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4 5 「よし、夏野菜の種も植えて水もやったし。今日の仕事は終了っと。」
ユーリアはじょうろをリュックにしまい、額の汗を拭った。
「ユーリアちゃーん。」
牧場の端から聞こえてきたのはエリィの声。
「エリィちゃん、いらっしゃい! どうしたの?」
「これ、差し入れ。新作のクッキーなの。よかったらどうぞ。」
「わあ、嬉しい! ありがとう!」
さっそく袋を開け、一つ口に入れる。ほんのり甘いいちご味。
「おいしい!」 「本当? よかったわ。」
「そうだ、エリィちゃん。時間あったらうちでこれ、一緒に食べない? この間リリアさんにハーブティーの煎れ方教えてもらったから、ご馳走するよ。」
「あら、いいわね。お邪魔します。」
「そうね。去年はユーリアちゃんの歓迎会したんだっけ、ついこの間のことみたいね。」
エリィの言葉はもっともで、実際ユーリアも同じように感じている。
だが時間は確実に過ぎていて、刻一刻と父親から言い渡された花の芽を出る日は近付いている。
2年という期限が半分を越えた今、焦ってはいないが早く行動を起こさなければいけない。
「……ちゃん、ユーリアちゃん?」
何回も名前を呼ばれ、ユーリアは自分が声をかけられていることに気が付いた。
「どうしたの? ぼーっとして……。」
「あ…ごめんごめん、考えごと。で、なあに?」
「だから、今年はリック君と見るでしょ?」
「……うん、まあね。」
ユーリアとリックの関係が以前と変わったことは、住民全員が知っている。
両思い、彼氏彼女、恋バナ……そういったもの全て今まで経験してこなかったので、ユーリアはその話題を出される度に照れている。
「どこで見るの? 見晴らしいい所って大抵誰かいるから、二人っきりになるのは難しいかも。」
「それなら大丈夫だよ、ほら。」
ユーリアはエリィの後ろ、部屋の奥を指差した。
「あら、本当。」
エリィが帰った後、ユーリアは初めて屋根の上に登ってみた。
先月増築した階段。はじめは屋根に登る機会なんてないと思っていたが。
「わあ、結構見える。これなら花火も大丈夫だね。」
角度はそこまで急じゃなく、落ちる心配もない。特等席にうってつけだ。
「ユーリア、いるかい?」
「あ、リックー。」
屋根の上から手を振るユーリアを見て、当然リックは驚く。
「うわ、どうやって登ったの、そんなとこ。」
「この間源さんたちに階段つけてもらったの。」
「ああ、なるほど。」
「今晩さ、ここで花火見ようよ。」
「へえ、いいね。見えそう?」
「余裕!」
「遅ーい。でもギリギリセーフ。」
「ごめん、出がけにちょうどランちゃんが注文してた蚊取り線香取りに来てさ、今日のこと話したらからかわれた。」 「えー、ランちゃんだってクリフ君と見るのにね。」
クリフとラン、カイとカレン、そしてリックとユーリア。
去年は一緒に花火を見た同年代のメンバーが、去年とはそれぞれ関係が変わりつつある。
「わ、始まった。」
「おー、綺麗だねぇ。」
「たーまやー!」
数も少ないし派手ではないけど美しい花火は、花の芽そのもののように思えた。
「ねー、リック。前にあたしが“ずっとこの町にいて、ここで幸せを見つけたい”って言ったの覚えてる?」
「もちろん。」
「見つかったよ、幸せ。この牧場をずっと守って、みんなと一緒に暮らすの。そのためには色々乗り越えなきゃいけないけど、頑張る。」
父から、都会から、逃げただけだった去年の自分。きちんと立ち向かえるように。
夏休みが始まる少し前。
大好きないとこのユーリアの元へ行くための準備をしていたロキに、彼の母親が声をかけた。
「ロキ、今年はもうあの子のところへ行くのやめなさいな。」
「は? なんで。」
ユーリアとロキは彼女の父親と彼の母親が決めた婚約者同士。
この十八年間、二人が仲良くすることに反対などされなかったのに。
「あんた、ミクダルワ・コーポレーションの社長の息子と娘、知ってるでしょ。」
「……知ってるけど。」
娘は同じ学年だし、息子もかつて同じ学校に通っていた。
でも、それと自分と何の関係があるのか。
――悪い予感がする。
「その娘とあんた、息子とユーリアちゃんの婚約が正式に決まったわ。だから、あんたとユーリアちゃんの婚約は解消。」
「…何だよ、それ!」
いわれたことを頭で理解しても、本当の意味で理解できない。なぜ、急に。
「ミクダルワ・コーポレーションの社長直々に提案されたの。あそことうちとユーリアちゃんとこの三社で結びつきを強めて事業で連携出来れば、かなりの利益をあげられるわ。」
「だからって…俺らの気持ちは無視かよ!」
「ロキ、もう決まった事なんだから我が儘言わないで。この結婚は、あんたにとっても利益が大きいんだから。」
――我が儘?
