漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2016.1.          掲載
2016.4.    「丼と井」追加
2018.10.      「白」追加
2019.4.   「子と巳」に追記
2019.4.「擔と担、膽と胆」追加
2019.4.    「蠶と蚕」追加
2020.7.     「谷」に追記
2021.4.    「假と仮」追加

 同じ形で別の漢字

 
 形は全く同じだが、成立過程や意味、時には音まで異なる漢字の組み合わせがある。逆に言うと、本来別々の漢字がたまたま同じ形になってしまったものである。
 よくあるケースは、ある漢字の字体が時代とともに変化し、変化後の字体が従来からある別の漢字と同じ形になってしまったもので、こういう現象を「字体の衝突」と呼んでいる。
 本稿では、はじめに「当用漢字字体表」(1949年)や「常用漢字表」(1981年)に新字体として採用されたものが別の字と衝突を起こしている例をあげ、その後、中国でも古くから同じ形になってしまっている(と思われる)ものをできるだけ多く取り上げることとする。

 日本の漢字改革で制定された新字体は、それまでに略字や俗字として使われていたものが大半だと言われるが、当用漢字等に正式に採用されたことにより、字体の衝突も明白なものとなった。(明治以来の各種の漢字表や文献で、既に衝突を起こしている字も多数あるが、いつの時点で衝突を起こしたかを詮索すると煩雑になるので、本稿では、現在に直結する1949年以降の漢字表のみを対象に述べる)
 その例については、とりあえず、ウィキペディアの「新字体」の項「3 既存の字との衝突」をお読みいただきたい。(以下の文は、2015年12月1日現在のウィキペディアの記述を前提として記載している)

 以下に筆者による補足説明を加える。

豫と予、餘と余

 「予と余は一人称を表す文字」とあるが、字の成り立ちとしては、「字統」によれば予は織機の杼(ひ:シャトル)、余は「取っ手のある細い手術刀」の形とされ(他にも説はあるがいずれも象形文字とする)、後に仮借(かしゃ:字の音を借りた当て字)の用法で一人称を表すようになったとされる。

蟲と虫

 拙稿「『虫』は『むし』ではなかった」参照。

罐と缶

 缶は当用漢字には含まれず、常用漢字制定の際に罐の新字体として採用された。罐について、「英語canの音訳で『金属製の缶』を表す字であった」とあるが、罐はもともと「つるべ」のこと。集韻(中国宋代11世紀の字書)に「汲器」とある。これがのちに「かめ」を表すようになった。缶も酒などを入れる器で、大小さまざまなものを言ったようだ(「説文解字注」)。
 後世西洋からcanが伝わったときに、これに当てる字として、音が近い罐の字を選んだものであろう。現代中国でも、カンをあらわすのに罐の字を用いる。

旧と臼と舊

 舊という字はうすに似た道具で鳥を捕まえた様子を表しており、捕まると長く留まることになるので、「久しい」「古い」という意味となったという(字統)。なお、「大漢和辞典」では、旧は舊・臼・舅の俗字とされている。

亙と亘

 「常用漢字とその旧字体」ではないが、人名用漢字としては、同じ字種の異なる字体として認められている。「わたる」と読む場合は前者が字源的に正しく、1951年5月の「人名用漢字別表」に掲げられたが、同年6月の民事局長回答で後者も認められ、この時点で字体の衝突が起きたといえる。1997年の「人名用漢字別表」では後者が主たる字体とされている。なお、JISでは両者は区別され、別のコードが与えられている。
 また、常用漢字表で「恒」の旧字体(いわゆる康煕字典体)は「恆」であり、「康煕字典」(中国清代18世紀の字書)の恒の項には、「字彙」(中国明代17世紀の字書)の「俗恆字」という記事を引用している。昔から恒の字体を持つ漢字はたまたま存在しなかったようで、ここでは字体の衝突は起きていない。

