終桂三部作(一) 〜言葉足らずのロマンス〜
大勢の幕府の狗達の声や足音が塀の向こうから飛んで来る。
桂は逃げ道を探って横道に滑り込み、緩い坂道から家屋の屋根に駆け上がった。
爆音が轟いて足元がぐらぐらと揺れる。お馴染みのバズーカの弾が着弾したのか後方でもうもうと砂煙が上がり、
瓦礫がぱらぱらと地面へと落ちて行った。
いつもの追いかけっこだが、始まった時から桂の胃は心なしか痛い。
地上の集団の中にあの斎藤終がいるのを見つけたからだった。
彼といると碌な事にならない。覆面から覗くあの乾いた目が不思議な気持ちにさせる。
彼の前ではこの自分までも、言葉を何処かに置き忘れてしまいそうになるのだ。
砂煙が散った後にふと気づくと、斎藤が地上から消えていた。嫌な予感がして後ろを振り向く。案の定、斎藤が両の手に剣を握り、
屋根の上でこちらに向かって立っていた。
突風など吹いてもいないのに、桂の体は風に攫われる様に感じた。桂はそれを振り解く様に斎藤に背を向け、走り出した。
目の前に家屋の二階の壁が立ちはだかっている。桂は勢いをつけて窓の手摺に飛び乗った。
「桂だ!!!」
地上で大声がした。同時に再び火を噴く砲弾、白い煙の中に桂の姿が消える。と、次の瞬間桂は煙の中から飛び出し、
見上げる斎藤の頭の上を高く軽やかに飛び越えた。
桂は別の離れた屋根へと飛び移って看板の影に身を潜め、そっと来た方向を覗いた。
まだもうもうと舞っている煙と埃の中で、屋根の上に真っすぐに立ち、こちらを見つめている斎藤の姿が真っ先に目に飛び込んだ。
驚いた桂は思わず顔を引っ込めた。再び恐る恐る顔を覗かせると、斎藤はノートの様な白い四角い物をこちらに向けて掲げている。
そこに何か文字らしきものが書かれているのに気づき、桂は砂埃にざらざらする目を凝らしてみた。
『逃げ・・・・で』
逃げないで・・・・???
呆気に取られていると、さっとページが捲られた。
『僕・・・・なたを・・・・捕まえ・・・・んじゃない』
僕はあなたを捕まえたいんじゃない・・・・???
続くページで桂は更に大きく目を見開く。
『・・・・の事・・・・嫌い・・・・すか』
僕の事が嫌いですか・・・・???
更にページが捲られ・・・・とその時地鳴りと共に彼の体が揺れ、あっという間に彼の姿は砂煙に飲み込まれてしまった。
地上から隊士達の悲鳴や怒号が響き渡る。
今いる場所もあちこち崩れ始めている事に気づき、桂は隣の屋根へと飛び移る。
間一髪で難を逃れ、桂は斎藤のいた場所を振り返ったがもう彼の姿は何処にもない。
もうもうと舞い上がる砂塵が、突如現れた空白のページの様に、彼の体も言葉も掻き消してしまった。