第十三章(2)へ モドル | 第 十四章(1)へ ススム | 009



(3)






 物事が目まぐるしく変わった。昨日と今日では丸で事情が違う。
 ミッションは白紙になった。落胆と控えめな安堵が皆の心を行き来した。
 変わって新しいミッションが開始される事になる。
 リアの脳内データに登録されているB.G基地、正確な位置の把握は目の前。それを叩き潰すのは00ナンバーの使命だ。
 新たな戦闘が始まろうとしている。
 だが誰もが胸を痛めている。009。リアが去った今、彼は何を思っているだろう。
  
可哀想そうにと思う。この試練を上手く乗り越えてくれたらと願う。何かが起こらない様にと祈る。

基地に乗り込んだ時にもしリアとの邂逅を果たしたら、運命はどの方向に舵を切る事になるのだろう。
  

最後の選択は009に掛っていた。
  


それが本当に最後なのだった。
  
  
  
  
  
  
  
  


 一日が過ぎた。たった一日だ。
  
  
 船内は少しずつ慌ただしくなる。009はただ任務を遂行する。00ナンバーの使命の為に。
  
 心は何処かに置き去りの儘で。
  
  
  


 夜。
  

 ベッドに横たわる009の体の上に開いたドアから斜めに光が落ち、その中に大きな人影が伸びた。
  
  
 
「基地の場所が特定された」
  
 
004の影は淡々と告げた。
  

 「そう・・・・」
  

 009は背中を向けたまま、ただくぐもった声で返事をした。
  
  
 
 「明日の夜だ」
  
  

 床に伸びた004の影はしばらくそのまま動かなかったが、やがて静かに出て行った。
  
  
  
  
  
  
 ただ始まりがあって終わりがある。神と悪魔が交互に顔を変えながら仕組んだ物語。単なる物語なのだ。
  
  
  
  
  
    
  
  
 夜が深まって行った。狭い部屋の中で009は潮騒を聞いていた。他にする事が無かった。思い悩む事にもう疲れ果てていた。
 降ろしたシェードの隙間から明るい月の光が細く漏れ出ていた。今夜も月は昇り、輝く。そしてきっと明日も。

 光は009に眠りに逃げる事を許してくれなかった。目は冴えていた。夜は永遠に続く様に思われた。一分一秒の時の針が胸に突き刺さっていた。  009はベッドの上で窓に背を向けて、それ以上月の光を目に入れまいとした。
 意識すればするほど光の存在を感じた。光の切っ先が防護服を通して素肌にまで達する様だった。何かも暴かれてしまいそうだった。
 009は体を丸めてぎゅっと目を閉じた。全身が小さく震えていた。
  
  
 数分が経過した。両腕がはらりと落ちた。何度か深く呼吸をして、009はベッドから降りた。
  
 そっとドアを開けると廊下に誰も居ない事を確認して部屋を出た。
  
  
 秘かに階段を上がり、デッキへの扉を開ける。
  
  
 ひんやりした夜の空気が全身を包みこんだ。見上げた漆黒の空に煌々と輝く月が、冷たい光の帯を幾重にも地上に投げ掛けていた。  
 帯をかき分ける様な心地で手摺へと近寄った。黒い木々の間に見える海が光の鱗を乗せて夜空の下に揺れていた。この世は月と夜空と海だけで  作られている様な気がした。
  
 既に速くなっていた鼓動が更に速度を増していた。
  
 
 同じ月の下に彼が居る。
  
 行かなければ、と思った。
  
  
 
霊的とも言える確信が大きな波のうねりになって体ごと自分を攫おうとしていた。
耳元を掠める潮風の囁きは、最後の忠告かもしれなかった。だがもう何も考えなかった。
  
 ぎゅっと片方の拳を握り締めると、何度か躊躇ってから009はひらりと手摺を乗り越えた。船の丸い舳先をするすると滑り下り、地面に降り立つ。
 何歩か小走りに走って振り向いた。夜空を覆うドルフィン号はそれはそれは大きく、月の光を受けて輝く様は丸で巨大な銀色の卵だった。
  
  
 009はそっと手の平で心臓の上を抑え、呟いた。
  
  
  

 「みんな、許して・・・・・・」










真夜中の森を駆け抜ける。
濃い草いきれの道無き道を、息を切らして目指す、一時の魔法の場所。
加速装置は使わない。突然に出会ってしまったら、きっと心が張り裂けてしまうから。
月が隠れてしまわない内に。月の光が周囲の全ての目を眩ませてくれるその間、

すべての始まりの時を、今、確かめる。







第十三章(2)へ モドル | 第 十四章(1)へススム | 009

-Powered by HTML DWARF-