てのなかのほし



その星は、大きな手の中にあった。
小さくて、きらきらして、とてもきれいだった。
さわってみたくてしかたなかったけれど、きっとしかられる。
だから、両手は背中のうしろでギュッとにぎっていた。

すきとおって、金と銀のかけらが浮かんだ星。
あちこちにおかれたロウソクの光で、虹のように光る。
息をするのも忘れて見つめていると、声がした。

「これは、おまえの星だよ」




− 1 −

小狼には、父の記憶がなかった。
物心つく以前に亡くなったのだから、無理もない。
おぼろげに広い背中や、頭に置かれた大きな手を覚えている気もするが、誰かを父と混同しているだけなのかもしれないし、単なる既視感(デジャヴュ)…脳の錯覚にすぎないのかもしれない。

香港の彼の家には、父の遺品も遺影もなかった。
母も四人の姉も、父について口にすることはなかった。
父の名が出るのは、一族の集まりでの大人達の囁き声だ。耳を澄ませて聞き取った内容は、小狼が亡くなった父によく似ているということだけ。
だが、いくら鏡を覗いたところで、そこに映るのが父の顔だという実感は湧かなかった。

それは成人以降、ようやく目にした父の写真をそのまま写したような顔を毎朝鏡で眺めても、変わることはない。

だが、最近になって父の姿を垣間見ることがある。
母でも姉達でも一族でもない。
それ以上に身近な者達の眸の中に。


   * * *


中華人民共和国香港特別行政区。
李一族の拠点である本邸に、次期当主たる彼とその妻子が招かれるのは、珍しいことではない。
古くから伝わる様々な祭事、親戚づきあいと呼ぶには規模の大きすぎる催し、一族の支援者達への顔つなぎ等々。
今は様々な理由から日本での居住を認められていても、現当主の跡取りとして避けられない義務は多い。

さくらもまた、次期当主の配偶者として彼を助けるべく、勉強を続けながら頑張ってくれている。
“クロウカードの後継者”だと、未だに好奇…または私利私欲の絡んだ悪意…の目で見られるさくらだが、彼女自身を知る人間が増えるにつれ、その視線も変わりつつあった。
彼女の持つ魔力(ちから)の真の意味。“さくらカード”の存在理由。その理解者が一族の多数を占めた時が、当主の代替わりとなるだろう。

日本と香港を行き来しながら、気の遠くなるような地ならしを続ける両親をよそに、幼い我が子は優しいおばあちゃまやおばちゃまたち、たくさんのイトコに会えると、無邪気にはしゃいでいる。
だが、本邸の居間に通された小狼は、そこに置かれたものを見て、今回の訪問の用件が祭事への出席や旧正月の打ち合わせだけではなかったのだと気がついた。

「うわぁ〜、すごい!!ホンモノのツリーだよ〜」

歓声を上げるさくらの腕の中で、我が子が目を丸くする。

「おばあちゃまのおうち、きがはえてるー」



おずおずと伸ばした指にふれる星は、あたたかかった。
きっと、大きな手のぬくもりが残っていたからだろう。
両手にかかえたそれに重さを感じなかったのも、そっと下から支えられていたからだ。

けれど、心をいっぱいにするのは、うれしさだけ。
キレイなキレイなお星さまが、自分のものになったのだ。
なのに星をくれた声は、次に言った。

「さあ、一番上につけてごらん」



− 2 −

小狼にとって、父は遠い存在だった。
憧憬、尊敬、目標、反発。そのどれを感じるにも、余りに知らなさすぎた。
子供の頃、彼がクロウ・リードの創ったカードに固執し、その後継者たらんとしたのは、父の不在を埋める代償だったのかもしれない。

何故、父に関するものが一切残っていないのか。
何故、誰も父について語ろうとしないのか。
何時、どうして亡くなったのか。
疑問に思わない筈はなかったが、小狼はそれを口にすることはなかった。
尋ねてはいけないのだと、感じていたのだ。

