1 2 3 4 ずっとずっと大昔。肥沃な土地に穏やかな海、美しい山に澄み通った川、様々な木が生い茂った森。
今の花の芽町がある場所をいたく気に入ったある女神が、この地に定住したいと天より降りてきた。
彼女はそこで最も空に近く、かつ神聖な雰囲気を持つ泉を選び、その地が育むものすべてを守る女神となった。
人は集まり、集落を作る。やがて人は増えてより活気づき、集落は花の芽村と名付けられた。
人であれ何であれ、女神はその地で生きるもの全てを愛し、守り、慈しむ。
人々もまたこの地に神聖なる存在を感じ取り、女神の存在に気付き、自分達を育む大地や自然や女神に感謝し、愛するようになった。
村に住む少女が月山で遊んでいたとき、足を滑らせ川に落ちた。
「いけない!」
女神は自らの持つ神通力で川の流れを止め、波を起こして少女を陸に上げた。
気は失っていたが水もそんなに飲んでおらず、命に別状はない。自分と人との共通の友人であるコロボックルに言い、すぐに村の大人を呼んできてもらった。
かくして少女は助かったが、この時女神は少女の周りのものに強い負担を強いていた。
川は無理に流れを止められ、海は川に波を起こすための水を取られ、魚数匹がその混乱に巻き込まれて誰にも知られず命を落とした。
悲しいことにそのときの女神は少女を救えたことに満足しており、その事実に気が付かなかった。
「……ええ。」
その事件から数ヵ月後、小さな異変を感じ取ったコロボックルの問い掛けに女神は難しい表情で答えた。
あの日少女を助けるために女神自ら自然を動かしたことで、自然界のバランスにズレが生じている。
今はまだ小さなズレだが、この先広がる可能性は十分考えられる。すべてのものが共存し生きている中、何かがどんどん壊れていく。
ズレが限界に達したらどうなるか――山は、海は、川は、森は、木は、花は、鳥は、魚は、動物は、虫は、人は。
「私のせいだわ。」
少女を助けたのが間違いだとは思わない。だが、あの時女神は無意識に他の命より人の命を重視していた。
全てを慈しむ存在のはずなのに、自ら命を等しく扱わなかった。
たとえ無自覚でもそんなつもりはなかったと弁解しても、起こってしまったことは事実であって変えられない。
彼女の過ちに対するツケとして未来に何かが起こる――彼女の大切なものが犠牲になる。
さらに困ったことに、彼女自身がそれを防ごうとすればまた新たなズレが生じるだろう。
「……もう手はないの?」
「…………ある。あるわ、ひとつ……。」
何かを思い付いたらしく、俯いていた女神は顔を上げた。
「私の分身を作る。人として生きてもらうわ、この地で――。」
女神自ら新しい命を生み出すことは、自然界のバランスをいじることにはならない。
さらに彼女以外の命が他の命に手を出すことは許されている。例えば人が釣った魚を食べてもそれは自然界のおきてからすれば自然なことで、それと同じ。
そして自然界のズレによって起こる異変から全ての命を守ることは、女神以外の何かでは力が足りず、なおかつ女神には出来ない。
そこから導き出される答えが―――
小柄で華奢で、顔を自分に似せたらずいぶんと女のような青年になってしまった。
だがこの二十歳そこそこの青年の中には、女神の意志、全てのものを愛する気持ち、愛するものを守る力が十分に入っている。
「あなたは花の目村で暮らすの。そう……町外れの牧場が長いこと空き家になっているから、そこを拠点にしなさい。あなた一人で成し遂げられなかったときのために、子孫を残すことも忘れないで。お願いよ。」
生まれたてのピートは眼を開け、女神の顔を見てにっこりと笑って見せた。
「わかった。頑張るよ、女神様――おかあさん。」
「はじめまして。あおぞら牧場に住むことになったピートといいます。」
変化の少ない花の芽村に突然美少年が越してきたニュースは、すぐに村中を駆け巡った。
「はじめまして、私が村長です。」
「長女のマリアです。困ったことがありましたら気軽に尋ねてくださいね。」
品の良さそうな親子に挨拶をすると、いかにもそれっぽい答えが返ってきた。