自分のユーリアへの想いは、そんな言葉であっさりと片付けられるものではない。
だけどこの母親は、そんなこと知らない。知ろうともしない。
「……俺やユーリアは、あんたらの道具かよ……。」
母親が去った後、届かない文句をぽそっと呟いた。
しばらく経ってロキの部屋のドアをノックしたのは、彼の父親。
「……いいよ。」
「邪魔するねー。ロキ、久しぶり。年明け以来かな。」
「そうだね。」
花の芽出身の父親、レイシアと息子のロキは普段顔を合わせる機会が少ない。
会社の重要な役職に就いているレイシアはあまり家におらず、いても自室に籠もることが多い。
そしてロキは子どもの頃からやれ学校だ学習塾だお稽古事だなんだかんだで忙しかったためだ。
「相変わらず老けねーよな、父さんって。それにいくつになっても女みたい。」
「あはは、心配しなくてもお前だって同じだよ。」
息子のコンプレックスを笑顔で刺激する。
あまり話さない上ロキにとってレイシアは何を考えているのかよく分からない存在で、そのためか漠然とした苦手意識がある。
「で、何の用事?」
「そうそう、忘れるとこだった。母さんに言われたんでしょ、ユーリアのこと。」
「……うん。」
いつの間にか真顔になっているレイシアを、ロキはじっと見る。
この人は、自分の味方なのだろうか。それとも――。
「今、僕がお前の味方なのか母さんの味方なのか考えてるでしょ。」
ズバリと当てられ、ロキは驚く。
「母さんの味方ではないから、ロキの味方に近いかな? でも、厳密にはロキを“僕らの味方にしたい”、ってのが正解。」
「……? 意味分かんねんだけど。」
「きっとすぐに分かるよ。今年も花の芽に行っておいで。」
「え、でも……。」
「母さんには僕から言っておくから。いつまでも言いなりってのも嫌でしょ?」
確かに無理やり将来を決められるのが嫌なら、逃げるというのも一つの手ではある。
「それでね、花の芽に行ったら、ユーリアと一緒に女神様のところに行ってきて。」
「はあ?」
「女神様のことはユーリアに聞いたら分かるから。いい? 絶対だよ。」
「よう、ユーリア。」
「久しぶり、ロキ。」
言わないといけない。昔からずっと自分を慕ってくれたこのいとこに。
婚約を破棄してほしいと。自分はここで生きていくんだと。
「ロキ……?」
だがユーリアは気づいた。ロキの様子がおかしい。去年はすぐに再会を喜んで抱きついてきたのに、今は難しい顔で立っている。
「ユーリア……“女神様”って知ってるのか?」
「おう。」
月山への道すがら、ロキはこの間父親から聞いた話をユーリアに話す。
「そうか、おじさんも元は花の芽の人だもんね。女神様とも知り合いなんだ。」
「え。てことは、本当にいるのか!?」
「そうだよ。私も喧嘩したときとか、何回か相談にのってもらったんだ。」
「……にわかには信じらんねーけど……。」
「会えば分かるよ。」
「……ここ?」
「うん。女神様、出て来れますか〜。」
泉の底に向かってユーリアは呼びかけ、リュックの中のトマトをぽちゃんと入れた。
すぐに泉の中とその周辺が光り出し、人影が現れる。
「おはよ、ユーリア。それとロキ、初めまして。やっと会えたわね。」
「え……ええ?」
「ロキ、この人が女神様。びっくりしたでしょ。私のことも最初から知ってたんだよ。」
「な…何で?」
「何で……って、女神だからとしか言いようが無いわねぇ。」