 ウィキペディアに記載の例は以上であるが、新字体で字体の衝突が起きているものはほかにもある。わかる限り紹介しよう。ただし、衝突が起きたと決めつけるには、衝突された側の字が以前から別の意味で使われていたことを証明しなくてはならないが、諸説あって困難な場合もある。以下には、衝突の「疑いのある」ものも含めて記述する。

modorukyuuji.png(700 byte)と戻

 旧字体は犬に従うmodorukyuuji.png(700 byte)(音レイ)であるが、常用漢字制定の際に新字体として戻が採用された。当用漢字には含まれていなかった。旧字体が犬に従っているのは、「戸の下を犬がくぐるときに体を曲げるのだ」とする説(「説文解字」:中国後漢代1世紀の字書)や、「戸口から悪霊が入らないよう、呪禁として犬を埋めた」とする説(字統)がある。
 もともと戻の字体(戸の部分はtokyuuji.png(445 byte)の字形であるが)では音タイの字があり、「輜車(ししゃ:覆いのある馬車)の傍のひらき戸」を意味するという(説文解字)。確かにこれは現代日本では不用の字である。また、康煕字典が引く説文解字には「下が犬になっているのは別の字だ」と親切な注意書きがあり、漢代(または同書の修訂が行われた宋代)に既に混同が見られたことがうかがえる。

himekyuu.png(749 byte)1)と姫

himesin.png(1641 byte) himekoukotu.png(1947 byte)
「姫」甲骨文 himekyuu.png(749 byte)」甲骨文(一例)
 常用漢字表には姫を載せ、訓読みの「ひめ」のみを認めている。「いわゆる康煕字典体」は掲載されていない。
 姫の字体は、女と臣に従う字として甲骨文から存在していたが、金文には見当たらず、説文解字にも収録されていない。その後復活したようで、康煕字典の引く集韻(中国宋代11世紀の字書)に、音はシン、意味は「慎む」として掲載されている。
 一方、himekyuu.png(749 byte)も甲骨文から存在し、説文解字には、黄帝の姓(のち周王室の姓)や川の名(音イ)として掲載されている。なお、otogai.png(367 byte) の部分は、字統では女性の乳房を象ったものとするが、説文解字のotogai.png(367 byte)の項には「おとがい(下あご)」だとある。
 康煕字典では、himekyuu.png(749 byte)は姫の次に掲載され、上述の説文解字を引用する(ただし音は集韻等からキとする)ほか、音イで「婦人美称」とする「廣韻」(中国宋代11世紀の字書)や集韻の記載を引用している。この意味の拡張については、「himekyuu.png(749 byte)はもと周の姓だが、他国の息女も貴んで、婦人の美号として、みなhimekyuu.png(749 byte)と称するようになった」という顔師古の説を記載している。つまり「ひめ」であるので、この字体は現代日本の姫の旧字体であるといえる。2)
 これが略字化された結果、音シンの字と衝突した。常用漢字表でhimekyuu.png(749 byte)を姫の旧字体と認めていないのは不審である。

辨・瓣・辯と弁

 弁は常用漢字表の中で唯一、複数の「いわゆる康煕字典体」を持つ字である。3種の旧字が省略されて、同じ弁の字体になった。以下に各字の説文解字における意味と、現代の漢和辞典(「全訳 漢辞海」)から拾った用例を掲げる。
 ・辨 「判也」弁証法・弁理士・弁償・弁慶・弁財天
「わきまえる」という訓は、本来この字が持っていたもの。
 ・辯 「治也」雄弁・弁護士・関西弁・智弁学園
「巧言也」という字書(集韻)もあり、これが現在の用法に近い。なお、康煕字典では「辨と同じ」ともされる。
 ・瓣 「瓜中実」花弁・安全弁
 衝突された側の、もともと弁だった字にも、もちろん意味・用法があった。説文解字では、benn.png(427 byte)の字体を掲げ、この字の「或字」として弁の字体を載せている。意味は「冕也」。冕(ベン)とはかんむりの一種。弁の字体も、冠を両手で持ってかぶろうとしているところだとされる(字統)。弁当という語は、辨当とも弁当とも書いたようだ。
 弁の旧字体は上記の3種である。だが、これらと同様に、辛二つで他の構成要素(糸・力・文・心など)を挟んだものが多数ある。これらの字は弁の旧字体ではないので、たとえば「辮髪」(べんぱつ:モンゴル族や満州族の髪型)を「弁髪」と書いた場合、常用漢字を使っているとはいえない(俗字を使っている)ことになる。

