日産エコーは2t積み小型トラック ジュニア/キャブオールのシャシーを使い 1959年に新日国工業 京都工場の開発で生まれた車種である。 同社は、戦時中に航空機を製造する日本国際航空工業株式会社として設立(中島系) 戦後に日国工業、新日国工業と改称して自動車産業に参入した「転換組」の企業である。 1962年日産車体工機株式会社、1971年日産車体株式会社と改称した。 |
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日産ジュニア マイクロバス 同年12月生産開始の新型車。 展示プレートにはキャブオールとあるが、 いずれもシャシーは共用。 川崎のいすゞBLと同じく、応力外皮構造 の車体と、モールを多用した 派手なデザインが特徴である。 エンジンはオースチンA50譲りの 1,489cc 57PS 17人乗、全長4,590mm
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出典:モーターファン1959-12別冊付録 第6回自動車ショー | ||||||||||||
1959 KC42 日産ジュニア マイクロバス 形式は社内呼称91ZKC42と された様子。図面は17人乗。 当時としては四灯ヘッドライトも先進的。 社史によると、第6回自動車ショーへの 展示は新日国の工場を視察中だった 日産の川又会長が試作車を 見て急遽決めたという。 展示後は奈良の三笠温泉に 販売され、10年間使用された。 資料による全長の食い違いは、 良く判りません。 |
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出典:日産車体30年史 | ||||||||||||
日産キャブオール マイクロバス 1960年3月、キャブオールの マイナーチェンジにより形式変更。 縦目セドリックと同じG型エンジン (1,488cc 71PS)搭載。 モールが整理され、エンブレムを変更。 助手席側の窓下にCaballの エンブレムが確認できる。 11月に屋根上ベンチレータ追加。 車内を改造した20人乗を新発売。 日産自動車の正規車種に格上げ。 この写真は自動車ショー展示用の デラックス仕様車で、 白い窓ゴム、熱線吸収ルーフガラス、 自動扉とアンテナ(TV?)付き。 全長4,675mm 軸距2,390mm 20人乗 |
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出典:モーターファン1959-12別冊付録 第6回自動車ショー | ||||||||||||
1961 GC140 日産キャブオール エコー この年に6月にエコーと命名。 エンブレムはCaballのまま継続。 フロント窓下のモールが消滅。 3種類の標準色を設定し、 納入体制をスピードアップ、 既に海外輸出も行われている。 前年同様、17人乗と20人乗の2種。 昭和36年の販売台数483台 軸距2,390mm 全長5,130mm |
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出典:自動車ガイドブックVol.8 1961-62 | ||||||||||||
1961年 新日国工業 広告 自動車ガイドブック掲載の広告です。 Echoの文字はフロントの切り文字を 再現しているようです。 |
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出典:自動車ガイドブックVol.8 1961-62 | ||||||||||||
1962 GC141 日産エコー 幼稚園バス 昭和37年2月マイナーチェンジ実施。 H型エンジン(1,883cc 85PS)搭載。 フロント窓下のモールが2本になり、 ホイルキャップがメッキから樹脂に、 屋根のマーカーランプ省略。 エンブレムもEchoと変更された。 庇(バイザー)はオプションか。 幼稚園バスのため、ステップを下げ、 座席を増員(26人乗)してある。 |
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出典:モーターファン1962-12別冊付録 第9回自動車ショー | ||||||||||||
1963 GC141 日産エコー 昭和38年のマイナーチェンジで 大幅に印象が変わる。 型式は上の型と同じGC141型。 ボディパネルとモールの変更で メガネを掛けたような顔つきになる。 テールランプ大型化、表示窓照明、 シートのツートンカラー化。 昭和38年8月 キャブオールと共通のホイールベースを 持つ短尺車(20人乗)に加え、全長を600mm 延長した24人乗の長尺車(=写真)登場。 長尺車は当初は改造車扱いであった。 |
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出典:1964世界オートレビュウ |
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1963 GC141 日産エコー 短尺モデルの全長は大型乗用車並みで 今日のマイクロと比べると天井も低く シートもずいぶん簡素でした。 激しく損傷していますが、側板の波板や 純正ツートンの雰囲気が伝わると思います。 ステアリングはホーンリング付き。 エンジンはH20ガソリンでした。 |
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1964 GC141 日産エコー 側方指示器追加 オデコの中央からぶら下った安全鏡が なかなかユーモラスだ。 1964年1月、長尺車(24人乗)を GHC141として正規車種に格上げ。 2月、SD22ディーゼルエンジン搭載車追加。
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出典:モーターファン1964-12別冊付録 第11回ショー | ||||||||||||
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1965 GHC141 日産エコー (長尺車) 1964年11月マイナーチェンジ。 バンパーとグリルの意匠変更。 前窓ガラスが1枚物になる。 標準色は4種類に増えた。 4月、定員増加のため エンジンカバー上に座席取付。 短尺車(21人乗) 長尺車(25人乗)となる |
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出典:自動車ガイドブックVol.12 1965-66 | ||||||||||||
1965 GC141 日産エコー 短尺車の1965年型を示す。 他車に先駆け運転席用乗降ドア新設 トランクを観音開きから上下開閉に変更 10月、マイナーチェンジにより エンジン性能向上 (ガソリン85馬力から92馬力) (ディーゼル60馬力から65馬力) CG142となる。 サブエンジン付き冷房車登場。 |
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出典:1966世界オートレビュウ | ||||||||||||
1965年 日産車体工機 広告 新日国から社名変更しています。 17人乗の記載があるものの、 社史では触れられておらず、現時点 ではよくわかっていません。 (短尺車のシート減数か?) 写真は長尺のGHC141/GHQC141。 |
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出典:自動車ガイドブックVol.12 1965-66 | |||||||||||||
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【参考資料】 『日産自動車史 1964-1973』 『日産車体工業30年史』 『21世紀への道 日産自動車50年史』 日本自動車工業振興会 『自動車ガイドブック』 各号 朝日新聞社 『世界の自動車』 各号 |
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