「ねえねえピートさん、あなたどうしてこんな田舎に引っ越して来たの?」
「昔あおぞら牧場にいたっていうおじいちゃんは親戚か何か?」
マリアの後ろで三人の会話を聞いていた二人の少女が、話に加わってくる。
「ちょっと、アンちゃんにニーナちゃん。初対面の方に対して気安すぎですよ。」
「えー、マリアは固いよ。見たとこ同い年か少し下くらいだし、いいじゃん。」
アンと呼ばれた少女が唇を尖らせる。
「アン、自己紹介くらいはしないと。あたしは花屋のニーナだよ。こっちのオレンジはアン。道具屋さんなんだ。」
「オレンジって何だよー。ニーナはピンクの癖に!」
ちなみにオレンジもピンクも彼女達の髪色である。
「あ…どうぞよろしく。俺は先代のじーさんの遠縁に当たるんだ。“修業のために牧場をやれ”って急に親から言われて。」
「へえ、なんだかすごいご両親ね。」
あらかじめ用意しておいた言い訳は人間の常識において不自然ではなかったらしい。
花の芽を守るためには村の住民と良好な関係を築かなければならないと教わっていたピートは、ひとまず胸を撫で下ろす。
「三人はずいぶん仲がいいんだね。」
「私達は生まれた時からこの村で暮らしているのです。付き合いが長いので、友達よりも姉妹のような感覚ですね。」
花の芽村の住民の事をピートの生みの親である女神は当然熟知しているが、彼はそれについては何も教わっていない。
教わったのは、人間として暮らすための知識や常識、牧場経営の方法だけ。
先入観も何も無い、真っさらな状態で村の一員になり、花の芽を守っていく。
「ねえ、ピートさんはこの後時間ある? よかったら村を案内するよ!」
「わあ、それいいね。ニーナも一緒に行く〜!」
(えーと確か…相手が好意で言ってくれた時は、従っておくと好印象。ただし無理はしない……)
頭の中で女神に教わった人付き合いのコツを復習する。
「ありがとう、じゃあお願いしようかな。」
「よしっ決定! まずはあたしやニーナん家を教えとくよ! お得意さんになりそうだしな!」
張り切るアンやニーナの後ろで、ピートはひっそりとため息をついた。
夜、山奥の泉で女神に人間一日目の報告中。感想を尋ねられたピートが正直に答えたら、女神は眉をひそめた。
「花の芽を守ってほしいって頼んだら、二つ返事でOKしてくれたじゃない。いい息子もったわーて感心したのに。」
「こんなに面倒くさいなんて思っていなかったよ。花の芽を守るのはいいとして、なんでわざわざ人間として暮らす必要があるの? 何か起こりそうな時だけ何とかすればいいと思うけど。」
「……それだと守った事にはならないのよ。」
「え?」
女神が言ったことの意味がよく分からず、ピートは首を傾げる。
「どういう事?」
「自分で考えて答えを出してちょうだい。なぜ私があえてあんたを生み出し、人間として生きてもらうという“面倒くさいこと”をしているのか。」
それだけ言うと女神はピートの返事を待たず、泉の中へ戻った。
「……分かんないよ、そんなの。」
「船、行っちゃった……。」
花の芽村の春の一大イベント・草競馬には、外部からも老若男女様々な観光客が訪れる。
だが、帰りの船に乗り損なって途方に暮れている観光客など彼女――カーナのみである。
カーナに泣き付かれた宿屋の亭主が彼女を連れて村長の元へ相談に来た。
「次は……夏まで定期船が無いねぇ。島の外に連絡する手段も無いし。」
時代が時代な分、花の芽の田舎具合は現代以上に絶望的かつ深刻である。
「お父様、夏まで花の芽で暮らして頂ければよろしいのでは?」
「それは最後の手段だからなぁ……向こうのご家族とかが心配なさるだろう。」
「あ…あの。それは心配いらないんです。私身寄りが無くて施設で育って……社員寮に住みながら働いてた工場が先日潰れてクビになって、だからその……すぐに戻らないといけない訳では。」
ただ就活が、新しく住むところとか……などともそもそと呟く。
「じゃあつまり、夏までここで過ごすことに差し当たって問題は無い、と。」
「あの、ご迷惑じゃなければ……。」
「じゃあ決まりだな。泊まってた部屋、そのまま使ってていいぞ。」