臺と台

 説文解字で台は「説也」とされ、この「説」は「悦」すなわち「よろこぶ」という意味とされる。音はイであるが、「タイ」「ダイ」と発音する場合もあり、このため臺と通用するようになったものか。康煕字典には台は臺の俗字という記述は見られず、主に日本で俗字として使われていたものが新字体として採用されたものと思われる。台は小篆ではisyoutenn.png(1205 byte) の形で、上部(楷書ではinojoubu.png(266 byte) )は「以」と同字とされ、台の声符である。

黨と党

 党は黨と同じく音トウで、主に固有名詞に使われていた字。例:党項=タングート(西域の部族名)。

醫と医

 医は音エイ。矢をしまう道具(うつぼ)。醫の字は、字統によると、矢を秘匿のところに収め(医)、これを打ち(殳)、その呪霊によって病魔を祓うことと、このときに酒(酉)を用いることから作られた字という。これら3つの要素のうち、当時一般に使われていなかった医の部分を取り出して、新字体としたものと思われる。
 ちなみに、声(旧字体:聲)も同様の方法で新字体を作っているが、「声」(石の楽器の形)だけで漢字として使われた形跡がないので、この稿では取り上げない。

濱と浜

 浜は船を泊めておくための溝のことで音ホウ(康煕字典が引く廣韻・集韻)。濱は集韻等で「水際也」とされ、音ヒン。説文解字には両字とも収録しない。また、「正字通」(中国明代17世紀の字書)では浜は濱の俗字とされる。

證と証

 証は説文解字で「諫也」とされ、いさめるという意味がある。音は、集韻等でセイとされている。證は説文解字で「告也」、「玉篇」(中国宋代11世紀の字書)では「験也」、大漢和辞典では「あかす」などの字義があげられている。証明・証拠・弁証などは、もとは證を使用していた熟語であり、昔から証を使っていた熟語にめぼしいものは見つからない。証が證の俗字などとは康煕字典にも出ておらず、略字として証を採用した経緯はよくわからない。

燈と灯

 電灯などのトウは、当用漢字では燈の字だったが、常用漢字で字体を灯に変更された。説文解字には両字とも載せないが、康煕字典の引く集韻・玉篇等は両字を別字として扱い、灯は「激しい火」という意味で音テイとする。「字彙」(中国明代17世紀の字書)・正字通は灯を燈の俗字としている。
 結局、燈が灯になることにより衝突が起きたかどうかははっきりしない。

與と与

yokinnbunn.png(1683 byte)
「與」金文
 與は、与に似た形のもの(象牙のような貴重なものか)を、両側の手(ryoute.png(280 byte))と下からの手(廾)で持ち上げているさま(字統)。
 説文解字にも両字は掲載され、與は協力する意味、与は与える意味としているが、廣韻・集韻では与と與は同意としている。康煕字典では説文解字をひきつつ「今は俗に與の字を与に作る」と述べている。「説文解字注」では、「説文解字の大徐本では与と與は同じとしているが、そうではなくて与と予が同意である」という。大漢和辞典では、與をあたえると用いるのは与の仮借としており、字統では、大徐本の記述から、「与は與の略体であろう」としている。
 筆者が推測するに、説文解字のとおり昔は別の意味を持つ字だったが、音が同じなので意味が通じるようになり、古くから同じ字と見なされるようになって、画数の少ない与が主に使われるようになったのではなかろうか。
 なお、中国の文献(日本の「大漢和辞典」を含む)において与の字形はおおむねyotyuugoku.png(485 byte)と書かれている(康煕字典ではyokouki.png(431 byte) )。これが当用漢字字体表で与の字形になったいきさつについては、その方が形がいいからという証言3)がある。