目の前に彼女がいて実際に言葉を交わしても、未だ納得出来ずロキは目を白黒させる。
「さて。大方レイシアからユーリアと一緒に私ん所来るよう言われたんだと思うけど、合ってる?」
「………。」
「合ってるのね。」
ロキがとっさに否定も肯定も出来なかったのを、彼女は後者だと受け止めた。
「あの子頭いいけど肝心なとこ抜けてるわよねー遅いのよ、言うのが! 間に合わなかったらどうする気だ、ったく!」
「め、女神様?」
「とりあえず、説明するわ。あんた達からしたら突拍子もない話だろうけど、理解して。真実だから。」
彼女が改めて見せた真剣な顔に、ユーリアもロキも気を引き締めた。
「花の芽を……守る?」
「そ。昔々、この山が震源地の大きな地震が起こりかけたの。ガチで揺れたら壊滅は避けられなかったでしょうね。それを何とか震度4程度で済ませて一人の死者も出さなかったのがピートよ。」
「おじいちゃんが?」
これにはユーリアも驚いた。普通の人間にそんな超能力のような力があるわけがない。
「ありえないって顔してるわね。」
二人は素直に頷いた。
「ユーリア、あんた動物と会話が出来るでしょ。ロキも似たようなこと出来るはずよ。それだって普通の人間からしたら“ありえない”けど?」
「…そっか。」
初めて町のみんながユーリアの能力を知った時も、そういえばかなり不思議そうな顔をしていた。
不思議な能力を持つピートの孫だから、とすればなぜ花の芽でユーリアだけが動物と会話出来るのかもなんとなくわかる気がする。
「それがピートの“危機回避”。次はシンシアとレイシアね。20年少し前、花の芽に都会のお坊ちゃんがやって来た。」
「それって――。」
「そう、ユーリアの父さん。この地がなんでもレジャー施設を造るのに向いてるってんで、買収しようと来たのよ。」
あの人は昔から私利私欲で動いていた。ユーリアは情けなく感じる。
「で、シンシアはそんな事させるかって立ち向かった。そしたら“お前が俺の所嫁にくれば、諦めてもいい”って言って、シンシアはそれに従った。あんたの父親が何でそういったのか、真意は私にもわかんないけどね。」
「それ…本当なのか? 全部?」
「そうよ。ちなみにロキの両親の馴れ初めだってほぼ同じ流れ。完全に成功したとはいえないけど、それがあの子たちなりの“危機回避”。で、次があんたたち二人の番なの。」
「そんなこと急に言われても…何すればいいの?」
「今の時点では私にも分かんないわ。でも、何かの予兆があったら私かコロボックルが絶対に伝える。そのときに全力を尽くしてほしいの。」
女神が泉へ戻った後も、二人は話の大きさについていけず、しばらく呆然としていた。
「なあ、話がでかすぎてついていけなかったんだけど……。」
「…うん、私も……。」
今は朝早くで宿はまだ開いていない。
とりあえずユーリアの家に荷物を置いて休憩しようと、ロキはユーリアと共に山をおりる。
「でもさ、女神さまがああ言ってたってことは、近いうちになにかたいへんな事が起こると思うの。だからもしそうなら頑張らないと。」
普段はふざけたりおちゃらけたり、だが本当に大事なときは真剣になる女神の姿をユーリアは知っている。
それにちょっとした冗談は言っても、ああいう類の嘘をつく性格ではないことも。
不安がよぎる。例えるなら、都にいたころ夜の町を一人歩いているときのような、そんな不確実で弱くはない不安。
