最近の高耶は変だ。高耶単体ならそんなこともないのだけれど、千秋と一緒にいる時の高耶はなんだかおかしい。なんというか……千秋と妙に仲が良いのだ。それはもう思わず僕が嫉妬するほどに。 (一体ふたりに何が起こったのだろうか?) 首をかしげる僕の耳に、今朝方とんでもない噂話が飛び込んできた。 『ゼミの飲み会で酔いつぶれた仰木君を千秋君が送っていった夜、ふたりはデキあがってしまったらしい』 それを聞いた時は「まさか!」と笑って聞き流したものの、時間が経つにつれ、それはじわじわと信憑性を帯びてきて僕の頭を支配してゆく。考えれば考えるほど、そういえば……と思い当たることが多すぎたからだ。 最近高耶は、千秋と一緒に行動することが多かった。お昼はいつも教室の片隅で自作の弁当を広げていた高耶なのに、昨日も一昨日もその前の日もわざわざ弁当持参で千秋と連れ立って食堂へと足を運んでいた。どうしても千秋と一緒にランチがしたいらしく、午前の講義が別々でも食堂で待ち合わせたり、教室に迎えに行ったりという徹底ぶりだ。 そんな二人の席に僕が加わることも多いのだけれど、あの高耶が僕の目を盗んで千秋に食券を買ってあげてたり、千秋のお茶のおかわりに走っていったり、僕がちょっと席を外した間に千秋とコソコソ話をしてたりして、蚊帳の外に置かれた僕はとても面白くない。昨日だって千秋に何か囁かれた高耶が、目元を赤く染めながら千秋と言い争い(高耶談)をしていたが、傍目には二人の世界を作って仲良くじゃれあってるようにしか見えなかった。「何を言われたの?」と聞けば、顔を真っ赤にした高耶に「くだらないことだ!」と逆ギレされて、なんだかとても理不尽だ。 (高耶の一番の親友を自負していたのに、ここにきてその座を千秋に奪われつつあるのだろうか……) そう思って、ひとり寂しさを噛みしめていたのだけれど、実はそうではなく……千秋は僕とは別のカテゴリーで高耶の一番を獲得したのだろうか?つまり――恋人という地位を。 考えてみれば、ふたりはお似合いかもしれない。とんがった不器用な生き方しかできない高耶には、包容力があって合理的かつ楽観的、世渡り上手な千秋みたいなタイプがバランス的に丁度いいと思う。相手が同性というのも(世間的にいろいろ大変かもしれないが)高耶にはいいのかもしれない。高耶にとって女性とは、弱さを見せたり甘えたりする存在ではなく、美弥ちゃんみたいに、自分を犠牲にしてでも全力で守ってやる存在だからだ。 僕の勝手な願いだけれど、高耶の恋人は、傷つきやすい彼を守って支えて甘やかしてくれる人がいいと、ずっとそう願っていた。だから本当にふたりがそういう関係なら、僕にとっても喜ばしいことだし、素直にお祝いしてあげたいと思う。 まあ、本当のことを言えば、まだ手放しで喜ぶことはできないのだけれど、それは彼らの関係を認められないとかいう気持ちからではなく、僕の寂しい心がそうさせるのだろう。花嫁の父親の心境に少し似ているのかもしれない。 「おはよう成田君!」 哀愁漂う僕の背中に、はつらつとした声がかけられた。 「おはよう森野さん」 森野さんは今日も元気いっぱいのようだ。目と鼻の距離だというのに、ぶんぶんと大きく手を降って満面の笑みで駆け寄ってくる。彼女の周りだけ春……を越えて、夏のようなエネルギッシュな日差しが降り注いでいるようだった。 (でも、森野さんは高耶のことが好きみたいだから……高耶に恋人ができたと知ったら、泣いてしまうのかもしれないな) 「ど、どうしたの成田君?なんか元気なさそう。え、えと、あのね、私、今日はハチミツレモンを作ってきたの!よ、よかったら成田君も、の、の、の、飲む?」 風邪がはやっているからとか、今日は寒いからとか、朝に糖分をとると頭が働くだとか、身振り手振りで森野さんが力説する。 「じゃあ、もらおうかな」 そう言うと、森野さんは飛び上がらんばかりに喜んで、マフラーもコートも脱がずに、バッグから慌しく水筒を取り出した。彼女の水筒には、かわいい柚子のキャラクターシールがぺったりと貼りついていて、いかにも女の子らしい。 「ど、ど、ど、どうぞ!」 