いしのはし



風が、吹いていた。
火薬と炎と血の匂いを運ぶ、乾いた風が。


「あ−すれば反乱は止まる。こ−すれば反乱は止まる。
 目ェ醒ませ、お姫様…。見苦しくてかなわねェぜ、お前の理想論は!!
 “理想”ってのは、実力の伴う者のみ口にできる“現実”だ…!!」


右手で王女の首を掴んだクロコダイルが、その身体を城壁の外へと差し出す。
血に荒れ狂う宮前広場へ、生贄を捧げるように。
男の手首に小さな爪を立てて、子羊は息も絶え絶えの声を上げた。


「見苦しくたって、構わない……!!!
 理想だって捨てない!!!」


砂埃で汚れた頬を、涙が伝う。
煤けた蒼い髪が、塵旋風に舞った。

目の前で愛するものを奪われる、怒りと悲しみ。
破壊と殺戮に為す術もない、絶望と恐怖。

20年前は自分のものだった筈の痛みを、遠くから眺めていた。

……何も、感じない。
とうの昔に石のように固く、冷たくなってしまった心には。

人が死のうが国が滅びようが、どうでもいい。
私には関係のないこと、だから…。

ただ、クロコダイルの右手が王女の首を離すのを待っていた。
その姿が砂塵に呑み込まれ、見えなくなる瞬間に百の手を生やすために。

私には、どうでもいいことなのだから。
王女が砲撃を止めようと、止めまいと。

……なのに。


「お前なんかに、わかるもんか……!!!
 私はこの国の王女よ!!!お前なんかに屈しない!!!
 私は、この国を……!!!」


誰にも届かない叫びが、何故か耳に残った。


   * * *


エニエス・ロビ−を見下ろす、司法塔のバルコニ−。
そこにも、風が吹いていた。
火薬と炎と血の匂いを運ぶ、風が。

けれど私を突き刺す声は、眼下から聞こえる。
居る筈のない場所に居る彼等……かつての、仲間達。

何度、拒んでも。背を向けても。
追ってくる。手を、差しのべてくる。

言ったのに…!!
助けなど、いらないと。もう顔も見たくないと。
何度も言ったわ。血を吐く思いで叫びもした。
私は、死にたいのだと…!!

……そうよ、私はずっと。
あの日、オハラで。私を愛してくれた人達と、最後まで共に居たかった。
一緒に死んでしまいたかったのよ…!!!!

死ぬべき時に死に損なった私は、何処へ行っても何をしても
自分が纏う“死”を、振り撒くことしかできない。
忌まわしい火薬と炎と血の匂いを、引き寄せることしか…。

それを悟ったから、誰も巻き込みたくなくて。
誰も失いたくなくて、貴方達の元を去ったのに。
やっと全てを諦めた、今になって…。


「頼むからよ、ロビン!!!
 死ぬとか何とか…何言っても構わねェからよ!!!!
 そういう事はお前…、おれ達のそばで言え!!!!」
「そうだぞ、ロビンちゃん!!!」
「ロビン、帰って来−い!!!」


現れる度に傷を増やして、ボロボロになって。
何故、そこまでして私の元にやって来るの?
砂の国で、王女を救おうとしていた時のように。
砂の国を救おうとしていた、王女自身のように…。

……でも、私はあの娘じゃないの。
あんなに真っ直ぐでも、綺麗でもないわ。

今更、許される筈がないでしょう…?
もう、8歳の頃の私とは違う。
ここにいるのは、生きる為に何でもしてきた汚れた女。
騙して、裏切って、罪も無い大勢の人を巻き込んで。
平気な顔をしてきた女、なのに…。


  『死なせたくねェから、“仲間”だろうが!!!』


地下聖殿で聞いた、あの声。
私は貴方達にとって、生かす意味のある人間だというの?
あの娘のように、何百万人もの生命と未来を背負ってなんかない。
私が背負うのは呪詛の声と嫌悪の顔と、誰も望まない封印された過去。
隣で男が喚くとおり、死んだ方が喜ぶ人間が大勢いるのに…!?


「ロビン!!!まだ、お前の口から聞いてねェ!!
 “生きたい”と言えェ!!!!」


迷いのない声が、真っ直ぐに放たれる。
射抜かれた心臓は、砕けなかった。
固くて冷たい、石になった筈なのに。
いつの間に、柔らかさを取り戻したの…?


