モドル | ススム | 009

  言葉、言葉、言葉。   

   
 
 
 サイドガラスから射し込む西日を眩しく感じていたのは、ついほんの数分前の事だったのに、気付いた時には既に外は暗かった。
 ラジオもつけない静まり返った車内、点滅する信号や店先のネオンの光は煌びやかに夜空を飾っている。外は他の車の走行音で騒がしい。  前から来る車のヘッドランプが 幾つも顔を照らしては通り過ぎ、時折閉じる瞼の裏にまで、ぼんやりとした光を残して行った。
   視線を動かすと18:32の表示。ハンドルを握る彼の両手、そして青白い横顔が見えた。ジョーはその横顔に向かって口を開き掛け、だがすぐに取りやめ た。
 ここまでの間、最初の数分は気軽な打ち解けた会話が交わされていたのだ。だがどうしても避けられない話題というものが自分達の間には存在した。
時間が経つにつれて彼が望む答えと自分が口にする返事の内容との食い違いは露呈し、やがていつの間にか、ふたりの間で言葉は意味を失くしてしまった。
 ジョーはこの現状を打破しようと、あらゆる目には見えない努力をした。しかしそのどれも、彼を満足させるには足りなかった様だ。
 彼の言い分は、今まで彼から聞かされた言葉の常に延長線上にあり、その言葉の中にある説得や叱責のニュアンスは、却ってジョーの心を頑なにしていた。
 彼は一度車を止め、今少し強い口調で、この瞬間の自分の中にある思いをジョーに告げた。その具体的な内容に、ジョーの胸は苦しくなるばかりだった。
だが、わざわざ車を止めてまで話さなければならない事だろうか?窓の外は多くの車が行きかう繁華街の真ん中、ここで何が出来る訳でも無いのに。

 ようやく家の明かりが夜空に近い所でぽつりと見えて来る。車は家の前の坂道をゆっくり上がり、のろのろと(少なくともジョーにはそう感じた) 門を潜って暗いガレージへと入って行った。
闇に吸い込まれる様にエンジンが止まる。車内はしんと静まり返る。何も結論が出ないままふたりきりの時間が終わった。皆の居る家の中に早く入ろう、 自分も彼も、きっと少し疲れているのだ。暖かなリビングで皆の笑顔を見れば、きっとまた新たな道が見えて来るかもしれない。
 ジョーはシートベルトを外し、きゅっと顔を上げた。

「ね、アルベルト、僕には・・・僕らにはもう少し時間が必要だと思う。急ぐ必要なんてどこにも無いだろう?だって・・・」

 彼はハンドルに手を掛けたままじっとしている。暗がりの中で、彼の瞳だけがぼんやり発光して見える。
 
 ジョーは口早に続ける。

「上手く言えないけど、勿論僕は君が好きだし、それはこれまでも、これからも、ずっと変わらないんだから・・・」

 相手は黙っている。頭の中で今の言葉を噛み砕いて理解しようとしているのかもしれない。
 
「さあ、早く家に入ろう。いつまでもここに居ちゃ、皆が変に思うよ」

 今日はこれでおしまい。明るく言って、ジョーはドアに手を掛けた。
 
 
「俺は」
 
彼の声が動作を止める。
 
「そんな言葉はいらない」
 
 躊躇いがちに振り返ると、彼と視線がまともにぶつかった。その瞳の輝きが風に煽られた火の様に揺らめいて見えて、ジョーは怯んだ。

「俺が欲しいのはそんな言葉じゃない」

驚く暇無く肩を掴まれ、荒々しく腕を引かれた。気付いた時には既に唇は塞がれて、舌が押し込められていた。
手がジョーのシャツの襟を破かんばかりに押し広げる。唇が離れたと思うと、噛み付く様に首筋を吸った。

直ぐに彼はくるりと背を向け、上着を掴んで振り返る事無く外に出て行った。
 

 コンクリートの階段を上がって行く足音を頭の隅で聞きながら、ジョーは茫然と座席に凭れていた。
乱れた襟元はボタンの一つが弾けて無くなっていた。じんじんする唇と首筋に、呼吸が乱れる程震えた。

 フロントガラスには泣きそうな、それでいて浅ましい顔をした自分が亡霊の様に浮かんでいる。
 
 ジョーはガラスから目を背けて、襟元をゆっくり直した。そして何度か躊躇ってからドアを開け、外に出る。
 
 夢を見すぎていた自分を戒めながら、そして言葉の持つ意味とその限界について、ぼんやり考えながら。
 
 


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