◆ 1 ◆
ドアごしに、男と目が合った。
(なんで?!) 高耶は目を剥いた。大阪駅でまいてきたはずの男が隣の車両にいる。 「ちっ」と舌打ちした高耶は、車内を全力で走り出した。その後を革靴の硬質な足音が追ってくる。 (捕まれば殺される・・・・!!) ――長い夜のはじまりだった。 「どいてくれ!!」 通路の客たちを押しのけながら高耶は走っていた。動き出した列車に逃げ場はない。走れば走るほど袋小路に追い詰められてゆくだけだ。しかし、背後に迫る死神の足音に高耶の本能は走れ!走れ!と命じる。 足がもつれそうになる。 冷たい汗が背中を流れ落ちる。 (車両はあといくつ残っているのだろう?) 最後の車両が、おそらく自分の死に場所になる。今の高耶は死に向かって突っ走るようなものだった。 (ちっくしょう……!) バーンと扉を開け、転がりこむように7号車に入る。そこはA寝台車だった。 高耶は振り返る。まだ男の姿はない。 (どこか・・・・どこか隠れる場所は?!) ざっと車内を見回すが、どの寝台もカーテンが閉じられ、床には靴やスリッパが置かれている。連休前の金曜日ということもあり満席のようだった。その時、背後でドアが開いた。 「!!」 高耶ははじかれたように振り返る。チンピラ風の男がワンカップを手にして入ってくるところだった。ほっとしたのもつかの間、そのチンピラの背後には追っ手の姿が見える。その男は、にやりと口元に笑みを浮かべた。 (ヤられる!!) もう逃げられる距離ではない。万事休すかと思ったその時、 「なにさらしとんじゃ、ぼけぇ!」 チンピラ風の男が、追っ手の男の胸ぐらを締め上げていた。ぶつかられてワンカップの酒をシャツにこぼしたらしい。 高耶は青ざめた。男の上着の内ポケットに拳銃が収まっていることを高耶は知っている。 (ここで乱射でもされたらっ……!) しかしそれは杞憂に終わった。 「どこに目ぇ付けとんねんわれぇ!ええ?言うてみぃ?」 「す、すみません。急いでいて・・・・」 大阪駅のトイレで高耶に銃口を突きつけた冷酷な男は今、気弱なサラリーマンを装って平身到底に詫びていた。公の場で騒ぎを起こすのは男の望まないことのようだった。 「ああ??急いでた?兄ちゃん、おもろいこと言うやんけ。電車ん中でなんぼ走っても着くんは一緒やで?」 「いえ、その……」 「急ぐんやったらヒコーキでも使わんかい。なんやったら今すぐ窓から放ってやるさかい、そっからヒコーキに乗り換えぇや!」 追っ手の男を揺さぶりながら、チンピラ男はなおも酒臭い息でしつこく因縁を吹っかけていた。 高耶には、このチンピラが神様に見えた。 今の内にと踵を返した高耶は、直後どんっと厚い胸板にぶつかる。 「いてっ」 「失礼」 尻餅をついた高耶がしかめっ面の顔を上げると、上品そうな男が手を差し伸べていた。 高耶は、その男を茫然と見つめてしまった。 モデルかと思うくらいの容姿と均整のとれた体を高級そうなスーツで包んだ男だった。こんな寝台車よりも飛行機のファーストクラスが似合うだろう。 黙ったままじっと見上げてくる高耶に、男は目を細めて柔和に微笑む。 「車内を走ってはいけませんよ」 低く響く穏やかな声と、鳶色の瞳が印象的な男だった。 「われぇなめとんのかぁ!!」 その怒号に高耶ははっと我に返る。 (こんな時に何見とれてんだ!しかも男に!) 「ケンカですか?」 「それよりそこ!どいてくれ!!」 チンピラ男の罵声に品よく眉を寄せるファーストクラス男の体を高耶がぐいぐいと押すと、「ああ、すみません私の席はここなんですよ」と、彼はそう言ってすぐ脇の寝台へと大きな体を滑り込ませた。 「!!」 再び走り出そうとした高耶は、一歩踏み出したところで凍りついた。 障害物が消え、開いた通路の先を見た高耶は愕然とした。次の8号車の車両からこちらに向かって歩いてくる人影があった。 (くっそ……挟まれた!!) 前にも後ろにも足を動かせず、高耶は人形のように立ちすくむ。もうどこにも逃げ場所はない。 (オレの最期の晩餐は、551の豚まんかよ……) 美味かったけどさ……と、高耶が涙を飲んだその時、車内の電気が一斉に消えた。 「……なっ?!…………誰っ……!!」 「しっ!!」 停電時間は1分もなかった。 その間に高耶の姿は2人の追っ手の目の前から忽然と消え去っていた。 「なんなんですかあなたは?」 高耶いわくファーストクラスな男こと、直江信綱は、自分の腹に跨る青年を睨み上げていた。 「何言ってるかわからねぇ」 「それはあなたが、口を塞いでいるからでしょう!」 高耶の手に口を塞がれ、直江はモゴモゴと声無き声で抗議していた。 「悪ぃ。オレ追われているんだ。しばらくかくまってくれ。見つかったら……殺される!」 直江の口に当てられた手に力がこめられる。 「…………」 「頼む……騒がないでくれ。オレが駅で降りるまで……助けてくれ!」 押し殺した声でそう訴える青年に、 「……わかりました」 直江は頷いた。高耶の体の震えは、接する体からダイレクトに直江に伝わってくる。それはどんな言葉よりも直江の心を揺さぶった。 高耶は直江の目を見つめながら、彼の口を塞いでいた手をおそるおそる離した。 「大丈夫です。あなたがここにいることは、誰にも言いません」 外に聞こえない声で囁き、安心させるように微笑みかけると、彼がほっと息をつくのがわかった。 「それより、この体勢を何とかしませんか?」 ここではじめて、高耶は自分が男に跨った状態であることに気付く。 「ごめっ・・・いて!」 狭い寝台車だ。どこうと立ち上がった高耶は天井に頭を思い切りぶつける。 「ああ、気をつけてください」 直江は体をずらし、頭を抱えてうずくまる高耶を自分の隣に寝かせてやった。 「……狭い」 直江と至近距離で顔を合わせながら、高耶がでぼそりとつぶやいた。その吐息が直江の頬をかする。 「文句言わないでください」 ただでさえ狭い寝台車に規格外の大男と、小柄とは言えない青年だ。ふたり並べば仰向けに寝るスペースなんてものは無く、お互い横向きになるしかない。しかもふたりとも長身ときているので、お互い足の置き場を持て余し、もさもさと布団の上で足を彷徨わせたあと、結局絡まりあうように重なった状態で落ち着いた。 |
直江津に向かう寝台列車の中で考えた妄想話です。日記に書いてたものを加筆修正して移動しました。 大阪スタートの話だったので、少々ローカルネタ入りです。(^^;) なんだか似たり寄ったりの出だしですね。 私はどうも、こういうシュチュエーション(直江の巣に無防備に転がり込む高耶さん)が好きなようです。 2006.04.24 up 2007.01.22 NOVELページに移動 |
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