縣と県

 縣を省略した新字体の県と、従来からある音キョウの字が衝突しているとの説もあるが、事情はちょっとややこしい。説文解字や康煕字典でその字はkennkouki.png(6169 byte)の字体であり、大漢和辞典では県とkennkouki.png(6169 byte)は別字として扱われ、県は縣の略字とのみ記されている。
 説文解字では、kennkouki.png(6169 byte)は逆さに吊るした首の象形とされる。下部の巛は毛髪であろう。縣は「繋也」とされるように、元は(首を糸で)繋いで懸ける意味だったが、郡県の県に使われるようになったため、元の意味を表すために懸という字が作られた。
 説文解字では縣はkennkouki.png(6169 byte)部に属しており、左側はkennkouki.png(6169 byte)の字体である。すなわち、縣のなかの県は kennkouki.png(6169 byte)と同字だとみて良いことになるが、県の字体がkennkouki.png(6169 byte)と同様に使われたという証拠がない(中国の書蹟を集めた「角川書道字典」などを見ても、県もkennkouki.png(6169 byte)も収録されていない)ので、この場合、字体の衝突とまではいえず、「かすった」程度ということになるだろうか。

擔と担、膽と胆

 詹(音セン、タン、ダン)を声符とする漢字は、澹・簷・憺・檐・瞻・蟾・贍・擔・譫など多数あるが、これらのうち擔と膽が当用漢字に選定され、新字体として担・胆が定められた。ところが、もともと担・胆の字体の漢字があったため、字体の衝突が起きた。
 担は玉篇で「拂也」(払う)、博雅(三国・魏の字書)には「撃也」(ともに音タン)とされ、集韻にはケツと読んで「挙也」とされている字である。また、胆は、集韻で「肉担也」(肌脱ぐ)とされている。正字通に、「俗以胆為膽非」(俗に胆の字をもって膽の字とするが、間違いである)とされており、俗字としての歴史も長いようだ。(拙稿「連担」参照)

蠶と蚕

 常用漢字とその旧字体としては、まったく違った字体となっている。蠶はsan.png(839 byte)(音サン)を声符とする形声文字。san.png(839 byte)は「潜」の旧字体「潛」などでも声符として使われている。一方の蚕も天を声符とする形声文字と思われる。もともとはテンの音だったが、蠶の俗字として使われたため、サンの音でも発音されるようになったようだ。蚕の本来の意味は「ミミズ」である。
 蠶はよく使う字なのに画数が多いので、音が違うにもかかわらず蚕の字を俗字として使うようになったものか(ミミズについては「蚯蚓」などの別の語がある)。この字についても、やはり「俗用為蠶字非」(篇海=金代、1208年の字書)と批判されている。

假と仮

 旧字体の假が、新字体で仮と略され、従来からあった仮の字と衝突した。仮は、説文解字には載らないが、集韻で「反と同じ」とされる字で、反は「そむく」を原義とするとされる。つまり、仮は叛と同意の字であった(使用例は未詳)。
 假の旁が、なぜ音も違う反と略されたのかは不明。また、同じ旁を持つ「暇」が、当用漢字となっても字体を変えていない理由も不明。  


 さて、以上、当用漢字・常用漢字の新字体と、以前からある漢字の字体の衝突について例を挙げた。
 しかし、当然のことながら、字体の衝突は日本の新字体において初めて発生したわけではない。本家の中国でも、三千余年の歴史の中で、漢字の字体は変化を続け、その結果、衝突を起こしている例は多いと思われる。以下にその例を挙げるが、上述の例以上に確証に乏しいものが多いのでそのつもりでお読みいただきたい。

十と七

juukoukotu.png(721 byte) juukinnbunn.png(784 byte) juusyoutenn.png(533 byte)
「十」甲骨文 「十」金文 「十」小篆
sitikoukotu.png(927 byte) sitikinnbunn.png(840 byte) sitisyoutenn.png(711 byte) sitireisyo.jpg(11340 byte)
「七」甲骨文 「七」金文 「七」小篆 「七」隷書
角川書道字典より

 上図を見ればお分かりのとおり、七は古くは十に似た字体だった。十の方は、甲骨文では縦線のみだが、金文では中央に丸いふくらみができ(時期により大小あり)、小篆では十の字体になった。十に衝突された七は、小篆では形が変わったが、漢代の隷書にもやはり十に似た字体で書かれているものもある(乙瑛碑、153年)。このころには、七と十を取り違え、実務上混乱をきたしたこともあったのではないかと思われる。
 数字のように、多用され重要な役割を担う文字で、なぜこんな変形が起きたのか、究明できていないが興味深い。

himinntyou.png(359 byte)kaminntyou.png(420 byte)

