夢で逢えたら



その夜、封印の獣・ケルベロスは主・さくらによって安らかな眠りより叩き起こされた。

「ケロちゃん、ケロちゃん、起きてよ!起きて〜!!」

自他共に認める≪寝ぼすけ≫の主に比べ超・寝起きは良いものの、一度眠ってしまうと
天変地異が起ころうとも目覚めないとすら言われるケルベロスであったが、≪主の命令≫
であれば目覚めないわけにはいかない。

…と、いうより、身体を捕まれて思いっきり振り回されたら、嫌でも目が覚める。

「な、なんやぁ…?」

ゴマ粒のような目をしばたかせた彼が見たものは…両目に涙を一杯に溜めた、主の姿だった。

「ど、どないしたんや、さくら!?」

驚くケルベロスに、さくらは震える声で訴えた。

「ゆ、夢を見たの…。もの凄くこわい夢…」

「夢?予知夢か!?」

「…そんな…!そんなの、やだよ。あ、あんなの…」

しゃくりあげ、今にも大泣きしそうなさくらを、ケルベロスは慌てて宥めた。

「とにかく、どないな夢やったんや?ゆうてみい」

「あ、あのね、教会だったの。真っ白な」

「教会…?」

「綺麗に着飾った人が一杯いてね、オルガンの音が聞こえるの」

「ふんふん」

「祭壇の前に神父さんがいて、白いタキシードを着た男のひとがいるの」

「結婚式やな」

「うん…。そ、それでね、ウェディングドレスを着た女のひとが入ってくるの」

「(…なんや、えらいめでたそうな夢やな…)それで?」

「それで、男のひとが花嫁さんに、すごーくすごーく優しく笑いかけるの…」

この辺で、さくらの様子が少しおかしくなる。
ぽおっと頬を染め、うっとりと遠くを見る瞳。
いわゆる、≪恋する乙女モード≫全開である。

「…とっても、とっても、かっこ良くて素敵なひとなの…。
 あれ、きっと小狼くんだと思う…」

「…小僧……?」

そして、ケルベロスの胸には、嫌〜な予感が…。

「でもっ、でもっつ!花嫁さんは、私じゃないの!!金髪のすごい美人さんだったの!!
 小狼くん、他のひとと結婚しちゃうの〜!!!!(号泣〜)」

 ひゅるるるる〜〜〜ぼすっ。

くだけたケルベロスは落下した。
落ちた先がクッションの上だったので、大事には至らなかったのがせめてもである。

「どうしよう、ケロちゃん!予知夢だったら、どうしよう!?」

「…どうしようも、こうしようも……」

ケルベロスは頭の形にへこんだクッションの上にヨロヨロと起き上がりながら、力無く呟いた。

……またかいな…。

そう、≪また≫なのである。
やれ、小狼が知らない女の子とデートしていただの、別れ話をされただの。
その度に叩き起こされること、既に片手の指が塞がろうとしている。

遠距離恋愛も、早1年。
小狼がいつ日本に戻れるのか、めどはたたない。
そんな不安な気持ちが夢に現れるのだろう。
だがしかし、その度に安眠を妨害されるケルベロスは、いい迷惑である。

「そやから、ゆうとるやろ?
 さくらは魔力が強うなった分、かえって予知夢は見にくうなっとんねん。
 ≪夢(ドリーム)≫のカードが、さくらの魔力を制御しとるんや。
 カードをつかわずに予知夢を見るやなんて、よっぽどのことがない限り、あらへんのや」

「≪よっぽどのこと≫だよおお〜〜〜」

涙目で訴えるさくら。
これも、いつものパターンである。
そしてケルベロスは、てっとり早くいつもの解決手段を持ちかけた。

「ほれ、嘘や思うんなら確かめたらええやろ?」

机の一番上の引出しを開けると、封印の書から≪夢(ドリーム)≫のカードを取り出して言う。
とにかくちゃっちゃっと済ませて、安らかな眠りを取り戻したいケルベロスであった。

≪夢(ドリーム)≫のカードは、魔力のある者には予知夢を見せる。
また、人の≪強い願い≫に反応し、その者の望む夢を見せる力もあった。

つまり、今の状態のさくらが使った場合、予知と願望が合わさった結果、
次の長期休暇に日本へやって来た小狼とデ−トしている夢や、
約束通り友枝町に戻ってきた小狼と仲良く学校へ通う夢を見る。
それで、さくらは安心するというわけだ。

さくらも大人しくカードを受け取ると、胸元から≪鍵≫を取り出し、呪文を唱えた。

「星の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ。契約のもと、さくらが命じる。
 ≪封印解除(レリーズ)≫!!」

