月は夜ごと海に還り

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(4)



 廊下中に黒い煙が充満している。炎があちこちに燃え移って行く。

 リアを抱えて半ば引き摺りながら、009は這う様にして火の海をさ迷い続けた。リアの体の重みに加えて、地面を引き摺るサーベルと足首の枷がさらに歩行 を困難にする。目からはひっきり無しに涙が流れ、喉はひりひり痛んで擦れた咳が止まらない。
 機体はジグザグに揺れ、扇られた炎が踊り上がって天井を崩して行った。それでもまだ墜落せずにいるのはさすがB.G製の戦艦と言うわけで、普通ならとっ くの昔に空中分解していただろう。だがそれはじわじわと生きながら焼き殺されるかもしれないと云う苦悶の恐怖を証明するものでもあった。
 実際取り残された自分たちには、それがもう目の前の現実だった。丈夫な防護服さえも絶え間なく炎に晒されて、表面がちりちりと燻り始めている。
これまでは体内の酸素ボンベのお陰で呼吸はまだ何とか出来ていた。しかし今になって呼吸の乱れる感覚が短くなって来た気がする。
リアの呼吸は無事なのか。

 突き当たりの壁にハンドルの様な物が見えた。
─── 出口か?
  009は希望と共に歩を早めようとした。が、そこで本能的に脇に飛びのいたのは戦闘サイボーグ故の第六感が働いたのだ ろうか。
その出口らしき付近が爆発、炎上した壁が空中に吹っ飛んで、一気に炎が機内に逆流して来た。
床を天井を瞬く間に埋め尽くす赤い絨毯。
燃え盛る火の間から、白っぽい光が射している。だが今自分が居る場所からそこまでは火と煙の柱が勢い良く林立しており、自分のたたでさえ弱った体にさらに 人を抱えたままで、そこを突破するのは自殺行為だった。
 真上からぽたぽたと水が垂れ落ちる。
009はリアの体を仰向けに横たえ耳を澄ます。
息が殆んど無い事を認めると、009はリアの首の下に腕を入れ、彼の唇にぐっと顔を近付けた。
  彼の唇の間を何かが光った。
慌てて彼の顔を横向けにし、指でそっと唇を開かせた。途端にたらりと流れ出る細く赤い血の筋。

 リアの口腔に詰まったガラスの欠片をひとつひとつ取り除きながら、009は泣いた。
幾千メートルの上空に取り残され炎と共に隔絶された自分達の為に。自分には決して知らされぬ悲しい理由の為に。 今こうして目の前で為す術無く血を流し微弱な鼓動を伝えるきりの彼の為に泣いた。

 009は熱い涙と酸素不足に呼吸器が震えるのを感じながら、上を向いてふーっと息を吐いた。
顔にぽたぽたと落ちてくる水滴がそのまま涙と混じり合う。
苦しい。体が重過ぎる。頭に霞がかかった様だ。

─── これまで・・・かな

何だか急に眠気が襲って来た。瞼の奥で赤い炎が蜃気楼の様にゆらゆら揺らめいて、次第に朦朧とした世界に引き込まれる。


『・・・009、009!!!』

ああ、001か・・・
幻聴まで聞こえてきた
イワン、君が覚醒している時にもう一度会いたかったよ・・・。

『009、起きろ!これは幻聴ではない!009!!』

──── え・・・?

ぼんやりした頭の中が、虹色のエネルギーに満たされ始めた。

『001・・・?君かい?なぜ・・・』

『 そんなのは後だ!時間が無い。イイカイ、右側の壁を伝って今来た道とは逆に進むんだ。天井、天井を見るんだよ。必ず 光が注いでいる場所に行き当たる筈だから。002がそこに向かっている。サア、早く!!』

  赤子に相応しからぬ力強い口調とすぐ傍まで助けが来ているという朗報に、009は最後の力を振り絞った。
  リアをしっかり肩に担ぎ上げた。指示された通り右手の壁に手を当てて一歩ずつ足を進める。

 もうすぐ、もうすぐだ。
 周囲は灼熱地獄と化していた。破裂した水道管から降り注ぐ水も最早何の役にも立たない。
水が欲しい、新鮮な空気が欲しい、もう一度青い空が見たい。

何よりもみんなに会いたい・・・!

・・・生きる・・・!

009の自分の中の凄まじいまでの生への執着は、身体中に新たな精気を漲らせた。

光。天井から光が見える。


「ゼロゼロナイン!!ジョーおお!!」
「・・・0・・・0・・・2・・・」

  彼の声が聞こえる。続いて天井の穴から覗いた懐かしい顔。
ああ、やっと仲間に会えた。009は煤にまみれた顔を弱々しく綻ばせた。
002は早く009を抱き上げてここからおさらばしようと、急いた心を隠そうともせず幼児を誘う様に一杯に腕を伸した。

「早くこっちへ!引っ張り上げるぞ・・・ってお前、何だよそいつは!」
009の肩に担がれている人物に002は眉を顰めざるを得なかった。
「・・・お願い、この人を先に・・・」
009は息絶え絶えに、穴の真下から懇願する。
「何言ってんだ、こいつは敵じゃねーのか!!時間がねえんだ!爆発するんだぜ!!!」
こんな切羽詰まった状況での009の行動は、002の理解の範疇を越えていた。
「さあ、早く来るんだ。気持ちは分かるけど仕方ねえんだよ。そいつを下に置け!」
「駄目だ!」
こっちが殺されそうな程の強い眼差しに射ぬかれて、002は相手の決心を変える事は不可能だと悟った。第一、押し問答をしている暇など有りはしないのだ。
「・・・ったくよお!」
002は舌打ちして、009が下から押し上げる気絶した体を掴んで両手で引き上げた。
それからようやく009を引っ張り上げる。

「先にドルフィン号まで運んで!僕は動けるから!」

002は躊躇したが、それでも反論する暇など無く、ふたりを一度に抱えて飛ぶことも出来ず、しぶしぶ敵らしき人の体を抱えて再び空へ舞い上がった。



  機体の頂上に張り付いた002の一部始終を見守っていた仲間達は、彼がようやく引き上げた体が009の物では無く全く 見知らぬ姿だったことに戸惑いを隠せなかった。

「誰だ、あれは?」
「他に生き残っていた捕虜でもいたのか?」
「あれは敵じゃないのか?」

皆は口々に疑問を口にした。
004だけは何も言わなかった。
鋼の軋みにも似た妙な雑音を、微かに003の耳は拾ってはいたが。






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