hikoukotu1.png(785 byte) hikoukotu2.png(933 byte) bakekoukotu.png(1274 byte)
「ヒ」甲骨文(1) 「ヒ」甲骨文(2) 「化」甲骨文
 himinntyou.png(359 byte)(音ヒ)は、説文解字の部首字となっている漢字である。「匙」や「頃」がこの部に属している。成り立ちとしては、一つには人が横向きになっている形で、二人並べば「比」となる。また一つは「さじ」の象形で、「匙」の構成要素となる。おそらく、上記甲骨文の(1)が前者、(2)が後者かと思われるが、確認できていない。説文解字では両者は一つの漢字とされ、既にここでも衝突(あるいは融合)が起きている。
 kaminntyou.png(420 byte)(音カ)も説文解字の部首字で、化や眞がこれに従う。康煕字典では「化」の古文とされている。さかさまになった人の象形で、字統では「人の死をいう」とする。
 これらの字はもとは別の字であったが、字体としてはわずかな違いであるので、これらを構成要素とする字を含め、中国でも早くから混同されたようだ。康煕字典では、両字ともhiminntyou.png(359 byte)部に置かれている。また、現代の電子機器のフォントでは、himinntyou.png(359 byte)であるはずの匕首(ひしゅ:短剣。頭部が匙に似ている。日本の「あいくち」もこの熟語を当てるが形は違う)の字がkaminntyou.png(420 byte)の字形であり、kaminntyou.png(420 byte)を要素とするはずのではhiminntyou.png(359 byte)の形になっているものが主流となっている。
 漢字の構成要素としては、例えば「sikaru.png(436 byte)」という字では、上記2字に加え、漢数字の七も含めた3字が、JISにおける包摂規準で交換可能となっている。(拙稿「叱るをsikaru.png(436 byte)」参照)

柿と「こけら」

 柿の旁は市町村の市で5画だが、「こけら」の旁は、中央の線が上から下までつながったかたちで、4画である。しかし微妙な差異であるため、中国でも古くから混同された。拙稿「『柿』と『こけら』」参照。

 楷書で谷と書く字には、音コクで「たに」という意味のもののほか、音ヨクまたはヨウで、「祝詞の箱から霊気が立ち上がる様子」を表したものがあり、欲・浴・容・裕・俗などは「たに」ではなくこの字に従ったものだという(字統、文字答問)。
tanikoukotu.png(1237 byte) tanisyoutenn.png(1486 byte) yousyoutenn.png(1579 byte) zokukinnbunn.png(1711 byte)
「谷」甲骨文 「谷」小篆 「容」小篆 「俗」金文
 上記の谷の甲骨文(台湾・中央研究院のサイトでは、ほかに3例あるが、いずれも同形)は、小篆と字形が大きく異なり、むしろ容の小篆の構成要素に近く、まさに箱から霊気が立ち上がっているように見える。となると、上記の谷の甲骨文は、音ヨクの字の甲骨文であり、音コクの字の甲骨文はもっと小篆に近いもののはずだが今に伝わっていない、という可能性もある。甲骨文での谷の用例を調べればわかるかと思ったが、地名と祭祀名にしか用いられていない(「甲骨文字小字典」)ので不明である。
 「たに」に従うと思われる字には、谿・硲・逧・﨏・峪などがあり、いずれも「はざま」「さこ」などと訓じる。これらの字の甲骨文が存在していれば、谷の部分の字形を上記と比較することができるが、これも残念ながら伝わってはいないようだ。
 小篆では欲・浴・裕・俗の各字は上記「谷小篆」の字形に従っており、容だけが「谷甲骨文」の字形に近い。説文解字の小篆には、「容の中の谷」の字形を構成要素とするものは他には掲載されていないようで、白川氏の説が正しかったとしても、小篆の時代には一つの字にほぼ統合されていたものと思われる。
【2020.7. 追記】日本の地名や人名で、「浴」と書いて「さこ」と読む場合があるが、この場合の「谷」は上記とは関係なく「たに」の意味だと思われる。この場合、「浴」字も衝突を起こしていることになるが、「浴」の金文は上記「谷」甲骨文の字形に近く、音ヨクの字の方が古いようである。

