秋が散る
敵同士。 同性同士。なぜか拒絶の通じぬ相手。利用し手の平で転がして楽しめる範囲をこの男はいともあっさりと超えた。
追って追われて知恵づくの攻防戦は、自分の思惑を素通りして知らず知らずの内に色味を変えて、彼はその冷たく尖った眼差しで
何度も桂の心を射抜こうとした。
遂には考える事にさえ疲れ果てた。
だから、待ち合わせの場所で直ぐ約束の人物を見つけた時は、ただそれを疎ましく思う気持ちしか桂の心の中には無かった。
相手はこちらの姿を見つけた途端吸っていた煙草をいそいそと携帯灰皿の中に捻り消し、こちらを向いて傍まで来るのをじっと待っている。
土方十四郎。泣く子も黙る真選組の鬼副長が何と健気な事か。禍々しい黒の隊服、鋭い瞳、それがこの瞬間にすぐ傍に居る事の何と
不自然な事か。
「 ──── よお」
土方の声は無愛想ながらもどこか弾んでいた。
「・・・待たせたか?」
桂が問うと、相手はぶるぶると首を振った。
「来てくれたんだ」
先に立って歩き出す桂に、背後から追って土方が声を掛ける。
「約束だからな」
「約束・・・守ってくれたんだな」
小走りして土方は桂の隣に並んだ。
「約束は約束だからな」
喜悦の気配がひしひしと伝わって来る。単純な男だ。今からを考えて暗澹とした気分になる。自分にとって今回の逢瀬は決して
愉快なものでは無い。いや、この男との関わりに於いて愉快だったことなどあるだろうか。
いつの間にか道を逸れて、丘に通じる林に足を踏み入れていた。
時折秋風に木の葉が揺れる音が耳を掠めるくらいの静けさ。落ち葉の降り積もった地面は柔らかく、
葉を踏みつぶすふたりの足音を瞬く間に吸い取った。
特に行く当ても無く木立の間を歩いた。太い幹の間を右へ左へ、時々立ち止まっては、わざと桂は相手の目をくらます様にゆっくり彷徨う。
一本の銀杏の樹の下に立ち止まった。何とは無しに幹に手を触れると、ささくれ立った茶色い表皮は思いの外温かく、満ち足りた樹液の流れ
を感じ取った。
「・・・なあ、桂」
ぽつりと土方が呟いた。
「こうして会ってくれたって事は、・・・お前も少しは俺の事を考えてくれていると思っていいのか?」
声は静かだったが、言葉の合間に漏れ出る息の熱さがあった。
「俺はもうお前を探して駆けずり回るなんて事はしたくない」
「・・・幕府の犬が何を言う?」
桂はわざとせせら笑おうとしたが、やはり出来なかった。
枯葉を踏む音が一つ背後に近くなったかと思うと、両肩に手がそっと触れた。
「そうだ。俺は犬だよ。舌を垂らして息を切らして、追って追って追い掛け回して・・・お前の匂いを四六時中捜し求めてる」
肩に指先から一本ずつ力が篭る。
「・・・桂」
肩が、背中が、髪が、彼の体温を感じて全身が緊張する。
抵抗をしない桂に土方はさらに大胆になって、両腕で体を包み込もうとした。
「よせ。・・・こんな事をする為に俺は来たんじゃない」
桂は勇気を出してそれを振り払った。
宙に浮いた手を、土方は苦み走った顔でぎゅっと隊服のポケットに突っ込んだ。
気まずい沈黙が流れる中、土方は数歩歩いて桂を追い越したと思うと、急にくるりと振り返った。
「──── ここへ来る途中、あの白髪頭に会ったよ」
「銀時に?」
桂は思わず顔を上げた。だが土方は言葉を続けず、益々苦味の増した顔で、
「・・・あの野郎・・・」
と呟いただけで、後は黙り込んでしまった。
話の続きは望めない。だったら何の為に銀時の名など出したのか。お陰で思い出す羽目になってしまった。
数日前に銀時に掴まれた左の手首、彼の手の力は驚くほど強くて痛みを感じる程だった。万事屋を出る時に背後から投げ掛けられた言葉が今で
も胸を苦しくさせる。