解決策としてこれでいいのかは微妙だが、何とか落着しかけたその時。
「村長さん、これ浜辺に落ちてたんですけどー。」
ピートが村長宅に入って来た。手には、村の人間の物とは考えにくい顔写真入りのカード。
「あ、私の……元いた職場の社員証。ありがとうございます。」
「あれ、まだここにいたの? 船は出ましたよ?」
忘れ物だと思い届けたのに、持ち主が花の芽に残っていたためピートは驚く。
「ああ、実はね……」と村長は一通りの説明をし、そして。
「そうだ。ここにいる間何もしないのではカーナ君も居づらいだろうし、君の牧場を手伝ってもらうのはどうだい?」
「へっ?」
予想外の提案にピートもカーナもぽかんとする。
「一人であの広い牧場を切り盛りするのは慣れない内は大変だろう。」
「まあ……。」
ピートの人間マニュアル、“目上の人の提案にはとりあえず従え。”
「じゃあ……よろしく、カーナさん。」
「はい。」
「ピートさん、あれって鶏小屋ですよね。鶏飼わないんですか?」
彼女からそんな質問が出たのは、乗り損ない事件から一週間ほど経った頃。
「鶏ねぇ……。」
「コストもあまりかからないし、卵出荷出来ますし。何より、家族が増えたら楽しいですよ。」
「……鶏でも家族って言うのかな。父親とか母親とか子供とか、そういう繋がりが家族だと思ってた。」
人間経験が少ないピートの言葉に、カーナはゆっくり首を振る。
「私はそれだけじゃない、って思いますよ。血が繋がっていても、お互いを大切に思っていなかったら家族と言えない。逆に他人同士とか相手が動物とかでも、家族にも勝る絆を作ることは出来ると思うんです。」
「……そうなんだ。」
頭の中で、ピートは今聞いたことを覚えられるよう繰り返す。
「私のいた施設、たくさん子供達が暮らしてて毎日煩くて賑やかで。保母さんも厳しい時は厳しくて優しい時は優しくて、血が繋がっていなくても、家族みたいに思っていたんです。」
その当時を思い出しているのか、語るカーナは穏やかでどこか遠くを見ているように感じる。
「……じゃあ、そんなに仲のいい人達がいたなら今頃心配してるんじゃ。」
ピートが言うと、カーナは若干顔を曇らせた。
「……私と仲良かった子はみんなもう施設を出ていますし、育ててくれた保母さんは昨年亡くなりました。施設はもう、私の居場所でも実家でもないんです。」
そう言ったカーナは笑顔を作ってはいたが、とても寂しそうだとピートは思った。
鶏とヒヨコに毎朝餌をやるのは最初に飼うことを提案したカーナの仕事。四羽共、カーナが小屋に入ってくるなり足元に纏わり付く。
「カーナさん、ちょっと。」
カーナが振り向くと、小屋の入口でピートが手招きをしている。――後ろには、村長。
「そう。だからボチボチと帰る支度をしておいた方がいいよ。また乗り損なう訳にはいかないからね。」
連絡事項だけをササッと伝え、村長は帰っていった。
「……そうですね、もう夏ですもんね。毎日楽しくて忘れちゃってました。」
帰る準備してきます、と走り去りかけたカーナの腕をピートはとっさに掴む。
「……帰らないといけないの?」
ピートの人間マニュアルには、決まりや約束は守るようにとインプットされている。
「居場所も実家も、住むところも仕事も無いところに、帰るの?」
――なのに何だこれは、俺は全く逆のことをしている。こんなことを言ったらカーナは困るのに。
「ずっとここにいればいいよ。ここにいてよ。カーナさんの居場所も、仕事もある。」
「………花の芽に…この牧場に、これからもいていいってことですか?」
「うん。」
これは、マニュアルに頼らないピートの本音。初めてピートが見せた、人間らしさ。
「……ピートさんが、ご迷惑じゃなければ。」
それから数ヶ月後、二人は結婚した。
カーナを特別な人と自覚していたものの人間経験が浅く、その気持ちの正体が分からなかったピート。
カーナはカーナでピートに惹かれながらも一歩を踏み出す勇気は出せずにいた。
無事結婚に至ったのは毎日一緒にいてお互い意識しながらも全くそれに気付かない二人にやきもきした友人達の功績が大きい。