子と巳(十二支に使われる場合のみ)

kokoukotu.png(1054 byte) mikoukotu.png(1211 byte) nekoukotu.jpg(14717 byte) netyuubunn.png(1921 byte)
「子」甲骨文 「巳」甲骨文 「子」(十二支の1番目)甲骨文
角川書道字典より
同左籀文
 ともに十二支の一つで、日付などを示すために多用される字である。十二支以外で使われる場合は、甲骨文では上記のように表され、子は子ども(両足をくるまれた幼児)、巳は蛇の象形である。十二支の場合、今日では子は1番目、巳は6番目であるが、甲骨文では6番目が子の字体になっている。1番目には、上記の子甲骨文とは似つかない字が使われている(右から二つ目の図)。このうち下のものは説文解字に籀文(ちゅうぶん:周代の太史籀が作ったと伝えられる字体)として掲げられている字体とよく似ており、少し成長した子どもの象形かと思われる。
 殷代は上記のように、十二支の1番が子ども(?)、6番が幼児だったが、後に1番が幼児、6番が蛇の象形文字に変わった。これはどういうことか。
 6番目について言えば、もともと巳の字種でkokoukotu.png(1054 byte) の形だったものが、子が kokoukotu.png(1054 byte)の形になったために形を変えたのか。それなら字体の衝突と言えるが、巳が蛇の象形だとするとはじめからmikoukotu.png(1211 byte)であった方が蛇らしい。となると、字種そのもの、語そのものが変わったのか。
 ちなみに、「tutumukyuuji.png(377 byte)」(包の旧字体)のなかの巳は、蛇ではなく胎児の象形とされる(説文解字、字統)。仮に、十二支の巳も胎児の姿だとすると、殷代に子どもと幼児だった十二支の1番目と6番目が、後には幼児と胎児にそれぞれ「若返った」ことになり、何らかの意図が働いたことが推測できるが、うがちすぎであろうか。
 十二支は甲骨文の時代には日付を表す記号として使われており(動物と結びつくのは秦代)、先述の数字と同様、途中で入れ替わったりすると大混乱を引き起こすはずのものである。それでも入れ替わったとすると、その原因・理由は何か。誰かの号令で替えられたのか。既に研究されていることとは思うが、今のところ答を見つけられないでいる。
【2019.4.1.追記】この問題について述べられた文章を見つけた。松丸道雄著「甲骨文の話」に「十二支の『巳』をめぐる奇妙な問題」という章があり、やはり甲骨文発見直後から疑問が提出され、林泰輔・羅振玉・郭沫若といった錚々たる面々が意見を述べているという。また、甲骨文や西周金文では全て古い組み合わせになっており、入れ替わったのはおそらく戦国期であるが、その理由は今も不明だという。

丼と井

donnsyouten.png(1145 byte)
「井」小篆
idokoukotu.png(3969 byte)
「井」甲骨文
keikinnbunn.png(4337 byte)
keimintyou.png(424 byte)」金文
 説文解字によれば、井戸の井は当時「丼」と書いた。中央の点は水を汲む「かめ」を表すという。のちに点が略されて井と同形になった。集韻など、多くの字書で丼は井と同じとしている。
 一方、白川静氏の「字統」及び「文字答問」によれば、「井」という字はもともと刑具の「首かせ」や工具の型(かた)の象形であり(音ケイ)、説文解字では、これに刀を合わせたkeimintyou.png(424 byte)という字を載せ、「罰辜也」と刑罰の義を述べている。首かせと刀とで成る字の、いかにもそれらしい字義である(小篆ではkkeisyoutenn.png(1572 byte)と、丼に従う字になっているが、これは不審である。)
 以上の資料によると、井戸の意味だった「丼」が略されて井となり、首かせや型の意味だった「井」と衝突したということになる。

