深海
ぴったり閉めきられた窓から微かに聞こえる潮騒。
目覚まし時計の秒針の軋み。
ほかに音は無い。
天井の明かりが煌々と照す、その部屋は。
──── 君でなければ友情なんてものは
床に視線を落したまま呟いたその人。
声は夜の海に投げ入れられた小石の様に響いた。
頬に掛る髪が、長い睫毛が邪魔をして、その視線を捉えることは出来ない。
──── 『友情』なんて言葉を弄ぶとは、いかにも君らしいよ
そう言葉を返すと、前髪がぴくりと揺れた。
ふたりの間にあるのはテーブルと、空気と時間が燻る
「沈黙」。
椅子から立ち上がりその向こう側へ行く事は簡単だが、あえてそれはしない。
少なくとも、まだ。
──── 『友情』だって?ここに来てよくそんな事が言えるね
穏やかに、でも無機質に言葉を発する。
相手は体を固くしたまま動かない。顔を見ることが出来ないもどかしさ。
──── 彼にもそんな事を言ってるのか
────・・・・・・
──── 分かっていると思うけど、彼と僕とは違う。・・・僕は彼よりも若くて、物わかりのいい大人の役割を演ずる事は出来ない。
そして誰かの為に自分の感情を封印するなんて芸当も出来ない。いつ死んでも悔いの無いように、自分の心には常にケリをつけておく。
かつて祖国で、死んでゆく同胞達から学んできた事のひとつだ
テーブルの上に投げ出された手。その手に自分の手を重ねた。
下になった手がすかさず抜かれる。
素早く追って捕まえる。
──── 君は僕の事を穏やかかつ冷静沈着な軍師だと思っているだろうけど、そういう意味では僕は全く殺那的な男なんだよ
ぶつかる瞳と重ねた手に込められた力。
ガタン!
椅子が倒れた。
立ち上がりドアの方へ駆寄ろうとした体を、 素早い動きが封じた。
背後から強く抱き締める。宙に凍り付く彼の指先。ドアノブまであと数センチ。
──── ・・・見守るだって?そんな事誰だって出来る。そうでは無くて僕は・・・!
こくんと鳴った喉の震え。唇を通して伝わる感情の渦。
この瞬間、言葉はきっと皮膚を通して体の隅々まで流れ込んでいる筈だ。
一瞬で獲物に喰らい付き牙を立て、海の底に引きずり込む鱶 (ふか)。
サディスティックな高揚感。
明かりが眩しいほどに満ちた、部屋の中。
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