「…なあ、なんでそんなに一生懸命になってるの?」
「え?」
ロキの問いの真意がつかみきれず、ユーリアは首をかしげる。
「あの話が本当だとしても、どうせユーリアだってもうすぐ都に帰って来るんだしさ。いくら父さんやおばさんが生まれ育った土地だっていってもそこまでする義理ないじゃん?」
ユーリアがすぐに反論できなかったのは、ロキの意見に一理があるとかそんな理由ではない。
忘れていた。ロキにとってこの町は大事な場所でもなんでもない、ただの田舎。
だけど自分とロキはずっと仲がよかったから。去年ロキも一ヶ月暮らして、花の芽のいいところを知ってくれたと、そう思っていたから。
「そうだ、思い出した! そんなことより大変なんだ! 俺とユーリア……」
――そんな、こと。
何気なく発したロキの一言が、ユーリアの頭に残る。その後の言葉が耳に入らず、その一言だけがひっかかる。
「ロキ、“そんなこと”って言わないで。ここは私の、私たちみんなの町だよ。大変なことが起こって、それを防げるのなら防がないといけない。」
「ユーリア?」
「それと、悪いけど私はもう都には帰らないの。花の芽でずっと暮らすよ。」
「……え、」
え、の後が続かない。ユーリアの口から出た言葉の意味を、頭がすぐに理解しようとしない。
「ずっと一緒にいたい、大事な人をたくさん見つけたの。大事な場所をやっと手に入れたの。私はもうこの町の人間だから。」
――はっきり言い過ぎ、もっと言葉を選ばなきゃ。
自分の中にある“ロキに申し訳ないという気持ち”が必死に諌めるが、口が止まらない。
「だから悪いけど、ロキとの結婚は出来ない――」
ようやくユーリアが自分の言い方ではロキを傷つけるだけだと分かったのは、ロキの涙を見てから。
「あ………。」
「ユーリアまで、そんなこと言うの。」
「ごめん、言い過ぎたよ。あのねロキ、私……。」
「昔から親戚の中で唯一仲良かったのに。ずっと一緒にいられると思ったのに。」
「ごめん、本当にごめんね!」
相手の心無い一言に、ついさっき自分が傷ついたばかりなのに。
「ロ……」
「うるさいっ! 裏切り者!!」
ロキは荷物を持ったまま、今来た道を走って引き返す。追おうとしたユーリアに再び言葉を投げつけ、そのまま走った。
頬を流れる生暖かいものが汗なのか涙なのか、もう区別は付かない。
それからというもの、ロキはユーリアにも誰にも会わず、宿の部屋に閉じこもっていた
。 本当ならユーリアを無理矢理引っ張って都へ帰るか、自分だけでも帰ってユーリアの父にチクり、強制送還を……
……と思ったが船は夏の終わりまで来ず、また電話も通じないため迎えのジェット機やヘリも呼べない。
(くそっ……なんで今時こんな田舎が存在しているんだよ。)
失恋のショックや納得出来なさも相まって、ロキのイライラは募るばかり。
「……ああもう!!」
全てが気に食わない。全て納得出来ない。
自分の常識を遥か越えた花の芽の田舎具合も。身勝手な親も。
自分の婚約者だったはずのユーリアの裏切り――自分より、この田舎の馬の骨を選んだことも。
ユーリアを都に留めておかなかった伯父も。ユーリアを自分から奪ったこの町も、ここの人間も。
気に食わない。納得出来ない。憎しみさえ感じる。
(……そもそも、どうしてユーリアがここに住む事を期限付きとは言え許したんだ……?)