「私は…」


   『生きなさい』


誰かが、耳元で告げる。
暖かいものが頬に触れる。
……お母さん?クロ−バ−博士?サウロ…?


   『行きなさい』


それとも…?
風が、叫ぶ。切れ切れの声を上げて。


   『皆と、一緒に…』


胸を焦がすほどの、咽喉が焼けつくほどの。
心の底に秘めていた、熱。


「生ぎたいっ!!!!」
  『行きたいっ!!!!』


……ああ、きっと。
あの娘が死ぬほど言いたくて、だけど言わなかった言葉だ。
頬を濡らす涙を感じながら、思う。



「私も一緒に、海へ連れてって…!!!」
  『私も一緒に、海へ連れてって…!!!』



涙に滲む視界に、皆が映る。
大きく左腕を突き上げて、応えてくれる。
私の……、仲間達…!!


「ロビン、必ず助ける!!!」


力強い声に、全身が震えた。


   * * *


最も怖れていた悪夢、“バスタ−コ−ル”が発動してしまった。
何もかもを薙ぎ倒す、死の暴風が近づいている。

なのに私は、とうとう“ためらいの橋”の上まで連れて来られた。
向こうに小さく見えるのは、“正義の門”。
あれをくぐったら、二度と…。

心臓がドクドクと早鐘を打つ。足が、竦む。
生きたいと願った瞬間から、“死”をこんなにも恐ろしいと感じる。
死にたくない…!!

強張る身体を無理矢理動かし、逃げ出した。
掴まれた髪を、力任せに引き千切って。

けれど、海楼石に力を奪われた身体では、数歩も進めずに追いつかれてしまう。
顔から倒れた橋の上で、それでも抵抗する。

「コイツ…!!石橋に食らいついてやがる!!!
 何て往生際の悪ィ女だ!!!忌々しい!!!」

例え、この場で逃げ切ることが出来なくても。
1分でも、1秒でも長く、皆が追いつくための時間を稼ぐ。
それだけが、今の私に出来ることだから…!!

「何てみっともねェ生への執着!!!
 哀れで!!卑しい!!!罪人の癖に!!!
 死ぬことでしか人を幸せにできねェ癖に!!!
 最後の最後まで何だ、この見すぼらしい姿!!!」

頭を掴んだ男が、私を石橋から引き離そうと狂ったように喚く。
けれど、ここは動かない。
皆が必ず、助けに来てくれるから…!!

「何度言わせる!!!
 もう、お前に希望などねェんだよ!!!」

“希望”…?
蹴りつけられる痛みの中で、何故だか滑稽に思った。
そんな甘ったるい、砂糖菓子のような言葉で表現なんて出来ない。
こんな男になど、わかる筈がない。

……やっと、わかったの…。
あの時の、あの娘の叫びの意味が。


  『見苦しくたって、構わない……!!!
   私は、…………お前なんかに屈しない!!!』



“王女だから”じゃない。“希望があるから”じゃない。
信じているのは神様でも、奇跡でも、自分自身ですらないのだ。
信じているのは…!!


  『私は、この国を愛しているから…!!!』


あの声と、同じように。
心の中で叫ぶ。
火薬と炎と血の匂いを運ぶ、嵐に逆らって。


私は、彼等を。
あの船の“仲間達”を、愛しているから…!!!


彼等を残して、この橋の向こうへは行かない。



                                     − 終 −


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コミックス第43巻。
“ためらいの橋”の上で、酢パンダの暴力と暴言に抵抗を続けるロビンさんに
アルバ−ナ宮殿でのワニと姫を思い出しました。
ロビンさんも思い出したりしないかしら?…と、妄想したのが元ネタです。

昨年の姫誕での「fish」の原形がこのテキストです。
更にその前は2006年姫誕の「百花」の原形として書きかけています。
それぞれ途中から別の話になりましたが、被っている場面や解釈があります。
懐かしいと思いつつ、今回は改めて独立したテキストとして仕上げてみました。
拙宅はネタのエコを心がけております…。(汗)

ロビンさんFanの方には、あれこれすみません。
毎度ながら忘れず申し上げますが、私はロビンさんも大好きです。

2009.2.6 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20090202