小狼が父についての詳細を知ったのは、母が彼を一人前と認めた後だ。
やっと得られた真実に安堵する一方で、父を身近に感じるには、知るのが遅すぎたと思っていた。

だが、最近になって父の存在を強く意識することがある。
さくらと、そして我が子が傍らにある時に。
人生で、最も幸福だと思える瞬間に。


   * * *


香港の象徴の一つ、ビクトリア・ピ−ク。
その中腹に建つ李家本邸は、広い庭園と“百万ドルの夜景”の眺望を備えた大邸宅だ。小狼にとっては、生まれ育った実家でもある。
中国風と英国風とが入り混じった内装も、それらに染み付いた独特の香りを放つ魔除けの香も、彼には馴染み深い。
居間に置かれた一本の樹木もまた、彼にとっては見慣れた光景だ。それは、この家に冬の訪れを告げる合図なのだ。
だが、日本生まれの妻子にとっては、そうではない。
2mもの常緑樹が、でんと居間に鎮座した図に、二人は驚いたようだ。

十二月最初の日曜日。
ヨーロッパなどではクリスマスの四週間前から準備を始めるらしいが、李家ではこの日にツリーを飾る。
土地柄、モミの木というわけにはいかないが、庭師がふさわしい大きさの樹を根ごと掘り出して植木鉢に移し、運び込む。
ツリーの周りには、様々な飾りの詰まった箱も準備されていた。
色とりどりの玉や天使の人形、リボンで飾られたベル、雪に見立てた真っ白な綿、チョコレートやキャンディーの詰まった小さな靴下。これらを飾るのは、子供達の仕事だ。
かつて姉達が、そして自分と苺鈴がやっていたように、今日は姉の子供達と我が子の番なのだろう。

「ほら、見て見て!!すっごくきれいだね〜」

「きらきら〜」

箱を覗き込んでは手に取りはしゃぐさくらと、母親の手の中の飾りを見つめる我が子。
どうやら彼女も飾りつけに参加する気満々のようだと、小狼は苦笑を浮かべた。



「みんなに良く見えるように、ツリーの一番上にかざるんだよ」

繰り返される声に、口元をへの字に曲げた。
自分のお星さまだと言われたのに。こんなにキレイなのに。
手放すのはイヤだった。ずっと、もっていたかった。

大きな手が、星をかかえたままの身体を抱き上げる。
しかられるのかと身をすくませ、ぎゅっと目をつむる。

「この星はおまえのものだけれど、だからこそ、ひとりじめにしてはいけない。
 太陽や月と同じように、星の輝きも、多くの目に触れてこそ意味がある。
 自分だけのものにするために、隠してしまってはいけない。
 そんなことをしては、星は星でなくなってしまう。
 おまえの大好きな輝きも、失われてしまうだろう」

声だけが、静かに降り注ぐ。
そっと目を開けて、かかえていた星をもう一度見つめた。
すきとおった奥の、金と銀のかけら。虹色の光。
それがなくなってしまうのは、イヤだった。
手放すことよりもイヤだったから、手をゆるめ、持ち上げる。
頭上の気配が、ふわりと緩んだのがわかった。



− 3 −

小狼は、自分と他人を比べるという考え方をしない。
そんなことは、時間の無駄でしかないからだ。

だが、クロウカード捕獲のため日本に滞在して、暫く経った頃。
自分の想いに気づかないまま、親しくなったさくらの家を訪れた時のことだ。
彼女は食卓に飾られた写真…亡くなった母親…に向かって、『ただいま』と挨拶をした。驚いたのが顔に出たのだろう。さくらは、はにかむように笑って言った。

『えっとね。家ではお父さんもお兄ちゃんも、お母さんに挨拶するんだよ。
 「おはよう」とか「おやすみ」とか…。写真も、お父さんが毎日替えてくれるし』

小狼は、少なからず衝撃を受けた。今にして思えば、それが他ならぬ“さくらの家族”だったからだろう。

初めから居なかった存在であるかのように、痕跡を消された自分の父。
今も生きているかのように、日々笑顔と言葉を向けられる彼女の母。
比べても、意味は無いとわかっていても、違い過ぎた。
彼女の両親が義父と義母となった今でも、時折考える。

母の父への想いと、義父の義母への想い。
父の母への想いと、義母の義父への想い。
それぞれの深さも、強さも、脆さも。計る術はどこにもない。

同じように、自分のさくらへの想いも、我が子への想いも。計る術はなく、取り出して見せることも叶わない。
比べることなど出来ないのだ。

父の、自分への想いも。


   * * *


本邸を訪れた小狼が最初にするのは、当主である母・夜蘭への挨拶だ。
妻子を伴わないそれは、いわば王と臣下の間で交わされる儀礼であって、親子の対面ではけっしてない。小狼にとって、今も胃が重くなる瞬間である。

