- 2 - 気配を追ってたどり着いたのは、高い建物に囲まれた小さな敷地だった。 空きビルなのか、四方に人の住んでいる様子はない。 その中央に、今は使われていない古井戸があった。 四本の朱(あか)い柱に支えられた、剥がれかけた瓦屋根。 苔むしてヒビの走った漆喰(しっくい)塗りの井戸の縁に、ぼんやりと立った一人の少女。 短い栗色の髪。ノースリーブの緑の服に、白い羽根のついたハートのリュック。 右手に握られた、奇妙な形のピンクの杖。 「おまえ…!?」 少女を見て、小狼は声を上げた。 今、日本にいる筈の彼のライバル…封印の獣・ケルベロスに選ばれたクロウカードの 主候補・木之本桜…が、何故こんなところにいるのか? しかし、少女は小狼の声に、何の反応も示さなかった。 焦点の定まらない、虚ろな眸。ぐらぐらと身体がゆらいでいる。 あたりに満ちる、魔の気配。 ……術をかけられている…? ポケットから黒い宝玉を取り出した小狼は、房のついた朱い飾り紐を握り、気を集中させた。 ポウッと青白い光が伸び、宝玉の中に封印されていた剣が現れる。 実体化と同時に落下する剣の柄を握り直した小狼は、その一振りで さくらに絡まる魔の力に亀裂を入れた。 「目を覚ませ!!」 パンッ 何かが弾けたような感触と同時に、さくらの眸に光がもどった。 その瞬間、 チチチイイィッ 忌々しそうな声をたてて、二羽の白い鳥が井戸の屋根から飛び立つ。 ……あれは…!? 後を追うべきかと思った小狼だったが、その背中に間の抜けた声がかけられた。 「李くん、どうしてここに…?」 身体ごと、こちらに向き直ろうとして動かした足元には、踏みしめるものがなかった。 「ほええぇ~~!?」 バシャーン!! 派手な水音を立てて、さくらは井戸の中に落ちた。 幸いその井戸は石で埋められており、雨水が浅く溜まっているだけだったが、 まともに落ちたさくらは全身濡れ鼠となってしまった。 「何やってるんだ…」 呆れ声で、小狼は水の中に座り込んだまま、 「はう~~」 と情けない声を出しているさくらに、手をのばした。さくらが、素直にその手をとる。 女の子のやわらかい手が、ぎゅうっと彼の手を握った。 そのとたん、自分から差し出しておきながら、小狼の顔が赤くなった。 「ありがと、李くん」 井戸から出てきたさくらは、小狼に礼を言った。 「べっ、べつに…」 やや乱暴に手を振り払った小狼は、背中のリュックからタオルを取り出し、 さくらへと突き出した。 ちょうどさくらは、ビショビショになったスカートの裾をつまんで少し持ち上げていたところで、 小狼はタオルを持ったまま慌てて顔を背け、つっけんどに言った。 「使え」 「え、でも…」 「いいから!」 まるで怒っているかのような声に、さくらは大人しくタオルを受け取り、 濡れた身体を拭きはじめた。 もちろん、洋服はぐっしょりと濡れていて、タオル一枚でどうにかなるものでもなかったが。 顔を赤らめ、さくらに背を向けたまま、小狼は尋ねた。 「一人なのか?」 「ううん。お兄ちゃんと、知世ちゃんと、ケロちゃんと……あと、ゆ、雪兎さんも、いっしょ…」 最後の名前に反応して、小狼の眉が吊り上がった。 「なんだって!?」 顔を赤くするのも忘れた小狼にギッとにらまれ、タオルをにぎりしめたさくらが、びくっとなる。 「何で、おまえがあのひとと、香港(ここ)に来ているんだ!?」 「そ、それはその…。友枝商店街の福引で……、っくしゅん!!」 スカートの裾からポタポタとしずくを滴らせているさくらに思い至ったのか、とりあえず 小狼は追求を止めた。 「…とにかく、みんな心配しているだろう。早く戻ったほうがいい」 「う、うん。でも…」 「どうした?」 口ごもったさくらは、もじもじと恥ずかしそうに言った。 「どっちから来たのか、わかんない…」 小狼は額に手を当て、は-っとため息をついた。 「おまえ…。ケルベロスの気配くらい、わからないのか?」 「だって…。この街、なんだか…」 言葉を濁すさくらに納得したように、小狼は頭上に覗く、建物に囲まれて小さく切り取られた 空を仰いだ。 「≪魔≫の気配か。香港の気は、友枝町とは比べものにならないから、無理もないな。 おまえ、魔力は強くなっても、相変わらず気配には鈍いからな」 この少年も、少女と少しは仲良くなったように見える時もあるものの、相変わらず言うことは キツイ。 「はううぅ~~」 「…とりあえず、こっちだ」 スタスタと歩き出した小狼の後を、さくらは慌ててついて行った。 小狼は、濡れた靴で歩きにくそうにしているさくらに合わせて、 さりげなく歩調を緩めてやった。 - つづく - ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** (初出01.5~8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。) |