 しかし、白川氏は、丼・井とも、甲骨文・金文ではいげたの意味では使われていないとも言っている(字統)。特に丼は、諸侯の一人の固有名詞として金文に現れるのみであるという。となると、丼が井より先にいげたの意味で使われたという証拠はなく、説文解字を疑うなら、衝突が起きたかどうかも不明となる。
 井の元の意味はkeimintyou.png(424 byte)のなかに残ったが、この字ものちには「刑と同じ」とされ(集韻)、ほとんど使われなくなった。刑は幵(音ケン)に従う字で、説文解字で「剄(斬首)也」とされており、keimintyou.png(424 byte)と意味も形も近いものである。しかし、剄は史記などではもっぱら「自剄」(自分で首を刎ねる)という語で使われ、刑罰とは限らない。韻會が引く「復古篇」では、「keimintyou.png(424 byte)は法のことだが、今はみな通じて刑に作る」と述べている。字体の衝突ではないが、吸収とでも呼ぶべき現象が起きたわけである。
 余談であるが、井のもう一つの本来の意味とされる「型(かた)」については、康煕字典で「型」の古文がitotutimintyou.png(468 byte)とされているように、もともとは幵ではなく井に従う字だったと考えられる。説文解字の小篆でも、kkeisyoutenn.png(1572 byte)に土を加えた字形である。
 また、丼は、井の元の字としては音セイだが、タンの音も持ち、これは物を井戸の中に投げ入れたときの音だという(集韻)。このあたりは日本語の「どんぶり」と似て面白い。

 これは筆者が「そうかもしれない」と思いついたもので、確証に乏しいものである。
 椎には「つち」という意味(脊椎など。説文解字には「撃也。又鉄椎也」とあり、「槌」の代わりに使われたこともあるようだ)と、「しい」という植物名を指す、全く異なる二つの意味がある。また、音も、つちの場合は音ツイ、しいの場合は音スイである。
 一つの字に意味と音が二組存在する。そういう例は他にもあるが、椎の場合、意味が離れており、何の関連もない(ように思える)。これは、昔、衝突を起こして二つの字が一つに融合した結果ではないだろうか。
 推測のもう一つの根拠は、siidouyouji.png(470 byte)(音スイ)という字の存在である。これは植物名であり、植物名としての椎と動用字の関係にあるかもしれない(拙稿「部品の配置が違う漢字」参照)。となると、siidouyouji.png(470 byte)という植物名を示す漢字の動用字としての椎と、それとは無関係に「つち」の意味で使われていた椎の字とが、衝突を起こした可能性が考えられる。
 ただし難点は、siidouyouji.png(470 byte)がカツラに似ており(廣韻)、椎がクリに似ている(集韻)と書かれていることで、siidouyouji.png(470 byte)と椎とは別の植物かもしれない。siidouyouji.png(470 byte)の正体を究明したいものだ。

 説文解字には、「白」という親字が2か所に載っている(商・夏の会会員のじゅんや様のご教示による)。ただしその小篆の形は異なるので、別の字として扱われていることは明白である。以下、白A・白Bと呼んで区別することにする。
siroasyoten.png(1265 byte) mizukarasyoten.png(1259 byte) sirobsyoten.png(1089 byte)
「白A」小篆 「自」小篆 「白B」小篆
 白Aは四編上にあり、「此亦自字也」と、その2字前に載る「自」(意味は「鼻也」)と同じ字だとする。音は、段注によれば「疾二切」(「シ」の音)である。部首字であり、これに従う字として皆・者・魯・百ほか2字を揚げる。また、「習」はそれ自体が部首字だが、これも小篆の下部は白Aの形である。4)
 白Bは七編下で、「西方色也」と、白色を意味することを陰陽五行説を用いて述べている。これも部首字であり、皎・皙・sirogyou.png(496 byte)sirohan.png(496 byte)ほか6文字がこれに従うとする。

 白Aは、鼻の象形である「自」を簡略化したものであるのは間違いないだろうが、白Bの成り立ちについては、白川静氏の「されこうべの象形」説のほか、「爪」「どんぐり」などの諸説があってはっきりしない。
 逆に、これらの字を部首とする字については、白Bに従うものがほぼ「しろい」という意味を反映しているのに対し、白Aに従うものが「鼻」もしくは「自分」とどう関係するのかがはっきりしない。白川氏は皆・者・魯・習の下部は全て、自ではなく曰(エツ:祝詞を入れた器)だと言っている。
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「百」甲骨文 「白」甲骨文
 また「百」については、説文解字では「一」と白Aに従うとされるが、白川氏は百の声符は白としているので、この場合の白は白Bであることになる。百の甲骨文は中央に三角の形を持ち、白川氏は「髑髏(どくろ)の鼻の(あな)を示したものか」というが、「白い」という意味ではこの三角の無い字が用いられているので、百と白とはもともと関係の無い字だったのかもしれない。