両手で恭しく、ほかほかと湯気をたてるカップが差し出された。 「いつもありがとう」 森野さんはこうやってよく、手作りのお菓子や飲み物を僕にくれる。僕は高耶にあげる前の味見役らしいのだけれど、一途な彼女の姿を見れば悪い気はせず、その純粋さに心が洗われるようだった。今日も祈るようなすがるような目で森野さんは僕の感想を待っていた。美味しかったよと言った時の彼女の笑顔はいつもとても輝いていて、その顔を見るのが楽しみだったのだけれど、それもこれが最後かもしれないと思うと、ちょっと残念だ。だから今日はこう言ってみた。 「すごく美味しい。またよかったら作ってきてくれる?」 このあと、顔を真っ赤にして倒れてしまった森野さんは、友達に支えられて保健室に連れていかれたのだけれど大丈夫だったのだろうか?もしも例の噂が誤解だったら、高耶を連れて保健室に様子を見にいこうかな。 (昼になったらすぐ食堂に行って、単刀直入にふたりに聞こう) 授業開始のベルと同時に雑念を振り切り、僕は朝一の講義に集中した。 食堂の片隅に派手なシャツを見つけた。容姿もさることながら、そのファッションのおかげで千秋を見つけるのはとても簡単だ。人ごみを押しのけて千秋の向かいの席に座ると、彼は学食で一番高いスペシャルランチに舌鼓を打っているところだった。食べるのに忙しい口に代わって、千秋は「よっ」と言うように軽く手を上げた。 「最近、豪華だね」 いつもラーメンとかうどんとか安いものばかりの千秋が、このところ羽振りがいい。どうやら高耶が奢っているらしかった。 あの高耶が連日誰かのごはんを奢るだなんて、僕の知る限りありえない。 (やっぱりふたりはそうなのか?) デートでは男性が女性に奢るというのはよくあるけれど、高耶と千秋もそうなのだろうか?同性同士のあれこれには詳しくないが、ネコだのなんだの言う、男役女役のような役割分担があることは聞いたことはある。 (……ん?ちょっと待って。つまりそれは……高耶が男役で千秋が女役ってことに?) 「ええええっ?!」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。高耶と千秋の力関係他もろもろからいって、もし『そう』だった場合、ふたりの役割は当然その逆だろうと思っていたのだけれど…… 「うるさい成田。それ以上目をでかくしてどうする」 目を剥いて驚愕する僕を、千秋はエビフライの尻尾をバリバリとワイルドに齧りながら怪訝な顔で見る。 (この男を……高耶が押し倒すのか……?) 「………………」 カツ丼のどんぶりの柄を凝視しながら、想像力の限界に挑戦してみる。 ――「好きだ……」と情熱的に愛をささやくタカヤ。 ――「オレも」と、はにかむチアキ。 ――衝動のままにチアキを押し倒すタカヤ。 ……誰だこのタカヤとチアキは。 「おい成田、すげぇ顔色悪いぞ。腹でも壊したか?」 行儀悪く箸で人を指差しながら千秋が心配そうに声をかけてきた。 「いや……ちょっと、食べ合わせが悪かったみたいで……」 この妄想は、僕の想像力というか精神力の限界を超えてしまうものだった。配役が逆なら、意外に違和感なさそうなんだけれど…… ――いつになく真顔で「好きだ……」と愛を告白する千秋。 ――「……オレも」と、赤い顔を俯かせながら、ぶっきらぼうに応える高耶。 ――「高耶」と、幸せに溶けそうな声で千秋が呼び、高耶がおずおずと顔を上げる。 ――視線が結ばれた瞬間、衝動のままに唇を重ねるふたり。 ――そのまま、もつれ合うようにベッドに雪崩れ込んで…… 「………………」 意外にもはまり役すぎて、これはこれで想像するのに困るものがある。 とその時、千秋の視線が何かに気づいたように僕の背後へと移された。その顔はにやりと笑みを浮かべている。ふりかえればやっぱりそこには高耶がいた。 「よっ大将。遅かったじゃねぇか」 「おはよう高耶」 当事者がそろったことだし、よけいな妄想はおいといて、さっさと噂の真偽を確かめてしまおう。さっきまでの諸々の映像を頭から掃きだした僕は、高耶を真っ直ぐに見つめる。 (千秋と恋人同士だろうと、どっちがどっちであろうと、高耶が幸せなら僕はそれでいい。