「あら、ピート君じゃない。どうしたの? 野菜の種買うにはもう遅いよ?」
本日、秋の月25日。確かに花屋のニーナの言う通りではあるが。
「いや、今日は種じゃなくて…もうすぐカーナの誕生日なんだ。だから何か花を買いたいって思って……ニーナさん?」
ピートが言い終わる前からニーナは至極楽しそうな笑顔になり、そして――
「みんなー、ニュースニュース!“あの”ピート君がカーナちゃんの誕生日にお花のプレゼントよ〜っ!」
「ちょ、ちょっと!!」
窓を開け放って村中にそれを知らせた。当然ピートは慌てる。
「おい、それ本当か!」
「ピートってばやるぅ〜。」
「嫁にプレゼントたぁ、粋な事出来るようになったじゃねえか。」
ニーナのニュースをばっちり聞いた村の住民が楽しそうに――本当に楽しそうに、ピートの回りに集まってきた。
「何なんですかあんたらは!」
「いやぁ、カーナの事好きなくせに何も言おうとしなかったヘタレ時代を知っているだけに…なあ。」
「そうそう。」
「からかわないで下さいよ……。」
“誕生日”には“お祝い”をする。そのことはピートの人間マニュアルにインプットされていた。
だが、“決まっているからする”のではなく“ピート自身がカーナをお祝いしたい”と思った。知識ではなく感情に基づいた行動。
――でも、こんなにからかわれる事だなんて知らなかったぞ。
本人はあまり自覚していなかったが、ピートはカーナとの生活の中でどんどん人間らしくなっていった。
「父ちゃん、どこいくの?」
牧場の仕事をあらかた終え、出ていこうとしていたピートを娘――シンシアが呼び止めた。
「ちょっと月山にな。」
「あたしも!」
「遊びに行くわけじゃ無いんだ、大事な用事だから。また今度な。」
「え〜っ。」
不満そうに頬を膨らませるが、それ以上の抵抗は試みない。気が強く自分の気持ちもはっきり言うが、我が儘となるラインは超えない。そんな七歳児。
「じゃあいーや、リリアんち行ってくる!」
信じられない。ピートは今聞いたばかりの事を女神に聞き返した。
「言ったでしょう。昔私が女の子を助けた事で歪んだ自然のバランスが、崩れかけているのよ。」
「バランスは治せるんだよね? 地震は防げるよね? そのために僕を作ったんでしょう。」
「それはあんた次第よ。壊滅を避けたいなら、そう祈りなさい。」
「ちょっと……。」
具体的な情報はほとんど提供しないまま、女神は池に帰った。
地震はどれ程の規模なのか。どうすれば守れるのか。祈れと言ったが、それだけでいいのか。
とりあえず、今確実に出来ることは――
「それは本当かい? 何故分かるんだ?」
「それは………勘です。動物達の様子とか。」
女神様に教えてもらった――なんて信じてもらえるかは分からない。
少し迷った結果、ピートは苦し紛れのまだマシな理由を付けた。村長は難しい顔をして考え込み、
「あ、無理かも」とピートが思った瞬間。
「分かった。ピート君はそんな嘘をつく人間ではないし、考え過ぎだったとしても備えておくことは無駄にならない。」
「村長……。」
「ピートの言うことなら信用出来る」とも―――ああ、こういうことか。
焦る気持ちの片隅で、以前女神から言われた事を思い出した。
ピートと村民達の関係が良好でなかったら、地震が起こるかも――と言ってもすぐには信じてもらえなかっただろう。
「父ちゃん、おかえり〜!」
「ただいまシンシア、母さんはいるか?」
「レイシアとグリーン牧場に行ったよ。」
「そうか……。」
「……ねぇ父ちゃん、なんか変じゃない? 何もないのにポチ助は吠えてるし馬子は走り回ってる。」
シンシアは牧場の外れで確かに不自然な様子の1匹と1頭を指差す。
「それでね、どうしたの? って聞いたら、こわいこわいって言うの。」
シンシアの証言に、ピートの顔が一瞬で青ざめた―――地震の前兆か、これは。
「父ちゃん?」
「シンシア、母さんとレイシアを迎えに行こう!」
考えるより先に、言葉が口をついた。それより更に早く、シンシアを担いで走り出した。
――頼む。来るな来るな来ないでくれ!
