第十五章
(1)
ドルフィン号は既に出撃準備が整っていた。言葉少ななコックピット内。それぞれの顔と心に浮かぶ緊張感と義務感。
手のマシンガンの最終調整を続ける004の傍らで、無言でレイガンの装填具合の確認をしている009。彼は一貫して任務を
全うしていた。
此処に悲しみや絶望はいらない。あるのは悲壮な希望だけ。
やがて博士がモニターを作動させる。十八の目が一気に壁に注がれ、始まりの予感が高まる。
暗い海に突き出た岬、深い森に覆われた陸の孤島。ここの地下にB.Gの基地が。
モニターを指し示しながら008は、これまで何度も繰り返されて来た作戦説明の最終確認をする。
「三方に分かれて襲撃する。海の中の岩盤に僕が複数爆弾を仕掛け、頃合いを見て爆破。恐らく爆薬庫に近い筈
だから、上手くいけばここで大方のダメージを与えられる。続いて002と006が指令室があると思われる北東部の空から
攻撃。残りは真西から侵入。先ずは多数いるであろう人質の救出を目指す」
皆の目にモニターの映像が無機質に輝く。004が後を継いで続けた。
「人質の救出が済み次第、基地の心臓部へ侵入。ここのマザーコンピューターの破壊であらゆるネットワークとエネルギー源
を一気に切断。時間を置かずして基地は崩壊するが、タイミングを見誤ると、まだ残っている人質に加え、俺達自身も
巻き込まれ、地下に閉じ込められる恐れがある。すべての最終局面においてこの行動を行うものとする」
博士が深く頷き、皆も一様に頷いた。
コックピットがしんと静まる。誰かのレイガンがカチャリと小さな音をたてた。
その時、警告音と共にモニター横の赤ランプが繰り返し点滅し始めた。
「なんじゃ、事件か?」
皆はびくっとし、慌てて博士がモニターを切り替える。
モニターから最初に皆の目に飛び込んで来たのは、一面の真っ赤な火の海。
岬から程近い市街地。赤く焦げた空、黒々と燃える炎に飲み込まれる建物群。立ち込める煙の中に政府軍の旗が禍々しく
旗めいている。次々に崩れ落ちる外壁の傍を縫う様に走り回る戦車、蹴散らされながら逃げ惑う夥しい数の人々。
「これは・・・・!」
皆は息を飲んだ。
そこは以前から石油利権の絡んだ民族間の紛争地域だった。だが数年前の和平協定からはずっと沈静化していた筈
だったのに、なぜ、今。
「なぜこんな事に・・・・・・」
呆然と目を見張る中で、003が声を上げた。
「待って・・・・!ここを・・・・!」
彼女が指し示した個所にあるのは、高い庁舎の屋根に佇む一人の影だった。しなやかな体つき、火の粉混じりの風に大きく
旗めく黒いマント、腰に挿した長いサーベル・・・・赤黒い夜空に浮かぶ、忘れられない影形・・・・・。
皆は思わず立ち上がる。
リア・・・・・!
焼き尽くされる街をじっと眺めるリアは、やがてマントを大きく靡かせ、空中へと飛び上がった。
翼を背負った黒い豹。脳裏に焼きつく姿そのまま、あの日と同じ彼の姿。
リアは弧を描いて落下しつつサーベルを抜き、回転を繰り返しながら民衆とも軍隊ともつかない群衆の頭上を駆け巡り、
人々を切り裂いて行った。湧き上がる悲鳴と歓声、吹き出す夥しい血。
まるで黒い輪が空中を転がる様に、一つの影になってリアは殺戮を繰り返す。
皆は言葉を失って青ざめる。サーベルが風を切るごとに火の手は上がり、群衆が波の様に通りや広場に押し寄せては戦車に
引き摺られ、瓦礫と炎に飲まれて消えてしまう。リアは殆ど炎と一体になって、人々の頭上を、戦車の上を飛び越え飛び移り
ながら、ほぼ南の方向を目指している。
じっとモニターを眺めていた004は目を離し、皆の方を向いてはっきりと言った。
「今すぐ出動だ。008は予定通り岬の海中へ。002と006は市街地の上を飛行し、現状を確認してからこれも基地の方へ。
残りは真っ直ぐに基地を目指す」
「え・・・では街の方は放っておくと・・・・」
皆は驚いて戸惑った。
「そうだ。理由はまず第一に、今のこの有り様ではもうほぼ壊滅に近い。俺達が到着する頃にはもうすべてが手遅れだ。
第二に、今ここでやり合っていると言う事は、基地の方は今は守備が手薄。攻撃のチャンスでもある。
・・・・もう一つ。リアが目指しているのは南。言うまでも無く岬の方向だ。俺達が早くに基地を押さえなければ、更に多くの
命が失われるだろう。この世の全てに、あいつは背を向けようとしている」
忘れられない悪夢。白い真昼の空に火を噴く戦艦、ジグザグに揺れて黒い煙を撒き散らす。灼熱の中に取り残された命・・・。
青ざめた顔の中、一番に008が頷いた。
「そうだ。もう一刻の猶予も無い。さあ行こう!!」
皆の体は自然に動き、一目散に走り出した。皆が同じ事を考えていた。またその下に別々の事を考えてもいた。
走りながら004は009に並んで囁いた。
「基地に入ったらお前はリアを探し出せ。引き摺ってでも連れて来い。あいつ自身の意志など、もうどうでもいい」
009が思わず顔を見る中で、前を見ながら004は吐き捨てる様に言った。
「・・・・・俺はなぜあの時、お前達を引き離す様な事をしてしまったのか。・・・・許せ009。許せ」
燃え盛る街の遠く黄昏の様なシルエット。そこから僅かに離れた森の奥、灰の匂いが風に乗って運ばれて来るほかは、
別世界の様に静かで暗い。夜の空気に呼吸する冷たい草木。それが体を擦る度に鳴る乾いた音は、丸で感情の無い叫びだった。
行かないで。引っ切り無しに誰かに引きとめられている様な。
茂みに身を潜め、レイガンを手にした00ナンバー達は黒い岬の突端を見つめ続ける。
しんと静まり返った岬も、その地下ではB.G達が蟻の様に動き回り、金と血の匂いのする場所を求めて活動しているのだ。
彼方に注意を払いながら、004は傍らの009をそっと窺う。彼の顔から戸惑いや悲しみの色は消え去っている。
レイガンを握る彼は、今や真っ直ぐな戦士の目をしていた。
その時地面が揺れた。低い地鳴りと共にぐらぐらと断続的に揺れ、海底から細い煙が何本も上がるのがはっきりと確認された。
「・・・・・・行くぞ!!」
茂みから次々と飛び出し、彼らは一つの場所を目指す。悲壮な希望だけを胸に抱いて。
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