(6)
思えばその年の冬から春にかけては、二人きりになれば口づけばかりしていた様な気がする。それが愛しさや情熱ばかりでなく、
あらゆる恐怖と不安から目を背ける為の所業である事は二人は痛いほど分かっていた。
二人の事はいつの間にか隊の中に知れ渡っていた様だが、二人を快く思わない者は多く、卑猥な言葉でからかって来たり、
あからさまな敵意を向けて来る者もいた。だが戦場という場所では、罪の意識に悶えるよりも、今この瞬間を懸命に生きる方を二人は選んだ。
二人は若く、生き急いでいた。明日や未来がただ怖かった。
走り続けていなければ、死という化け物に足を取られて、あっという間に飲み込まれてしまいそうだった。
夜、隊の皆でぞろぞろと煌びやかな花街に繰り出していた。
久々の盛り場に浮かれ気味の仲間達の少し後ろを、桂と銀時は並んで歩いていた。
銀時の歩みが段々遅くなったと思ったら、ふいに彼は桂の手を掴んで横道へと引っ張り込んだ。桂は一瞬驚きはしたものの、
掴まれた手を直ぐに握り返した。
二人は手を取り合って細い裏道を駆け出していた。
頭上を赤い提灯がゆらゆらと揺れ、狭まった細長い夜空を薄赤く染めていた。表通りから差し込む灯りと道に落ちる建物の暗い影が交互に二
人を照らし出しては飲み込んだ。
息を弾ませて必死に走りながら二人は笑い出していた。皆は自分達が消えた事に気付いただろうか。でも居場所は誰にも分からない。
誰も追っては来られない。この賑やかな夜の盛り場の中、誰も二人を見つけられない。
転がり込んだ先は小さな連れ込み宿で、静かな廊下では必死に口を押さえていたが、部屋に入って襖を閉めると同時に二人は崩れ落ちて笑い
あった。
馬鹿みたいに笑いながら布団に倒れ込んで、上に下に揺れ合ううちに、今度は二人とも馬鹿みたいに黙りこくっていた。
二人は着物を脱がせ合い、まだ治りきっていない傷口に互いに何度も唇を付けあった。
銀時は最初の時と何ら変わらない、この世の終わりの様な切羽詰まった顔をしていた。
自分はどんな顔をしているのだろうと桂はぼんやり考えた。
綺麗だろうか、また抱きたいと思ってくれているだろうか。
これからもずっと共に生きて行きたいと、思ってくれているだろうか。
夜明け前から降り出した雨が草木をしっとりと濡らしていた。
障子を開け放した板の間で、隊は出陣準備に奔走していた。雨の音に混じって忙しく床板を踏む音や刀や鎧が触れ合う硬い音が続く他は皆は
言葉少なく、
決戦を前に緊張が高まっていた。
桂は縁側の近くで髪を結い直しながら降り続く雨を眺めた。湿気た空気で吐く息は白く、また真冬に逆戻りしたかの様だった。
一際大きな白い息が向こうからもやもやと流れて霧の様に雨の中へと消えて行った。細い煙と腰に差した刀の先が向こうの柱の影から覗いて
いる。
坂本が一人で一服しているのだ。
彼はおもむろに軒から滴る雫の下に煙草を持つ手を伸ばした。半分も吸っていない煙草は憐れにぐっしょりと濡れて雨に項垂れた。
櫛を取り出そうとした桂の手に懐の手鏡に触れて、何となく取り出してみた。端が小さく欠けた鏡面は手の中でたちまち白く朧に曇った。
曇りを指で擦ると、背後でこちらを見つめる高杉の姿が小さく映り、すぐに消えた。
ようやく桂は櫛を取り出し、二、三度髪に通してから口に咥えて紐を結わえようとした。だが湿気のせいなのか、なぜかその日髪はなかなか
纏まってくれず、何度も紐が解けて指から逃げた。
するとさっと坂本が近寄って来て、桂の口から櫛を外した。何度か梳いてから櫛を口に咥え、坂本はあっという間に紐を結い終えてしまった。
すまない、と桂が言うと、彼は最後の仕上げの様に桂の前髪をちょいちょいと梳いてから、櫛を桂の懐に差し込んで、ふいと去って行った。
さっきからずっと部屋に銀時の姿は無かった。さっさと支度を終えてどこかを一人でぶらついているのか。
今日銀時があの小帷子を身につけているのを桂は知っていた。
先程着替えの時にこちらに背を向けて彼が素早く腕を通し小さく翻った裾の端に、青い色の縫いとりといびつな形の袋の様な物を桂は目にして
いた。
どうせもう出陣の時刻まで特に用事は無い。ほんの十数分後には嫌でも顔を合わせるのだ。それまでは自由にしているがいいさ。
この雨はいつまで降り続くのだろう。今日の戦闘が終わった時、濡れた寒さを口実に二人は否応無しに寄り添い合うのだろうか。
そうしたら俺は昨夜の様にあいつに口づけをしてやろう。
血と汗にまみれた小帷子の下の傷にも、生き永らえた祝いに、何度も口づけをしてやろう。
「ふい〜〜〜」
浴室を出た銀時はバスタオルで濡れた頭をごしごし拭きながら和室へと足を踏み入れた。
引き出しの前で物想いに耽っている桂がいる。その手の中にある物を見つけた銀時はたちまちぴしと固まった。
「おいおい、なに人の物勝手に漁ってくれちゃってんの」
慌てて桂に駆け寄り、乱暴にその小帷子を取り上げる。