「あ、母ちゃん!」
「あなた…どうしたの? 血相変えて。」
「カーナ……レイシア。」
まだ何も起こっていないのに、思わずほっとした。自分の見ていないところで何かが起こるのはごめんだ。
家に帰って事情を伝えて、それから対策を考えようと思ったその瞬間――わずかに初期微動。
「やだ、地震!?」
揺れに気付いたカーナが子供達の頭を守る。
ピートの脳を一瞬、ほんの一瞬、少し未来の花の芽の姿がよぎった。地面が割れ、家が崩れ、誰かが死に、誰かが泣いている――
「待って! 止まれ! こんな未来は駄目なんだ!」
何が地震を起こしているかなど分からないが、無我夢中で天に叫ぶ。
「花の芽を……僕の大切なものを壊すな! 僕達の村に手を出すなっっ!!」
ピートを嘲笑うように揺れていた地面はやがて止まり、辺りは静寂に包まれた。
「よかった……驚いたけど、たいしたこと無かったみたいね。」
カーナの言葉に周りを見渡す。牧場も無事だし、村もざわついている程度だ。
「………良かった………。」
次の日にはだいたいのごたごたが収まったので、ピートは女神の元へ報告に来ていた。
「あんたが心の底から“花の芽を守りたい”と願ったから、壊滅を避ける事が出来た。人間として暮らせって言った意味が分かったでしょ?」
人間として生きたおかげで、失いたくない大切なものが出来た。ピートはしっかり頷く。
「……でも、まだ終わってないんでしょう?」
ピートの問いに、女神は複雑な顔で頷いた。
「“次”がいつ来るか分からないし、あんたがもう一度頑張れるか分からない。」
「うん。子供達が理解出来る歳になったら、二人をここへ連れて来る。」
自然界のズレそのものは、完全に治りきっていない。花の芽を守る使命はまだ終わっていない。
だが、ピートは試練とは別の避けられない別れが迫っていることをまだ知らなかった。
「ねえねえ父ちゃん母ちゃん、今度村に新しい子が来るんだって。」
ロールキャベツを頬張りながら、シンシアは友人トーマスから聞いた話を家族に教える。
「ああ、木こりの源さんとこの親戚の子でしょう。確かあんた達と同じくらいの女の子って。」
「なんだぁ、お母さんももう聞いてたの?」
つまらなそうに呟いたのはレイシア。
「ええ、花屋さんに種を買いに行ったときにニーナちゃんからね。」
なんでも、流行り病で相次いで両親を亡くしたために叔父である源さんに引き取られるとのこと。
「可哀相にねぇ、まだ小さいのにご両親をいっぺんになんて。」
「そうだね…。」
カーナがピートの方を見て「ねえ?」と同意を求めたため、ピートは頷いた。“死ぬ”とは何か、それくらいは理解していた。
ただ、それがどういうことか実感は出来なかった。目の前に座っている子供達のように。
その日子供達は朝から友達の家へ行き、ピートは動物達を放牧させていた。
「とーちゃん、ただいま! ケーキ屋のエレンおばちゃんが新作クッキーくれたよ!」
「うちの卵や牛乳もつかってるんだってー。」
「お帰り、シンシアレイシア! ちゃんとエレンさんにお礼言ったかー?」
「言ったー!!」
早く食べたいのか、二人は慌てて家へ入った。
ピートが時計を確認するとちょうど昼食前だったから、3時のおやつになるだろう。続きは午後に回そう、とピートは柵を閉めた。
「母ちゃんー!!」
「!?」
家のドアを開けようと手を伸ばした瞬間、シンシアの悲鳴が聞こえた。
「カーナ!?」
「父ちゃん、母ちゃんが……!」
床に倒れているカーナ、泣く子供達、カーナの真下の床は口元を中心に赤く染まっている―――なんだ、コレ。