言葉少なく近況を報告する息子を、無言のままで見つめる母の外見は、昔からほとんど変化がない。それはまるで、この部屋と同じだった。
磨かれた黒檀の机も、古い文様が描かれた敷物も、白磁器の花瓶も。
父を連想させる品が何一つないことも、物心ついた頃からの記憶と寸分の変化もない。
ただ、鎧のように纏われた威厳だけが、年月と共に更に重厚さを増したように思えた。

「……そうですか。わかりました。」

短く答えた母に、小狼は深々と一礼する。肩の力が抜けるのが、自分でもわかった。
次の対面は、姉達の家族も交えての夕食だろう。さくらが同席していると、母は驚くほど人当たりが柔らかくなるし、孫に対しては完璧な“やさしいおばあちゃま”なのだ。
嫁姑問題に悩まされずに済むこともだが、母が孫煩悩になるとは。小狼にとっては予想外どころか、驚異の域だ。
むろん、夫として父親として、喜ばしいことには違いないが…。

「お待ちなさい、小狼」

退室しようとしていた彼は、重々しい声に動きを止める。
まさか心を読まれていた筈はあるまい。謹厳な表情で振り向くと、母は白い木箱を手にしていた。

「これを持って行きなさい」



身体が軽くなって、羽根がはえたような気がした。
天井が近くなって、みどりの木のとんがったてっぺんが鼻の先にあった。

「おまえの星を、みんなに見てもらいなさい。
 どんなに綺麗で素晴らしいか、多くの人に知ってもらうんだ」


声にうながされて、腕をのばす。
星は、手の中にあったときよりもたくさん、きらきらしているように見えた。



− 4 −

怖かったのだ、と。
幼い頃を振り返って、李小狼は認めることができる。

母が、父を疎んじていたとは、思いたくなかった。
父が、忘却されなければならないような罪を犯したとも、考えたくなかった。
自分の存在が、その延長にあるかもしれないことも…。

幾度も振り払い、考えまいとしても、影法師のようにつきまとう怖れ。
真実を“知らない”ことは、不安を煽り不信を育てる。

次期当主の配偶者が“クロウカードの後継者”であることを警戒する者や、さくらの魔力(ちから)を世界を滅ぼす元凶だと決め付ける者。彼女の血を引く子供こそ、危険なのだと説く者。
彼等も同じで、何一つ真実を知らない。

本当は、さくらを誰の目にも触れさせたくなかった。どんな些細な悪意も近づけず、あらゆる争いから一番遠いところで、大切に守りたい。
家も、道士の務めも、己に課せられた責任も。全て捨て去って、愛する者だけを両腕に抱えていられたら。

そんな衝動に突き動かされそうになるたび、己の中で何かが囁く。
深く、静かに。
まるで冬の空に瞬(またた)く星のように。


   * * *


居間に戻ると、そこは保育園と化していた。もしくは、保育園の参観日だと小狼は思う。
お待ちかねの弟一家の到着に、四人の姉と同い年の従妹、及びその家族が顔を揃えているのだ。
さくらを交えてのお茶会が催される中、子供達によるクリスマス・ツリーの飾りつけも、とうに始まっていた。

一番上の姉と三番目の姉の子供達、総勢七名に我が子を加えての計八名。子供達は皆、小狼にとっては甥姪であり、我が子にとってはイトコにあたる。
いずれは魔力や拳法の技を競い合うことになるのだろうが、今はまだまだ遊び友達だ。既に何度か飾り付けを経験している年長の子供達の指図で、枝先に飾りをつけていく。
だが、小さな子供…主に我が子のことだが…は、サンタやトナカイの人形で遊び始めたかと思えば、ガーランドを引き摺って走り回ったりしてしまう。
その後を、姉の子供達が慌てて追いかけていた。

「あ〜ら、あの子元気ねぇ。小狼の子供とは思えないわ。
 私と飾りつけしてた頃なんか、すごい几帳面で。面白く無さそうな顔で黙々とやってたのに。ああいうところは、お母さん似かしら」

