(17)


 うとうとと眠り、ふっと目覚める。飛び起きそうになって、傍らの温かい体温と微かな寝息に気付き、へなへなと体の力が抜け落ちる。 山崎は桂の体に一層寄り添い、縋りつく。

 紺色の闇と微かな光は何も変わらない。まるでこの部屋だけ暫く時が止まったかの様に。
 止まった時間の間、山崎は腕の中の彼を恋人と名付ける事を、自分に許す。


 桂の眠る顔を見つめていた時、白い瞼が微かに動いて、ゆっくりと彼が目を開いた。黒い雫の様な瞳が揺らめき、 柔らかく瞬きをして、桂は眩しそうに山崎を見た。
山崎は嬉しくなって、彼の頬に掛る髪をそっとかき上げ、そこに唇を寄せようとした。 その時何かに気付いた様に桂は息を飲んだ。山崎の指が桂の頬の上で凍り付いた。

「・・・・っ・・・・」

 何かを言い掛ける様に彼の唇が動いたが、ふうっと淡い溜息を吐いただけで、彼は目を閉じた。

 山崎はじっと目を見開いて桂の髪に顔を埋めていたが、喉の渇きを覚えて、冷蔵庫の中に水があるのを思い出し、 裸の儘ゆっくりと起き出した。
 先ず一口二口飲み干してから蒲団に近付いた。桂の顎に指を掛けて促し、山崎は口に含んだ水を口移しで飲ませた。
 彼の喉がこくりと鳴って一口飲み干すのを見届けると、山崎はもう一度ぐいと水を口に含み、彼に息つく暇を与えずに唇を乱暴に捉え、 強引に流し込んだ。
たちまち桂はむせ上げ、唇から溢れた液体が頬や蒲団に零れ落ちた。
咳き込みながら非難の目を向ける彼を、山崎は黙って見つめてから、その濡れた唇を舐め上げた。




 ざあざあと音がして、雨が降り始めたのかと遠い意識の中で考えていると、瞼の隙間に洗面所の方から微かな明かりが流れ込んで来た。
同時に隣に気配が無い事を知り、山崎はばっと起き上った。

 走って洗面所の方へ駆け込んだ。擦りガラスの扉の向こうに白い影が見えた。山崎は扉を開け放った。流れるシャワーの下で桂がはっとして こちらを振り返った。

 山崎は中に飛び込んで桂の体を抱き締め、壁に押し付けた。温かな湯が流れ落ちる中で、山崎は舌を絡ませた。 あ、と息を零して仰け反る桂の体を床に押し倒した。明るい浴室の中で見る桂の体。濡れて光り、湯で上気する彼の白い体、赤い唇、赤い乳 首、 先程までこの自分が嬲っていた性器。

 山崎は彼にのし掛かり、入り込む。舌も唇も手足も、全てが絡み合う。浴室中に満ちる湯の中で二人は溺れ、夜の終わりに向けて沈んで行 く。






 次に山崎が目を開いた時、閉め切った狭い部屋にカーテンを通して薄灰色の光が霧の様に満ちていた。隣に桂の姿は無かった。 先程の様に飛び起きて姿を探す事は、山崎はもうしなかった。
 再び目を閉じてまた開いた。柔らかな感触を確かめる様に蒲団を裸の肩の上までぎゅっと寄せ、彼の寝ていた場所に頬を擦り付けて、 暫くその儘でいた。

 その内山崎はゆっくり起き上り、何か彼が残した物はないかと、さして期待せずに部屋の中を見渡した。
 それから傍にくしゃくしゃに脱ぎ棄てられた隊服を手に取った。


 何とか身支度を終え、おざなりに蒲団を整えると、山崎は部屋を出た。

 扉を一歩外に出ると、済んだ空気が目覚めを促す様に山崎の気だるい全身をさっと拭う様に撫でて行った。
 見上げた東の空に橙色の雲の帯が吸い寄せられる様に集まっていた。