「あ、」
桂は名残惜しそうに取り上げられた小帷子を目で追った。
「人の下着漁るなんてヘンターイ」
「人にパンツ届けさせておいて何を言っている。第一それは俺が縫った物ではないのか」
「はい〜〜ちょっと何言ってるかわかりません〜〜〜」
桂が手を伸ばして取り返そうとするその小帷子を銀時はぞんざいに丸める様に畳んで仕舞おうとする。
「こんな懐かしい物にお目に掛れるとは・・・・もうとうの昔に捨ててしまっているかと・・・・俺でさえ忘れていたというのに」
「忘れてたのかよ!」
思わず突っ込んでから銀時は慌てて打ち消した。
「いや、ほんと何言ってるか分かんないからね。お前は何も関係無いからね!」
「ああ思い出が蘇って来る様だ・・・・毎晩貴様の為に夜なべしてちくちくちくちく・・・・この一針一針に俺の愛情がたんと篭っているのだ
ぞ。
渡した時の貴様と言ったら、俺をこう・・・・むぐぐ!!!」
目を閉じ、うっとりと自分の体を抱き締めた桂の口を銀時は手でがしっと塞いだ。
「むぐ・・・・照ひぇなくても良いのに。ふぐ・・・誕生日のぷれひぇんとなんて、ふぐぐ・・・贈る方も贈られる方も嬉しいものなんらぞ」
「はい〜〜益々何言ってるか分かりません〜〜〜」
銀時は桂の体を突き飛ばそうとしたが、桂はそれをゆるりと避けて、脇から小帷子を上手く奪い返してしまった。
げんなりした顔の銀時を尻目に桂はゆっくりと座り直す。
「不思議なものだな。遠い昔に消えて無くなったと思っていたものが、今こうして手の中にあるなんて」
桂は膝の上で小帷子を丁寧に撫でつける。当時は新しく真っ白だったそれは過酷な運命に弄ばれて、今は穴が開いて擦り切れた、
ただの古びた布になってしまっている。解れて読めなくなった名前の縫いとり、この布袋の中に確かに入れておいた身代わり守の札は、
どこに行ってしまったのだろう。
俺が贈った御守りは、身代わりにちゃんと貴様を守ってくれたのだな。
「はいはい思い出タイム終了〜〜〜〜」
銀時は急かす様に手を叩いた。そして大股でどしどしと襖の前まで行くと上の段から布団を引っ張り出し、どすんと畳に放り投げる。
「ちょ・・・・、これは何だ」
「ほら六時までまだ時間あるから」
「六時?六時に何があるのだ?」
銀時は言い難そうに、
「あー・・・・六時から神楽と新八が下のババアんとこでお前のアレをアレするってよ」
「アレ?」
「アレだよ!」
「アレ・・・・?」
「だから・・・・今日は六月二十六日だろうが!誕生日パーティーだよ!!」
「え・・・・」
「だからほら、あと三時間もねえからな。だいたい俺がシャワー浴びている間にお前が気ぃ利かせとくべきだったんだからね!」
銀時はてきぱきと布団を広げ、驚いている桂をさも当然の様にそこに押し倒した。
「銀時・・・・」
「んー・・・・」
「俺は・・・・俺は・・・・」
感極まった声に胸から顔を上げてちらと盗み見ると、桂はうるうると潤ませて宙を見つめている。
「俺は今、幸せに胸が張り裂けそうだ・・・・!」
「あーはいはい」
銀時は再び顔を伏せて行為を続行しようとする。
「俺はどうすれば良いのだろう・・・少なくともこんな事をしている場合ではない気がするのだが、銀時」
「はあ!?」
銀時は勢いよく顔を上げ、桂は銀時の下でもぞもぞと動いた。
「・・・・おめー空気読めよ。この状況だったらほとんどシナリオに書いてある様なもんだろうがよ」
「だって・・・・本当にどうして良いか分からないのだ。銀時、俺はどうすれば良いのだ?」
桂は本気で途方に暮れた様子で首を傾げた。
銀時はやれやれと溜息をついて桂の顔を覗き込み、優しくゆっくりと長い髪に手を差し込んだ。
「何もしなくていーよ。誕生日くらい何もせずに素直に祝われておけばさ」
「・・・・そうなのか?」
「そーだよ。・・・・だ、だから今お前は素直に俺に抱かれてりゃ良いんだよ!」
桂がぴたと動きを止めた。言ってしまってから銀時は、うわ、俺今何か凄い恥ずかしい事言った!と心の中で悶えた。
桂は銀時の顔をまじまじと見つめてから、ふわっと笑った。
「そうか。こうして貴様が居て一緒の時間が過ごせて・・・・貴様の子供達まで元気で居てくれる。その幸せだけで十分なのだな」
桂は嬉しそう笑って下から銀時の体をぎゅっと抱きしめた。
「あーそーだよ」
銀時は投げ遣りに桂の髪を何度も撫でて、笑い続けている彼の体を強く抱き締め返した。
二人は抱き締め合ったまま布団の上をごろりごろりと転がった。
六月二十六日。 初夏の太陽も情熱の向こうに置き忘れた梅雨の季節。
時を越えて尚、何も変わらぬ色と音でその真下で重なる二人を濡らして包む優しい雨音。
「俺は今世界一の幸せ者かもしれん」
無邪気に桂が囁く。銀時はぐっと胸が詰まる。
何やかや口の中でもごもごさせてから銀時は、
「・・・・俺もかな」
外の雨音に紛れた声で桂の耳元にそっと囁き返した。
〜 Fin 〜