− プロロ−グ −

 羅針盤。
 それは、まだクロウ・リードが存命中であった頃、李家へ託されたものだった。
 様々な魔術書と共に書庫の奥深く保管されていたそれが、突如発動し、光を放った時、
 人々は≪封印の書≫が開かれ、クロウカードが四散したことを知った。

 クロウカード…。
 不世出の魔術師と呼ばれたクロウ・リードが創り出した、強大な魔力を秘めたカード。
 その全てを集め新たな主となった者は、クロウ・リードの後継者として名実共に世界最強の
 魔術師となるだろう。

 魔力を持つ者ならば、誰もが喉から手が出るほど欲するに違いない力。
 そのためには≪この世の災い≫を防ぐという試練が課せられるとしても、カードの主に
 名乗りを挙げたがる者は、いくらでもいる。

 だが、カードを捕獲するための魔法具の一つ、羅針盤を李家が保有する以上、
 その権利は李家にある。
 クロウ・リードの実母の生家でもある、東洋で最も古い道士の家系。
 そして現在、最強の魔法集団の一つでもある李家の主張に、異を唱えられる者はなかった。

 しかしその後、世界中の魔法関係者が一様に驚いたのは、李家から派遣されたカードの
 捕獲者が、若干十歳の少年であったことだ。
 たとえ、それが当主の長男であり、李家で最も強い魔力の持ち主であるとしても、
 子供は子供なのだから無理もない。
 そして間もなく、人々は更に驚くことになる。

 クロウカードの封印を解き放ちし者…。
 伝説の守護獣・ケルベロスに選ばれたカードの捕獲者もまた、子供だったのだから。

 通常の現実世界がそうであるように、目には見えない力に司られる世界もまた、
 変革の時代を迎えようとしているのかもしれない。

 若すぎるほどに若い魔術師達の出現を、人々は固唾を呑んで見守っていた。


 ……… そんなことなど露知らぬ少年と少女は、
       今日も東の国・日本の小さな街で
       カードを追って駆け巡る毎日をすごしていた ………



 − 1 −

 李 小狼 には日課が多かった。
 そのほとんどが魔術や武術の修行である。
 冬休みに入り、久しぶりに実家に帰っていたとしても、それは変わらない。

 朝の占いもその一つだ。
 小狼の魔力は、本来占いには向かない。基本的に適性が攻撃魔法に偏っているからだ。
 というより、李家では代々、女性は予知や探索などの感知性の能力に、
 男性は攻撃と防御という戦闘性の能力に適性が分かれることが多い。
 元々が、古い時代に魔物を退治することを生業(なりわい)としていた名残かもしれない。
 だからといって、苦手な分野の修行をおろそかには出来ないし、
 そうしようともしないところが生真面目な小狼らしい。

 奇妙なことに、強い予知の能力を持つ者は自分自身のことは占えない場合が多いのだが、
 小狼は逆に自分とその周辺で起こることだけしか占えなかった。
 これはこれで、正しくその能力を修練すれば自分の身を、そして一族を守るためには
 相当に有利な筈である。

 その日の占いの結果は、こう出た。

 『東より、災いと運命を共に携え、≪星≫が来(きた)る』

 えてしてそういうものではあるが、ワケのわからない占いは余り役に立たないのである。


    * * *


 冬休みの翌日から、小狼は苺鈴や偉と共に香港へ帰っていた。
 と、いっても骨休めではない。
 黙々と日々の修行をこなすかたわら、帰ってきた早々に書庫にこもって、常人には何が
 書いてあるのやら読むことすら出来ないような分厚い魔術書をめくっている。
 年の離れた弟をかまいたくてしょうがない四人の姉達にも、とことん素っ気無い。

 せっかくの冬休みだというのに、そんな毎日を過ごしている小狼に業を煮やした
 自称・婚約者の苺鈴は、その日の午後、強引に小狼を街へ引っ張り出した。

 「お買い物に行きたいの!ねぇ、小狼。いっしょに行ってくれるわよね〜〜♪」

 すぐ近くに住んでいるこの従姉妹に、何故か小狼は弱かった。
 従兄妹は大勢いるが、同い年なのは苺鈴だけだったし、一緒に拳法の修行もしていて、
 一番親しい幼馴染みでもある。
 それから、多分

 『小狼に一番好きな子ができるまで、わたしがお嫁さんよ!!』

 と、泣きそうな顔で詰め寄られたときに、

 『…好きにしろ…』

 と答えてしまったことが、いまだに弱みになっているのかもしれない。
 この時に成立した≪約束≫は、お互いの中で今も有効だった。
 苺鈴は誰憚(はばか)ることなく、『私は、小狼の婚約者よ!!』と、大声でふれ回り、
 彼に近づく女の子をにらみつけていた。

 小狼はといえば、もしも自分に≪一番好きな人≫が出来たら、
 ちゃんと苺鈴に言わなければと思っている。

 苺鈴が嫌いなわけではないが、彼女は小狼にとっては家族であり、
 目の離せない妹のようなものであった。
 苺鈴が自分に繰り返し言うように、ずっと一緒にいたいと思ったり、
 自分のことだけを考えて欲しいという気持ちになれる日が来るとは思えなかった。

 双方の親達は、今のところ何も言わない。
 子供同士のことだから、もっと先の話だと思っているのだろう。
 それでも苺鈴の父親…小狼の叔父にあたるわけだが…は、この話がまとまればいいと
 考えているようだ。
 だが小狼の母と、その妹である苺鈴の母…小狼の叔母…の思惑はわからない。

 もしかしたら、彼女等には子供達の未来が、ある程度わかっているのかもしれない。
 李一族直系の血を強く引く彼女等は、優れた占い師でもあった。
 もっとも、そんなことをけっして口にはしない人達ではあるのだが。

 ……一番、好きな人…。

 はしゃいで店先の品物をあれこれ指差す苺鈴と並んで歩きながら、
 ふと、小狼は≪あのひと≫のことを思い出した。

 魔力ではないけれど、静かで穏やかな波動。
 いつも微笑んでいる、眼鏡の奥の優しい眸。
 だが、日本で出会った≪あのひと≫のことを苺鈴に言うのもためらわれた。
 あのひとに会うとドキドキして、顔が赤くなってしまうのだけれど。
 でも…。

 ………!?

 小狼は、突然足を止めた。
 苺鈴の最初の目的地は、≪バードストリート≫だった。
 家で飼っている小鳥のために、漢方薬入りの餌を買いに来たのだ。
 むろん、女の子の買い物がそれだけですむ筈もないのだが。

 「どうしたの、小狼?」

 苺鈴の声も、小狼の耳には届かない。
 鳶色の眸が鋭く、ある方向を見定める。
 汚れた壁や、様々な原色で塗りたくられた店先を通り越した向こうに在るもの。

 「…妙な気配がする…」

 小さく呟いた小狼は、

 「ここにいろ、苺鈴!」

 そう言い残して、走り出した。



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)