金色に輝く魔方陣の上で、あらわれた星の杖を手に取りカードをかざす。

「我に、未来の姿を見せよ。≪夢(ドリーム)≫!!」

カードが光を放ち、輝く霧となってさくらを包む。
杖を手にしたまま、さくらはぱたりとベッドに倒れた。
やれやれ、と言いながらケルベロスはさくらの上に布団を掛けてやる。

「ええ夢みいや、さくら」

そして、机の一番下の引き出しの中の自分の寝床に戻ると、さっそく高イビキをたて始める。
カーテンの隙間から、まあるい月が顔をのぞかせていた。


そう、今夜は満月。
≪夢(ドリーム)≫は月の属性カード。満月の夜に、最もその魔力を高める。
それは、星の力を操る主によって生まれ変わった今も変らない。

……さて……?


   * * *


どこかで、ドアが開く音がした。
ぱちりと、目が覚める。寝起きの悪いさくらには、めずらしいことだ。

……うみゃあ…だれ…?

眠い目をこすりながら、さくらはベッドの上に起き上がった。
微かに聞こえる、こちらへと近づく足音。誰だろう?まだ、朝じゃないのに。

 カチャリ。

部屋のドアが開いた。
誰かが、そこに立っている。背の高いシルエット。

……お兄ちゃん?お父さん…??

その誰かは、まだ寝ぼけてぼーっとしているさくらの傍まで近づくと、ぼふっとベッドに腰を下ろした。

「ただいま」

その声に、一気にさくらの目が覚める。

……このひと、誰!?

ばっと掛け布団をはねのけ、ベッドから降りようとする。
それよりも早く、そのひとの両腕がさくらを捕らえた。

………!!??

ぎゅっと、抱きしめられた。
強い力。広い胸。お父さんとは違う。お兄ちゃんとも違う。
微かに、どこかで嗅いだような、なつかしい匂いがした。

 ドキン

胸が大きく鼓動して、さくらはそのまま固まった。
腕の中で、まるで石のように硬直した身体に気づいたのか、そのひとはすっと抱きしめる力を緩める。

「一週間も帰れなかったから、怒ってるのか?」

抑揚のない言い方ではあったが、語尾に不安そうな気配を感じ取り、さくらは声も出せないまま、
何故だか首を思いきり横に振っていた。
実際、≪怒って≫などいなかったのだ。
ただ、びっくりして……。
何もはっきりとは見えない筈の暗がりの中で、そのひとの表情が和らぐのが感じられた。

「これから、ちゃんと埋め合わせするから…。
 シャワー浴びて来るから、ちょっと待っててくれ」

そう言うと、そのひとはベッドから立ち上り、部屋を出ていった。


残されたさくらは、

「〜〜〜?!?!?!?!?!〜〜〜」

混乱していた。

一体何が起こっているのか、さっぱりわからない。
頭の中をぐちゃぐちゃにしながらも、暗闇の中、壁を手探りする。
やがて、目的のものが見つかった。

 パチッ

部屋の明かりがつくと同時に、さくらは改めて仰天した。

……わたしの部屋じゃない!?ここ、どこ!!??

さくらが今まで眠っていたのは、ものすごく大きな…いわゆる、ダブルベッドである。
そんな大きなベッドがありながら、その部屋にはまだ十分な広さがあった。
落ち着いた色合いで統一された壁紙とカーテン。フローリングの上の敷物。
シンプルではあるが、高価だということが一目で判るいくつかの小さな家具。

どうやらここは眠るためだけの部屋のようで、本棚も勉強机も見当たらない。
そのまま視線をめぐらせたさくらは、はっと声を上げた。

「お母さん!?」

では、ない。
そこにあるのは、ドレッサー…つまり、化粧台である。
アンティーク風の、優雅に楕円形を描く蔓草の装飾に囲まれているのは…。

「か、鏡…ってことは、ほえぇ!!わたし!?」

そう。
鏡の中には、いつも写真で見ている母・撫子にそっくりな女性…さくら自身が映っているのだ。
着た覚えのない、白いネグリジェは薄く透けて、身体の線を…丸みのある、大人の女性のそれを
際立たせている。

「わ、わたし…?」

そういえば、声もおかしい。いつもの自分の声よりも、少し低くなっている。
さらに混乱しオロオロするばかりのさくらは、たった一つその部屋の中で、見覚えのあるものを見つけた。
いや、一つではない。二つ。正確には、二匹だ。
ベッドの傍の小さな飾り棚の上に、ちょこんと座っている。

「これ…」

青みをおびた濃いグレーのくまの『しゃおらん』と、羽根のついたピンクのくまの『さくら』。
二匹は仲良く並べられ、その右手と左手は赤いリボンで結ばれている。
さくらは思わず棚に近づいた。
二匹は共に、いくぶん古びてはいるが、痛んでも汚れてもいない。
まるで、いつかのテディベア展の年代物のくまさんのようだ。
良く見ると、二匹を繋いだリボンには細やかな刺繍が施されていた。

『HAPPY WEDDING』

……これって、もしかして……?