今日自分が土方に会う事を知ったなら、彼はどんな顔をしただろう。彼に秘密を作るのは大人になった今でも心苦しい。
やましさの感情は着物の中に入り込んだ針の様にいつまでも鬱陶しく付き纏う。
やはり来るのではなかった。今日ここで会う事でせっかく何らかのけりをつけようとしていたのに、余計な思考に
心は益々乱されるばかりだ。
罪悪感が桂を投げ遣りな気持ちさせ、そんな自分に更に苛立つ。
相手が黙っているのを良い事に、桂は勝手にこの逢瀬に見切りをつけ、踵を返そうとした。
「話す事が無いなら土方、・・・俺はもう行く」
背後で落ち葉がガサッと鳴った。
「あいつの処に行くのか?」
予期せぬ言葉に驚いて振り向いた。
思いがけず近い距離に相手の体がある。声を出せずにいると、手首を掴まれた。
「何を・・・」
「そうなのか?」
怒気を孕んだ声音、手首を引かれ肩を掴まれて、切羽詰まった相手の顔が間近に迫った。
「そうなのか、そうなんだな?」
がくがくと肩を揺さぶられ桂は必死に首を横に振った。
「違・・・う・・・違う、・・・」
「お前とあいつの間の事は知らない。いや、知りたくもない・・・だけど俺は・・・俺は・・・」
「土方」
出来るだけ落ち着いた口調で桂は続きを遮った。
「もうお前とは、会わない。いや、・・・今までだってそうだけど、とにかく、・・・もうこれ以上俺たちは」
肩に食い込んだ指が一瞬緩んだ。
ふっと見上げた相手の眼の奥に青白い種火が燻っている。
桂は後ずさった。
勢いよく伸ばされた土方の手を全身で振り払い、背を向けて走り出した。
「・・・桂・・・!!」
喘ぐ様な叫びが背後で聞こえる。
「行かせない!お前は行かせない・・・!!」
「来るな・・・!」
掠れた声を投げ、厚く積もった落ち葉に足を取られそうになりながら桂は走った。
銀時、銀時、
白い影の残像が瞼の裏で雷光の様に何度も点滅した。
ぎんとき・・・・!
後ろから縋り付く様に捕らえられ、二人は縺れ合って柔らかい落ち葉の上に倒れ込んだ。
覆い被さる体の下で桂は必死にもがいた。足が相手の脇腹に当たり、相手が僅かに怯んだ隙に地面を這って逃げ出す。
だがすんでの所で足首を掴まれ乱暴に引き戻された。
仰向けにされ、男の逞しい胸板が圧し掛かって来る。枯葉の絨毯の上でふたりは激しく揉み合った。
土方は抵抗する両腕を渾身の力で押さえ付け、桂は身動きが取れなくなる。
互いの瞳がぶつかった。
荒い呼吸に同じリズムで波打つ重なった胸。桂の頬は薄赤く染まり、喘ぐ息が土方の唇にかかる。
しばらくふたりは無言で見つめ合っていた。
荒かった呼吸が徐々に凪いでいく。
土方は桂の顔に掛った髪を手の平でゆっくり撫で払った。
そうして桂の露わになった白い額にそっと唇をあてがった。
その動作がさっきの激情とは程遠い余りにも優しい愛撫だったので、我知らず桂の瞳の奥は熱く潤み始めた。
桂の瞳から怖れの色が薄らいでいくのを認めた土方は、喘いで濡れた唇にまるで吐息の欠片を捉える様な口づけを落とした。
桂が目を閉じると、土方は性急に口づけを深めた。
そのまま首筋に唇が這わされて体が小さく震えた。土方は揉み合って緩んだ桂の着物の合わせを押し開き、
熱い息を吐いて晒された胸に顔を埋めた。
桂は息を零し、知らず知らずの内にその両手は顔の下で蠢く頭を掻き抱いていた。
落ち葉の褥が重なるふたりを優しく受け止める。
睫毛の縁から透明な涙が一滴二滴、こめかみを滑って行った。
ああ銀時、銀時、
お前ではいけなかったのだね。
お前の幼馴染はこんなにも愚か者だよ。俺は自らお前の手を離したのだ。
これは望んだ事では決して無かったのだが、
だって、均衡を失った世界がこんなにも脆いなんて、俺達の中の誰が知っていただろう?