資料から発見されたナゾの日産ジュニア マイクロバス。 叢荘8148号室の掲示板にて提示したところ、”404 not found” のカトラスさんより 当時の広報資料を頂き一歩進展したものの、まだ良くわからない車です。 『日産車体工業社史』、『日産自動車50年史』、『自動車ガイドブック』等の資料にも記載が なく、日産エコーとは別の一族かと思われます。 |
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“クラブなどであまり多くない きまった数の会員を運ぶには、 このような小型のバスが適当です。” (出典元キャプション) 叢荘ヅラヲさんの指摘より、 フロントのエンブレムはCaballと 読める事が判明。 方向幕と車体の表記は 「立川国際カントリー倶楽部」と読め、 サイトを見るとマークも同じ! 昭和34年開場のコースで、本の発行も 同年ため、1959年の新車と予想。 |
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出典:画報 科学時代 自動車の驚異(1959) | ||
1961 日産 ジュニア マイクロバス カトラスさんより頂いた資料で車名が 判明。Caballのエンブレムもある(笑) 全体的なイメージは同一だが ・正面窓変更 ・側面窓大型化 ・バンパー変更 ・グリル小型化、エンブレム変更 ・ウインカー位置変更 ・窓下リブ追加 ・屋根ベンチレーター変更 など、エコーと同時期に フルモデルチェンジした予感! 東都日産民生自動車は、当時の ミンセイ系の販社で、架装元等は ナゾのまま残る。 |
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出典:調査中 | ||
1961 B140 日産 ジュニア 参考までに同時期の日産ジュニアです。 オースチンの1,500ccエンジンを利用した 1.75t積中型トラックで、同じシャシーを 使ってキャブオーバーを架装したものが キャブオールになる。 バスとはホイールキャップが同一で、 ウインカー、バンパーも1959年の車と 似て見える。 全長4,590mm、全幅1,675mm 軸距2,610mm、出力71PS |
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出典:モーターファン1960-12別冊付録 No.7自動車ショー | ||
赤で囲んだ部分に注目いただきたい。 日産エコーとは別に、日デ系列で KC140なる14人乗マイクロバスが 販売されており、色めき立つものの…。 |
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出典:モーターファン1963-3 | ||
1961 KC140 日産キャブオール 定員14人だとこの型になり、 形式も同じKC140。 糠喜びに終わる(苦笑) 全長4,675mm、全幅1,675mm 軸距2,390mm、出力71PS 1961年のジュニアマイクロバスと 軸距が同じで、シャシーは共通と 想像される。 |
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出典:自動車ガイドブックVol.8 1961-62 | ||
1959 日産 キャブオール・マイクロバス 同時期のマイクロバスを 1959-60自動車ガイドブックで 探すとこんなクルマが出てきて ぎょっとします。これは違う。 全長4,975mm、全幅1,900mm 軸距2,140mm、出力57PS 16人乗 |
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出典:自動車ガイドブックVol.6 1959-60 | ||
1962 BQBAB-2 プリンス ライトコーチ 東都日産民生の'61モデルは、 同時期のプリンスライトコーチと 窓周りや突き出したマーカーランプに 雰囲気が似ており、関連が気になる ところです。 |
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出典:モーターファン1962-12別冊付録 第9回自動車ショー | |||
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今のところまだ謎の多いマイクロバスですが、今後資料に当たることで、解明されていくでしょう。 現時点での仮説(妄想)としては、日産自動車の関与しない旧ミンセイ系で商品企画し、キャブオールのシャシーに富士重工あたりで架装といったところ。 情報をお持ちの方は掲示板かメールでお寄せ頂けると幸いです。 |
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…と書いてから約1ヶ月。 続報です! マル仲さんより情報が届きました。 いつもありがとうございます。 解説によると“完全キャブオーバー型14-17人乗という従来にない小型バス”ということで、 ライトバン派生車ではない、バス型マイクロバスのパイオニアの可能性があります。 |
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1959 新目黒車体 ジュニアバス モーターファン1959年4月号「ニューモデル」 のページにて紹介記事が発見されました。 架装は東京の新目黒車体。 独自の企画商品で日産の標準車では ないとのこと。 窓ガラスには「バス型マイクロバス」 と書いてあります。 |
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後ろ姿もバス型ですが、エンジン 部分はトランクになっています。 (キャブオーバーなので) ボディサイズは 全長5,140mm 全幅1,820mm 全高2,270mm 200系ハイエースのワイド車より小型です。 新目黒車体は、目黒車体(目黒区中目黒1丁目47番地)という会社の新名称のようです。 |
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小型車枠よりも幅広のため、室内も 他のマイクロバスより広めです。 トラックシャシーゆえの床の高さが 弱点として挙げられていました。 側面写真を上の2点と比較すると、 これまた微妙に相違があって、興味深い。 時期的考えても、手たたき板金に よるコーチワークかと予想されます。 |
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出典:モーターファン1959年4月号 | |||
目黒車体(目黒ボデー)は戦前から続く自動車車体メーカーで、1954年の 自動車ガイドブックには「バス・救急車・レントゲン車・宣伝及びサービスカー」 として目黒車体の広告が掲載されていました。 これだけの技術力を持つメーカーですが、1962年頃より車体工業会の 名簿から消えてしまい、残念ながらその後の足取りがつかめていません。 |
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・・・ハイ、また続報来ました! 手持ちの学習図鑑にそれっぽい車が載っていたのをすっかり忘れていました。 |
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いどう図書館車 “町や村を回って、 本のかし出しをします。” (出典元キャプション) なんとなくエコーと思い込んでいた 写真ですが、どうも新目黒車体の マイクロのマイナーチェンジ後の 姿のような気がします。 ホイールキャップは言うに及ばず、 ・丸い屋根と窓の雰囲気 ・ウインドゥシルの膨らみ ・側面の3本のリブ ・グリルの飾り など共通点が多数あります。 |
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出典:講談社 プログラム式こどもカラー図鑑(11)こうつうとのりもの(1970) | |||
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・・・さらに続報(2012.06.06) 1960年8月『最新自動車読本』によると 「♪田舎のバスはオンボログルマ〜」の歌で有名な中村メイコさんが ニッサンジュニアマイクロバスの改装車を特注。 「メイコの企画室」として軽井沢などへの小旅行に利用していたとのこと。 ワーゲンバスの23窓のような天窓を備え、定員は13名。 車内は花柄のシートとテーブルを備え、後のキャンピングカーを先取り したようなクルマだった。価格は120万円。 「我々のような庶民にはちょっと手が出ないが夢のあるクルマ」だそう。 |
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目黒車体株式会社に関する追加情報(2013.02.19) 昭和飛行機工業五十年史に以下の記述がありました。 昭和32年5月、当社は日産自動車株式会社の作業を請け負う目黒車体 株式会社から、日産ジュニアバンのボディー加工を引き受けることとなり 〜(略)〜これが昭和工場内における民需転換の第一歩であった。 時系列で考えると、目黒車体が日産ジュニアマイクロバスの 架装を始めたのは、日産からのジュニアのパネルバンの 受託生産を辞めた後、ということになります。 |
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