だんだんと、否応もなく、状況がわかってくる。
もしも、本当にそうだとしたら。
さっきのあのひとは……あれは……。

「さくら…?」

ふいに呼ばれて、さくらは危うく飛び上がりそうになった。
言葉通りシャワーを浴びてきたのだろう。
緑のバスローブ。まだ半乾きの、濃い茶色の髪。
不思議そうにこちらを見る、鳶色の眸。
そのひとの顔には、確かにあの少年の面影が残っていた。

「…小狼…くん…」

一瞬、目を瞠り、そして微かに苦笑のようなものを浮かべる。

「≪くん≫、なんて随分久しぶりだな」

こちらに近づいてくる彼に、思わず身体を硬くする。
どうしてかはわからないが、どきどきする。
ものすごく、身体が熱い。

「…やっぱり、怒ってるんだろ」

言葉遣いや言い方は、やっぱり小狼くんだ。全然変わっていない。
でも、声が…。低くて、よく響く男のひとの声で、胸の奥に響いて、どきどきする。

「ちっ、違……」

声が、出せない。
どきどきが飛び出しそうで、喉が、ふさがって。

「だから、今夜は…ゆっくり、謝るから…」

ふっと、部屋の明かりが消えた。そして、ふわりと抱き上げられる。
また、あの匂い。今度は思い出した。
小狼くんの式服と同じ匂い。香港のおうちの匂い。
…魔除けの香の匂い…。

そのまま、ベッドへ運ばれていく。
いくら≪ふんわり≫で≪ぽややん≫なさくらでも、この先の展開は想像がついた。

やばい!ピンチだ!!…しかし、動けない。

ちゃんと事情を説明すれば、小狼くんだもの、判ってくれる。
そう、思うのに……。
もう、なんにもわからない。どきどきして、心臓が、壊れそうだ。

そうっとベッドに降ろされる。
二人分の重みに、か細い音をたてるスプリング。

「…さくら…」

低い声が。熱い吐息が。耳に、かかる。

そして………。


   * * *


「ほええええ〜〜〜!!!!!」

 ドターーン!!!!

さくらの悲鳴と、ベッドから転げ落ちたに違いない落下音に、今朝の朝食当番である桃矢は
リンゴの皮を剥く手を止めて呟いた。

「…怪獣…」


それから暫くの間。
さくらは、なんの脈絡もなく≪はにゃ〜ん≫となったり、瞬間湯沸し機と化して
『ほええええ〜!!』
と大声を発するなどの奇行が目立った。

周囲が心配したのは言うまでもないが、さくらはひたすら
『なんでもないの!!』
を繰り返し、≪さくらちゃんの秘密を探ることにかけては右に出る者なし≫の親友・大道寺知世にさえ、
ついにその理由を明かすことはなかったのである。

しかし、一番のとばっちりを受けたのは、その間もなく後に土日を利用してさくらの誕生日を祝うために
香港からやって来た小狼だろう。

「どうしたんだよ、さくら!おれ、何かしたか!?」

「な、なんでもないの〜(///////)」

気の毒に。
滞在中、彼はさくらと手を繋ぐことはおろか、半径1m以内に近づくことさえ出来なかったのだ。


その後、ケルベロスはさくらに安眠を妨害されることも無くなり、心安らかに規則正しい毎日を
送ることが出来たらしい。


小狼が友枝町に戻ってきたのは、それから更に一年後…。
中学二年の春であった。


                                   − 終 −


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ラブコメお約束の≪夢オチ≫です。
≪夢(ドリーム)≫というおいしいカードの存在のおかげで、小狼君がさくらちゃんとの、
またはさくらちゃんが小狼君との、らぶらぶな未来の夢を見る…というお話は、SSサイトや
同人誌等でしばしばお見かけしております。
そんな中で私なりのお話を…と書いていったらこうなりました。(///汗…///)
尚、アニメベースの筈の世界に、ピンクのくまの『さくら』ちゃんが登場したりするのは、
「劇場版2・封印されたカード」のラストの後、さくらちゃんが作って小狼君にあげたのだと
思ってくださいませ。
ちなみに、こちらはおまけです。

(初出01.1 掲載サイト様は、既に閉鎖しておられます。)