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 高い塀に阻まれて、小狼はさくらの姿を見失った。
 おそらく、≪跳(ジャンプ)≫を使ったのだろう。
 魔術を使えば、小狼にもこの程度の塀は越えられる。だが、彼のすぐ後ろを桃矢と雪兎が
 追ってきている以上、それは出来なかった。

 ……くそっ!

 小狼は、≪魔≫の気配に集中しながら塀に沿って走った。
 向こう見ずな少女も、そこに向かっている筈なのだから。
 
 「さくらちゃん!」

 途中で追いつかれ、小狼は雪兎と桃矢と並んで、路地裏の古びた骨董屋に走り込んだ。
 間違いなく、≪魔≫の気配の源はここから発している。
 果たして、さくらは店の中にいた。こちらに背を向けて、ぼんやりと立っている。

 「…あっちこっち、探し回ったんだぞ!!」

 桃矢が安堵を怒りに変えて、声を高める。
 だが、小狼の表情は強張った。

 「…この気配…!」

 さくらが、ゆっくりと振り返る。まるで機械仕掛けの人形のように、ぎこちない動作で。
 桃矢へと向けられたその眸には…意志が、なかった。

 「さくら…?」

 「小狼!」

 「さくらちゃん!!」

 苺鈴と知世が相次いで、ドアをきしませ飛び込んでくる。
 それが合図であったかのように、突然、さくらが手にしていた古い本を開いた。
 ひきちぎれた封印の札が、ひらりと舞う。

  ドォン!!

 今まで感じたことも無いほどの、巨大な≪魔≫の塊が爆発した。
 さくらを…いや、手にした本を中心に空気が震え、青白い燐光が放たれる。
 風が巻き起こり、窓のカーテンを吹き上げ、本の黄ばんだ頁を音を立てて繰っていく。

 「さくら!どうしたんだ、おい!?」

 桃矢が、虚ろな眸の妹の肩を掴んで揺さぶる。その拍子に、本が床に落ちた。
 同時にピタリと風が止み、さくらの眸に光が戻る。

 「苺鈴!大道寺!!」

 小狼はとっさに振り返り、二人に店の外へ出るようにと口を開きかけた。
 だが、遅かった。
 次の瞬間、開いた本の頁から水がどっと溢れ出た。
 もちろん、ただの水ではない。人間をとり込むための、魔力で創られた水だ。
 みるみるうちに水位が上がり、あっという間に頭まで水に浸かってしまう。

 小狼は苺鈴と知世の手を掴もうとしたが、ふっと二人の姿が消えた。
 二人だけではない。桃矢も、雪兎も、さくらも…。
 骨董屋の店の壁を埋め尽くしていた棚も、床に転がっていた壷も、壁も床も消えていく。
 そして、白くなった視界は暗く青みを帯び…辺りはまるで遠い国の遺跡のような、傾き、
 崩れかけた柱の並ぶ奇妙な空間になっていた。

 ……相手の魔力が創り出した世界に、とり込まれたか…。

 水面から顔を出した小狼は、そう結論づけた。
 折れて突き出した柱の断面に身体を引き上げると、濡れていた筈の髪や服が、すうっと
 乾いていく。

 ……やっかいなことに、なりそうだ…。

 この空間には、≪気≫のエネルギーが極端に乏しい。
 小狼の…というより、李家の。そして、主だった魔術の大半は、自然界の≪気≫を術者の
 魔力で現実的な≪力≫へと変換させるものだ。
 李家の護符は、長々と呪文を唱えたり魔方陣を描き出す手間を省いて、特定の≪気≫を
 呼び集めるためにある。
 ≪風華≫には、≪風≫。≪火神≫には、≪火≫…と言った具合に。
 だが、それぞれの魔術に必要なだけの≪気≫が、ここにはない。
 通常の攻撃魔法や呪縛魔法が使えないとすれば、頼りになるのは彼が捕獲した
 クロウカードだけということだ。

 クロウカードは、カード自体がクロウ・リードの魔力で形作られた≪精霊≫…いわば、
 ≪気≫の塊だ。
 発動には主となった者の魔力を必要とするが、発動そのものには新たな≪気≫を必要と
 しない。

 それにしても、ここは何という世界だろう…?
 魔力が創る空間は、多かれ少なかれ、術者の心象風景を反映する。
 誰もいない廃墟。白い天井と壁に囲まれた閉ざされた世界に、水音だけが響いている。
 静寂の中に満ちる、深い哀しみと、そして悔恨……。

 ……この空間を創り出した者は……。

 「何故、おまえのような小娘が、ここへ来たのだ!?」

 甲高い女の叫びが、空間を震わせた。
 一転して静寂は破られ、怒りの波動が押し寄せる。
 そして、魔力の発動する気配。
 良く知っている、気配。これは……。

 ……アイツか…!?

 小狼は宝玉を取り出すと剣を呼び、一枚の護符をかざした。

 「……急々如律令、≪浮歩≫!」

 銀砂を撒いたような細かな光が小狼を取り巻いた。
 注意深く足を踏み出すと、彼の身体は沈まずに水面に浮きあがる。
 李家に伝わる、水や雪の上を歩くための魔法だ。己自身が発する≪気≫を利用するため、
 この空間でもどうにか使うことが出来るようだ。
 激しくうねり始めた水面を蹴って、小狼は魔力の源へと走り出した。



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)