「しばらく見ないうちに大きくなったなぁ」
久しぶりに会った親戚のように、千秋は青々と茂るその木を見上げて言った。
高く手を伸ばし、風に揺れていた葉を1枚ちぎる。
「長秀」
それを咎める声がした。
「んな怖い顔すんなって。そんなわやじゃねーよこいつは」
髪の1本や2本、引き抜かれた程度だろうと言う千秋に「それでも痛いだろうが」と、直江は真剣な顔で木を見上げる。
「高耶さん・・・」
そこにはもう若木の面影は無い。その根は揺らぎ無く大地を踏みしめ、空へ近付こうかとするかのように、高く枝を伸ばしていた。
あれから、何年もの月日が経っていた。綾子も浄化し、夜叉衆で残ったのは直江と千秋のみだった。
あの大斎原の霊の浄化をすべて成し遂げてから3日が経っていた。その報告も兼ねて、2人は久しぶりにこの場所を訪れていた。
「やっと終わったぞ・・・景虎」
見上げる2人に、夏の猛暑を予感させる、焼け付きそうな初夏の日差しが木漏れ日ごしに降り注いでくる。
鮮やかな新緑の合間から、澄んだ青い空が見えた。
どちらも彼に似合う色だと、そんなことを直江は思った。
ふたりは、これまでの疲労を癒すかのように、その幹にもたれながらゆっくりと時を過ごした。
「これからどうするんだ?」
夕暮れに染まる、古殿地からの帰り道を歩きながら、そう直江が千秋に聞いた。
「いち現代人として楽に生きるさ」
千秋は伸びをした。
「400年以上も散々働かされたからな。この世を引退するまでに、溜まりに溜まった有給休暇を消化させる」
「そうか」
「お前は・・・これからどうするんだ?」
大斎原の霊の浄化という大仕事が終わった今、『彼』との約束の時が来るまでの途方もない時間を、直江はどうやって生きて行くのか。
「この先、どういう生き方をするんだ?」
それを知りたいと思った。
「・・・畑を耕そうと思う」
意外な言葉に、千秋は目を瞠る。
「・・・黒スーツでか?」
一体何に目覚めたというのか。
目を丸くする千秋に、直江は穏やかな表情で語った。
「あの人が蒔いて行った種を、育てようと思う。・・・育てるなんておこがましいかもしれないが」
あの日――彼が息を引き取ったあの時から、直江は大斎原の霊の浄化を促すために各地を飛び回る日々を送っていた。そこで様々な人との出会いがあった。そして、その人々との関わり合いの中のふとした瞬間に、彼らの言葉に、行動に・・・息を引き取った「彼」の、息遣いを確かに感じていた。
「あの人が全生命をかけて、今を生きる人々の中に産み落としていったもの・・・それを守りたいと思った」
時代の大きな流れに逆らうことはできないだろう。あがいても、狂うくらいに願っても、変えられない運命もある。それを直江はよく知っている。
自分にできることは、大きな時代の流れの中では、ささやかなことかもしれない。
(だけど・・・)
くじけそうになっていたら、声をかけ、泣いていたなら、その涙を拭き、凍えていたら、さすってあげる・・・そんな、ささやかな何かになりたい。
それが、怨霊調伏の使命を終えた直江が、新たに見つけた指針だった。
「あの『イセ』のような未来が悪夢に終わるように」
「直江・・・」
ふたりの傍らを、家族連れの観光客が楽しそうに歩いている。それを見る直江も幸せそうだった。
「この世界が・・・こんなに愛しいものだとは知らなかった」
直江は、吐息のようにつぶやいた。
それを眩しいものでも見るように見ていた千秋は、ああ、そうかと思う。
「お前らの子供みたいなもんだな」
直江が、不思議そうな顔で見返す。
「あいつが産んでいったものは、あいつひとりで産み出したものじゃねえ。お前という存在を得て産み出せたものだ」
直江との関わり合いの中から産まれたもの。
「400年の難産の末にな」
千秋は笑って言った。
「産まれた子供たちには、お前の血も流れているんだよ。直江」
直江は目を瞠った。
「あの人と・・・俺の子供・・・」
つぶやいたその声には、愛しさがにじんでいた。
生まれてはじめて、わが子を目にした父親のような目をしていた。
「おい。顔が溶けてるぞ」
実は親バカになるタイプなのかもしれない。
(まあ、景虎の子なら、バカにもボケにもなるか)
見ている方が恥ずかしくなるような、そんな表情だった。千秋は、ちょっとからかってやりたくなる。
「と言っても、お前との間にできた子供だけじゃねぇけどな」
ピクっと直江の顔が反応する。「どういう意味だ?」とその視線は問うていた。
「なぁに、中には、謙信公とか、嘉田とか、成田とか、キハチとか、長与って記者とか・・・ひょっとしたら信長との間にできた子もいるかもって話だ」
数々の仲間たちと影響し合い混ざり合って産まれたものもあるだろう。敵対するものから引きずり出された答えもあるだろう。