だから素直に話してほしい……) しかし、そんな僕の思いなど高耶は知らず。彼の視線は僕を素通りして、千秋と彼の皿を熱心に行きかっていた。……この慈愛に満ちた笑みを無視するとは、いい度胸だよ高耶。 「またスペシャルかよ」 千秋の皿を見て、高耶が顔をしかめていた。 「この特大エビフライ超うまいぞー」 満面の笑みを浮かべた千秋は、最後のエビフライを、ほらほらと高耶の目の前にぶら下げて見せびらかした。まるで子供の嫌がらせだ。 (これは、いわゆるあれだろうか……そう、好きな子ほどいじめたくなる男子小学生の心理だ) まだ、ふたりがそういう関係だと決まったわけじゃないけれど、さきほどの妄想(2つめの方)のせいか、見るものすべてに甘いフィルターをかけてしまいそうになる。 そんな自分の思考にブレーキをかけるように、「やめなよ」と千秋をたしなめかけた時だった。僕は唖然とその光景を見つめる。目の前で予期もしないことが起こっていた。 「あ、ほんとだ。マジうまいな」 テーブルに身を乗り出した高耶は、千秋のエビにそのままがぶりと齧り付いていた。 「た、高耶……」 さっきまでの不機嫌さはどこへやら。千秋に食べさせてもらった(ように見える)エビを、高耶は美味しそうに(もしくは幸せそうに)もぐもぐとほおばっている。 (いや、別に、邪な目で見なければ、大変ほほえましい光景ではあるのだけれど……) 例の噂は想像以上に広まっているらしく、僕の心と同じく、食堂内にも異様などよめきが走っていた。 だけど当のふたりはそんな空気には無頓着で、エビフライ1匹をめぐっての大舌戦を繰り広げていた。 「おまえよくも最後の一匹を!」 「うるせぇ!誰の金で食ってると思ってんだ!」 「倍返しさせてやるっ」 椅子を蹴って立ち上がった千秋が、高耶の胸倉をつかむ。 「もう、やめなよふたりとも」 やれやれと僕が仲裁に入ろうとしたその時だった。千秋の顔色が変わり、その視線を追った僕の顔はピシリと固まった。 「おまえっ……」 目を見張った千秋は、僕より一瞬早くはっと我に返ると、慌てて椅子の背にかけてあった自分のマフラーをつかんで高耶の首にぐるぐると巻きだした。 「や、やめろっ!」 首を絞められると思ったのか、苦しいやめろと高耶が抵抗する。だけど、その耳に千秋が何事か囁いたとたん、高耶はしゅんとおとなしくなった。顔は耳まで赤く染まっている。 (やっぱり……そうだったんだ……) 千秋が目撃したもの――マフラーの下に隠されたものを、僕はしっかりと見てしまった。 高耶の首筋に刻印された赤い内出血の跡と、それを見て焦る千秋。 つまりそれは……そういうことなんだろう。 ふたりの関係に確信を持った僕は、覚悟を決めて彼らと向き合った。 「ぜんぶ話してよ高耶」 真っ赤な完熟高耶と、疲労を漂わせた千秋と、努めて冷静であろうとする僕は、ざわめく食堂から空き教室へと移動していた。 「僕に何か言うことない?」 教室のドアを閉め、僕は真剣な顔で問うてみた。 「な、何のことだ?」 しかし高耶は、動揺して瞳を泳がせながらも、あくまでしらを切ってくる。 なんて往生際が悪いんだろう。ここまできてまだ嘘をつき続けるつもりなのか……さすがの僕も頭にきた。 「高耶!」 「なんもねぇって!」 がんとして否定する高耶。だけどその顔には後ろめたさも浮かんでいて、彼の複雑な心が覗いて見えた気がした。――そう思った瞬間、僕の心に優しい気持ちが広がった。 「高耶……」 恋人が女性なら高耶も僕に隠したりしなかったのかもしれない。 (もしかしたら……高耶もずっと悩んで苦しんでいたのかもしれない) 「大丈夫だよ高耶」 僕は高耶を傷つけないように声を和らげて言った。 「大丈夫。僕は同性愛に偏見とか持ってないし、高耶が幸せならそれでいいから」 高耶が大きく目を見開いた。唇が「なんで……」と声にならない言葉をもらす。そしてはっとしたように千秋を見た。 「おまえ!誰にも言わないって!」 「オレは何も言ってないぞ!」 「知るか!譲にバレたんなら約束は無効だ!一週間分の食券を返しやがれ!」 どうやら話が見えてきた。