臨月に近いお腹を抱えた苺鈴が、笑いながら言った。夫が海外出張中で、しばらく本邸に滞在するつもりらしい。

「そうでもないわよ〜?
 苺鈴ちゃんは覚えていないでしょうけど、あの年ぐらいの小狼も、やっぱりはしゃいで。ツリーの周りをグルグル走り回ってたものよ」

「そうそう。それで夜中に熱出して、真っ赤な顔でフラフラになるもんだから、家中大騒ぎになったのよねー」

独身主義を自称する二番目の姉と、少々事情の込み入った相手(言ってしまえば、李家とは敵対関係にある組織に属する魔法使い)と交際中の四番目の姉が、話を弾ませる。
大人禁制ということで、クリスマスオーナメントの代わりにティーカップを持たされたさくらが、はしゃぎまわる我が子を目で追いながら、困った声を出した。

「いつもはすっごく恥ずかしがり屋さんなのに、香港のおうちにくると普段の倍ぐらい元気になっちゃうんだもん。
 でも、そっか…。遊園地に行った後やお誕生会の後、よく熱を出しちゃうのって、お父さん似だったんだ」

最後は妙に納得した顔で頷いたさくらに、そのぐらい子供なら普通だろうと小狼はぼやく。
この面子になると、自分の子供の頃の話を持ち出されることは避けられないと、既に諦めの境地に至っていた。

イトコのお姉さんやお兄さんにしかられて、しょげたかと思うと、年の近い子に誘われれば、ニコニコ笑って手を繋ぎ、ツリーに駆け戻る。
そして箱から取り出された新しい飾りに、興味津々で目を輝かせる。
子供が最も子供らしい光景を思い出に納めるべく、一番目と三番目の姉夫婦は、ビデオやスマートフォンを手に飛び回っていた。


子供達にクリスマス・ツリーを飾らせる習慣は、先代の当主…つまり小狼の父が始めた家族行事だと知ったのは、ごく最近のことだ。
今もなお、人の目に触れるところには、決して遺品も遺影も置こうとしない母は、その一方で亡き夫との思い出を守り続けている。


やがて飾りの詰まった箱が全て空になり、白い綿雪も緑の枝にこんもりと積もった。
できたできたと喜ぶ子供達の声に、小狼は椅子から立ち上がる。手には母から渡された木箱の中身が握られていた。
今日の最後の仕上げ。クリスマス・ツリーのてっぺんに飾る星。

家族で一番幼い子供が、その役を担う。今までは姉達の子供が。数年後には従妹の子供が。
けれど今年は、自分とさくらの子供が担うのだ。

膝を屈め、手の中の星を見せると、大きな目が落っこちそうなほどに見開かれた。
深く吸った息を止めたままで、もじもじと身体をゆする。小さな両手を握り締めて、背中の後ろに隠してしまう。
さわってみたくて仕方ないのを、我慢しているのだ。思ったとたん、言葉が自然に口をついた。


「これは、お前の星だよ」


そう言った自分の声に、別の響きが重なっている気がした。
抱き上げた我が子の体温に、自分を支える大きな手の温もりを感じた気がした。
それが、単なる既視感(デジャヴュ)…脳の錯覚だとしても。

今だからこそ、まるでそこに居るかのように。鮮明な記憶を見るかのように、確信する。

あの時も、父は笑ってくれたに違いない。
今の自分と同じように。

傍らで、さくらがキラキラと瞬(またた)くような笑みを浮かべていた。



                                   − 終 −


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小狼君のお父さんについて、あらためて考えたお話です。
いろいろ捏造だったり、思わせぶりだったり、中途半端だったりで、すいません。(汗)
一応、以前に書いた「未来のかけら」が前提なようなそうでないような。
お父さんがワケアリらしいというのは、原作コミックスでもアニメでも全く触れられておらず、キャラクタ−シングルのミニドラマでちょっと出て来るだけなんですよね。
あの僅か数言で、ここまで捏造する私もどうかと思いますが…。

“小狼君”と“(小狼君の)お父さん”と“親子”で連想したイメージに、“夫婦愛”とか“家族愛”とかも放り込んでみました。
結果、盛りだくさんで未整理…。(汗)
でも、愛情だけはたっぷりです。クリスマスは愛の日ですので。
みんなみんな、まとめて幸せにな〜あれっと。

この色での描写は小狼君が思い出したお父さんとの記憶かもしれないし、覚えていない過去かもしれないし、今現在の小狼君とお子さんの会話かもしれません。
なお、小狼君とさくらちゃんとの間の第一子(多分)の詳細は、性別を含めて不明。年齢は3〜4歳ぐらいでしょうか。
この世代の李家は、イトコやらハトコやらマタイトコやら盛りだくさんで賑やかだといいな〜。折角四人もお姉さんがいるんだからね。