(5)
山を下りてから三日、 予定の日から数日遅れて、ようやく隊は合流地点にある庄屋の屋敷に到着しようとしていた。
林を抜け、遠目に見える門の付近で、向こうからもこちらの隊列が見えているに違いない、人影が慌ただしく出入りを始めたのが分かった。
やがて再会の時がやって来た。
数日前に既に到着していた別部隊の仲間達が庭先にばらばらと走り出て来て隊を出迎え、皆は肩や背中を叩き合いながら互いの無事を喜び
合った。
そんな仲間達の姿を少し下がって眺める桂の目に、行き交う仲間達の向こうからこちらを見つめてぼんやりと突っ立つ銀時の姿があった。
ふいに背後からぐっと肩を抱かれた。はしゃぐ仲間達の姿に同じ様にじっと目を注ぐ坂本の顔があった。彼は眩しそうな瞳で
眼前の光景を見つめてから、急に体を離して桂の背中ををどんと押した。早く行け、とか何とか言われた気がした。
「・・・・・ヅラ!」
軒先から飛び出した高杉が真っ直ぐに駆け寄って来た。
「お前、どんだけ遅れたと思ってんだ・・・・!」
ほんの数日の遅れをなじられながら、桂は高杉に腕を引っ張って行かれた。目の端に映った銀時はやはりさっきと同じ姿勢でこちらを見つめ
ていた。
他の仲間達も一緒に連れて行かれた厨では、熱い甘酒が鍋一杯に湯気を立てて皆を待っていた。
次の日、大勢の者達が遊郭へと繰り出して、師走の足音聞こえ始める静かな夜、屋敷は閑散としていた。
桂は留守を守るつもりで屋敷に残った。各大名への書簡など書き物を終えてから、大所帯から束の間解放されてのんびりとした一人寝を楽し
もうと、
寝巻に着替え、部屋の隅から布団を持って来て広げようとした時だった。
カタン、と音がして振り返ると、襖の敷居の所に銀時が立っていた。
「・・・・貴様、皆と一緒に出かけたのじゃなかったのか」
「うん・・・・まあね、行ったけどつまんなくて帰って来た」
「まだ一時間くらいしか経たんぞ」
桂は小さく笑った。
銀時はそわそわと視線を外した。
「・・・・・もう寝てるかと思ったけど」
「ああ、もう休むつもりだが」
「あ、そ」
一瞬何かを考える様にしてから、いきなり銀時はさっと襖の向こうに引っ込んで、向こうに足音が遠ざかって行った。
しばらくして桂は立ち上がり、部屋を出ようと襖の方へ歩いた。と、敷居の所でいきなり銀時が再びひょっこり姿を現して、
危うく鉢合わせしそうになった。
銀時は平坦な声で尋ねた。
「何処行くの」
「えっと、か・・・厠」
銀時はじろりと探る様に桂を見つめると、ぐいと桂の腕を取って何も言わずに廊下を歩き始めた。
「一体何だ」
銀時は答えなかった。腕を引かれて辿りついた先は屋敷の一番奥の小部屋で、いつ用意したのか、床が一つ敷かれていた。
こちらを振り返った銀時はとても固い表情をしていて、恐らく今自分も同じ顔をしているのだろうなと桂は思った。
銀時はすたすたと歩いて行って掛け布団を捲り、どしんと座った。
「何してんの」
部屋の隅に突っ立った桂に声を掛けた。
「ヅラ」
桂は動けなかった。銀時は忌々しそうに舌打ちしたが、すぐに思い直した様に表情を緩め、立ち上がって桂の両腕を優しく取った。
「お願いだからさ、ヅラ」
多少芝居がかった調子で銀時は弱弱しく懇願する。
「ヅラじゃない・・・・」
呟く声を無視して銀時は桂の腕を引いて布団の方へと連れて行く。
銀時は勝手にばさばさと着物を脱いで、さっさと床に入った。
桂は半ばつられる様にして、躊躇いがちにのろのろと髪を解き、ゆっくりと床に入った。
銀時が布団に頭を付けてこちらを見ていた。二人は横たわって見つめ合った。
絡まった視線はなかなか解けなかった。
桂は苦しくなって布団に深く潜り込もうとした。
その時銀時の腕が伸びて、布団から覗いていた桂の手を握った。桂が思わず息を飲むと、いきなり銀時ががばりと起き上って、
傍らの燭台の灯りを勢いよく吹き消した。状況に気を取られて消すのをすっかり忘れていたのだ。
ぱっと周囲に散った黒い闇と一緒に銀時が飛び込んで来た。
外から帰ったばかりの銀時の髪や頬はまだ冷たさを残していて、冬の夜の匂いがした。
耳元で銀時が低く囁いた。
ひと月も待たせやがって、このヤロー
二週間が過ぎた。隊を中枢を担う二人は偵察や藩主との会見などに日々忙しく、擦れ違いの時間を過ごしていた。
時折ふと二人の視線が絡み合う事があった。だがそれは直ぐに日常の一瞬としてかき消えた。
あの夜の記憶がこの儘流れて消えるものならそれも良し、この戦場に来た使命を忘れてはならない。桂にとって、
多忙な毎日は大変に有り難い事だった。
仲間達の間から見つけた銀時の姿に一瞬気を取られる。その桂の目の前を、腰から例の巾着袋をぶら下げた坂本が横切って行った。
彼はあの日から度々こうしてぶら下げて歩いている事があって、桂はばつの悪い思いをしていたが、中身はどうやらその都度変わり、
地図だったり煙草だったり、歯ブラシが出て来た事もあった。