例の奢りは口止め料だったらしい。つまり、高耶はこの関係を隠したいけど、千秋はバレでも構わないということか。なんだか千秋らしいな。 「ったく、高いもんばっかり食いやがって!さっさと返金しろ!」 「はぁ?おまえなぁ、あれからオレが直江にどんだけ嫌がらせを受けたか知ってんのか?奢りはその慰謝料だ!」 「おまえが変な嘘ついたりするからだろう!」 そうか、直江さんにもふたりの関係がばれたのか。高耶の従兄弟という直江さんとは、ちらっとしか会ったことないけど、ずいぶん高耶に対して過保護にしているようだったから、千秋はかなり苦労しそうだ。 「――だいたい、なんで成田が知ってるんだ?」 さんざん高耶と言い合った千秋が、やっと僕の存在をようやく思い出したらしく、そうたずねてきた。 「高耶を見てたら、わかることだよ」 「決め手はソレだったけれど」と、高耶の首元をマフラーごしに突くと、高耶は首の付け根のキスマークを更に隠そうとするかのようにマフラーの上からしっかりと手で押さえ、顔を赤くしたり青くしたりしながら、面白いほど慌てふためいている。呆れた顔で千秋がぼやいた。 「ったく、そんな襟の開いた服着やがって」 「なっ……知らなかったんだからしょうがねぇだろ!」 「知らなかったぁ?そんだけされてて気づかねぇのかよおまえは!」 まったく千秋に同感だ。首の内出血は、かなり色が濃くて、かわいいキスではないことは確かだった。……とか思っている間に、またしても僕は蚊帳の外だ。痴話げんかは他所でやってよと、僕はため息をつく。 「おまえ鈍感すぎねぇか?」 「だって、その……途中でわけわかんなくなんだよ」 高耶が、恥ずかしそうにぼそぼそと言った。 「ほぉー、意識飛ぶほどそんなによかったのか」 「ち、ち、ちがう!」 にやにや笑う千秋に高耶が必死に反論する。 「真っ赤な顔しちゃってまあ、昨夜のことでも思い出してんのか?」 「ち、違う!!」 「今夜が待ち遠しいって?」 「なっ……だだだ黙れ!」 「……あのさ、そのへんにしといてくれる?」 痴話げんかに惚気に夜の営みまで聞かされた僕は、あまりのいたたまれなさに思わず制止の声をはさんだ。 「ご、ごめん、譲……」 我に返った高耶は、恥ずかしげに顔を伏せる。 「ずっと隠してたことも……ごめんな」 素直に謝ってくる高耶に僕は苦笑する。 「もういいよ。だけど、恋人にかまけて友人をないがしろにしたら承知しないからね」 腰の手をやって怒ったふりをしてやると、「わかった」と、高耶は殊勝な顔でこくりと頷いた。 「あと千秋も。高耶をあまりいじめないように!」 話の内容からするに、僕の妄想その2が正解のようだ。その場合、体の負担は高耶の方が大きい(と聞く)。だから、びしっと千秋に言ってやった。 「高耶がやめろって言った時には、素直に聞くこと。無理させないこと!」 なんで僕がこんな指導をしなきゃなんないんだろうとも思うけれど、これも高耶のためだ。千秋には自制してもらわないと。 「そりゃ無理な注文だな」 だけど僕の心配を無視して、千秋の口からはさらりとそんな答えが返された。 「だってさ、こいついじるの楽しくてしかたねーんだもん。いちいち反応が素直だし、どうやったってオレに敵いやしないのに毎回必死になって抵抗してくるし、それを押さえ込むのがまた快感で―――どうした成田?」 ポカスカ殴りかかる高耶の手を受け止めながら、千秋は後ずさりする僕を不思議そうに見た。 「いや……ちょっと頭痛がするから、先に帰るよ」 「成田?」 「大丈夫か譲?」 呼びかけるふたりを無視して、僕は静かに教室を出た。 「もう勝手にしてよ……」 僕は深いため息をつく。 廊下の窓から燦燦と差し込む午後の光が、やたらと目に眩しかった。 (fin) 前回の憂鬱事件から、この話との間に、直江を巻き込んで(直江が巻き起こして?)のひと騒動があったようです。とご理解ください。 譲は、もっと腹黒で、何事にも動じないキャラの方が好きなのですが、今回はけっこうまともなキャラになってしまいました。そして、うっかりちー高でもいいかなとか思ってしまいそうになりました。 |