ごく自然に生じたその疑問だが、ノックの音によって考えることを中断させられた。
「おい、昼飯食べるか。」
「いらね。」
ドアの外にいる宿屋兼酒場の主人のデュークに、ロキは短く返事をする。
ここに篭りはじめてからずっとそうして来て、そのたびにデュークは食事の入った盆をドアの外に置くのだが、今日は違った。
「入るぞ。」
なんと彼はそのままドアを開け、部屋に入ってきた。ベッドに突っ伏していたロキは驚いて顔を上げる。
「おい、何いきなり入ってきてんだよ。」
「大事な客が体調を崩して寝込んでいるかもしれない、と思ってな。」
デュークはロキの抗議を軽く受け流し、ミニテーブルの上に盆を置いた。食事は二人分。
「俺もここで食う。一緒に食おう。」
「は? 嫌に決まって……。」
やはりロキの抗議は聞かず、デュークはせっせと準備をする。
本当に嫌ならちゃぶ台返しでもなんでもやればいいのにしないのは、やはり育ちがいいからだろうか。
白い皿に盛られた出来立てのハヤシライス。美味しそうなそれを見ないようにしても、匂いが分かってしまう。
ずっとまともに食べていなかった身体は嘘をつけるはずもなく。
「……腹の虫が鳴いたな。」
「…う、うっせー! 笑うんじゃねぇぞ、じじい!!」
恥ずかしさを隠すかのようにロキは声を荒げ、テーブルを挟んでデュークの斜め前に座った。
そのまま乱暴にスプーンをつかみ、何も言わずハヤシライスを口に運ぶ。
「こら、“いただきます”は。」
「……いただきます。」
「普段から言わないのか?」
「……別に、言っても意味ないだろ。普段のメシは一人で食べることが多いし。」
「何言ってんだ。“いただきます”は一緒に食う奴だけに言う言葉じゃない。料理を作った奴、材料を作ったり育てたりした奴、材料になってくれた命、命を与えられる機会を作ってくれた全てに対して言わなきゃな。」
「…………。」
――そんな風に考えた事、無かった。だが、口には出さない。
「そうそう、これに入ってるジャガイモ。これはユーリアが牧場で育てたヤツだぞ。」
「え……。」
「美味いだろう?」
「……まずくは、ないけど。」
「けど?」
「………………。」
さっきまで自分の中でぐるぐると渦巻いていたマイナスの感情がなくなったわけではないし、緩和もされていないと思いたい。
ただ、分からない。自分の気持ちもユーリアの考えも分からない。
今分かるのは、ジャガイモ含めたハヤシライスの美味しさと温かさだけ。
「……分かった。あんたの話をあんたの好きなだけ聞いてやろう。」
「え。」
「人に話すだけでもすっきりするものだからな。その代わり、そのあとで俺の昔話も聞いてもらうぞ。」
デュークに話すよう促され、ロキは自分でも驚くくらい素直に話しはじめた。
「俺達の婚約話も、物心ついた頃には聞かされてた。両社の結び付きを強めて、市場を独占するとか何とか。」
「……そうか。」
「ユーリアの事が大好きだから、政略結婚って知っていても嬉しかった。一緒にいられるなら、それで良かったんだ。」
親が決めた道を歩いていって、それが幸せだと思っていたのに。知らない間にその道は、自分の望まないところへ軌道修正されていて。
同じ道を歩いていたはずの彼女は、自分の手を離して道から出て行った。
「裏切られて、置いてかれて……俺の18年間ってなんだったワケ?」
まっすぐ道を歩いて行くことに何の疑いもなかった。
失望感ややるせなさ、そして自分の愚直さへの苛立ちから自嘲の笑みを浮かべる。
「そうか……辛いな。」
「……あんたに何が分かんだよ。変に同情されると余計辛いんだけど。」
「同情じゃないさ。」
ロキは再びムスッとした表情に戻り、テーブルの上の水を飲み干した。
「俺の話も聞く約束だっただろ。昔話してやる。」
「昔話?」
怪訝な顔をしたロキに、デュークは頷いた。
俺はシンシアが好きだったが、歳が離れていたこともあって言えずにいた。情けないがな。
今までもこれからも二人とも花の芽で暮らすだろうし、その内何とかなるだろう――なんて思っていたんだな。