 「白」には「告白」「科白」といった、「語る」という意味がある。これについて、康煕字典の白字の項の、編者の見解を示す部分(「按~」で始まる文)に、説文解字の白Aの項にある「省自者,詞言之气,从鼻出,與口相助也。」という文を引用し、「是告語之白読自」と述べている。つまり、「説文解字に『言葉を発するとき、鼻から気が出て口と助け合う』とあるので、『語る』という意味で『白』と書くときは、白Aの文字である」と言っているわけである。しかし、引用の末尾に「読自」とあるように、この意味では「シ」と発音するのが本来であると主張しているようだが、同字典が引用するどの字典にも、白を「シ」と発音する例は示されていない。

 小篆で違った字体のものが楷書では全く同じ形になった。そのことにより、白A・B双方の意味を「白」という字が持つことになった。ただし音については白Bの音に統一された。というのが一応の結論となろう。


 以上で一応本稿を終えるが、衝突を起こしている例はほかにもあると思われるので、気がつけばおいおい追加することにする。
 また、一つの漢字全体ではなくて、その中の構成要素が衝突を起こしている例ははるかに多いと思われる。例えば「ひとがしら」(今・介・令など)と「いりがしら」(全・兪など)、「はこがまえ」(匠・匤など)と「かくしがまえ」(匹・匿・区など)と「こう」(巨)など、部首だけを見ても、本来少し違う形のものが、常用漢字では同じ形になってしまっており、このような場合を「部分字体の衝突」と呼ぶこともある。漢字を字体から分析する場合、構成要素の持つ意味を誤解しては結論を誤るので、筆者はこうしたものについても事例を集め始めているが、数が多いのに加え異説も多く、原稿はなかなか完成しない。息長く続けて、いつの日か、このサイトにアップしたい。
【2019.7.1 追記】今回、別稿「『漢字部品字典』構想」を掲載したが、この字書を編纂するためには、同じ形ではあっても成り立ちの違う部品について、区別して理解しなければならない。このことを説明する必要もあって、部首の中からいくつかを選び、「同じ形で別の部品」という資料を作成した。今のところ「見本帳」程度のものだが、本稿の姉妹編としてお読みいただければ幸いです。



注1)himekyuu.png(749 byte) の字体は、ユニコードでu59ecに規定されているが、himekyuuitai.png(730 byte)の字体と包摂されており、フォントによっては後者が採用されている。このため、本稿では、himekyuu.png(749 byte)を表す場合は画像を使用した。ちなみに、煕の場合、(u7155)と(u7199)は別コードが与えられている。)
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注2)たとえば大漢和辞典でもhimekyuu.png(749 byte)の略字が姫であるとされており、また「大言海」(大槻文彦著、1930年)でも、「ひめ」の字にはhimekyuu.png(749 byte)が使われている。      戻る

注3)「日本の漢字・中国の漢字」所収の座談会における林大氏(当用漢字字体表作成当時、文部省職員)の発言。「あれ出る理由なんにもないんです(笑)。ほんとに裏話になるかもしれないけども、これを活字で形をとる時に出た方がいいって」      戻る

注4)字統「習」の項に、「〔説文〕四上に(中略)(はく)声(段注本)とするが、声が合わない」(振り仮名も原典のまま)とあるが、習に含まれる白は白Aであり、「習」は「()声」ということになる。      戻る

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「習」小篆




参考・引用資料

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

説文解字  後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

新編 大言海  第13刷 大槻文彦著、 冨山房 2001年

全訳 漢辞海  第3版第1刷  佐藤進・濱口富士雄編、三省堂 2011年

日本の漢字・中国の漢字  第2刷 林四郎・松岡榮志著、三省堂 1997年

角川書道字典  84版 伏見冲敬編、角川書店 1981年

文字答問  初版第1刷 白川静著、平凡社 2014年

甲骨文字小字典  初版第1刷 落合淳思著、筑摩書房 2011年

画像引用元(特記なきもの)

甲骨文、金文、小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

JIS規格外漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)