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 4月の、ある朝のことだった。
 いつも通り拳法の稽古を終えた小狼は、身を清め、部屋の中央の床の上に座った。
 目を閉じ、呼吸を整え、ゆっくりと気を高めていく。
 彼の手の中にあるのは、李家の占星盤。クロウカードを探すための羅針盤に良く似て
 いるが、これはまだ未熟な術者が占いをするのを助ける魔法具だ。
 もっとも、占星盤なしで占いが出来る者は、李家の中でも数える程しかいない。
 カラカラと小さな音をたてて盤が回り、中央にぼんやりと青白い半球が現れる。
 どうやら上手くいきそうだ。小狼は魔力(ちから)を込めて呪文を唱えた。

 「玉帝有勅神硯四方 金木水火土雷風雷電神勅 軽磨霹靂電光転 急々如律令!」

  パシィイン!!

 白い光が放たれ、占星板盤が割れた。
 小狼が強い予知に成功した瞬間、必ず起こる現象だ。この時だけは、占いの結果を母に
 報告しなければならない。
 そして…報告を終えた小狼は、その場で母に命じられた。

 「日本へ行きなさい」

 小狼が光の中に見たものは……
 右手に月と太陽の模様の描かれた緋(あか)いカードを。
 左手に奇妙な形の杖を持った、自分と同じ年頃の少女の後ろ姿だった。


    * * *


  キュッ キュッ キュッ

 真新しい上履きが、廊下を歩く小狼の歩みに従って、規則正しい音をたてている。
 様々な手続きに時間をとられ、小狼が日本にやって来たのは占いからニヶ月後の
 ことだった。
 担任教師の後についていきながら、小狼は気を集中させた。
 確かに感じる、魔力を持つ者の気配。だが、これは…?

 「今日は、転校生を紹介するぞ。さ、入って」

 黒板の前に立った小狼は、自分が感じた魔力の持ち主を一目で見分けた。
 窓際の、一番後ろから一つ前の席に座る少女。
 しかし……

 ……コイツが…!?

 強い驚きは不信と、そして何故か怒りとなって、小狼の表情を一層キツイものに変えた。

 「李 小狼(り しゃおらん)君だ。香港から来た…」

 担任の声が遠くから聞こえてくるように感じるほど、彼は自分の視線の先にいる人物に
 のみ集中していた。
 その人物はといえば、初対面の彼に睨みつけられてワケもわからず
 うろたえ脅えているようだ。

 可愛らしい少女だった。眸の大きな、顔立ちの整った。
 まだ、美しいというよりは、愛らしいという表現がぴったりな…。それは、認めよう。
 しかし母や姉達、叔母や従姉妹など女性に囲まれて育った小狼は、そのことに
 何ら感銘を受けなかった。

 一日、教室の一番後ろの窓際の席で、彼は前の席の少女を観察し続けた。
 魔力は確かにあるようだ。しかし、それほどのものではない。
 何よりも小狼を苛立たせたのは、自分の顔色をうかがうような、不安定で集中力の無い
 少女の波動だった。
 いやしくもクロウカードの主になろうという者ならば、もっと毅然とした態度でいるべきだ。

 ……本当に、コイツなのか…?

 信じられなかった。


   * * *


 その日の放課後。
 校舎の裏で、羅針盤の光が真っ直ぐに少女を指し示した。

 「…やっぱり!おまえ、クロウカードを持っているな!?」

 驚きで、少女の顔が強張った。

 「あなたこそ、ど−してクロウカードのこと、知ってるのよ?」

 交渉術のカケラもない、思ったことをそのまま口にした少女の問いに
 答える必要はなかった。

 「おまえには、関係ない」

 そう言いながら、小狼は結論づけた。

 ……少しくらいの魔力はあっても、コイツは、ただの子供だ…。

 そして、思った。

 ……こんなやつに任せておいたら、≪この世の災い≫が起こることは確実だ。
    いや、それより先にコイツは大怪我をしてしまうだろう……。

 「残りはおれが探す。かせ!!」

 こんな頼りない、ぼんやりしたやつに、カードの主になるなんて無理だ。
 小狼は思った。
 本当に、そう思っていたのだ……



     記憶の中から、浮かんでくる

     いくつもの表情(かお)、いくつもの声

     それは、ただ一人の少女のものばかり



 『ユーレイなの?ユーレイが知世ちゃんたちを消したの…!?』


 ……アイツは、恐がりで


 『お願い!それでお兄ちゃんを見つけて!!』


 ……すぐ泣くし、


 『利佳ちゃんに、ケガさせちゃダメ!』


 ……魔法のことも、カードのことも知らないくせに


 『あの時計には、街のみんながお世話になってるんだよ?壊すなんて、できないよ!』


 ……なのに、強情で


 『ダメだよ!これは李くんのグループの大事なケーキだもん』


 ……ひとのことばかり、気にするし


 『玲さ−ん!がんばって――!!』


 ……危なっかしくて…


 『みんなの遊園地だもん!それに、カードぜんぶ集めるって、自分で決めたんだもん!!』


 ……アイツにカードを捕獲(と)られても、なんでだろう?
    本当はもう、あんまり悔しくないんだ……


 『…しょうがないよね?好きなんだもん…』



     『何のために日本に行くのか。それだけではなく、
      日本で何を知り、何を学び、何を得ることが出来るのか。
      貴方にとっての全ての意味は、そこから生まれるのです』



 ……日本に旅立つ日に、母上がおれにかけて下さった、言葉……



     『その目で、しっかりと見定めなさい。
      かの地で起こることの、全てを…』



 ……おれは……



     ポタリと水滴が、小狼の頬にかかった
     涙だと、小狼は思った
     誰かが、泣いている……とても、切ない想いで
     声を殺して泣いている

     母の、白い顔が浮かんだ
     姉達の後ろ姿が
     従姉妹の、涙を溜めた大きな眸が


     そして……どうしてだろう?

     いつも、ひとのためにばかり泣いている顔が
     浮かんだ……



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)