だけど、ユーリアの親父が来てな………このいきさつは知っているか? …………そうか、もう聞いたのか。
俺は引き止めようと思ったが、やめたんだ。意気地がなかった訳じゃないぞ。あいつはそれだけ本気だった。
あいつは自分のことよりも、花の芽を守りたかったんだ。それを知っていたから、止められなかったな。
「違うよ。ユーリアは俺よりここの男が好きになったんだ。だから俺を裏切ったんだよ。」
「……そうか。でも、それだけか?」
「……それだけって?」
「ユーリアはリック―あ、こいつが彼氏な訳だが。リックと付き合い出すより前から、ずっと花の芽で暮らしていくと決めていたみたいだぞ。」
「……だから何なわけ?」
デュークの言いたい事が分からず、ロキは苛立つ。
「リックと一緒にいたいという気持ちと、花の芽を守りたい気持ちが仮に半分ずつだとする。最初の半分が許せなくても、後の半分くらいは許して協力してもいいんじゃないか。」
花の芽を守りたいってのとリックといたいってのは重なる部分もあるから、綺麗に半分にはならんがな。
デュークはそう付け加えたが、ロキの耳には前半部分しか入らなかった。
「何、俺に折れろっていうの? お前も結局、ユーリアの味方なのかよ。」
「……少し違うな。俺はユーリアの母さんが好きだったと言っただろう。今でもそれは変わってない。俺は生きている限り、あいつの味方だ。」
優しい表情でデュークがきっぱり言ったその言葉が、ロキの心につんと刺さる。
自分はユーリアが好きだが、生きている限り味方だと言い切れるだろうか。
答えは否だ、と考えなくても分かる。現に今、ユーリアの気持ちより自分の気持ちを優先させている。
「……シンシア伯母さんの味方って、死んじゃった人の考えが分かるわけ?」
「まあ、娘であるユーリアの幸せと、故郷である花の芽の平和だろうな。」
――想うたび苦しくて、だけど懐かしくて、愛しくて。彼女の最後の言葉は、今でも覚えている。
「……でも伯母さんとか、あんたとか…ユーリアとかと俺は違うんだよ。俺、この町来るのまだ2回目だしずっと都で生きてきたんだから、この町とは何の関係も…。」
「関係ない、って言い切れるか?」
「………それは……。」
「お前がそう思ってても、それでもお前はこの町がなかったら生まれてこなかった。お前のいのちは花の芽とつながっているはずだぞ。」
もう否定できなかった。初めてこの町に来た日にわずかに感じた懐かしさのような感情。ホタルのあかりを見て感動した心。
ユーリアの牧場を、海を、山を、空を、あの泉を、どこかで知っていたような感覚をずっと否定し続けていたのに。
「……もうちょっと、一人で考えるよ。」
「そうか。」
デュークは皿をさげて部屋を出ようとしたが、その直前に一言付け加えた。
「ユーリア、心配しているぞ。」
「………うん。」
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第六章 2年目夏の月
「そういえば、今日って花火大会だね。」
「よいしょっと。」
その夜、リックは予定より少し遅れてきた。
花火が終わってもしばらくリックは帰ろうとせず、ユーリアも「帰れば?」とは言わない。
「ロキ、入っていい?」
父親の話も婚約のごたごたも自分の中で整理出来なかったが、ロキはとりあえず次の日花の芽へと出発した。
「おじさんが?」
二人は女神の泉に到着した。他の場所と異なった雰囲気に、無意識に姿勢が伸びる。
「あんた達とあんた達の親にはある使命みたいなモンがあってね。あんた達のおじーさんもそう。花の芽を守る役割があるの。」
6 ロキとユーリア、デュークとシンシア
「…俺の母さんとユーリアの父さんはお互い大会社の社長同士だから、若い頃から親交があったんだ。俺とユーリアも、小さい頃からずっと一緒だった。」
昔々、俺が若かった頃。今ユーリアがいるあおぞら牧場には、親子三人が住んでいた。お前の祖父さん、父さん、それとユーリアの母さんのシンシアだ。
「……まあ、あの母娘はあれだな。花の芽が好きすぎるんだ。」
その夜、長くてリアルな夢を見た。