第十三章
(1)
四日目。
朝からの雨音が独房の中を静かに満たしている。
天井近くに取り付けられた小さな天窓から、薄い灰色の光が壁際に凭れて蹲る黒い塊を淡い輝きのベールで包んでいる。
メンテナンス室と違って、一日中、途切れる事無く響く潮騒が、薄暗い独房を丸で浅い海の底の様に見せている。
平和で単調な四日間だった。
栄養液からのエネルギー補充が必要無くなったリアの元に、日に三度鉄格子の向こうの扉が開いて、00ナンバー達が交替で食事を運んで来た。
009が単独での面会を禁じられている事は告げてある。皆は大抵一声二声ばかり声を掛るのだが、リアはちらりと視線を投げるのが関の山で、何も答える事は
無く、また食事も手つかずで残された。
一口も手の付けられていない皿が下げられて来る度に006はその丸い肩を落とした。
003の番の時も、先程差し入れたトレーの中身が全く減っていない事に、分かっていた事ではあったがやはり彼女は落胆した。
「お願い、少しは食べて頂戴。009も心配しているのよ。あなたがこんな・・・・・」
壁際の黒い塊に向かって掛けた言葉は続かなかった。何を言ったら良いのか分からなかった。彼がB.Gであり続ける限り、自分の声は届きはしないのだと
003は分かっていた。
だが驚いた事にリアはゆっくりと顔を上げた。その整った顔の青白さとただ一つの瞳の吸い込まれそうな深みに003は息を飲む思いがした。
この人の目は009に似ている。覗き込む人を誘って止まない深く暗い光の塊、孤独の星の元に生まれた魂の色。
二人が居るのは自分達には永遠に届かない、彼らだけの場所だ。またしてもこの自分は置き去りなのだと
003は思い知るのだった。
リアは訝しむ様な表情で003をまじまじと見つめて言った。
「アンタみたいな美人がそっちのけとは、00ナンバーとやらは随分物好きな奴らの集まりなんだな」
揶揄の響きは無く、心の底からの感想らしかった。
003は一瞬表情を強張らせ、直ぐに笑顔で肩を竦めて見せた。
「ええ、馬鹿げた話よね。・・・本当に失礼しちゃうわ」
動く物は床に落ちる光の角度、天窓の外を時折斜めに横切る鳥の羽ばたき。壁際の体は殆ど身動きしないが、黒い髪の間から覗く一つの瞳だけは、射し込む光
によって僅かずつ明度を変えた。
キーが解除される機械音が独房内に響いた。扉が重たげに開き、黒いブーツの爪先が現れる。
何かがバサッと床に投げ出される音がして、リアは片目の視線をふっと動かした。
床にきちんと畳まれた黒いマント、その上にサーベルが横たわっていた。
顔を上げた先に004が立っている。
「日本への出発準備が整いつつある」
004はリアを見下ろし、静かな声で切り出した。
「・・・・だが言うまでも無く、お前のその脳内リンクは体の回復と共に既に復活しつつあり、日本への搬送途中にでもスイッチが入る可能性は十分にある。
勿論我々は最大限の努力を払うつもりだが、最終的に運を天に任せる以外無い事は認めざるを得ない。加えてお前自身未だ敵としての立場を崩さず、B.Gへの
帰還を望んでいる状態だ。よってこれ以上、図らずも本人の意志と境遇を無視する形でこの計画を推し進める権利を我々は持たない。そこで出発前に今一度、僅
かながら猶予を持ちたい」
腕を組み直し、004は相手に向かって顎を掬った。
「その手足の枷は少しの工夫で直ぐに外せる様にセットしておいた。この部屋の鍵も同様だ。船中の出入り口も然り。お前の能力なら脱出は造作も無い筈だ。
今からおよそ六時間、我々は此処に出入りをせずにおく。その間此処に残るか出て行くかを決めろ。・・・・だが忘れるな、俺達はあらゆる努力を惜しむつもり
は無い。お前が我々と共に日本へ来てくれる事を信じている」
リアは無表情に目の前のマントとサーベルを見つめながら004の演説を聞いていた。
演説が終わるとようやくリアは口を開いた。
「・・・・野放しにすると?自分達を危険に晒して?」
「それが俺達の覚悟だ」
そう言って004は踵を返した。
「・・・・・あいつは・・・・・ジョーはどうしている?」
004はぴたりと立ち止まって勢いよく振返った。リアを見据え、至極落ち着いた口調で答える。
「元気だ。心配するな。・・・・そう、あいつの為にもお前は、」
「もういい。行ってくれ」
厚い扉は閉ざされ、再度リアは孤独の中に身を沈めた。
天窓の向こうでは、雨が相変わらず外の世界を濡らし続けていた。傍では灰色の床に向かって降り注ぐ淡い光を受けて、分身達が彼を呼ぶ様に輝いていた。
時が一秒一秒を刻む内に、彼の一つの瞳はゆっくりと色を変えて行った。彼の身動きしない体に現れた唯一の生命の光だった。
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