでも、終戦後初めての大会では日本は参加を許されなかったって話じゃないか。それから十年かそこらしか経っていないっていうのに、どうしちゃったんだろうね!」
二階の窓から、菊はオリンピックの話で盛り上がる国民たちを嬉しそうに、愛おしそうに眺める。
「日本のにーにっ、お邪魔しまーす。」
「チャオー、日本久しぶりー。」
「ったく。オリンピックやるってのに何だよ、この前近代的な町はよー。」
「日本、おめでとう。俺の家でもニュースになっているぞ。」
「台湾さん、イタリア君にロマーノ君、ドイツさんも。わざわざありがとうございます。」
祝いに駆けつけたメンバーに菊は礼を言い、座布団の用意をする。
「改めておめでとう!! 俺達の次に日本の家なんてなんか運命的だよね〜、嬉しいよ! ね、兄ちゃん。」
「…フン。ま、精々俺達の期待を裏切らないようにしろってんだ。」
「も〜、兄ちゃん素直じゃないんだから。期待しているんだよね、要は。」
「ちげーよバカ!」
「本当におめでとう、日本のにーに! 私、すごく嬉しいよー……この東京で、私の家のコたちと日本のにーにの家のコが、一緒に戦えるんだね。」
「台湾さん………。」
つい十数年前まではこの家で、同じ“日本”として一緒に暮らしていた湾。
実家の島に戻ってから今まで以上の苦労を強いられている彼女の眼の端の小さな水滴を、菊は見逃さなかった。
「今までのオリンピックは全部ヨーロッパとかアルさんの家とかだったのですよね。アジア初なんてやっぱり菊にぃには凄いです!」
人数分の茶とお菓子を持って二階へ上がってきたも、彼らの話に加わる。
「アジア初というだけではなく、有色人種国家初でもあるな。」
手元の“オリンピック開催マニュアル”を見ながら、ルートヴィッヒも口を開いた。
「ヴェ、そういえばそうだね。」
「日本、頑張れ。風当たりがきついときもあるだろうが、お前ならきっと最高の大会にしてくれるだろう。」
「……はい!」
かつて白人至上主義だった世界を変えたのは、紛れもなく菊や日本人のあの戦いだった。
今でも様々な人種偏見、差別が生きるこの世界に彼なら再び嵐を起こせるだろうと、この場の全員が確信している。
「菊にぃに、私もいっぱいお手伝いします! 最高の大会にしましょうね!」
「もちろんです。世界の皆様の信頼も不安も全て、受けてたちます!」
それからは菊の言葉通り、本当に忙しい日々が続いた。
「新しい列車を作ります! 今までのSLとは比べ物にならない速さで東京―大阪間を走りますよ!」
「日本さん、競技場を経てる場所の候補地は以下の通りです!」
「チケットのデザインなんですけど!」
「聖火台を作っていただく職人はこちらです――。」
「聖火リレーのコースが――。」
目の回るような忙しさの中、飛ぶように日々が過ぎていった。
「菊にぃに、お疲れ様です。今日のご飯はカレーですよ。なんとですね、牛肉が入っているのです!」
「おお、ご馳走ですね。」
着物に着替えて腰掛けた菊を見て、は笑う。
「ふふ。」
「何ですか?」
「いえ、明治のころを思い出すなぁって。」
「ああ……。」
百年近く昔、アルフレッドの来航により半ば無理やり引きこもりを終了してしまった菊は、近代国家を建設して欧米諸国に追いつこうと努力を重ねた。
あらゆる建設、改革、時には喧嘩もしながら強くなって知恵をつけて欧米や欧州と対等に渡り合える一人前の国家へと成長していった。
「ねえ菊にぃに、覚えていますか? 最初の世界大戦の後の会議。」
「……もちろん。忘れられませんよ、あれは。」
「菊にぃに、あらゆる人間を国や肌の色で差別しない世界を! って、アルさんやアーさんやフランさんや……たくさんの人の前で堂々と言いましたよね。」
「ええ。結局アメリカさんやイギリスさんの反対意見が強すぎて、負けてしまいましたが。」
「大東亜共栄圏とかにつながる1ページでしたね。あのころの菊にぃに、格好良かったですよ。」
「……今は格好良くないんですか?」
「あはは。」
軽くショックを受ける菊に対し、は否定も肯定もせず軽く流した。
「でも、上司が変わっても周りの国が変わっても、菊にぃにのそういう信念とか基本のところはきっと変わらないです。」
「……。」
「そういう菊にぃにだからこそ、きっと今回オリンピックを開催できることになったのですよ。私、確信しています。きっとこの1964年大会は、歴史に残る最高の大会になります。」
の勘は当たる。そして、彼女の菊に対する信頼が強いことも、彼にはわかっている。
「にそう言ってもらえると自信が沸きますね。」
出場選手が決まり、聖火台や競技場の準備が佳境に入ったころ、ルートヴィッヒから一枚の便りが届いた。
「菊にぃに、それ本当なのですか!」
「こらこら。声が大きいですよ、。まあ別に隠す必要はないですが……。」
「…すごい、すごいです!! ルートさんとギルさんが……。」
手紙の内容はこうだった。
大戦が終わった後敗戦国となったルートヴィッヒとギルベルトは、アルフレッドとイヴァンの思惑によって西と東に分断され、国民だけでなく彼ら自身もほとんど会えない状況となった。
アルフレッドとイヴァンの喧嘩はなかなかおさまりそうになく、再び一緒に暮らすことは遠い夢と思うようになってしまっていた。
だが、今度の東京オリンピックでは西と東の選手団が“統一ドイツ”として参加する、とのこと。
「すごい素敵……! 素敵なことです!! これをきっかけに、またお二人が一緒に暮らせるようになるかもしれませんよね!」
「気が早いですよ…。ですが、もしそのお手伝いを私たちが出来るのであれば、こんなに嬉しいことはありませんね。」
出場国も、選手も決まった。選手村の準備もほぼ整い、インフラ整備もあらかた済ませた。
聖火リレーのコース、チケットのデザイン、値段………準備は着々と進んでいる。
「今大会の凄さはそれだけではありませんよ、。」
「ええ、もちろんです。」
第二次大戦後独立を果たした、アジアやアフリカなどの有色人種国家が今大会では多数参加する。
もちろんそのほとんどが初めてのオリンピック――きっとつい数十年前までは有色人種と白色人種が同じ舞台で戦うなど、ほとんどなかったのだろう。
そしてギリシャから始まる聖火リレーのコースは中央アジアや東南アジアなどを通り、日本までやってくる。
「私の家にオリンピックの炎来るなんてはじめてよー!」
「Me too.サンキュー、日本。俺メッチャ楽しみ。」
遊びに来ていた湾と香が言った。
「こちらこそ、快く引き受けてくださって感謝しています。あ、これをもって帰っていただけますか?」
「Oh、“ヒノマル”。マジ懐かしい、昔世話になってたときもよく振ってた。」
「めいっぱい振るよー! この日だけは上司なんて無視しちゃうよー!」
アジア初のオリンピックは日本国内だけではなく、他のアジア諸国をはじめとする海外でも、相当の期待を寄せられていた。
それは、日本がアジアのリーダーとなって西洋と対決した、あの日の夢にどこか似ていた。
“忙しい日々”の中には誘致段階ですでに構想練ったり造ったりしたものもあるかもしれません、念のため。
それと統一ドイツでの参加は東京オリンピック以前にもあったそうです。あと香くんがこの時点ではまだイギリスの家にいるので口調が輪をかけておかしいです。