或る日、突然電話で君は
夜、ジョーが居間に入って行くと、電話中のフランソワーズがこちらに視線を走らせて言った。
「あ、待って、今ジョーが来たから代わるわ・・・ええ、あなたの前が 彼なの。聞いてみてちょうだい」
受話器の口を押さえて彼女はこちらを振り返る。
「ジョー、アルベルトから。次のメンテナンスのスケジュールについてですって、あ、お風呂沸いたわね」
彼女はジョーに受話器を渡すと、忙しげに風呂の方へ向いながら奥のキッチンに向かって呼びかけて行った。
「グレート、幾ら探してももうこの家にブランデーは無いわよ!!」
奥から微かに聞こえる溜息を気の毒に思いつつ、ジョーは受話器を耳に当てた。
「もしもし、アルベルト?」
受話器の向こうはしんとしている。
「あれ?もしもし?」
訝しんでもう一度呼びかけると、
「ああ・・・・ジョーか」
と、ようやく彼の声が低く聞こえて来た。
「・・・・聞こえる?久し振りだね」
「・・・・・ああ」
「次のメンテナンスのスケジュール?えーとね、確か博士が札幌の学会から帰って来てからだから・・・・」
ジョーは受話器を肩に挟み、目の前の壁に貼ってあるカレンダーを繰った。
「・・・だから君は十五日だ。君の次はジェットだよ。・・・うん・・・・そう、僕は十二日の予定・・・うん・・・・だから今回はちゃんと余裕を持って
休みを取って来てね。前みたいに一日でドイツにとんぼ返りなんてしないでよ。みんな寂しがっているんだから」
受話器の向こうでアルベルトは淡々と返事をする。いつもと全く変わらない声なのだが、気のせいだろうか、ジョーには最初から何だか今日の彼の様子が
どこかきもそぞろ、上の空な様に思えた。余り彼らしいとは言えない。思えば、彼にとって仲間にわざわざ電話なんて煩わしいだけなのかもしれない。
せっかく一人で離れて暮らしているのに、仲間たちと関わりを持つ以上、過去の出来事や戦闘の事を完全に忘れることなど出来ないのだから・・・。
ジョーはそんな事をほんの一瞬で考えていた。彼がそんな人間ではない事はよく分かっていた筈なのに、些細な事を悪い方へ悪い方へと取ってしまうのは
、昔からの良くない癖だった。
はっと気付くと受話器の向こうで彼が問い掛けていた。
「この前言ってた、お前さんの肩の調子はどうなんだ?」
ジョーは慌てて受話器を持ち直した。
「ああ、うん、平気。しばらくしたら慣れたよ。最初に無理に動かしたのが良くなかったみたい」
それから他の仲間達の近況や張々湖飯店の繁盛の様子など、取り留めもない会話を幾つか交わす。相手の様子は既にいつもの調子に戻って見え、ジョーはもう
先程の心配などきれいに忘れていた。
「大人に言っておいてくれ。この前作ってくれたクラゲのサラダだったか、あれは美味かったと。次にそっちに行ったらまた作って欲しいってな」
「うん、分かった。言っておくよ」
仲間達が一堂に会した賑やかな食卓を思い浮かべて、ジョーは軽やかに答えた。
「こっちに着く時間が分かったらまた電話して」
「多分夕方の便になるだろう。なるべく早めに知らせるから」
「待ってるよ」
一瞬だけ会話が途切れる。それじゃあ、ジョーは言い掛けた。
「・・・・ああ、ジョー、ちょっと言っておきたいのだが・・・・」
「え?」
「愛している」
次の瞬間には受話器からツーツーと云う平たい音がしていた。
今日買ったシャンプー何処に置いたかしら。洗面所の方から彼女のスリッパのパタパタ云う音に混じって聞こえるフランソワーズの声に、
我に返って受話器を置いた。
ぼんやりあれこれ考えて、彼がたった今言った言葉の意味を何とか飲み込んだ時、ジョーの顔は盛大に赤くなった。
「ジョー、どうしたの?電話は終わった?」
腕にバスタオルを引っかけたフランソワーズが扉から顔を出した。彼女の言葉でようやく自分が電話の前に馬鹿みたいに突っ立った儘である事に気付いた。
高鳴る鼓動に押し潰されそうになりながら、ああ、うんとぼそぼそ呟いて電話から離れた。
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