月は夜ごと海に還り
(3)
「・・・・・・僕は生きて帰るよ」
小さな声で、ぽつりと呟いてみる。自分に言い聞かせる様に。
「何度敵の手に落ちようと、僕は必ず生きて帰る」
弱々しい声ながらも凛とした響きにリアは顔をあげた。
「・・・・・・辱めを受けても?」
「僕には生きる理由が十分にある。生きて会いたい仲間がいる・・・!」
リアは真直ぐに自分を見つめて来る相手の眼に、拉致されてから初めて宿る何かの意志を見ていた。外の廊下から厚い鉄の扉の隙間を
通して小さく漏れる光、それはかすかなものではあったが、そのすべてが009の赤い瞳に集まって、戦場で眼にしたのと同じ強
く深い輝きを放って自分に向けられていた。
リアは視線を外した。
黒い水溜まりの如く床に広がるマントを手繰り寄せ、所在無げに手の中のサーベルを指で撫でている。
「・・・・・・0・・・04か?自分の身に何が起っても、あいつの為に生きると・・・・・・?」
009は意外な言葉に思わず相手の顔を見た。
「何で分かったのかって顔だな・・・俺の諜報用としての機能を侮るな。あいつのお前を見る眼、庇う姿は単なる信頼する仲間としての
それではない」
「・・・あ・・・・・・」
やはりこの人の漆黒の瞳は、すべてを捉えてしまうのだ。
彼の前では、いつだって自分は丸裸同然なのだ。
いつだって。
リアはマントを引き寄せると、静かに立ち上がった。俯いてしまった009をちらりと見て、扉の方へ歩を進める。
用事が既に終わった今は、ここに留まる理由はもう無いのだろう。
「・・・・・・待って!」
立ち止まってリアは振り向く。
渾身の力を込めて起き上がり、縋る様にこちらを見つめる009。
無言のままお互い見つめ合う。
まだ尋ねたい事がある。
009は息を詰めて唇を開いた。
舌が言葉を紡ぐことを拒んでいる。まだあの金属片の感覚が口の中に残っている。でもそのせいじゃない。
意識的に空気を吸って、吐く。
相手は催促もしない。言葉の続きを待っているのかいないのか、その表情からは読み取れない。
その事が一層舌を麻痺させる。
「・・・君は・・・」
相手が扉を背にして立っているせいで、漏れ来る光が逆光となって体のシルエットを床に落す。黒い影が009自身を覆っている。
「君は・・・もしかして・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドッドド・・・・・・ン・・・・・・!!
遠くで爆発音がして、床がグラリと傾いた。
009は驚いて思わず天井を見上げた。
もう一度、爆発、轟音。床と天井がビリビリ震える。花火の様に低く、だが重い破裂音が振動となって体に響いた。
リアは全く動じずに部屋の奥に歩いていくと、壁に取りつけられた10センチ四方の小さな扉を開けてじっと覗き込んだ。恐らくそこから
外の様子が見えるのだろうが、009の位置からは伺い知ることは出来ない。
白い光が灰色の壁に道筋を作る。今は昼だ。
「意外と早かったな」
独り言の様に呟く。
爆発音が今度はもっと近くなり、激しい振動が足元から突き上がる。廊下の向こうからサイレン音が響き始め、多くの足音がバタバタと行き
来し始めた。非常事態であることは明らかだった。
「お仲間だ」
リアは小窓の扉をパタンと閉じた。そしておもむろにサーベルを鞘から引き抜き、こちらに近付いて来た。
殺されるのか。009は身を固くする。
リアはサーベルを勢い良く振り翳すと、ものの一瞬で009の片足にはめられていた枷の鎖を断切ってしまった。
「え・・・・・・?」
想像だにしなかった相手の行動に、009は呆気に取られた。
「仲間の顔を見ない内は、こちらがどうしたってお前は死ぬまい。脱出してもしなくても」
「・・・・・・」
「自分の死期は自分で決める・・・俺もな」
背を向けるとそのまま振返らずに、抜き身のサーベルを手に持ったまま歩き出した。
重い鉄の扉が開き、廊下の喧騒を僅かに伝えてから、音をたてて閉った。
闇の中で、轟音が渦巻いた。
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