月の裏側 − 4 − 「さむ〜い!」 「冷えますわね」 大行列となった観覧車を待ちながら、少女達のお喋りの息も白く染まる。 着物では遊べるアトラクションも限られるが、遊園地で乗り物に乗らないなんてつまらないと、 次から次へ乗りたおしていく。 しかし、さすがに屋外での1時間待ちは寒さがこたえる。 「…何か熱いもんでも買ってくる。おまえらはココアでいいな」 桃矢が言った。 「ひとりじゃ無理だよ、とーや。ぼくも行くよ」 「いや、ゆきはここでさくらたちと並んでてくれ。子供ばかりじゃ危ないからな。 …おい、おまえ。いっしょに来い」 不機嫌そうに命じる桃矢に、これまた不機嫌そうに頷いた小狼が列を離れた。 「はうぅ〜〜。大丈夫かな…」 「おほほほ。なんだか、李君とお兄さまも似てらっしゃいますわね」 楽しそうに言う知世に、さくらがきょとんとして尋ねる。 「も、って小狼くんとお兄ちゃん、ほかの誰かに似ているの?」 「さくらちゃんとお兄さまは、ご兄妹だけあってよく似ていらっしゃいますし。 さくらちゃんと李君も、時々そっくりですわvv」 「そ、そうかな…?」 なんだかよくわからない、と困ったような笑いを浮かべるさくらに、雪兎は少し屈み込み、 そっと囁きかけた。 「そのブローチ、とっても可愛いね」 とたんに、さくらの顔がぽおっと染まった。 さくらをくるむ濃いピンクのストールを右側の胸の上で止めている小さなブローチ。 さくらが時折、それを嬉しそうに大事そうに撫でているのに雪兎は気づいていた。 「ありがとうございます!これ…今日、小狼くんからもらったんです。 一週間遅れだけど、クリスマス・プレゼントだって…」 クリスマスに合わせて、香港から日本へプレゼントを送ることは出来ただろう。 それをしなかったのは、さくらの喜ぶ顔を見たかったからに違いない。 その想いは、十分に報われたことだろう。 深いローズピンクのハートの形をした貴石に、銀の翼があしらわれたブローチ。 そのデザインは≪無(ナッシング)≫のカードと一つになり≪希望(ホープ)≫に変わる前の カード…さくらが初めて創った≪名前の無いカード≫の絵柄と良く似ていた。 おそらく小狼は、≪希望(ホープ)≫のカードをさくらから見せてもらっていたので、このブローチを プレゼントに選んだのだろう。 もっともそれは、クロウカードを集めていた頃、≪剣(ソード)≫を封印した時にさくらが利佳に ゆずったブローチにも良く似ていた。 このことは小狼が知る筈もなかったし、さくらがお小遣いで買ったあのブローチとこれとは、 値段が一桁ほど違ったりするのだが。 (さくらの紅く染まった頬と、翼の生えたハートのブローチをユエは雪兎の眸を通して見ていた。 そして、思った。 クロウの予想を覆し、≪無≫の力さえ退けた想いは主だけのものではなく。 クロウの血を引く少年だけのものでもなく。 いくつもの想いが触れあい、支えあって生まれたものなのだろう。 それでも…。 恐らくは、主を愛したほうが良かったのだ。 雪兎のためにも、主のためにも。 魔力を失った桃矢は、普通に老いて死ぬだろう。 かつて自分がクロウを見送った時のように…自分の分身は、悲しむだろう。 桃矢が逝くとき、雪兎は共に消滅することを望むのだろうか…? クロウの血を引く少年は、どこまで主と共に生きる事ができるだろう? 今や魔力の強さだけならば、かつてのクロウに匹敵する主は、何百年もの時を生きるだろう。 …それとも、彼女がそれを望まないのであれば…。 愛する者とともに老い、死ぬことを望むのであれば。 百年も経たずに守護者とカード達は、再び新しい主を待つための長い眠りにつくのだろうか…?) 「あら、帰っていらっしゃいましたわ」 「あはは。まるで、障害物競走みたいだね」 桃矢と小狼は、それぞれ手に湯気を立てる紙コップを持ったまま、もの凄い勢いで こちらに向かって走っていた。 