(3)
瞬く間に夏は過ぎ、今年は短い残暑の後で秋は駆け足でやって来た。
秋風に誘われる様に近頃は行軍の機会が多くなった。
鰯雲が泳ぐ高い空の下、薄くなった日差しに照り映える軍旗や天幕。茶色く染まりつつある山道を縫う行軍の列。
冬が来る前に北部の山地付近で膠着している戦線を突破したかった。
拠点から拠点を移り、部隊は息つく間が無かった。
十月十日を目の前にして、またしても桂は悩んでいた。
抱擁と頬への口づけ。
『俺ん時は倍返しね』
寝ぼけた顔でふざけ半分の行為、当の本人は覚えていないかもしれない。だが完全に素通りするのも何だか薄情な気がする。
では銀時の誕生日、自分は一体どの様に祝えば良いのだろうか。
桂は生真面目に考え続けた。
自分も抱擁と口づけで倍返ししてやるか?いや、まさか。きっと頭を叩かれてお前ちょっと病院でも行った方がいいんじゃない
とか言われて終いだろうなと桂は想像して笑った。
「気味悪りーな。何一人で笑ってんの?」
少し離れた所にいた銀時が目ざとく見つけて話しかけて来た。
桂はその間の良さも可笑しくて尚も笑いを隠せない。
「ちょっと考え事をしていたのだ」
「一人で笑うなんざどうせやらしー事だろ」
「違うぞ。貴様の事を考えていたのだ」
銀時は一瞬黙った。
「・・・・・ふーん、どんな事?」
「まあ、あんな事やこんな事だ」
軽く答えた桂の目に銀時はなんだかたじろいだ様子を見せてから、
「・・・・・あーんな事やこーんな事なんて、やっぱヅラ君やらしー俺の事そんな目で見てたのー、一体いつからー」
出て来たのはやっぱりいつもの減らず口で、桂が笑って受け流していると、珍しく真面目な顔で早足で歩いて来た坂本が、
二人にちらっと視線を送ってニヤリと笑い、通り過ぎて行った。
廊下の向こうからは高杉のやたら切羽詰まって呼ぶ声が大きくなって近付いて来る。
「おいヅラ!どこだ・・・・!」
桂ははいはいと立ち上がり、その場を離れた。
いつもと何も変わらないありふれた日常の一幕だった。
だがなぜか、この日の銀時の言葉や表情は後に何度も桂の胸に蘇る事になった。
十月十日の一週間前の事だった。
その夜、桂は私物の入った柳行李を開いて、まだ出来上がっていない小帷子を取り出した。
以前、自分が着るつもりで仕立てに出していたものの陣地の急な移動で途中で引き取らざるを得なかった物だ。
これを自分で仕上げて銀時への贈り物にしよう。
成人男性の平均寸法で仕立ててあるので、あいつにも充分着られる筈だ。本当は菓子などの方があいつも喜ぶのだろうが、
この辺りにそういう店は無いし、小帷子などの消耗品は幾つあっても困る事はないだろう。
これは良い考えだ。
自分の思いつきに満足した桂はその夜から暇を見つけては針と糸を手にした。
職人の様に綺麗にとは行かないので、とにかく丈夫に縫う事を心がけた。難しい衿付けは引き取る直前に頼んで先に済ませてもらっていたの
で、
後は割と簡単に仕上がった。
これだけではなんだか愛想が無いと思い、衿先の裏側に青い糸で
「坂田」と縫い取りを入れてみた。
更に思いついて桂はもう一度行李の中を探った。
見つけ出したのは身代わり守のお札。
前に一人で町に出た際、偶然通りかかった神社でお参りをして武勲を祈った。
そこで売られていたこのお守りが目に付き、何とはなしに買っておいたのだ。
多くの仲間が戦に加わる際に家族や恋人から贈られたこのお守りを持ち歩き、時折酒の席などで互いに見せ合っては自慢していた。
自分の故郷がどんなに美しく素晴らしい所か、幼い弟妹がお小遣いを出し合って贈ってくれたとか、優しく健気な恋人が村でずっと自分を待っ
てくれているとか・・・・
余り布で簡単な袋を作って身頃に縫い付け、中にお守りを入れた。袋の口は縫わずにおいて、洗濯の際にはお守りを出しておけるという優れ
ものだ。
袋は深めに作っておいたので早々に落とす事はないだろう。
当日、あらゆる用事を済ませて銀時と対面出来たのは、もう夜遅かった。
祝いの言葉と共に丁寧に畳んで贈り物の体裁を整えた品物が銀時の前に差し出された。
銀時は無言でそれを見つめ、おもむろに手に取ってその小帷子をはらりと広げた。
揃った部分と不揃いな部分のあるばらばらな縫い目を見てから銀時はついと衿先を捲った。
これまた読むのもやっとな拙い「坂田」の縫い取り。
更に不格好な袋に目を止め、中を探って出て来た例の身代わり守をまじまじと眺めた。
何も言わない銀時の様子に桂は段々と居心地が悪くなって来た。
下手くそな縫い目と縫い取り、わざわざお守りなぞを添えるのも何だか少女じみた行いだ。
しまった、こういうのは女が恋する男にしてやる事だった。
銀時はかなり引いているのではないか。
一部職人の手が入っているのも実に中途半端だ。
俺はとても恥ずかしい事をしてしまったのではないだろうか。
「ええと、何だか色々済まない。本当は菓子などにしたかったのだがこの辺りにはないし、
これなら実用品として使えてお得だと思って・・・・」
あやふやに言い訳する間、銀時は縫い取りを指でなぞり、袋を触り、お守りを何度もひっくり返したりして眺めている。
「・・・・これ、お前が作ったの」
銀時はぽつりと尋ねた。
「ああ、うん、途中から、一応最後まではな。何とも不格好だが、その、」
桂はどうにも気まずかった。
「んな事ぁ分かってるよ、ヅラ、てめー、」
おもむろに銀時は桂の方にずいと近寄った。
「・・・・・んな事ぁさぁ、分かってるって・・・・・下っ手くそな縫い目で、名前なんか入れちゃってさぁ、しかもお守って何よ、お守りっ
て・・・・」
まるで酔っ払いがくだを巻く様にぶつぶつ言いながら桂を抱き締めた。
「え・・・・っと、気に入ってくれたのなら良かっ・・・・」
銀時は桂の顔を覗き込んだ。桂が戸惑っていると銀時は腕の力を強くして、唇を桂の頬にさっと押し付けた。
あ、と思った瞬間にそれは桂の唇へと触れ、少し離れてもう一度、三度目に二人の唇は柔らかく重なっていた。
銀時の睫毛や白い髪で視界が一杯になる。
抵抗も忘れて、銀時の体が熱い事とか唇が湿っている事とかを桂はぼんやりと感じている。
ああ、あの日も同じだったな。
一体いつからなんだろうな。
深まる十月十日の秋の夜、降ってもいない雨の音が遠くから迫り、自分と銀時、重なる二人の中を駆け抜けて行く様に、
桂は思えてならなかった。