そう言えば、銀時の方は、あの小帷子を使ってくれているだろうか、と或る時ふと桂が考えていると、いつの間にか視界いっぱいに坂本の顔
があった。
桂が驚いていると、彼は例の巾着の中をごそごそ探り、この時取り出されたのは蜜柑色の飴玉だった。
きょとんとする桂の前に坂本は飴玉の包みを剥き、つまんでゆっくりと桂の唇の前に持ってきた。桂はつられて口を開き、
坂本はその中にそっと飴玉を押し込んだ。
飴玉は口の中をころりと転がり、じわりと甘みが広がった。美味いか、と訊くので頷くと、彼は満足そうな顔した。
甘い物なら銀時に、と桂が言うと、傍を通った高杉が、すかさず、口移しでもしてやったらどうだ、と吐き捨てて行った。
坂本は桂の膨らんだ片頬を見て、うん・・・・と嬉しそうに少し寂しそうに微笑んだ。
今日は西の隊が新たに合流し、その受け入れ準備と宴席の支度で数日前から屋敷内は慌ただしかった。
酒が蔵から次々と運び出され、膳が整えられる。厨から広間は料理の匂いや湯気が隊士達の間を縫って行き来する。まる
で暮れが一足先に来たかの様に屋敷の中はどこもかしこもざわめきだっていた。
数少ない酒宴の機会に最初の乾杯から程なくして皆早々に出来あがり、あちこちから嬌声が上がり、卑猥な冗談が飛び交
っての乱痴気騒ぎが繰り広げられる。
桂は酒は程程に付き合う程度にしておいた。皆が酔いつぶれてしまっては不測の事態に対処出来ない事と、またこういう
席では、特に今夜の様な別部隊という普段知らない者が大勢居る場所では、自分の様な人間は、興味本位の、
あまり気持ち良いとは言えない扱いをされる事が多く、それらをなるべく避ける為にも、厨と広間の間をばたばたと立ち働いていた。
どんどんと運ばれて来る酒に残りを確認しようと桂は席を立ち、厨の裏の倉庫へと一人寒い廊下を出て行った。
残りの数を数えて桂は渋い顔をし、明日の朝一番にせねばならぬ事は帳簿の確認だなと考えながら廊下を戻っていた時だった。
ふいにガタッと音がして、横の納戸の中から手がにゅっと伸びて来たかと思うと桂の腕を掴み、体ごと中へと引き摺り込まれた。
壁に勢いよく背中を押しつけられ、桂は息を飲む。
「貴様どうして此処に・・・・」
爛々と鋭い眼で銀時は後ろ手で戸を閉めた。瞬時に埃と黴、そして暗がりに一度に閉じ込められ、同時にのしかかる様な体勢で桂は唇を奪わ
れていた。
熱い舌が唇を割り、二度、三度と乱暴に探られ、呼吸の合間に銀時は低く唸る様に囁いた。
「どうしたもこうしたもねえよ、ずっと無視しやがって、あれで終わりとか思ってんじゃねえぞ・・・・!」
「ま、待て、今は早く戻らねば・・・・」
桂は焦って押し止めた。
「うるせえ、俺だって急いでんだよ」
銀時の勢いに桂は慄いた。宴席で時々横目で見ていた分には、こいつはそんなに飲んではいなかった筈だが、だがこの手負いの獣の様な乱れ
様はどういう事だ。
「こんな所で・・・・・駄目だ・・・・!」
桂は声を落として尚も抵抗する。
「すぐに終わるから。早くするから」
切羽詰まった声で銀時は早口で囁く。裾が捲り上げられ、着物が裂けてしまいそうな強さで熱い手が体をまさぐって来る。
体に当たる雄の固さと熱さ。心の奥にずきんと甘い傷が走った。
銀時の舌が、唇が、信じられない部分を這い回っている。銀時の背中が何度も上下している。一度はされた行為だが、とてもいけない事だと
知っている今だからこそ、
心が張り裂けそうな程恥ずかしくて気持ち良くて、涙が溢れそうになる。
狭い納戸には二人の熱い息と喘ぎが篭る。外からざわざわと仲間達の飲み騒ぐ声が聞こえて来る。
桂は体を床に這う様に押し付けられ、そこに後ろから銀時が乗り上げて来て、忙しなく入り込まれた。
まだ男同士の行為に慣れていない、固い二人の体がぎりぎりと悲鳴を上げて絡み合った。
何度か動いてから銀時は低く吐く様な呻き声を上げて体を震わせた。
桂が銀時の下で掠れた声で呻くと、銀時は繋がった儘桂の体を抱えて反転させ、今度は正面から圧し掛かった。
「あ・・・・え・・・・?・・・・」
桂は目を見開いた。
銀時は傍らに積み上げられていた毛布を片手で引き摺り下ろし、二人の上にどさりと降って来た埃臭いそれを床に振り落として、
その上に桂ごとずり上がった。
耐えられない程大きくはしたなく足を開かされ、情欲に歪んだ顔で銀時は何度も桂の中へ打ち付けた。
引き攣った長い呼吸が何度か続いた後、銀時はぐったりと桂の上に倒れ込んだ。
銀時は桂の髪や頬、唇へと慌ただしく何度も口づけてから立ち上がり、
放心する桂を残して、素早く納戸から抜け出して出て行った。
桂は毛布の上に倒れ込んで動けなかった。
荒い息は止まず、がくがくと震えて体に力が入らない。
熱で湿った耳奥に、遠くから相変わらず聞こえて来る宴の華やかな笑い声が篭って聞こえる。
もう戻れない。
ただその思いだけが痛みと熱と一緒に体の中を駆け巡り、高鳴る胸に夜の雨音の様に響いていた。