月は夜ごと海に還り
(3)
「他の島とあまり密接していないから、敵が来た時見つけ安いし、」
008は壁のモニターに大きく映し出された地図を示す。
「湾が深く切り込んでいる上に、海沿いの崖ギリギリまで高い木が茂って外からは狙われにくい。機体を隠しておくには好都合だろう。────水も豊富だ」
「ふむ。水が豊富なのは有難いのお・・ 」
パイプをふかし髭をなでつつ、ギルモア博士はモニターを見つめた。
002、007、008らによる空と海からの偵察によって、点在する島の中で最も停泊に適した場所が慎重に選び出される。
「調べたが、右サブエンジンと幾つかの計器類の損傷が激しい。あと、後方耐熱タイルに若干の剥離が見られた 」
004が報告する。
「恐らく、飛び立つ直前の爆風が原因じゃろう。その上今朝までの嵐じゃったからのぉ ・・」
「半径50キロメートル四方には、特に何も異常はなかったわ 」
003も報告に加わる。
「ふうむ。損傷を抱えたまま進むのは、出来るだけ避けたい 」
博士はモニターをあちこち切り替えて島の全景をもう一度調べて行く。
「よし、思わぬ足止めじゃが、これを機会に束の間の休息も悪くないじゃろて 」
そう言ってもうひとつ、ぷかりと煙の輪を吐き出した。それに誘われる様に、ふっと空気が緩む。だがせっかちな仲間の一人は、その間も待てずに飛び上がっ
た。
「よーし、そうと決まりゃ早速着水だぜ !!」
真っ暗な海の上を軽やかに滑ってゆく機体。
目当ての湾に侵入すると、ドルフィン号は舳先が半分森に突っ込んだ形で静かに停止した。
突如巨大な物体の出現に、休んでいた鳥達は一斉にバタバタと飛び立つ。
エンジン音が闇に吸い込まれる様に止むと、すぐに再び静寂と鳥達の低い声が機体を包んだ。
予定外の停泊だったが、皆は喜んだ。一つの戦闘を終わらせた後、追い討ちを掛ける様に嵐が来た。何日も閉じ込められ、揺られ続けだった体は、まだどこか
ふらふらする。再び地上に出られるのは、非常に有難かった。
006は007を引っ張って早速厨房に篭り、海の偵察ついでに008が捕まえて来た魚をいそいそと料理する。
やがて油で揚げる香ばしい匂いが船の中に満ち始めると、夕食が待ち遠しい残りのメンバーは、船の簡単な整備と点検を早々に終わらせた。
その間、計器類の面倒な整備を一方的に004に命じられた002だったが、実は秘かに上機嫌だった。渋々制御室に向かう直前に、009に耳元で囁かれた
からだ。
『002・・君のお陰で、すごく楽しかった。さっきはありがと。』
──── これでこき使われたおつりがもらえるってもんだぜ
久々に落ち着いた夕食の席となる。見回りのローテーションがその時に組まれ、
食後手の空いた者達で片付けを済ませると、整備に明け暮れるであろう明日に備えて、見回り当番以外の者は早めに自室へと引き上げた。
001を爽やかな夜気にあてようと、003は眠っている彼をそっと抱いて照明を最小限に絞ったコックピットを出、真下の地面に降り立った。
薄い月の光と緩い風が木々の間を抜けてふたりの金髪と銀髪をさらさらと揺らし、浮き上がらせる。潮騒と、風が木の葉を撫でる音以外,彼女の耳には入らな
い。心地好いそれらの音は爆風、爆音、悲鳴に汚された鋭敏過ぎる脳を包み、洗い流してくれる様だった。
突然、(彼女にとっては突然でも何でもなかったのだが )茂みの向こうからガサガサ言う音と共に、見慣れた巨体が姿を現す。
「まだ起きていたのか 」
「夜風がこんなに気持良いのだもの・・」
003は微笑んだ。
さやさやと渡る海風。満ち足りた初秋の夜だった。
「・・美しい島だ」
木立の向こうに透けて見える低い位置の月を眺めながら、005は呟いた。
「命あるものがすべて豊かだ。大気や水の流れ、土の湿り、どれも素晴らしい 」
「ええ。私も久し振りに土の上を歩けるのが嬉しくて。 ・・変ね。サイボーグなのに土や風に触れるのが嬉しいなんて 」
「不思議な事ではない。サイボーグでも心は生身のままだからな 」
003が見上げると、相手は静かな微笑で見返した。
「しかし・・それだけではない」
「え?」
005は何か考える様子で腕組みする。
「いや、この島の話だ。・・・ここに来てからずっと妙な感覚が続いている。計り知れない何か ────膨大な力を感じずには居られない」
003はころころと笑った。
「あら、それはあなたのよく言う『精霊の息吹』じゃなくて?」
相手は真面目な顔のままだった。
「違う。精霊は使者に過ぎないが、それ以上の、得体の知れない何かだ。神なのか、悪魔なのか分からないが・・」
魂や自然の摂理に関して彼がこんな曖昧な言葉を用いる事は滅多になかったから、彼女は却ってすぐにそれを信じた。
「そのせいかしら?001がもうすぐ目を覚ましそうなの。ついこの間睡眠期に入った所なのに・・」
そう言って腕の中の赤ん坊を抱え直す。
「ここに着いてから、しょっちゅう動いてるのよ。覚醒直前の兆候だわ。こんなの初めてよ。あなたと同様、何かを
感じているのかもしれない」
いつもの穏やかな、強い光に満ちた005の瞳はそのままだったから、彼が今何を考えたのかは彼女でも判らなかった。いや、そもそも、彼の考えが読めた試し
などなかったのだけれど。
「神か悪魔か判らないなんて、怖いわね。こればっかりは、いくらあなたや私でも・・001はどうかしら」
005はその言葉には答えず、相手の横顔から静かに夜空に目を移した。
そうして薄い雲が流れてゆっくり月を覆うのを見守る間、ふたりは無言のままでゆるやかな風の音を聞いていた。
「何て綺麗なお月様・・・まるでこの島の為にある様な・・・」
003はぽつりと呟いた。
「・・・この島では月が見えない場所は無い」
005が改めて静かに口を開く。
夜空を見つめたままでいる彼の深い眼差し。今彼のその目に映っているのは実は夜空なのではなく、その遥か果てにある宇宙なのではないかと003は思った。
「つまりこの島に居る限り、俺達は月の光の魔力から逃れる事は出来ないという事だ」
「それは・・・」
・・・どういう事?と尋ねかけて、003は言葉を飲み込んだ。何となく自分は知らない方が良い気がした。知れば何か禁忌に触れてしまいそうな、そんな気
が。
005は相手の少し不安な様子を見て、元気付ける様に言った。
「大丈夫だ。俺達9人が一緒に居れば、な」
「そうね」
「もう寝ろ。風が冷たくなって来たから」
「ええ・・・おやすみなさい」
「おやすみ 」
003はゆっくりハッチをくぐって行った。005はそれを見届けると、再度、今は薄雲に隠れた月を眺めた。
雲は月を覆ったままで、風はなかなかそれを追い払おうとはしなかった。
「005 」
再び柔らかい声に呼ばれて、彼は振り向いた。
「・・・あなたはさっき、『9人一緒に居れば大丈夫』って言ってたけど・・ひとりで居る時に偶然『それ』に出会ってしまったら、どうなるのかしらね?」
005は一瞬沈黙し、そして答えた。
「そうだな。俺も今同じ事を考えていたよ」
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