「あっ、もしかするとオレの子も中にはいるかもしんねぇな」
徐々に笑顔を失ってゆく直江を面白そうに見ながら言う。
「長秀」
直江の眉間にしわがよった。
「モテる奥さんを持つと大変だな旦那。よその子も全部まとめて面倒みろよ」
夢が壊されたと言わんばかりのしかめっ面の直江に、千秋はひらひらと手を振った。
「じゃあな、パパ」
そこは、宇治橋を渡りきったところだった。
どこに行くのかと直江が怪訝な顔をする。直江と千秋の車が止めてある駐車場は目の前にある。
「ちょっと土産買ってかなきゃなんねーからさ」
千秋はそう言って、おかげ横丁の方を指刺した。他人と馴れ合うことを避けてきた千秋に土産を贈る相手とは珍しい。そう思って、
「なんだ、恋人でもできたのか?」
半分からかうつもりで直江が言うと、千秋はにやりと笑みだけ返した。
その時、不死の輪から外れた彼の『時』は、もう動き出しているのを直江は知る。彼はもう、かりそめの人間関係を築くことはないだろう。
「幸せになれよ」
そんな言葉がするりと出た。
千秋は目を見開く。そして吹きだした。
(人のことより自分のことを考えろって)
その、どこか余裕を感じる直江のセリフが可笑しかった。そしてとても嬉しかった。
「お前もな」
自分のものと同列にあつかえるものじゃないと知りながら、そう言い返す。
「じゃあ、またな」
「ああ」
400年もの間、同じ道を歩んできた。時には反抗し、離反し、距離を置いたこともあった。だけどそれは幅広い1本の道の端と端を行き来してるようなものだった。
その道は、今、ここから2つに分かれる。
ふたりは歩き出す。
それぞれの道を。
幸せを求めて。
(fin)
(つれづれなるままにあとがき。日記から一部転載)
40巻後の、泣けない話を書こう。そう思って書きました。これが今の私の、めいいっぱい前向きに考えたお話しです。
愛する人の子供を育てる直江・・・この路線なら、泣かない話がかけそうだなと思い、企画に参加させていただきました。
ギリギリ27日というか、このあとがきの時点で日付変ってますが・・・(土下座)
これは、いつか来る千秋との別れの日を匂わせた話でもあります。
千秋には、できるだけ長く直江についてて欲しいと思うのですが、役目が終わっても換生をし続けるということはしないかなと思い、こんな話ができました。
なので、あえてあれから何年後とは書かないでおきました。直江の年齢とか、体はまだ橘義明のままなのかとか、そのへんはご想像にお任せします。
そういや、長秀を「千秋」と書くのはおかしいですね。(汗)まあ、いいか。千秋だし……
直江のこれからの生き方にスポットをあててみました。
ただ普通に生きてゆくというのでは、ちがうなと私は思います。だって、高耶さんが生きていたら、絶対また厳しい道を行くと思うんです。直江と共に。姿はないけど、彼は直江の中にいるんですから・・・
永遠のような時を生きるというのは、それだけで想像を絶する過酷な道です。でも世捨て人のように、ひっそりと生きてゆくような・・・もっと悪い表現だと、定年退職した無趣味のおじさんのような、そんな生き方をしてたら、高耶さんの愛も冷めてしまうんじゃないかと思うんです。(爆弾発言)
・・・言葉悪くてすみません。でも、高耶さんが愛した直江は、常に上を目指してあがいて、乗り越えてゆく直江なんでしょう。
永劫の時を、彼はどういう風に生きてゆくのか・・・何か(高耶さんへの証明のほかにも)高い目標を持って生きていって欲しい。いろんな困難を率先して乗り越えていって、更に磨きをかけたカッコいい直江になって欲しい。そして、きっとそうなるだろうと、私は思ってます。
というか、ぶっちゃけ、そういう役目というか仕事とかに情熱を注いでいれば時が経つのも早いだろうとか思いまして・・・イセ回避の為に奔走して奔走して、気が付けば途方もない時が過ぎていた。と、そう考えると救われるんですよ。(私が)
気付いたんですが、これって高坂の後継者みたいですね。イオエの後を継いだのは直江。(笑)高坂は実は後継者を育てていたとか。愛のムチで。・・・すべてが彼の計算どおりだったら怖いですね。
・・・すみません、私の妄想です。(知ってるって)
一周年を迎えてもまだ、やっぱり消化しきれてない気持ちが私にはあります。(高耶さんの魂核はどうなったとか、そのへんが切り取られたように書かれてないあたりがなんとも・・・)
でも、少しずつ変化していっているように思います。
力足らずで、書ききれなかった部分もありますが(千秋はあの葉っぱを手帳とかに挟んで大事にしてるにちがいない)そういう意味でも、今の私のいっぱいいっぱいです。
来年はどうなっているのかな・・・
それでは、ここまで読んでくださった方、そして企画してくださった葵さんに感謝をこめて、ありがとうございました!