 アパートの階段を降りて歩き出す。道端の所々に刀の鞘や手拭、片方だけの草履など、昨夜の騒動の名残と思われる残骸が落ちていた。
 それを横目に山崎は、屋根が夜明けの光を受けてさざ波立つ昨夜走り抜けた町工場の傍を、淡い朱色に輝く束の間潜んだビルの傍を歩き続け た。

 やがて店が並ぶ通りに出た。車やトラックが次々と道を走り抜ける。早い出勤や夜勤明けらしい者達がぽつぽつと歩いている。 もう街は目覚め始めていた。
 山崎はふと立ち止まった。早朝の仕込みに忙しいどこかの店先から、ラジオの音らしい音楽が流れてふいに耳に届いたのだった。


     私は父と手を繋ぎ   真赤な空を眺めてた
     小さな心は攫われた

     赤い夕陽は教えたの  きっと私は恋をする
     それはあなたに出会う前   二年(とせ)足りない秋でした



 山崎はタバコ屋の脇に公衆電話を見つけて近付いた。隊服の中をごそごそ探って小銭を出し、受話器を取り上げた。


     幼い恋は夢の跡  瞳の中に誰がいる
     そして私は駆け出した  暮れた浜辺を駆け出した


風に乗って絶え間なくやって来る歌の中、山崎は無機質な呼び出し音に耳を傾ける。

「山崎です・・・・ええ、はい、すみません・・・・心配かけまして・・・・・あれからずっと追われちまいましてね・・・・・ ・・・・・携帯も壊されて・・・・・すみません・・・・ええ、怪我は無いです・・・・」


     あの日の口づけ夢に見る  あなたに投げた赤い糸
     赤い夕陽に伝えよう  私は死んだあの時に  
     あなたに抱かれて息絶えた  


 受話器を持つ山崎の腕はぶるぶると震えていた。

「ええ、はい・・・・桂ですか?・・・・それは分かりません・・・・何も知りません・・・・・はい・・・・ 屯所に帰ってからまたお話しますよ・・・・はい・・・・」

 受け応えをしながら目からどんどん涙が溢れ、頬を伝って引っ切り無しに足元の地面へと落ちて行った。


     私の心は海の中  夕陽に染まった海の中


ひりひりと痛む喉に山崎は懸命に唾を飲み込んで続ける。

「・・・・・そうなんですか・・・・はい・・・・副長に伝えて下さい・・・・俺は無事だと・・・・・生きていると・・・・・ 副長に・・・伝えて下さい・・・・」


 がしゃりと置いた受話器に手を置いて、山崎は暫く涙をだらだらと流れる儘にさせておいた。
 ひとしきり泣いてから隊服の袖でごしごしと顔を拭い、ようやく電話の前から離れた。

 眼前では太陽が夜の欠片を乗せた雲を吸い込み、空を真新しい色で染めようとしていた。
 涙の残る山崎の目にそれは余りにも眩しくて、何度も何度も袖で目を拭った。


──── あの日の口づけ夢に見る  あなたに投げた赤い糸
       私の心は海の中 夕陽に

山崎は終りかけの曲に合わせて、虚ろな掠れ声で独り言の様に思わず口ずさんだ。だが、直ぐに止めた。


 帰れば事情徴収が始まり、証言に基づいてすぐに実況見分が行われるだろう。
 自分は真選組の一員としての義務を果たさなくてはならない。

 夕暮れも夜も海も此処には無く、光り輝く朝、自分は今から元居た場所に帰るのだ。


──── 桂さん、俺はあなたに夢なんて見ちゃあいない、これから見るつもりもありません・・・・俺は現実にあなたを抱いた・・・・ 俺達は昨夜、確かに恋人同士だったのですから・・・・・



 再び顔を上げて歩き出す山崎の背中に、曲の最後のフレーズが遠くなり、朝の空気に紛れて、消えて行った。



                                      〜 Fin 〜


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