目の前の光景が信じられず、ピートは立ちすくむ。
「うわあん、お母さーん!」
「父ちゃん、母ちゃんがしんじゃう! どうしよう、どうすればいいの!?」
必死なシンシアの言葉で、ピートは我に帰った。夫で父の自分がしっかりしなければ。
「シンシア…薬屋のドガを呼んで来なさい。急いで!」
「う…うん!」
「ピート……その、カーナさんは正直難しい。治る見込みは……。」
「……少ないよ。私らも出来るだけのことはするさ、だが…………今の内に、子供らに母親の思い出をたくさん作ってあげな……。」
告げられた言葉は、すぐには信じられなかった。
ただ、貰った薬を毎日きちんと飲んでいてもカーナがベッドから起きられる時間は減っていった。
「母ちゃん、今日ねー、リリアとルリとアンナと四人でムーンドロップ草を摘みにいったんだ。エレンおばちゃんが新しいケーキを作るんだって…元気になったら、母ちゃんも食べようね。」
「お母さん、教会でね、ご病気が治りますようにってお祈りしてきたよ。」
子供達の懸命な祈りも虚しく、始めに倒れてから半年後――。
手も顔も満足に動かない中、涙を浮かべた瞳は、しっかりと愛する家族へ向けていた。
「ピートさん……ありがとう。私……幸せでした……。」
「……僕の方こそ……。」
ピートの瞳も涙が溢れて止まらないが、まっすぐカーナを映している。
「カーナ、僕は君がいたからたくさんの事を知った……人間に、なれた。」
人を大切に想う気持ち。家族の絆。大事な人を守りたいと思う心、そして…失う事の悲しさ。
「子供達のことは……僕に任せて。」
正直、力を持っていてもカーナを救えないなんて……と思った時期もあった。
だけど今、そして今後自分がすべきことは嘆き悲しみ、自分を責めることじゃない。
――僕のやるべきことは、まだ残っているんだ。
「カーナ……ごめんね。ありがとう。愛してる………!」
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第七章 夢の中〜過去の花の芽〜
女神が住みはじめたことで大地はいっそう肥え、自然は四季折々の美しさが増し、動物も増え、やがて人が住むようになった。
変化が起こってしまったのは、花の芽村が出来てから百年程経ったころ。
「……女神様、気づいてる……?」
「ピート…あなたはピート。この地でたった一人、女神である私だけの力を一部とはいえ持っている存在よ。」
「はあ? 面倒くさいって何よあんた。」
「村長、どうします?」
定期船に乗り損なう間抜けな面もあるが、基本的にカーナは真面目でよく働き、仕事もすぐに慣れた。
「いっちゃんにじろくん、さぶちゃんとしげぼうもおはよう。餌の時間だよー。」
「……そうですか。明後日、定期船が来るんですね。」
「ニーナさん。」
月日は流れ――
「……本当なの、その話。月山を震源に地震なんて……。」
「村長さん、近々大きな地震が起こるかもしれません。みんなに大事なものをまとめてすぐ逃げられるようにって伝えて下さい!」
牧場への帰り道、早くも情報が回ったのか「教えてくれてありがとう」と声をかけてくる知り合いに何人か会った。
「ありがとう、ピート。花の芽を守ってくれて。」
そして、仲良し家族の日常は呆気なく崩れていく。
ドガ、そして産婆のガーヤがカーナを診察したが、二人の見解はピートが求めていたものでは無かった。
「シンシア……お父さんを…助けてあげてね。レイシアは……泣き虫治して…お姉ちゃんと仲良くね。」
秋の月4日、カーナ逝去。涙と笑顔の最期だった。