第十章(2)へモ ドル | 第十 一章(1)へススム | 009

  第十章  



(3)





「そうだ。苦しめばいい」



穏やかな009の澄んだ声。


「苦しんで苦しんで、僕と同じ痛みを味わえばいい」

009は自分の手首の赤い痕をそっと擦った。

「君に分からせてやる。それが今君が生きる生きる証…そして僕の…」



009の声は徐々に低くなっていく。

「君はなぜ僕を殺さなかった・・・一度ならず二度までも・・・!」


リアが低く息を飲んだ。



「・・・僕は知ってる、あの夜、月の下で僕らは互いに通じ合ったんだ。僕は何も身に付けず、馬鹿みたいに無防備に体をさらして、なのにここに来て僕の目の 前で死のうとするなんて…」



「・・・僕達が今ここに一緒に居るのは、何の為・・・」



「・・・ジョー・・・」


自分の名を呼ぶリア。苦しみと共に上昇する体温。


「俺がお前の中に残したという何かを知りたいと言うのなら」



次に耳に入った思いも掛けない言葉に、009は硬直した。




「・・・キスしてくれ」



「・・・え・・・」


彼はなぜこんな事を・・・試されているのだろうか?
かつて無理矢理奪われた唇ではあるけれど・・・


 真赤になった009の顔をリアは恐ろしい程真剣な眼差しで見つめ、少しも目を逸そうとはしなかった。静まり返った部屋に、激しい鼓動が響いて木霊するの ではないかと思った。
 やはり彼が分からない。彼の想いも行動も、言葉さえも何も分からない。

ただひとつはっきりしているのは、彼が本気だという事だけだった。


009は震える手をリアの肩に掛けた。

そのままゆっくりと顔を近付ける。息を止め、ぎゅっと目を閉じ、頬の熱さに自分で目眩さえ覚えながら…

唇まであと数センチという所で、 突然肩をぐいと押し退けられた。



「もういい・・・よく分かった・・・!」


訳が分からず009は赤い顔のまま呆然とした。


「お前はキスさえも相手の言いなりなのだな・・・まして恋人でもない奴に」


心臓に鋭い矢がぐさりと刺さり、 弾かれた様に立ち上がった。


「そんな・・・僕は・・・僕は・・・」


009は後ずさった。


 009の手が椅子傍のサイドテーブルにぶつかり、引っくり返った。乗っていた医療器具がトレーごと散らばり落ちて派手な音を立てた。

 リアは傷もおかまいなしに素早く身を乗り出して、相手の腕を掴む。引っ張られて009の体ががくんと撓る。リアの肩に繋がれたコードが 千切れんばかりに突っ張り、プラグがシーツの上にバラバラと落ちていった。


嗚咽を飲み込むように息を弾ませ、背けた009の顔は苦し気に赤かった。

「B.Gに居てもどこに居ても・・・お前と共には居られない。お前を殺す事もお前の手で逝く事も叶わず、更にB.Gという忌まわしい生死の束縛 から逃れられない境遇に俺は成す術が無かった・・・。お前は・・・俺と共に死んでくれるか?それとも生きて仲間の元に、004の元に帰るか?俺は賭けた。 共に死んで欲しい、だが生きていて欲しい。そんな相反する想いに俺は・・・俺は・・・」

009の目から、耐えに耐えてきた涙が溢れ出る。リアを見ようとはしない。
リアは追縋る様に、言葉を発しようとした。


・・・閉ざされたドアの向こうから、慌ただしい足音が近付いていた。


ドアが勢い良く開かれ、004が駆け込んで来る。

リアと009はまだそのまま固まっていた。
椅子が倒れ、医療器具が派手に散らばった部屋の惨状、続いてリアが彼の腕を掴んでいるのを目にした004の眉がぴくりと上がった。

「009・・・どうした?」

明らかに異常な興奮状態にいる009に大股で近付き、肩を引き寄せてリアから引き離す。

途端に力の抜けたらしい体は、弱々しく004の腕の中に倒れ込んだ。


「落ち着け・・・もう大丈夫だ・・・」

004は優しく009の体を抱き、息の荒い背中をあやすようにゆっくりと撫でる。
肩にもたれ掛かる009の頭越に、004とリアの目がぶつかった。


「行こう。少し休め」

そう言って004はリアの目から009を隠す様にして抱き抱え、ドアへと誘う。リアの目の前を、ふたりは寄り添って出て行こうとする。
 ドアの手前で、急に009はベッドの方を振り返った。


「リア・・・!僕は・・・」

004が肩を引き寄せ、ドアを潜らせようとする。


「僕は君に生きていて欲しいだけなんだ!!」


涙の交じった掠れ声で、009は身体中で叫んだ。
半分引き摺られるようになりながらも、悲しみと苦悩に満ちた目は最後の言葉を伝えようとリアを見つめ、捉えようとする。

「僕は・・・君を・・・!!!」
 
「009」

静かな声で004が諭した。

廊下で待機していた005が、004を助けて009のもがく体を受け止めた。


ベッドの上のリアをひたと見据えたまま、009の顔は遠くなり・・・閉るドアの向こうに掻き消えて行った。







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