身長差の分コンパスのある桃矢が有利な筈だが、子供の多い人ごみの中を熱い飲物を 持ったままぶつからないように避けるのは、小柄な方が都合がいい。 と、いうわけで抜きつ抜かれつの好勝負となった。 「はううぅ〜〜」 にこにこと勝負の行方を見守る二人の横で、さくらは一人、頭をかかえていた。 さくらにしてみれば、いつも優しい雪兎と知世の『こういうところ』の方がよっぽど似ているように 思えてならないのだった。 二人が一滴もこぼさずに持ってきた熱いココアを飲み終える頃、ようやく観覧車の順番が 近づいてきた。 この観覧車には夏休みに、さくらと小狼、知世と苺鈴の組み合わせで乗ったことがある。 中がけっこう狭いので…というよりこれは意図的な狭さであり…原則、二人乗りなのだが、 桃矢は無造作に言った。 「子供は三人で乗れ。俺はゆきと乗るからな」 確かに、子供なら三人でも十分乗れる。小さい子供連れの家族など、四人で乗っている 人達もいるくらいである。 とくに異存をがあるはずもなく、さくらも小狼も頷いた。 「はい、次のかた〜」 係の人が観覧車のドアを開けた。さくらの次に小狼が乗りこむ。 そして、知世がステップに足をかけ… 「ごゆっくり、お楽しみ下さいなv」 と、声をかけるとぴしゃりとドアを閉めてしまった。 観覧車の中で、二人がびっくりしているのが寒さで少し曇ったガラス越しに見えた。 そして、知世はあっけにとられる桃矢に声をかける。 「私は下で皆さんをお待ちしていますわ。どうかお兄さまと月城さんも楽しんでらして下さい」 「だめだよ、せっかく待ってたのに。ぼくらと一緒に乗ろう?」 列を離れようとした知世を、雪兎が引きとめた。 そして、 「はい、次のかた〜」 合図の声に押されるように、雪兎と知世と桃矢は、一つの観覧車に乗りこんだ。 − 5 − この観覧車は大きさもそこそこにあるが回転が遅いため、一回りにたっぷり20分はかかる。 カップルにとっては絶好のアトラクションである。 だから知世は短い滞在期間の間に、できるだけ二人きりになる機会をと遠慮したのだが…。 「どちらにしても、お邪魔になってしまいましたわ…」 恐縮する知世に、雪兎はにっこりと微笑む。 「そんなに気をつかわないでいいよ、知世ちゃん。 あ、ほらさくらちゃん、手を振ってるよ」 「まあ、さっそくビデオに収めねば〜〜」 さっと手提げから最新式のハンディビデオを取り出して、撮影開始である。 すると手提げの中からひょっこりと、黄色いぬいぐるみが顔を出した。 「あいかわらずやな〜知世〜」 「はい。今年はさくらちゃんの記念撮影に始まり、記念撮影に終った素晴らしい一年でしたわ。 そして、21世紀の幕開けのその瞬間のさくらちゃんを撮影できるのですもの。 幸せですわ〜」 ぬいぐるみが、勝手にしゃべって動いている。 普通なら、悲鳴を上げて腰を抜かすところだろう。 ちょっとテンポのずれた者でも、どこに電池が入っているのかとむんずとつかまえ、あれこれ いじくりまわすくらいのことはする。 しかし、二人の青年はそれぞれの挨拶をした。 「…おまえ、なんでさくらの手提げの中にいねぇんだよ…」 「こんばんは。やっぱり来てたんだね」 「おう、兄ちゃんにゆきうさぎ!いや、実は知世がわいにお菓子つくってくれとってな。 さくらの手提げはちいそうて、ゆっくり食うてられんから、知世んとこに入れてもろうたんや〜」 ユエとは対になる、さくらの守護獣ケルベロス。 真の姿は当人曰く『ものごっつ〜かっこええ』黄金の眸の獅子なのだが、今はどこから見ても 風変わりなぬいぐるみである。 そのため主であるさくらとその親友の知世からは『ケロちゃん』と呼ばれているのだ。 夏休みの一件から、ケロは雪兎と桃矢の前には姿をあらわすようになっていた。 (さすがに藤隆には、まだ内緒なのだが…。) ずっと以前に≪夢(ドリーム)≫のカードによって見た東京タワーの中での予知夢が、現実となった わけだ。 もっとも、必死で隠そうとしていた日々が長かったせいか、さくらはそのことにまだ慣れずにいるが、 ケロと桃矢と雪兎はこんな具合に互いに親睦を深め合っている。 「……肝心なときに、役に立たん奴……」 「あん?なんかゆ〜たか〜?」 「…べつに…」 「そーか。せや、知世〜クッキーもマドレーヌもごっつ〜うまかったで〜! 知世の作る洋菓子は、さくらのおとうはんに負けへんくらいに絶品や〜。 そういや今年の正月に、さくらが小僧んちからもろうてきた『桃まん』もうまかったな〜〜。 小僧もあれで、けっこう料理上手いみたいやからな。 うちに着いたら、香港の正月菓子つくるゆうとったわ。楽しみやな〜〜。 さくらには、ほんまええ≪なかよし≫がいっぱいおるな〜〜」 小狼を知世と同じ一括りの≪なかよし≫にしてしまうケロに、三者は三様の苦笑を浮かべた。 この陽気で食いしん坊の守護獣は、いつもこんなふうに場を賑やかにする。 一つ前の観覧車の中では、さくらが頬をほんのりと染めて、何かを話している。 小狼はこちらに背を向けているので顔は見えないが、おそらく同様に頬を染めているだろう。 「さくらちゃん、嬉しそうですわ」 「せやな〜。 クリスマスに小僧から、正月前にこっちに来るゆうカードが届いたときは、えらい騒ぎやったんやで。 一日中、クリスマス・ソング歌いまくりやったわ〜」 「そうだね。 さくらちゃん、少し前はちょっと元気なかったけど、クリスマスの時はすごくご機嫌だったものね」 木之本家でのホームパーティーにもお邪魔していた雪兎が、その時の様子を思い出して 知世とケロに相槌を打った。 「たく、はしゃぎまくって、間違って酒でも飲んだのかと思ったぜ」 兄の口ぶりは、クリスマス当日と同様、とことん素っ気無い。 「…なんでガキ一人のことで、あんなに浮かれたり、落ちこんだりするんだか…」 「お兄さまは、李君がおきらいですか?」 知世が桃矢に尋ねた。 いきなりだった。 今まで、雪兎でさえこんなふうに訊いたりはしなかったのに。 知世は微笑を浮かべていたが、その瞳は真っ直ぐに桃矢を見つめていた。 一瞬、桃矢は言葉を失い、そして知世の瞳を見返した。 妹と同級生のこの少女を子供扱いすべきではないことを、桃矢はよくわかっていた。 「…気に入らないんだよ。結局、あいつは今さくらと離れてるし、泣かせるし、心配させるし…。 なのに、さくらは我慢するし。 まだ子供のくせに、なんだってそんなしんどい想いをしなきゃならないんだか…」 「それで、安心しましたわ」 「?」 「お兄さまは、さくらちゃんのことがご心配なだけで、李君自身がお気に召さないわけでは ないんですのね」 言葉に詰まった桃矢に、雪兎が追い討ちをかけた。 「あははは。とーやの負けだね」 恨めしげに雪兎を睨む桃矢。しかし、救いの手もある。 「わいは小僧、気にいらんで〜! 小生意気なガキやし、年長者に対する礼儀もなっとらんし、すぐ≪馬鹿≫いいよるし。 わいは関西が長かったさかい、≪あほ≫いうんは許せても≪馬鹿≫いうんはしんぼ−ならん のや〜〜!!」 暫し観覧車の中は、意気投合した桃矢とケロの≪小僧悪口合戦≫で盛り上がったのであった。 (いつも主の傍にいる、この少女。 魔力も霊力も全くないが、深い洞察力と鋭い観察眼を持っている。 あるいは主の兄よりも、クロウの血を引く少年よりも主の近くにいて、彼女を理解している のかもしれない。 そう、ユエは思う。 クロウは何百年という時を生きながら…。 いや、何百年という時を生きていたからこそ。 家族も、≪一番大事な人≫も、自分を理解してくれる友人すらも見つけることは出来なかった。 …ふと、思う。 ≪なかよし≫が大勢いるから。家族に愛されているから。 だから、少女は新たな主に選ばれたのではないか? 彼等が淋しくならないように。 かつてのように、主だけを友とすることのないように…。) − つづく − − もどる − ≪TextTop≫ ≪Top≫ *************************************** |